2017年によかった本ベスト10

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去年読んだ本の数は84冊だったそうで、その前が88冊でその前が92冊でその前が93冊だそうで、少しずつ減っている。2016 2015 2014
ところで今年2018年の読書に関する抱負を最近思いついてそれは「読了にこだわらない読書をする」です。
たった今「減った」と嘆いたり慰めたりした矢先にあれなんだけど、というかだから、そう言ってしまうその口を閉ざしたい。大事なのは何冊読んだかではなくどれだけ豊かに愉快に本と付き合えたかであって、読み切ろうが読み切るまいが関係ないはずだ、というか読書の豊かさと読み切ったか否かは比例しないはずだ、だけど記録魔みたいなところのある僕は「読了! Evernoteに記録!」みたいなところまで含めて快感を覚えるようなことになっていて、未読了のものはいろいろなところから漏れてしまう、だから退屈になってもとりあえず終わりまでは読む、という行動を取りがちになる。読了を果たすことがそもそも望めないものに手が伸びにくくなる。本当に吝嗇。非常に不健全だ。不誠実だ。不真面目だ。やめたい。だから、ちょっとこれはまだ思いついた段階なのでどういう方策があるのか考えないといけないけれど、記録=可視化が快感を与えるのならば、それはもうしょうがないので、そういう人間なので、だからそれは受け入れた上で、なにか違う形で読書の履歴を可視化していきたい。ということか。たとえば読了本リストではなく触れた本みたいなリストを作るとか。それで読了したものは横に読了印でも入れておくとか。笑う。なんでそんなに記録にこだわるんですか? なんだっていいじゃないですかそんなことは。いや、ほら、だってさ、だって、だって、まいいや、キリがない。
そういうわけで去年読んだ本の数は84冊だそうで、そのうち小説は41冊(日本語の小説17冊、翻訳の小説24冊)、ノンフィクション15冊、エッセイその他28冊みたいな感じだそうで、総じてたいへんたのしかったです。というか、なにが小説なのかなにがエッセイその他なのかもはやよくわかっていない、そのわかっていなさは去年はより強くなる年だった。
よかった本ベスト10。読んだ順。
1. デニス・ジョンソン『煙の樹(藤井光訳、白水社)
2. 角田光代『坂の途中の家(朝日新聞出版)
3. 保坂和志『試行錯誤に漂う(みすず書房)
4. 植本一子『家族最後の日(太田出版)
5. ベン・ラーナー『10:04(木原善彦訳、白水社)
6. ジャック・ケルアック『スクロール版オン・ザ・ロード(青山南訳、河出書房新社)
7. 多和田葉子『百年の散歩(新潮社)
8. ハリ・クンズル『民のいない神(木原善彦訳、白水社)
9. ジョン・マグレガー『奇跡も語る者がいなければ(真野泰訳、新潮社)
10. 今村夏子『星の子(朝日新聞出版)
11. ヴァージニア・ウルフ『ある作家の日記(神谷美恵子訳、みすず書房)
12. 滝口悠生『茄子の輝き(新潮社)
13. テジュ・コール『オープン・シティ(小磯洋光訳、新潮社)
14. 武田百合子『富士日記(中央公論新社)
15. バートン・マルキール『ウォール街のランダム・ウォーカー〈原著第11版〉 —— 株式投資の不滅の真理 (井手正介訳、日本経済新聞出版社)
16. 滝口悠生『高架線(講談社)
17. 植本一子『降伏の記録(河出書房新社)
18. 梯久美子『狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ(新潮社)
どれも面白かった。
去年はとにかく日記だった。
2016年の末に植本一子の『かなわない』を読んで日記の面白さに目覚めたのか、去年は「日記を読みたいの!」なモードが続く一年になった。
植本一子の2冊、『家族最後の日』も『降伏の記録』もどちらも素晴らしかったのだけどいずれも僕がぐんぐんアガるのはやっぱり日記パートで(とはいえ『降伏の記録』の終わりパートはヤバかった)、どんなに重々しかったり苦々しかったりすることが書かれていても日記という枠組みのなかにいたら、そこに生活や時間の流れみたいなものがあったら僕は総じて明るかった。
『ある作家の記録』はウルフが本の売上や評判に一喜一憂する様子がなんともいえずよかった。勇気をもらう感じがあった。自死という結末に近づくにつれて「ねえヴァージニア、もう時間がないよ!」と慌てた気分になりながら読んでいた。
『富士日記』は去年でベストの1冊というか上中下なので3冊だけどベストの1冊だった。最高最高最高。ふいにあらわれる「ふわわわあああ!」という感じになるすごい瞬間の数々にまったく飽きることなく読み続けていた、ずっと読んでいたかった。終わった瞬間なんだかすごく「あっ!」となって涙がぼろぼろとあふれていった。
去年は遊歩小説だった。
もともとそういう嗜好はあったけれどそれが強くなったというか、日記を求める気分と似ているところがあるのだけど、なにも起こらなくていい、どこにも向かわなくていい、ただただ歩いていたら景色が流れていくようなそんなものを読みたい、と思っていた。
『10:04』はまさにそんなふうで、というほどなにも起こらないわけではないのだけど、ベン・ラーナーの語りのなかを歩いている時間はずっとずっと続いてほしい気持ちのいいものだった、去年でベストの1冊だった。『10:04』は僕にとっては『アニー・ホール』だった。つまり最高にチャーミングだった。2度読んで、さらに原書まで買って「ほうほう!」とかいいながら楽しんだ。
続けて読んだ『百年の散歩』もすごくよかった。多和田葉子の言葉をこね回す手つきが僕は気持ちがよかった。読んでいたら歩きたくなって夜に散歩をした。
刊行を楽しみに待っていた『オープン・シティ』は1度読んで「ほ〜〜〜」となってなんとなく冒頭に戻って再び読み始めたらそのままもう1度読んで「うわ〜〜〜」となった。なお読みながらGoogleMapでニューヨークの町のあれこれを見にいく遊びが楽しかった。
『オン・ザ・ロード』も狂騒的なというか躁鬱的なというか遊歩みたいな感じで、道だし、坂口恭平の『けものになること』を読んだあとにもういっちょなんか「わ〜〜〜」ってダッシュし続けるみたいなそういう小説を読みたいなと思って読んだのだけど500ページくらいあって改行一度もないという、ずいぶんな格好の小説なのだけど、とっても楽しく読んだ。
滝口悠生の小説は遊歩小説と言われるものではないだろうけれど僕にとっては同じ手触りのもので、『茄子の輝き』の語りはなんかものすごい心地がよかった、去年のベストの1冊だった。『高架線』も最高だった。なんかこうものすごい適切な温度というか、あれこれとのいい向き合い方があった。すごくなんというかめっちゃ信用できるこの人、という感じでたいそう好みだった。ラブだった。
遊歩といえばというか歩くといえばというところで『ウォークス 歩くことの精神史』もフラフラフラヌールで面白かったのだけど『ウォール街のランダム・ウォーカー』もとても面白かった。不滅の真理を……教えてくれッ!言われたとおりにするからさ! という感じでけっこう寝るのも惜しいみたいな食いつき方で読んだ。で、言われたとおりにインデックス投資を始めた。(同じ時期に読んだ橘玲の『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』も面白く、あやうく言われたとおりに法人化しそうになった。どっちが本当にお得なのか考えるのがすぐ面倒になって流れた)
去年もやっぱり白水社のエクス・リブリスだし新潮社のクレスト・ブックスだった。
『10:04』も『オープン・シティ』もそうだし、年末年始読書だった『煙の樹』はとても久しぶりの再読だったのだけど新年からブチアガった、『民のいない神』も再読だった、やはりブチアガった。
それから「保坂和志の『プレーンソング』が英訳されているみたいでそのレビューを見たら「日本のジョン・マグレガーだ」みたいなことが書かれていたそのジョン・マグレガーの小説がだいぶ前にクレスト・ブックスから出ていた」とお客さんから教わって「そりゃ読みたいわ」となったので読んだ『奇跡も語る者がいなければ』は、保坂和志では全然なかったけれど、最初はこれはきついかもな〜と思った翻訳の調子が次第に「これ以外ありえない! 最高の翻訳!」みたいなことになって、なんだか途中からものすごくのめりこんで読んだ。
保坂和志はいつだって読みたかった。
『試行錯誤に漂う』はやっぱりラブで、僕はこの人の文章のなかにずっといたかった。10000ページくらい保坂和志の文章を投与されたい。
『試行錯誤に漂う』と並行して読んでいたのが『坂の途中の家』で、なんだろう、読んでいるときの「こわい〜!」という印象が1年近く経ってもずっと同じ強度で残っている感じがあった。きつかった。
ずっと残ったといえば『星の子』もなんだか突きつけられた感があってずっと残った。うお〜〜そっか〜〜〜そうだった〜〜〜と思った。この人はいったいなんなんだと思ってそれから今村夏子のほかの作品も読んだ。どれもおかしかった。
最後はなんでか島尾ミホだった。『狂うひと』は怖くて手を出していなかったのだけどなんとなくで読むことにしたらべらぼうに面白かった。なにもかもをベリベリと暴いていく手つきがかっこうよかった。自分たち夫婦の物語をきれいに語り直そうとする老女の執念みたいなもの、それに鳥肌が立った。そのあと何度も言及されていた『「死の棘」日記』を読み、けっきょく2017年は日記で終わった。
こうやって振り返ってみると2017年もあいかわらず読書は本当にE、読書が好きでよかった、おかげさまで楽しく暮らしていくことができます、という感じだった。