写真は先日ひさしぶりに行った日本近代文学館というか駒場公園というのかな。気持ちいいところでした。本文とは一切関係ないんですが他に写真がなく。
先日「
いい時間とは何か改めて考えよう」という感じで考えようとし始めました、ということが書かれましたが、それっきりだったんですが、そこで書かれたのは「店/他の客と結託するとパワーアップできる」みたいなことでした。
というふうに書き始めたのだけどなんか眠くて考えようとしても考えの萌芽みたいなものが雲散していく感じがして困った。
見渡せば全員見えるくらいの大きさのカフェに入ったとしましょう。
A.一人で行って、仲良くなったお店の人とお話をする。
B.一人で行って、仲良くなった常連の人とお話をする。
C.二人で行って、二人でお話をする。
D.一人で行って、本を読む。
オーダーするものはいずれの場合もカフェラテ一杯である。
といったとき、前も「一人でゆっくり過ごすのが今までにも増して下手になってきましたわ」と書いたけれども、少なくとも僕は、この4つの中でいちばん居心地の維持が難しいのは最後の一人読書なんです。たいへんそわそわするというか、この一杯で、どのくらいいても、いいだろうか…!という気になる。
ところがどっこい不思議なもので、Aの場合でもBの場合でもCの場合でも、多分そうならないと思うんですよ。なお、AやBのように過ごせる店を僕は持っていないのでそちらは想像なんですが。飲みたくなれば追加するだろうし、そうでなければそうしないだろうなという気がする。
なぜ落とす金額は同じでも、一人だとかくも弱いのだろうか。(もしかしたら僕が弱いだけかもしれないので、その場合は以下は全部無駄。全部徒労。)
ところで僕は高校時代に退屈で虚無の日々を過ごしていたので同学年の面々をランク付けすることで時間を潰していました。(そういうことをしていたから退屈で虚無だったのかもしれませんね)
なんでかメジャーリーグ方式で、メジャー、3A、2A、1Aの4つで。メジャーに所属するのはサッカー部やラグビー部あたりの人が多かったのですが、僕はメジャー所属の友人は一人もいなかったはずですし、所属していたのはいちばん数が多い2Aでした。
2Aで平穏な日々を送りながら、お、最近あいつメジャーにいきそうだなとか、3Aに落ちたねとか、そういうことを言っていました。
仕組みとしては、上から10、5、2、0みたいな、所属している場所によってその人が友人に与える点数が決まり、付き合っている友人の点数を加算したものが自分の点数になって場所が決まる、というものです。
だからメジャーの友人が10人、3Aの友人が10人、2Aが5人、1Aは1人だった場合、その人の点数は10×10+5×10+2×5+0×1で160点ですね。
一方でメジャーから2Aの友人は誰もいないが1Aの友人が50人という場合、0×50でその人は0点ですね。
僕は3Aの友人が何人かいたので20点くらいだったんじゃないのかなと思います。
でまあ、あの、ノートに付けたりとかはしていなかったので適当な感覚でしかないんですけれどもね、で今あらためて160点とか0点とか20点とか書きましたけど、じゃあ何点から何点がどれで、とかそういうことすら考えたこともなかったので本当にあれなんですけどね、なんというんでしょうかね、これは能力であるとか格好良さであるとかは関係なくて、メジャーなやつはメジャーであるがゆえにメジャーであるみたいなそういう感じになるというか。そもそも最初に「ここらへんが幅きかせてる感じ」というのを認識し、その集団の構成員をメジャーと措定して、あとはそこからの近縁度みたいなところでいったん所属先を割り振って、みたいなところからスタートする感じなので、なんかあれなんですけど、まああれで別にいいんですけど、まあだからあれですね、幅を利かせている感じの人と近づきになったら自分も自ずと点数アップしていずれランクアップみたいな、見果てぬ夢みたいな、そういう世界でしたと。なんかとても愉快だったんですよね、2Aだとばかり思っていたらするすると上がっていて、それにつれてチャラくなっていく人とか見るの。でそれまでのお仲間だった2Aのやつとは疎遠になっていくの。ひえ〜、成り上がりいっちょ上がりっすね〜、2点と10点だったらそりゃ有限なリソース、10点に割きたいっすよね〜、合理的合理的、よ、立身出世、さすがっす〜、みたいな悦び。完全に言い過ぎましたね。ここまでは思ってなかったですわ。まいいや。
でまあなんでこの話を出したかといえば、一人客の弱さ、というか一人でいるときの僕の心細さ、それは点数が低いせいじゃないのか!と思い立ったんですよねというあれで。
さっきのABCDのやつでいうとAの人10点、Bの人5点、Cの人2点、Dの人0点みたいな。
なんかこう書くと「てことはフヅクエに立ってるときお前は自分が10点与える人だと思ってるわけ?どんだけあれなんですか?」という感じなんですけど、まあやっぱり小さい店って立っている人間の存在はどうしても大きいところあるというか無視しにくいというか、というか
この場所においては俺がルールだしというか、傲慢な、いや妥当なのかな、必要なというか、わからないけど、うるさい!とりあえずそういうことにさせて!というか。
で、いくらか前に小さいコーヒー屋さんに行った際、これ前もどこかで書いた場面なんですが、一人の方が一人いるだけで、あとは僕、という状況だったんですけど、そこでカフェラテ飲みながら買った本を開いていたら、「一人でいる方」だとばかり思っていた人がふいに「来週のキャンプさ〜」みたいな話を店の人と始めて、しかも店の人2人いたので3人で、しかも店の人離れた場所に立っていたので大きなトライアングルが完成して、僕はそのトライアングルにかするかかすらないかみたいなポジションに座っていたので「バミューダ?」とか思ったんですけど、すごい呑み込まれるかと思って脅威だったんですけど、つまりてっきり0点だと思っていた存在が実は10点(この場合は20点なのか!?)の存在に化けた、みたいな記念すべき瞬間。20点の一人と0点の僕。弱い!!!弱すぎる!!!!!みたいな。恐れをなしてすぐ出ましたけど。
こういうの、あれですよね、本当にコミュニケーション前提みたいな店、カウンターだけの、みたいなところだとマスターなりなんなりの人がうまく采配してみんなに「ほーらそこの君にも10点やるぞー」ってやって偏らないようにするんでしょうね。ザ・マスター、という感じがしますね。
あー疲れた。無駄に疲れた気がする。
のでもうやめますが、まあそういうわけでですね、結託したものが強いぞ、という前回至った結論みたいなものの実態が暴かれた…!みたいな回だったんですけど、なんというか、なんのためにこういうこと考えているのかもはやよくわからないのだけど、留意していただきたいのは今現在フヅクエの運営上で悩んでいるから考えているみたいなそういうことではいささかもなく、というかフヅクエはそういうのを踏まえたうえで一人で最高の時間を過ごすことを追求みたいな感じなのでそういうのはクリアーしているつもりだしというか。だからこれまで直感に近い感じで形にしようとしてきたものを、今一度それがどういうことなのかほぐして考えてみようみたいなつもりなんですけど、まあ糸は絡まるばかり感が少なくとも文章上だとありますね。
でもこれ今回こうやって点数で考えていたらちょっとあーなるほどと思ったのが、できたら一人で来ていただきたいです、二人で来られても構いませんが独立した時間を過ごしてね、二人っぽい雰囲気は出さないでね、そういうのはよそでいくらでもできるんだからよそでやってね、というのも、二人だと勝手に2点の存在に互いを高め合うのでそういうのこの空間にとって余計、みたいなところなのかなと思いました。2点になろうとするならば俺の力を行使して2点減点させるぞみたいな。
とか。あとは結託の方法は実はコミュニケーションだけではなく説。(まあ
これとか
これとかの言い換えでしかないと言えばそうなんですけど)
つまりフヅクエという場においては一人で本読んでるだけと思っていたお客さん各人が実は店や互いに言葉を交わすわけではない他のお客さんと結託して無限にパワーアップした状態になっている…!ノン・バーバル・コミュニ・ケー・ション!みたいな。つまり「一人客は弱い」を転倒させる磁場!みたいな説。50点50点50点50点……1万点!!みたいな。
でした〜。