本の読める店

不思議な親密さ

Entry blog fuzkue36

先日お客さんからいただいた言葉に「連帯感」というものがあり、それは僕にとって「あ、それそれ」となる言葉だった。
もうちょっと具体的に言うと「お客さんどうしの不思議な連帯感を感じる」というものだった。「ここを選んでいる意思を感じるから?」とも。

これは最初からそうありたいものだと思っていたもので、僕はこれまでその感覚を「共犯意識」という言葉で考えていたのだけど、もっとシンプルというかまっすぐに「連帯感」という言い方があったか、と思い知った次第で。

内輪な店が嫌いというか怖いというか断然苦手というか入れません、というのが僕で、だけどチェーンのカフェやあるいはファミレスなどで心が満たされるかというとわびしい、というのが僕で、これはトップページにも書いたことだけれども、というか一連のブログはすべてトップページに書いたことの変奏だと僕は思っているのだけど、小規模な店で、だけどコミュニケーションの圧力が一つもなくて、だけど冷たくもなくて、不思議な親密さを感じられるようなそんな場所がほしいと、だからそうなりたいと、思っている。

そういう中で、一人で過ごすための場所なんだけど意外に重要なのは「他に人がいること」だと思っていて、誰もいない、誰もこの場所を選んでいない、という状況と、この場所この時間を選んでいる人が自分以外にもいる、ということは、流れる空気の感じがきっとだいぶ違うんじゃないかと思っている。
実際的な側面としても、特に初めて来られる方にとっては他に人がいる状況というのは何かしらの支えになるだろう。(というか人がいないとけっこうしんどいんじゃないかと。サクラでも雇おうかなとか思ったことしばしば)

連帯、あるいは共犯、というと、言葉としては大げさかもしれないのだけど、そういうものが生じたらとてもいいなと思っている。双方まったく意に介することなく、保たれる静けさの中で、ベタついた共生とは正反対の関係で、誰かと連帯する、共犯する、という感覚が生じるという状況は、なかなか稀有で、プレシャスなものなんじゃないか。

あとづけの連帯というか、知らぬ間に共犯というか、「マジで人間とかコミュニケーションとかクソ」とか思って来て時間を過ごしていたらふいに「なんだろうこの安心できる感じは」となって「あ、人の存在か」と気づく感じが発生するとしたら、それはすごいいいことだよね、という話。

photo by ayumax
(店内で撮られていて、なんか上手そうだなーと思ったため「ください」と言っていただきました)

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