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くどうれいん「みづいろのソファ」

 村の図書館にはみずいろのソファがあった。ソファと言うか、それは児童書コーナーで寝転んで紙芝居や絵本を広げながら読むことができるような、ベッドに近いものだった。わたしはそれを(みずいろのソファ)と思いながら、いつもそこを占領していた。ちいさなわたしにとって、色のついた布張りの、靴下で上がってもいいところはなんでもかんでも「ソファ」だった。平日夕方の村の図書館にはぜんぜん利用者がいない。放課後の子供たちは校庭でサッカーをしたり児童館でアニメを見たり、竹馬をしたりフラフープをしたり一輪車をしたりする子のほうが多いから、図書館に行く子は少なかった。わたしは児童館に預けられていたのだけれど、あまり話が合う子がいない日は退屈になると図書館へ行った。児童館と図書館はとても近いので「せんせい図書館行ってきます」と言って名簿に名前を書けば、自由に行き来してよいことになっていた。
 みずいろのソファは図書館に入って新刊コーナーを過ぎたあたりにあって、六等分に切り分けられたケーキのような形をしている。子供三人くらいなら寝転べそうな広さがあって、ケーキのとんがった部分には紙芝居用の木の枠と、低い台が置かれていた。みずいろのソファの分厚い布はざらざらした織りで、ずっと肘をついていると肘がその布地を写してしわしわになった。わたしはそこに上がってうつぶせで過ごすことが多かった。みずいろのソファの座面は頭をぶつけても大けがはしないけれど、うとうとしてしまうほどふかふかなわけではない、絶妙な硬さだった。使い古されてすこしやつれた布は、もしかしたら元々はもうすこしポップな水色であったかもしれない。「みずいろ」よりも「みづいろ」と言うほうがどこかしっくりとくるような、ややくすんでいて古風なかんじがあった。わたしは絵本を何冊も積み重ねてうんしょ、と運び、うつぶせに寝転んで読んだ。天井の高い図書館はとても静かで、受付で貸し出しするときの「ぴ」というバーコードスキャンの音がたまに聞こえた。勉強をしに来た大学生らしきお兄さん、雑誌を読みに来た主婦、地図の資料を探しているおじいさん。この三人とよく居合わせた。三人ともどこか冴えなくて、おそらくわたしも、子供にしては冴えない顔をしていた。
 わたしはそこで夢中になって絵本を読んだ。絵が多く、色が濃い絵本が好きだった。いま思えば画集に近い楽しみ方をしていたような気もする。十五分あれば五冊は読めてしまうから、読み終えたらまたうんしょと運んできて読んだ。読んでいる間、耳の穴がすこしだけめりっとして、鼓膜が風を受けた凧のように膨らんでいる感じがした。すべての神経が集中して、ここにはいま読んでいるページと、わたしの目ん玉と脳みそだけがあるような心地。あのときの、絵本とからだがそのソファにいっしょになって溶けてしまうような、やたら研ぎ澄まされた集中力のことをいまでもたまに恋しく思う。正直なところ、あんなにたくさん絵本を読んだはずなのに、あまり何を読んだのか覚えていない。子供ながらに、いまいちだなあ、とか、これは子供を感動させようとしているだけだなあとか、生意気な目線で読んでいたような気がする。絵本には二種類、いい子供をつくるためのものと、ばけもののような大人を閉じ込めたものがあるような気がした。ゴムあたまポンたろうだけはなんども読んだ。なんど読んでもよくわからなかった。読みながら、どうやったらこんなにへんなまま大人になることができるんだろうと思った。この絵本を世に出した人たちはみんなへんな人で、へんな大人がたくさんいるのかもしれなくて、この絵本をいちばん目立つところに置いているこの図書館のおばさんもへんなひとなんだろうな、と思った。けれど、その「へんなの」というかんじがわたしにはとても心地よかった。
 一冊読み終えるごとに、なるほどなあ、と思いながら、みずいろのソファの布を、両手でさわさわと撫でた。さりさりとてのひらが刺激されてなんだかくすぐったくて、その感覚がすこしくせになっていた。やつれた大きな象の背中のようなみずいろのソファでわたしは絵本を読み続けた。いまでも「読書」と言われると、想像するのはすこしくすんだ「みづいろ」である。
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くどうれいん
作家。1994年生まれ。俳句短歌は工藤玲音名義。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。