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武田砂鉄「勝負しなかった夏」

 新聞に寄稿すると、記者から電話がかかってきて(彼らは本当に電話が好きだ)、「念のため、武田さんの出身大学なんですが……」と聞かれる。本のプロフィール欄に明記していない、でも、Wikipediaには載っている、という中途半端な状態にあるからなのだろう。「特に思い入れがないので載せていません。なので、載せないでください」と返す。大学に恨みがあるわけではないが、逆に感謝もない。ほとんど学校へ行かずに、映像制作会社でのバイトに明け暮れていた。同じ大学出身の人を見かけても特に興奮はしない。むしろ、距離がハッキリする。あなたは積極的に通っていて、自分は積極的に通っていなかったからだ。
 通っていた私立の中高一貫校には、指定校推薦という制度があった。大学が指定の推薦枠を用意するので、高校の責任において選んでください、という制度だ。成績の5段階評価の平均値が○以上の人ならば、という基準値があり、レベルの高い大学には学年トップ30くらいの人しか応募できなかったのだが、結果的に自分が推薦枠を得た大学は、全体の半分よりちょっと上の成績ならば、応募する資格を得られた。廊下に貼り出された指定校推薦の一覧を見て、ここならギリギリいけるんじゃないか、応募する人もいなさそうだし、ここでいいんじゃないかと賭けに出たのだ。
 その大学の推薦枠に手を挙げたのは、自分ともう一人。相手も「5段階評価の3.7」で同じ数値だとの情報を得た。こうなると、どちらを推薦するかは先生たちの判断に委ねられる。相手は生徒会の役員を務めてきたような真面目な生徒。こちらは、弱小男子バレー部(すべての部活の代表者が集まる予算会議で、男子バスケ部のマネージャーから「男バレは真面目に練習していない。新しいボールを買う必要なんてないんだから予算を減らすべき」と言われて、圧倒的多数の支持を得て減額)のキャプテンをやっていたのと、文化祭で披露したコントが好評を博し、調子に乗って同好会にしたいと申請を出したものの、プロテスタント教育の学校なのに、コントの一部が聖書の名場面を茶化す内容だったためか、申請が却下されたというのが主な実績。どう考えても、真面目な生徒を推薦すべきだったが、「個性を重視」という教育方針を先生たちが履き違えたのか、自分が推薦されることになった。数年後、先生に聞いたら、「とにかく議論が紛糾した」とだけ教えてくれた。
 指定校推薦でいけるはずと踏んでいたので、自分は塾には通っていなかった。推薦が決まるのは初秋。決まらなかった時のために受験勉強を進めておく必要があったが、多分大丈夫だろと、受験生にとっての「勝負の夏」と言われる季節が始まっても、これまで通り、アイスを食べて、テレビを見て、もう一本アイスを食べて、深夜ラジオを聴きながら、冷凍庫にまだアイスはあったかなと探ったりしていた。いや、正直、めっちゃ不安だった。指定校推薦が決まるかどうかわからないし、ダメだったらヤバい。塾にも行っていない。その段階からは実力差を縮められるわけがない。
 わずか数日で不安はマックスになり、問題集を買い揃え、朝から夕方まで、近所の図書館にある学習室に籠ることとした。オリジナルで時間割を作成し、その通りにこなしていく。学習室には「勉強のみに使用するのはお控えください。図書館の資料を活用し、調査や研究のために使用してください」というお達しがあったから、この本を使って調べています、と主張するための本を机に置いておく必要があった。図書館で勉強している人の多くがその手口で机を陣取っていた。朝一で図書館に行き、机にカバンを置き、本を選ぶ。昨日はあのコーナーから選んだから、今日はこっちのコーナーから選んでみよう。えっ、あの音楽評論家の初期の評論集じゃん。おっ、地域史のコーナーに、家の近くにある人造湖建設で沈んだ村の歴史の本がある。新着本として棚に差された瞬間に引っこ抜いてみたぞ。
 本を選ぶのが楽しくなってくる。塾で配られるプリントと問題集の違いは、すぐに答えをチェックできてしまう点。巻末に答えが載っている。「自分が組んだ時間割通りに進めたい」「でも、今、選んだこの本を読みたい」という欲望を掛け合わせた結果、すぐに答えを見ながら問題集を埋め、残った時間を読書に費やした。家に帰ると、親から「勉強進んだ?」と聞かれる。進んではいるので、「うん、進んだ」と答える。自分も親も、勉強は図書館で十分やったと思い込んでいるので、夜は借りてきた本を読む。布団に入るとようやく「これじゃマズイかも!」とは思うものの、ぐっすり寝て、翌日も図書館に行き、同じように繰り返す。数秒迷ったらさっさと答えを見て、問題集を埋める。そして、本を読む。
 新学期、「勝負の夏」を乗り越えた猛者たちが学校に集う。ものすごく不安になる。これはマズイ。マジでヤバイ。でも、本を読む。面白いので読む。それから1ヶ月後くらいで、指定校推薦の結果が出た。決まったのは、真面目な生徒ではなく、自分だった。もう受験勉強をしなくていいのだ。一方、周りのみんなはどんどん顔がこわばっていく。当然、遊んでくれる人もいない。だから、図書館に行ったり、古本屋で安い本を買ったりした。極上の時間だった。勉強なんてもうしなくていいし、好きな音楽を聴いて、好きな本を読んでいればいいのだ。勝負しなかった夏、あれでよかったのだ。高校三年生の夏から冬にかけて、ずっと本ばかり読んでいた。みんなが世界史の年号と人物を覚えまくっている時に、英単語を覚えまくっている時に、自分は好きな本を読みまくっていた。そのギャップがたまらなかった。次、何の本を読もうか、ワクワクしていた。
 自分が本を書くようになってから、高校の先生から、「武田の本、図書館に置いているよ」と画像が送られてきた。「みなさんの先輩が書いた本です」と書いてあった。「誰も借りないんだよ」とのこと。でも、自分の中で、借りてくれそうな生徒のイメージ、借りてほしい生徒のイメージはやたらと具体的だ。「指定校推薦が決まって、残り半年くらい結構ヒマになって図書館に来てみた高校三年生」。今、物書きの仕事をしている自分にとっては、出身大学よりも、その大学に入学が決まるまでと、決まった後の卒業までの時間のほうが、プロフィールとしては大切に決まっている。あの時期があるから今がある。
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武田砂鉄
1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年よりライターに。『紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす』で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。他の著書に『日本の気配』『わかりやすさの罪』『偉い人ほどすぐ逃げる』『マチズモを削り取れ』などがある。TBSラジオ『アシタノカレッジ』金曜パーソナリティを務める。