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雪浦聖子「読書の目線」

 数年前、広島に行った時の話。
 四国へ出張した帰り道、ずっとお会いしたかった書店員さんに会いに行った。以前イベントでお世話になった方で、いただくメールの文章から優しさ、ユーモアが滲み出ていて、仕事なのに交換日記を書くような気持ちでメールをやり取りしていた。イベントが終わってからもメールのやり取りは続いた。
 書店員さんからのメールにはその方が最近読まれた本のことや、私ならこれが好きそうというお勧めの本のことが書かれていた。私は、いただいたメールから感じたことを、なるべく正直に、願わくは楽しんでもらえるように返信をしたためて送った。
 「承知しました」「ご確認ください」と、駆け足で行き交うメールがつまったメールボックスの中で、その方とのやり取りは、立ち止まってしゃがみこんで、面白いものを見つけて写真に撮って誰かにつたえる、そんな散歩のような感覚になる、特別な存在だった。
 文通相手に会いに行くような気持ちを抱えて、広島に向かう新幹線に乗った。
 ここで一旦記憶を巻き戻す。子供の頃は本ばかり読んでいた。
 字を読むのが楽しくて、電車の中吊り広告を端から端まで読んでいた。小学生の頃は外遊びが嫌いで、そして親から漫画を買うことを禁止されていたので、放課後、絵を描いたりして遊ぶ時間以外は、活字の本ばかり読んでいた。(漫画は友達の家で読んでいた。)
 当時は福永令三の児童文学『クレヨン王国』シリーズが好きで、それに出てくる女の子が卒業式で着る、ピンク色のブレザーが着たくてたまらなかった。(高校に入学するときまでそのイメージが頭にあって、通学用に淡いピンク色のバッグを買った。今でも春になると、そのバッグのことを思い出す。)
 そういう子供らしい本も手にとったけれど、家にある本はすぐ読み終わってしまって、しょっちゅう読む本がなくなって、そうなると親の本棚にあるエッセイ本や、しまいには自分が子供のくせに子育てに関する本まで手を出した。少々こましゃくれた子供だった。とにかく文字を目で追うのが、楽しかった。そんなことを繰り返していたら、いろんな言葉の使い方や文体が世の中にあることが面白くなって、友達と架空の新聞を作って新聞っぽい言い回しを真似て遊ぶようになった。書いてある内容そのものより言葉の周りに漂う雰囲気を味わうのが楽しかった。
 中学に上がった頃に吉本ばななの『TUGUMI』を友達から借りて、その装丁にまずぽおっとなって、中身を読んで美しいヒロインと言い回しに憧れた。その後は、こういうふうに日々を自分が受け取っていけたらいいな、という目線で世界を描いている作家の小説を読むようになった。ビジュアルが伴わない小説は自由に自分好みの世界を頭の中に作らせてくれた。
 就職した頃から時間に追われるようになって、いつ本を読んでいいかわからなくなってしまったし、現実的ないろいろが押し寄せてくる日々の中で、誰かの描いた世界に浸る余裕をなくしてしまった。特に洋服を作り始めてからは、作ることで自分の世界を確認できるようになってしまったのもあって、読書量がぐっと減った。
 時間を2018年に戻す。
 大部分の人は車で来るであろう、駅から離れた大きな商業施設内に目的地はあった。他県から来ている私は新幹線と路面電車を乗り継いで、そこからお店の前に広がる圧倒的に広い駐車場を徒歩で抜けて建物へたどり着いた。どんな場所なんだろうとずっと想像を巡らしていた本屋さんは商業施設のザワザワとした空間の中では少し異質で、やわらかな、本を読むことを、生活することを楽しもうという空気に満ちていた。想像通りの気持ちの良い場所だった。そんな店内をおずおずと抜けて書店員さんと対面した。メールの印象の通り、上品でやわらかでチャーミングな方だった。元々好きだった方を更に好きになる。来られてよかった。
 店内をぐるり案内していただいた。メールでやり取りしたときと同じように、押し付けがましくなく、なおかつ本当に良い本だということが伝わってくる言葉で説明してもらいながら見る書棚は、いきいきとしていた。普段見ないような棚も立体感が出て本それぞれの存在が際立って見えた。欲しい本がどんどん出てきて、何冊かを、この日の思い出を閉じ込めるような気持ちで購入、帰りの新幹線があるのであっという間にうれし恥ずかし対面タイムは終わって、後ろ髪引かれながら店を出た。
 帰りの新幹線に乗り込んで、早々に書店員さんからプレゼントしていただいた本と、購入した本を座席の小さなテーブルに積み上げた。その中にはそれまで読んで来たような小説はなくて、自分では選んだことのないジャンルの本がたくさんあった。
 クッキー缶をあけてどれから食べようか迷うような気持ちで、どれから読むか悩んだけど、まずはメールで事前にお勧めしてもらっていた本から読み始めることにした。一瞬肩に力が入りそうなタイトルなのだけれど、すぐ夢中になった。数学と人間との関係を書いた本。まったく自分が考えたこともない視点から、人の営み、知ることわかることの楽しさが記されていて、無機質に感じていた数学の世界がとてもドラマチックで彩りに満ちたものなのだと知った。勧めていただいた他の本も、自分が普段生活していて見ているのとは違う角度から世界を見ることのできる本が多かった。数十年間ほそぼそと続けてきた、自分の内側の世界を作り上げるための読書とは違う、普段いる世界の外側に連れ出してくれる読書がはじまった。この日の出来事を機に読む本が変わって、興味の対象も広がった。
 日々を生きやすくするための内に入っていく読書もいいけれど、世界を外側に広げて行くタイプの読書も風通しが良いと知った。
 自分の作る服も、以前はこの色はいや、女っぽいのもいや、と、許せないものがたくさんある中で作る若干ナイーブなものだったように思うけれど、年齢的なものもあるのか(ちょうどこの頃不惑を迎えた)この頃からそれまで使ってこなかった色を使うようになったり、女性らしさを否定しない、以前より肩の力の抜けたものづくりができるようになった。
 こうやって時間を行ったり来たりして読書の記憶を辿ると、子供時代に言葉という道具をこしゃこしゃと手元に引き寄せて、10代から30代で時間をかけて自分の足元の世界を作って、そこから意識が外に向いてきたのが今なのだなと思った。じわじわ上がる目線。
 広島滞在は半日ほどだったのだけれど、あの日のことは、今もリビングの見えるところに立てかけてある本が思い出させてくれる。
 その後世界は思いがけない変化を遂げてしまい、広島がずいぶん遠くなってしまった。これであっているのかと、ドキドキしながら路面電車に乗るようなこともずいぶん贅沢な時間になってしまった。
 なかなかに窮屈な日々だけれど、本で世界を広げることを教えてもらったので、しばらくは今の場所にいたまま、遠くの世界に思いを馳せて、自分とは違う視点を持った人の目線を追体験しようと思う。他の人の考えを受け止めること、理解しようとすることがいよいよ大事になってきたことだし。
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雪浦聖子
1978年生まれ。東京大学工学部卒業後、住宅設備メーカーに勤務。その後、ESMOD JAPONで服飾デザインとパターンを学ぶ。YEAH RIGHT!!でのアシスタントを経て2009年にユニセックスのアパレルブランドsneeuwを立ち上げる。sneeuwと並行してWalternatief名義でプロダクトのデザインを手がけたり、アーティストへの衣装提供も行っている。