『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』(左右社)

APC_0367bbd55806-1960-4bd7-845c-244701a3931b.jpg
6月26日(金)
帰ってまずソーダを飲んだ。まずビールを飲むように、まずソーダを飲んだ。喉を炭酸が通っていってすっきりした心地があって「やはりこれだったのか?」と思う。ソーダを飲みながら、『仕事本』を開く。初っ端の、スーパーのパン屋で働く方からすごくいい。これは4月18日の日記だった。4月18日、僕はいつか行くフヅクエ券を発売して、それからスープをこしらえた、その日。
今日は夫の一周忌。お昼過ぎに息子夫婦と孫、娘二人が来る。こんな状況だから家族だけでやることにした。お坊さんも呼べないから、私がお経を唱えて家族みんなで手を合わせた。
息子と一緒に中華料理の春餅を作り、ウインナーロールとカレーパンとぶどうパンも焼いて、みんなで「孤独のグルメ」を見ながらご飯を食べた。
息子夫婦はコロナの影響で休業、長女は在宅勤務、末の娘は介護の仕事をしていて不安を抱えながらも日々働いている。みんな生活のリズムが変わっても頑張っている。私もスーパーの仕事を週四日だが頑張って生活している。
みんなが帰って、ひとりになるとやっぱり寂しい。仏様にお供えしたご飯をつまみに、長女が飲み残した缶チューハイを飲んだ。こんな時、夫がそばにいたらなぁと思う。でもいつもいるような気もしている。今もソファーに座って夫が好きだったゴルフ番組を見ながら、隣にいるような気がして横を向くけどもちろん見えるわけはない。
でも落ち込んでいるばかりいるわけでもなく、友達と散歩したり、孫の世話をしたり、庭に出て薔薇の手入れをしたりしてけっこう楽しく生きている。
仏壇に手を合わせてご本尊様に、私の大事な旦那様なのでよろしくお願いしますと言った。 『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』(左右社)p.15
それから『傷を愛せるか』を一編読んだ、見ること、目撃すること、証人となること、見守ること、これはいい文章だ、と思う。橋本さんはこの本を『断片的なものの社会学』を引き合いに出して教えてくれたのだったか、とにかく橋本さんのあの熱心さで、すごくよかった、と言っていた、あの感じを思い出した。
それにしてもシラフでいることのつまらなさ、と思う。酔っぱらったらどう楽しいのか、わからないが、こんな退屈な世界で、俺はいったい何をやっているんだろうなと思う。がぶがぶソーダを飲みながら、ベランダに出て室外機の上に座って長々と本を読んでいる、ゆっくりゆっくり、気づかないくらいのスピードで、本のページが見えづらくなっていく。明度が下がっていく。紺色と灰色が混ざっていく。しばらく『ウォーターランド』を読んで、また『仕事本』に戻っていくらか読んだ。阿佐ヶ谷ロフトの方の文章がすごくよくて、山口くんに連絡した。
「焦ってるね〜」と言われて腑に落ちた。
あ、あたし、焦ってたのか〜。なるほどね。
このままじゃ頭がおかしくなっちゃう!なんて言ってるけど、すでにもう頭がおかしくなってたなって、この状況に慣れてきてることが異常だって思い出した。
お行儀の良い人間ではないから、おとなしくおうち時間はできないし、そもそも仕事をしないと、いまできることを続けないと、自分の生活どころかうちの店舗、うちの店舗どころか会社、会社どころか文化、エンタメ業界が死ぬらしい。わたしがいないと文化が死ぬことだってもしかしたらありえる気がしてきた。風が吹いて桶屋が儲かる的な。とっくに正気じゃない人間が書いています。 ライブハウスが全人類から必要とされているわけではないことも知ってるけど。
とかいってまたすぐ頭の具合悪くなって夜まで働けないみたいなことになったらウケるけど。 同前 p.74
ソーダを絶え間なく飲みながら、なんでこんなに絶え間なく飲んでいるのだろう、と思う。煙草を吸いに立つであるとか、こうやって本をザッピングするであるとか、なんなんだろう、と思う。喫煙や飲酒への依存、コーヒーもそうだろう、何もかもに依存する、これはどうしたものなんだろう、この意志薄弱はどうしたらいいのだろう、とここのところ考えていて、今日もまた考えていた、でもこのソーダを絶え間なく飲む様子を見ていると、もしかしてこれは、落ち着きの問題だったりするのだろうか、という気がしてきた。僕は落ち着きがない。ということ。落ち着きがないから、座っても、飲み物を口に運ばないといけないし、座っても、また立ち上がってどこかに行かなければいけない、だからベランダに、外階段に、店の裏に、出る、その口実としての喫煙。1リットルくらいでまとめてつくっているアイスコーヒーの大半は僕によって飲み干される、僕が絶え間なく、今ソーダを飲んでいるのと同じようなペースで、ちょっとグラスに注ぎ、飲み、また注ぎ、飲み、それを繰り返して、やめるところを見出だせないまま繰り返して、気づいたら大半を飲んでいる。それらは全部、落ち着きの問題だったりするのではないか。そうだとして。そうだとしたら? そうだとしたらどうしたらいいのか、先のアクションを用意してあげたらいい、ということだろうか。ビールではなく、ソーダ、というのはもしかしたら本当にこれかもしれない。コーヒーの代わりもソーダだろうか、どれだけソーダを飲んだらいいのか、ソーダというのはいくら飲んでもいいものなのか。喫煙に代わるアクション。考えてみる価値はあるかもしれないし、黙って禁煙パッチなのかもしれないし。