先日、「
労働のモードと人間」という意味もなく仰々しいタイトルの記事で1988 cafe shozoが大好きですということを書いたけれども、初めて行った約1年前、「これこそがそれじゃないですか!」と僕は感銘を受けて、その感銘はそれから連日で通った3日のあいだ続いた。
で、それから夏にたぶん2,3回行って、今回の年末年始にも2回行って、ということでこの1年くらいのあいだで7,8回は行っているのだと思うのだけど、最初の感銘がいつまでも続くかと言えばそういうものでもなく、「やっぱり好きです、ラブ」みたいな再確認はありつつも明らかに慣れていく、というのもまた間違いないことで、というのを今回改めて感じて。
店あるいは体験の魔法というのはなんだろうなということを考える。
最初の3回、僕はショーゾーの魔法のようなものにたぶん魅せられて続けて、でもその魔法は再訪を重ねるごとに解けていって現実というかルーチンというか日常というかの側に寄っていっているのだと思うのだけど、魔法が解けたからといって瑕疵が目につくというわけでもないというところがショーゾーはきっとすごいというかさすがに大変すごいとされているだけのお店なんだろうなと思いはするけれど、魔法の時間というものは多くの物語でそうなるようにやはり終わっていくもので。
魔法の時間、スペシャルな時間が終わったとき、この足はどれだけその場所に向かい続けるのか。向かい続けた時、ある種の日常化という体験の変質はどのようなものとして受け止めるべきことなのか。魔法のともしびみたいなものを消さないようにすることはできるのか。できるとしたらそれはどのような方法によってか。
フヅクエに来てくださる方のリアクションというかいただくお言葉等を見聞きしている限り、最高だぜあんたほんとみたいな、感動しましたみたいな、特別な時間としてここを体験してくださる方が、とてもありがたいことに少なからずおられる。自分でこういうことを書くのはバカみたいだけど多分それは事実なので仕方がない。もちろん反対に「クソでした」みたいな方もおられるだろう。
で、その、スペシャルって思ってくださった方に掛かった魔法が終わらなければ、それは僕にとってももちろんそうだし、その方々にとってもすごく幸福なことだと思うのだけど、そのための、大げさに手を変え品を変えみたいな方法とはまた別の、わたしのすごい方法を何か編み出せたらいいのになと思うけど、そんなものが存在するのかどうかすら皆目見当もつかない。
まあ現状、フヅクエはまず新規の方というか、新規って言葉やだな。まず一度ここに足を運んでくださる方の数を増やさないことには何も始まらないというかすぐさま終わるみたいなフェーズだから、そっちを考えなければいけないはいけないのだけど、魔法についても気になるよね、ということで書いた。というか1000字くらいを費やして書かれたのは「魔法って気になるよね」ということだけというか。
この場所は何度行っても/この体験は何度しても魔法であり続けているよ、みたいな体験をお持ちの方は教えて下さい、みたいななんだろうこれ、ラジオとかのお便りコーナーに突如というか、でもじっさい聞いてみたいな人々のそれら。