読書日記(114)

2018.12.09
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##12月1日(土) 開店前、ゆとりがあったらしく、『ヒロインズ』を開く、読んでいてしんどい、苦しい、つらい、読みたい。そういえば去年の12月は島尾ミホの評伝を読んでいたんだよな、そのあと島尾敏雄の日記を読んだんだよな、と思い出した。
ただただ忙しい日、とにかく忙しい日、夕方には20人を超え、さらに、7時には30人を超えた、たぶんたしか35とかがこれまでの最高記録だったから、これもしかして超えるんじゃないか、と思い、6時頃は完全に疲れ切っていたが、7時頃は振り切れて、超えるのならば超えてみよ! どんどん行くぜ! というおかしなテンションになっていた、テンションというか、元気だった、混乱もなかった、まだまだ行ける余裕があった、俺は偉大だ。
そうしたら8時半にひとり来られたのを最後に、終わった、10時過ぎには誰もいなくなった。なので31だった、31でも多分今年のトップ10とかには入る人数だろう、たいそうな仕事量だった。 昼、遊ちゃんのお父さんが来られた、電話で話したことはあったが、お会いするのは初めてだった、なんというか、遺伝! と見た瞬間に思ったし、そのあとも何度も思った。娘同様、チャーミングな方だった。
疲れた。野球の記事をずっと見ている。丸。
味玉ひとつ入れておきましたね
え?
味玉、ひとつ入れておきましたね
あ、
お姉さん前にも来てくれたんで、
えーありがとうございます
食べるものというか食べていいものがなかったというか食べないほうがよかったためラーメンを食べに行った、入って食券の機械で食券を買おうとしているとそういうやり取りが聞こえ、俺にも味玉ひとつ入れてくれるかな、何度も来ているけれど、と思って、席についた、それでラーメンが届くまで『ヘロインズあ間違えた『ヒロインズ』を貪るように読んでいて、ラーメンが届いたらスイッチングして、スマホに、切り替えて、スポーツの記事を読んで、食べた、ラーメン味濃いめと大ライス、それがちょうどいい。
『ヒロインズ』を読む。
素材、患者、所有物、ノベルティ、生贄、犠牲
酒を飲んで、寝た。
##12月2日(日) 体がしっかり疲れを引きずっている。いつもより45分早く起きるつもりでいつもより15分ほど早く起きた、店、行き、仕込み、がんばる、ERAを聞きながら勢いよくがんばる、それで店、開け、がんばる、今日は昨日のようなことにはならない、のんびりしていた、どっちがいいのかわからないなと思いながら、午後、しばらく満席近い状況が続いたが、体感は暇で、今日は暇な日だな、と、思ったりしていた、のんびりしていた。
夕方に山口くんがインし、手洗い場の手を拭く紙がそろそろなくなるところで、お願いしようかとも思ったが少し外に出る機会というふうにも思い、ドラッグストアに買いに行った。ここ2週間くらいか、仕事中随時ハンドクリームというのか、そういう、ハンドミルクというようだ、それを塗るようにしていて、これまではベタベタした手では仕事にならないと思って使わなかったのだが、手の甲はよくない? 手の甲でグラスとか触れなくない? という気づきに、長い年月を経て至り、それで使うようにしているところ、なんかだいぶ悪化しなくなった、今までだったら今だったらもうバッキバキにぶっ壊れていたはずだが、ちょこちょこと傷がある程度で、まったく苦でない、ハンドミルク、これはすごいぞ、と思っている、そのハンドミルク、これはトンプソンさんが持ってきてくれていたやつで、僕は使わなかった、それは置いたままになっていた、それで、どこで買えるのかな、どっか行かないと買えないんだろうな、と勝手に思っていたら、先日満を持してググったところ、ググるまでもまったくない情報のはずだったが、ググったところ、花王だった、身近なブランドだった、そのハンドミルクを行ったドラッグストアでも見かけ、いつでも買いに行ける、ということが確定し、うれしかったです。
「ハンドクリームを塗るようにしたら、手のあかぎれがよくなったんです!」
今日は本当に手伝わない、というようにできるだけしていた、洗い物が溜まっていく、このペースだと洗い物が溜まっていくのだなあであるとか、こういうときはここらへんは優先的に洗っておかないと面倒なことになるのだなあとかを、体感してもらおうという意図だった、なので田中浩康のインタビュー記事を読んだところ、「僕にとってプロ野球の世界は想像以上に夢の世界でした」という言葉があり、なんというかこの感慨というのは、初めて見た、感慨というのかわからないが、こんな言葉は初めて見た、13年とか、プロの世界にいた選手が、こう言える、これはなんだかとびきりに美しい言葉のように思えた。
それから、久しぶりにDockerを立ち上げ、店のWebをいじる作業をおこなった、スタッフページの編集だった、久しぶりに触るそれはやっぱりなにか面白かった、面白く作業し、肩が凝った、一日のどかだったが夜は完全に暇になり、2日連続で夜が完全に暇で、どうしたかな、と思った、10時にはどなたもおられなくなったので、お酒のこと等いろいろを声を出して指導した。
帰り、遊ちゃんが今日熱を出していたので何か買ってこようかと聞いたところバニラアイスとプリンとのことだったのでバニラアイスとプリンと煙草とチョコアイスを買うべくコンビニに立ち寄った、せっかくだからのハーゲンダッツというところでハーゲンダッツを探したがアイスコーナーになく、ハーゲンダッツって冷凍食品とかのコーナーだっけね、でもなんでだろうね、あちらのほうが冷凍が上等なのかな、と思いながらハーゲンダッツを獲得し、レジに向かうと、小柄な僕よりは年長そうな女性、少し浅黒い肌の、どうしてそう思うのだろうか、この、なにを書こうともただの僕の偏見の発露になるようなことしか浮かばず20秒くらい指が固まるような、これもダメだあれもダメだという、どれを取ってもなんかいろいろ語弊ありすぎるだろという、そういう、なんか、いろいろな偏見で形容したいと思ったそういうような、女性がレジに立っていて、前には二人の店員がいた、その店員二人を背が低いから上目でガンをつける、冷笑と怒りの混ざった顔つきで、という場面があり、「おーこわ」と思って横のレジに行くと二人のうちの一人が離脱してレジをしてくれた、このコンビニは夜間は完全に東南アジアふうの人たちだけしか働いていなくて、今日の二人もそうだった、女性の前にはなんだかいろいろが印字されているいろいろな紙があったから公共料金の支払いとかだろうか、いやめっちゃ怒ってますけど、彼らもたぶん一生懸命対処しようとしているんだから協力的な態度であるべきなんじゃないでしょうか、怒っても解決したいことが解決に向かう助けにはならないのではないでしょうか、と思いながらレジ打ちをしてもらったりお金を払ったりしていた、声が聞こえて「これだとバスに乗れないんですね」と意想外に抑えた声で、焦りと怒りを感じる声で女性が言っていて、ちらと見ると「バス乗車券」という印字が見えた、まあ、今は夜中だ、バスはきっと明日だ、ゆっくり行こう、と思ってコンビニを出た。
それにしてもそのだから、このコンビニは夜間は完全に東南アジアふうの人たちで運営されていて、片言の日本語でがんばるわけだけど、いつも思うけれど片言の日本語でがんばるにはコンビニの業務はあまりに複雑なんじゃないかということで、複雑というか多岐に渡りすぎるということで、だからほんとすごいなと思う、というか、そもそも僕は英語もできない人間だから、第一言語でない言語で仕事をするとか本当にすごいな、俺は英語で数字すら言えない気がするけど、せんよんじゅうえんとか、言えるのすごいよなとか、ろくじゅうにばんとか、言われても「ばん?」とか、逆だったら思いそうとか、すごいし、どうしてこれだけ複雑化しているコンビニで、日本語習得中の人が働けているのか、あまり道理がわからなかった、だから、すごいなと思いながら、たまに「もう少し笑ってほしい」とか、思ったりすることがある、一人ものすごくムスッとした顔をし続けている人がいて、その人に当たると、もう少し笑うといか、緩めた顔を見せてほしい、そういうことを僕は思ってしまったりもするが、とにかく偉大な存在で、きっとそうとう頭いいんだろうなと思う、バスの乗車券の発行なんてそんなに毎日レベルの頻出ではなさそうだから、知らないが、もしかしたら毎日人はバス乗車券を発行しているのかもしれないが、とにかく、もう少し時間をあげてほしい、と、さっきの場面を思いながら思ったが、でももしちゃんと彼女が思うように発券されなかったら、それはやはり困るだろうなと思った、先日開演20分前にローソンで、範宙遊泳、チケットを発行したが、もしそのときにうまく行かずに時間が掛かったら、僕は焦ったし苛ついただろう、そう思うと彼女の苛つきも想像はできる、でもバスは20分じゃ出ないから、早くて明朝だから、と思って、でも苛つくは苛つく、わかる、先日の吉祥寺のローソンのお店の人は背が高い髪の毛の長い武士みたいな男性で、やたら列ができていて、少し時間を気にしながらその最後尾について、だから遠目で、お菓子とかの棚に挟まれた場所から遠目で、結った頭が右に左に素早く、動いているのが見えた、なんだろう、と思ったらその武士みたいな男性で、ものすごく機敏に元気に働いていた。
帰り、熱は少し下がりつつあるようだった、アイス食べる? と聞くと謝意の表明とともに明日いただくとのことで、僕はシャワーを浴びたらアイスを食べるぞ〜と思ったら楽しみで、楽しみな気分でシャワーを浴びて、アイスを食べた、チョコクリスプなんとか、みたいなやつだった、最初の三分の一くらいがやたらおいしくて、アイスアイス、と思いながら食べたら、そこらへんで飽きて、ふと、僕が子どものときの時分に父親がアイスを買ってきてくれて食べて、という場面って多分あって、そういうとき、最後までおいしいおいしい言いながら食べる子どもを傍目に、親は、ちょっともういいかな、とか思ったりする、最後までおいしいおいしい言いながら食べる子どもを見て、なにかに対して、若さとかだろうか、感嘆する、そういうことがあっただろうか、と思った、父親はよくコンビニに行った、アイス買ってくる、といってコンビニに行った、僕が岡山で店を始める、会社を辞めて店を始める、という話をしに帰ったときも、その話が始まったら「ちょっとアイス買ってくる」といってコンビニに行った、アイスだったか忘れたがコンビニに行った、だからアイスは好きで、最後までおいしく食べる人なのかもしれないが。
最後のひとさじをすくい、食べ終えたときに真っ先に感じたのは安堵だった。
『ヒロインズ』を読む。やみつきになっている。
##12月3日(月) 朝、あんまり眠くない、とぼとぼと歩きながら天気がいい、コーヒーを早く飲みたいなと思う、最近はまずコーヒー、開店前にできたらもう一杯淹れて営業に臨みたい、というふうで、夏はひたすら水出しアイスコーヒーを適当にグビグビだったのが、淹れるようになり、さらにヒートアップしていく、冬。冬になるね。
交差点を、母親と3歳くらいの娘が歩いていて、アグレッシブな道路の渡り方で歩いていて、お母さんは片手にちびっこ用のペダルのない自転車を持っていて、娘はとことこと小走りでついていく、「けんけんぽくぽく」とお母さんは伸びやかな晴れやかな声で歌っていて、それだけで十分によかったのに、お母さんの悲鳴のようにも聞こえる笑いを含んだ驚きというか感嘆の声が聞こえて振り返り見ると娘は転倒して、それをお母さんが愉快げに「まあ!」という様子で、それだけで十分によかったのに、少し歩いたあと、なんせアグレッシブな渡り方だったから、横断歩道のない半端な場所で、信号のこともあるし、特に問題は起きていませんか? と心配というか気にかかり、もう一度見ると、お母さんはいったん対岸に自転車を置いて、そこから小走りに、「えみり!」と言いながら娘に近づいていく様子が目に入った、あくまでも楽しそうな伸びやかな晴れやかな顔で。なんでだろうか僕は感動する。
店着き、コーヒー淹れ、たいして準備なし、日記を書く、昨日と今朝、メモしておいたものをもとに書く。メモにはこうあった。
アイス買いに
冷笑しながらガンつける
いやいやいや
しかし店員は大変だ
でも発券されなかったらと思うと
先週の吉祥寺
ハーゲンダッツ
1の3
安堵
父の気持ち
朝、あんま眠くない
けんけんポクポク、えみり!感動する
道路のアグレッシブな渡り方
コーヒー飲みたい
こんなにメモをするのは珍しかった、どういうモードなんだろうか、とにかく、書いた、書いて、飯食い、『ヒロインズ』を数ページ読んで、よし、みたいになって開け、それから「あれ、これやるべき?」というものがでてきて、やったりしながら、日記を進めながら、働いた。静かな午後。 外階段で一服しながら『ヒロインズ』を読んでいると、向こうから下校中の小学生が歩いてきたらしい、「勉強が、うまく、なりますように、どうかどうか」という声が聞こえ、次いでゲラゲラゲラという笑い声、そのあと見える位置を前を眼下を通って行った、今度は女の子の番だった、どういう遊びなのか、トランシーバーを模した手に向かって願いごとを話すようだ、彼女は「世界中のお金を、わたくしのところに今すぐ渡しなさい」と言って、願いごとではなく指令だった、彼らの姿はすでに狭い視界から消えていた、ゲラゲラゲラ、「おばか〜」。僕は本を片手に持ちながらニッコニコしていた。
今日は夜で交代だった、ひきちゃんがやってきて、買いました、といって本を出すのでなんだっけなと思ったら、福利厚生で月一冊本、というのを11月から始めて、二人とも一向に言ってこないから11月はいいのかな、12月からね、12月12月、と思っていたところ、買ってきました、といって、これは果たして11月分なのか12月分なのか、と思って領収書を見ると日付けは11月28日で、負けた! みたいな変な気持ちを覚えてから、なんの本なんの本と見るとミランダ・ジュライの『あなたを選んでくれるもの』で、「とってもよいです」と言っていた、おー、よいよねえ、うんうん、よいよねえ、と思って、いくつかの伝達事項を伝達して、じゃ、と言って出た、出て、電車、初台から新宿、大江戸線で乗り換えて中井まで。大江戸線のホームにエスカレーターで下っていると上がってくる人の列が、向こうからわーっと列が、人の波が、やってきて、すごい光景だと思った、大江戸線は、混んでいるのかなと思ったらそこそこ混んでいた、そういう時間だった、『ヒロインズ』を当然のことのように開きながら、電車に乗り、たくさんのページを折りながら読んだ、そういう盛り上がる箇所だった、こっちが勝手に盛り上がる、箇所だった。
ゼルダが仕事をするために部屋に引きこもれば、それは病気の兆候と見なされた。女性であり、サバルタンである彼女にとっては、病気であるという診断そのものが、ある種の封じ込めだった。いっぽうでスコットが同じことをすれば、芸術家らしいふるまいということになる。ニーチェやフローベールの系譜だ。(…)ヘンリー・ミラーのセックス、アルトーの狂気、フィッツジェラルドのアルコール中毒。ワンダーランドが必要だった作家たち。でも、同じような状態になった女性たちはどうなのか。『真夜中よ、おはよう』を一年で書き上げたジーン・リース。激しくお酒をあおりながら、朝方まで寝床で書いた。ベッドに原稿が散乱していた。ときには自分の本や契約書をビリビリに破いてしまうこともあった。彼女もまた、崩壊に近い状態だった。私がここで話そうとしているのは、自己破壊的な作家を美化する傾向についてだけではない。なぜこうも記憶のされかたが違ってしまうのかを、指摘しておきたいのだ。天才の男性とアマチュアの女性、または狂った女性。ヒエラルキーによる分断。片方は神話化され、もう片方は悪魔化される。 ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(西山敦子訳、C.I.P.Books)p.279
ゼルダはもう一度病院に戻らせてほしいと頼み込み、スコットはそれはできないと答える。彼女が本当に異常だなんて、自分は信じていないから、と。最終的には、彼が『夜はやさし』を完成させるまで、彼女は精神異常について一切書けないことにされてしまった。スコットがゼルダに言う——「戯曲を書くにしても、精神異常を扱うものはダメだ。リヴィエラが舞台でも、スイスが舞台でもいけない。どんな構想があるにせよ、まずは僕に見せなければならない」。そしてこう締めくくる。「僕はプロの小説家で、君を養っている。だから僕たちの経験は、すべて僕の素材だ。君が使える素材はひとつもない」 同前 p.288
しんど。
中井駅は初めて降り立った。大江戸線の駅から西武線の駅までは少し歩く、小さな橋の上を歩いた、左手の向こうに大きな高架の道路があって首都高とかだろうか、夜の道路は僕はさみしくて切なくてぎゅっとなる、好きな光景だった、オレンジ色の光。
道路を見ながらのんびり歩いていると「そういう態度でやっているうちに医療ミス起こしたりするんだろうな」と、相手への忠告だろうか、話題に上がっている第三者についての意見だろうか、わからなかったが電話でそう言いながら早歩きで歩く男性が追い抜いていった、興味が惹かれたので会話の続きを聞こうと早歩きであとを追った、聞き取れないまま駅に入り、電車に入った。 遊ちゃんは今日は風邪が一段落して、それで体が疲れていたからマッサージを受けに行ってこれからヨガだと言っていた、マッサージからのヨガ! どこかのマダムであるとかのようだね! というところで、元気になったことを言祝いだ、野方に着いた。
デイリーコーヒースタンドに行き、優くんは忙しそうだったためいったん外に出て煙草を吸いながら『ヒロインズ』をビシビシ続けて、戻ると手がすいたらしく、注文させてもらった、抹茶ラテを頼んだ、このシーズナルなドリンクとやらを僕は飲みたかったし、そういうものを用意しようという流れというか考えの流れが僕は大賛成すぎるという、大好きな判断だった。誰のための店なのか、野方の町の人のための、というそのベースのところがしっかりしているからこういうことができる。フヅクエはだから、フヅクエは本を読みたい人のための店で、それが、こういう形を導いている。僕と優くんは店の格好はまったく違うし敷居みたいなものもまったく違うだろうけれども、考えの順序は同じだ、と頻繁に思う、同志、という感がある。
抹茶ラテを作っているところを仔細に観察し、できあがったものをいただき、席について飲んでいると、少しすると五十嵐さんが来て、こんにちは、と言った、ジャック・ドーシーのことを話していた、ジャック、ジャック、と話していて、それからWiFiのことを話していて、それからSquareのことを話していた、二人で先に飲んでいることにして隣の隣くらいにあった秋元屋の本店でないほうに入った、本店は月曜は休みということだった、五十嵐さんは昨日が月曜日だと思って昨日この本店でないほうの秋元屋に来たばかりということだった、ずっと月曜日だと思い込み続けられるというのはすごいことだなと思った、入れるかなと思ったら、そういう混み具合で心配したら、2階に通されて、2階は誰もいなかった、そこで先に適当に、飲みながら、話したりしていた。二人で話している状況というのは岡山のとき以来だろう、岡山のときは、何度か飲みに行ったり、コーヒーを飲んだり、していた、離れる前日だったか、五十嵐さんの宇野の家にお邪魔した、そのときはまだ宇野にいた優くんもその夜は一緒にご飯を食べて、距離があった、僕はそのときは優くんは「なんかおしゃれな感じの人」くらいで距離がまったくあった、こんなに仲良くなるとは思わなかった、翌朝、王子が岳だったか、なんか高いところに五十嵐さんに連れていってもらって、そこから海を見た、市場で刺し身かなにかを買い、その場でご飯と一緒に食べた、それが2014年か、4年か。
たぶん9時くらいに優くんが来て、それから飲み食いし、閉店で、僕は酔っ払ったし帰ろうかなと思ったら、デイリーの隣のスペース見ていきなよ、ということで、そうだそうだ見ていなかった、でももうお酒はいいな、と思ったらコーヒーということで、デイリーで淹れてくれるということで、酔っ払ったあとにおいしいコーヒー飲めるっていうのは贅沢だなと思い、暗くなったデイリーに入り、コーヒーを淹れてもらった、それを持って、隣の「長屋」と今のところ称されている場所に入った、すごい、かっこいいエアコンが壁にあった、ぶっ壊したら出てきたのだという。それはチューリングマシンみたいだと思った。
帰り、あたたかいそばを食べてから帰った、帰りながら、コンテンツ化、自分のコンテンツ化……と考えていた、今日吹き込まれたことだった、帰って、それを遊ちゃんに話して、オンラインサロン……メルマガ……いろいろ適当に調べて、ふむ、と思った。自分のコンテンツ化なんて、今までだってずっとやっていることだ、それを金銭を介してやるかどうかのその違いでしかなかった、何だか僕はそれはとてもありなことに思えた。それを発表するブログにはタイトルか最初のセンテンスかわからないがこう書くことになるだろう、「すいません! 文章を書くことを収入源のひとつにしたくなってしまいました!」あるいは「書いた文章を換金して いや違うな、いやらしくなく、爽やかに、課金。
『ヒロインズ』を読んで寝。ふと布団に入ってから熱をはかりたくなってはかってみたところ少し高かった。きっとアルコールのせいだね。と言い聞かせた。風邪は引きたくなかった。
##12月4日(火) やけにさっぱりと目が覚めて、目を閉じたらあと30分寝たから、あのさっぱりはなんだったのだろうと思う。店に行っていくらかの準備をして、朝ご飯を食べようとしたところ山口くん。昼の日。 開店前、メルマガのこととか、山口くんがどうやって文章を書いて稼いでいくのかとか、そういう話をする、自前で金を作ることを僕は楽しいことだと思っている、何年も前、書いた小説を電子書籍みたいな形にして販売したことがあった、ほとんど売れなかったけれど、それでもいくらかは売れて、それは楽しいことだった、向かうということそれ自体が心躍ることでありまた報酬であった、それをとても久しぶりに思い出した。ストリートファイト。ある人がフヅクエの歩んできた道のりをそういう言葉で形容してくれて、それを聞いて以来それを僕は気に入った言葉として持っている。ストリートファイトの愉しみ。山口くんは最近「ストリートファイター」にハマっているとの由。
開店から、僕はできるだけ座って、メルマガのことを考えたりしていた、どうやって定期課金するのかなとか、調べたりしていた、挙げ句、メルマガの文章を考えたりして、vol.0として自分と遊ちゃんと山口くん宛に送信すらした。わりと開店からコンスタントな日で、山口くんがんばれ、と一生懸命思っていると、がんばっていた、格段に動きが速くなったような気がする、前ほど洗い物が溜まっていない、え、すごくない、速くなってない、と思って、一段落したときに一緒に外に出て、え、すごくない、速くなってない、と言った、そうですね、前よりは、と彼は言った、僕はなんだか妙にとてもうれしかった、今日はやたらにあたたかく、これからあたたかくなる日のとてもあたたかい日みたいだった。つまり3月のある日。
オーダーはちょこちょことありつつ、レモンシロップとジンジャーシロップを今日は作る日だった、それの手ほどきをしたりしていた、できることを、増やしていく、それは店に立つ自信を増やしていく作業だった。
途中、あれ、なんか見覚えある人の気がするぞ、あれ、どうだったかな、確信持てないな、と、思った、その人が帰るとき、僕はちょうど外で一服していたら山口くんが扉を開けて、お帰りの方が阿久津さんに、というので、あらーやっぱり、と思って出た、それで外で話して、本を買いたい、サイン書いてちょうだい、と言われたので笑って快諾してそのようにして渡した、それは岡山のときの友人で、まだ店を始める前の時分、デカダンでよく顔を合わせていた、確信が持てなかったさっきの時間に、名前が思い出せない、二文字で呼んでいたよな、なんだっけななんだっけな、と、なにかメールとかが残っていないか、調べていたところ、ちょうど小説を電子書籍化して販売しようというそういうときのやり取りが出てきて、表紙に使う写真を提供してもらったりしていた、そのメールを見て、今朝山口くんとそのときのことを話していたことは思い出さなかった、思い出すのは日記を書く今になってからだった。
無事名前も思い出し、それで外で近況を聞いたりして、そうかそうか、二児の母かあ! というところでなんだか感慨もあり、上の子はもう7歳だという。7歳ってすごいなあ! というところで感慨もあり、ストリートファイトづいているし、岡山づいている。
夕方、もう大丈夫な感じになり、ちょっと外出ようと思い、出、ドトール、日記を書く、すぐそばの席の若い男がボールペンをやたらノックする、そんな頻度本当に必要!? という頻度でノックする。バチン、バチバチン! コロコロコロ! うるさい。ほんとうるさい。そんな必要ないだろ、なんのパフォーマンスなんだよ、マジでうるさい、と思いながら、でもドトールだもんなあ、ドトールだもんなあ、とも思うし、でもドトールであろうとも、こんな音ってそんなに発していていいものなんだろうか、という思いを消すことがどうもできない。
苛立つ。『ヒロインズ』を開くと、ここは、昨日読んでいたところだったっけ、どうだったっけ。
母に誘われて、マーシャル・フィールズにランチに出かけたときのことを思い出す。私は大学を卒業して、ウェイトレスをしていた。作家になると決めていたけれど、まだ何も書いていなかった。母は私がまっとうな職に就くことを望んでいた。書く仕事で税金を払っていないなら、それはただの趣味なのよ。そう言われたのを覚えている。でも時間が経つにつれ、私がきっと作家になれると信じてサポートしてくれた。でもたいていの人にとってと同じく、母にとって小説を書くということが意味するのは、ジョナサン・フランゼンとか『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演してソファに座って話すとか、そういう世界のことだった。フィッツジェラルドではなく、フランゼン。新しい時代の成功した作家。納税書類の職業欄に「作家」と書ける人。手に入りやすく、ブルジョワ的で、共鳴しやすい世界を生み出すことができる書き手のこと。 ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(西山敦子訳、C.I.P.Books)p.305,306
今週発売の『すばる』の1月号でインタビューの記事があってそこでプロフィール欄はこれでいいですか、の確認が来たとき、「fuzkue店主/文筆家」とあって、文筆家! と思ったというかそんな名乗りはしたことがない! と思って笑ったが、そのままにした、そのままにしたほうがなにか本当に文筆家になるというか、書き仕事が依頼されやすくなったりして、という魂胆だった、名乗ることはきっと大事で、自分からこれからそう名乗るかは別として、まあこれでいいと思ってそうして、ふとそのことを思い出した。書く仕事で税金を払う。納税書類の職業欄に「作家」と書ける。払えないし書けないが、ごくごく小さな一部はそういう税金を払う、今年は『GINZA』から始まり、書くことでお金をいただく機会が何度かあった、それは、去年まではほとんど考えてもみなかったことだった、それを、僕は加速させたいのだろうか、それを、僕はいま加速させたいのかもしれない、それも、求められたところに文章を寄せるという形で一時的な金を得る方法もあるけれど、そうでなく、ストリートファイト、自分で、俺に、俺に金を払ってくれ、読む人、俺に金を払ってくれ! 俺だ! 俺にだ! という、そういうことをやってみたいのかもしれない、知らないが、『GINZA』でもらってきた分くらいはどうだろうか、稼げないだろうか、自前で、これまでだって自前だが、もっと自前で、同じくらい稼げるのなら、それは面白いんじゃないか、そう思っているらしかった。怖い、恥ずかしい、そういう壁を乗り越えたところに、なにか面白い場所がある可能性はあったし、その可能性を捨てる必然性は特になかった。
そろそろ店に戻ろう。
戻って、山口くんが働いていた、今日はどうも、すいすい働いているように見える、お客さんとやり取りしている姿も、今までよりものびのび、いきいきとしているように見える。夜になり山口くん帰る時間になり見送りながら、その旨を伝えたというか聞いた、なんか今日うまいこといってたんじゃない? なんか今日お客さんともいきいきリラックスしてやり取りしてたんじゃない? すると「そうだ」ということで、僕は目の前で人が成長する姿を見ている。
夜、平穏、暇、僕にはなにもない。とかは思っていない、僕にはやるべきことが特にない、そう打ちたかった。僕にはなにもない、みたいなことは言ってもしかたがない。手持ちのものでやるしかない、あるいは自己否定に費やしている時間を使って手持ちのものを買い足すであるとかあらたに作るであるとか補強するとか、する以外、どうしようもないじゃないか、というそんな考えはいくらかマッチョで、そういうのはそういうので怖い。でも。
夕飯を食べて、気づいたらいつの間にかずいぶん遅めの時間になっちゃったな、と思っていたら、一時間、時間を間違って認識していたと気づいた、そのときの喜びといったら、なかった。一時間、得した。もらった。
帰り、遊ちゃんは今日は熱は昨日で下がっていたが今日は頭痛だった、早くよくなってほしい、ウイスキー、ウイスキー、『ヒロインズ』。
##12月5日(水) 開店前、取材、のため早起きして家を出て仕込み等。本当はもともとは山口くんに「この日入れる?」「入れるっす」というところで昼の時間に入ってもらうことで、開店準備をお願いしようと思っていたのだが、明日が僕が休みということを考えたときに「ひとの読書」の話を今晩閉店後に聞いたら楽しいなと思い、「やっぱ夜入れる?」「入れるっす」ということになり、つまり楽しいことのほうを優先することにした、そのため今日は取材がある日だったが開店準備まで先に済ませる必要があって、だから早起きして家を出て仕込み等、していた。
山口くん夕方イン。しばらく一緒に働き、今日もまたドトールに行こうと、その前にトイレに入ったら、トイレから出たら突然腰が、ピキッとした痛みで痛むようになって、痛かった、ドトールに入って、その前から作業していたInDesignの、日記を流し込むやつを作って、作っていた、どうして今これをしなければいけないのか、まったくわからない、いくらか虚しさのようなものを覚えてその中にいた、それでよして、『ヒロインズ』を開いた、しばらく読んでいた、勢いよく読んでいたらあと少しで終わりそうになってきて、そして、光が見えてきた、光のフェーズに入ってきた感じがあり、明るい、明るさが、割れた底のところからこぼれてきた。「彼女たち」の名前があふれたその瞬間、涙が出そうになった。光。
7時、そろそろ戻ろうかと戻ってみると、コンスタントにお客さんがあったらしく、山口くんはこなしていた、マジで立派になりつつあるな、と思って、喜んだ、それから忙しくなった、あれ、これは手伝わないと無理なやつだ、と思って、手伝うというか二人で働くという感じで働き、だいぶ忙しい水曜日になっていった、そうしたらいろいろの仕込みが生じていった、明日は休みで、金曜日は一人で、あれ、これも、あれも、ということは、どうしよう、どうしたらいいだろう、となり、今日やれることは今日やらないと金曜日しんどい、ということがわかり、大急ぎでチーズケーキを焼いたり、していた、忙しかった、ちょっと頭の中がテンパった。
遅い時間になって落ち着き、時間ができたりした、それで、じゃあこれから20分は読書タイムね、などといって、それぞれ座って読書に勤しんだりしていた、『ヒロインズ』を進めた、山口くんは蔦屋書店のカバーの掛かった本だったから、たぶん前もそうだったからあれはポール・オースターの『インヴィジブル』だろうか。
私は気づき始めている。論考やエッセイから自分自身の影を消してしまうことも、抑圧のひとつの形なのだ。自分を消去することは、ある種の発言をしてはいけない、という禁止令に従うのと同じことに思える。作品に向き合い、没頭し、圧倒されてしまう経験自体は客観性とはほぼ遠いのに、客観的なふりをしなくてはいけないのだから。私のブログ<フランシス・ファーマーは私の姉妹>や仲間たちのブログのコメント欄で優れたテキストが、交流が、対話が構築されてきた。型にはまらず流動的な、最高の批評。新しいものの発生を促すような肯定性があり、お互いに否定し合わない。そして彼らに合わせた言葉ではなく、私たち自身の言葉を使って書かれている。 ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(西山敦子訳、C.I.P.Books)p.378
誰が決めた、誰が診断をした、誰が、誰が主体に、主語になっている、その問いが、問いというよりは叫びが、繰り返されてきた。そしてここに至った。私が決める。私たちが決める。もう、なんか、感動。
夕飯に食べるものがあまりないというかさみしいおかずで、限られていて、これじゃさみしいなと思い、なにかないかなと思ったら豚肉があり、じゃがいもがあり、しめじがあった、玉ねぎもあるな、にんにくもある、というところで、炒め物を作ることにして豚肉をすりおろしたにんにくとかで漬けておいた、11時くらいには最後の方が帰られた、もう終わりだ、それで炒め物を作って、今度は食べるご飯が少ないことに気づき、山口くん、セブン行ってサトウのごはん買ってきてちょうだい、といって買ってきてもらった、サトウのごはんは高かったからプライベートブランドのやつを買ってきた、それで、炒め物を作って、食べた、やたらおいしかった、胡椒と花椒をきかせた。食べ終わり、よし、じゃあ、始めましょうか、というところでボイスメモを回して、インタビューというか話を聞くというか話をした、これはやっぱり面白いなあ、ととても思った、「読書」というテーマを机の真ん中に置いて、それのまわりで自由にしゃべる、というのは、パネルトークというのか、知らないが、そういうのはなんというか遊びとしてなんかとてもよいと、前も思ったけれど、やっぱり思って、うわーこれはー、といういい話も聞けて、突き抜けるような楽しさがあった、大喜びで、1時間半くらい話して、終わりにして、俺もう今すぐ文字起こし始めたい、と言って帰って、さっそく寝るまでのあいだ、文字起こしをすることにして、始めた、30分やって7分進んで、タイピングしながら眠くなることって起きるんだなという眠くなり方が起きて、寝た。
##12月6日(木) 雨が降っているという。昨日、明日はカレーを食べに行こうか、カレー屋まーくんにまた行こうか、と言っていたが、店じまいしたということだった、経緯は知らないが勝手に「かっこいい」という気持ちが湧いた、それで、そうなんだね、じゃあどこに行こうね、と言いながらうたうたと眠っていて、12時を過ぎてから起きた。起きて、前から行ってみたかったエリックサウス マサラダイナーに行ってみることにして、家を出た、それでバスで渋谷のほうに出て、歩いて、傘は持っていたが、さす必要はないようだった、行った。ランチのカレーの3種のやつと、ミールスのやつを頼んで、だから二人で合計6種とかの、カレーを食べられるね、楽しいね、というところだった、菜食のやつ、ブロッコリーをくたくたにしたカレーがとても好きだった、このお店を知ったのはビリヤニの長々とした説明書きの画像をツイッターで見かけたときで、それを読んでとてもこういうのはいいよなあ、長々とした文章、そういうのはとてもいいよなあ、と思って勝手に好感を抱いていた、それでそれがあったのでもう一度読んだ、「個人的には」という言葉があり、僕は「個人的には」という言葉は基本的には好きではないというか違和感を覚えやすい言葉なのだけど、え、個人じゃないとしたらいったい何を代弁しようとしていたの、何を自分は代弁できるという認識を持っているの、と思うことが多いのだけど、今日の「個人的には」はとても気持ちのいい個人的だった、店として、ではなく、書いている私は、という、こういう個人の発露はやはり見かける機会が少ない、もっとあっていいはずだ、というもので、よかった。カレーもとてもおいしかった。
大満足で、コーヒーをどこで飲もうというところで、明治通りを歩いた、いろいろなお店があって、どこもカフェを併設していて、びっくりするくらいにどこもカフェを併設していた、条例で決められてでもいるのかな? という程度に。それでどこがおいしいだろうか、と考えた結果、WeWorkの中のが一番おいしそうというか、ちゃんとやりそうな気が勝手にし、入ったところストリーマーコーヒーのコーヒーらしく、よかった、会計がキャッシュレスというかキャッシュは受け付けていない、カードとかだけ、という会計で、へ〜、と思った、スイカ。
コーヒーを飲み飲み歩き、それで今日は紅葉リベンジの日だった、明治神宮に行った、それまで原宿とか表参道とか、すげーなーなんか文化が違うという感じがする、という人たちをたくさん見ていてぎょっとしたりしていたところだったが、明治神宮に足を踏み入れた途端に、ただただ静かで、広々として、木々が高くそびえ、気持ちが清々しかった、寒かった、圧倒的に外国人観光客という人たちで占められていた、とことこと歩いた、随所に紅葉が見られた、きれいだった、寒かった、本堂? 本殿? そこでお参り? 参拝? をして、身近にいたロンドンから来た一人で歩いていた最初から最後まで言葉を一言も発さない男性に声を掛けて二人で写真を撮ってもらった。
東京観光。明治神宮から代々木公園に抜ける道がないかと探したが、どうもなさそうで、だから原宿のほうに戻って、普通にというか普通の入り口から代々木公園に入った、地図があったので見てみたら、そういう求めていた道はやっぱりないようだった、分断されている、正しい、必要な分断なのかもしれない、代々木公園は人が少なかった、道はまだ濡れていた、遊ちゃんのiPhoneは不通になっていて、エリックサウスを目指すときに地図を見るので使ったのが最後で、突然使えなくなったということだった、どうしたかね、と言った、紅葉が、先週は暗かったのでどうやっても確信はないが、先週よりもずっとあって、赤く、黄色かった、進むと、黄色い絨毯になっているところがあって、鮮やかだった、そこにあった椅子に、濡れていないポイントを探して座り、しばらくのあいだ、黄色い景色を見ていた、風が吹くと、雪のように黄色い葉っぱがはらはらと降った。
紅葉を満喫することができて満足した二人は公園をあとにし、歩いた、遊ちゃんが最近行ったヨガだったかホットヨガだったかどちらでもあったかピラティスもあったかの話を聞いたりしながら、うろうろと歩いていると意想外のどんぴしゃの出口にぶつかり、道路を渡ればすぐのところがフグレンだった、ソファが空いていた、入って、コーヒーを頼んで座った、遊ちゃんはそば茶。
パソコンを開き、イヤホンをし、文字起こしをした、昨日が30分で7分進んで、ということは1時間20分の録音を全部起こすには5時間くらいか、と思っていたら、がしがしとテンポよく、また、効率を考えて「な」で「なんか」、「へ」で「へ〜〜〜〜」、「か」で「感じ」とか、辞書に登録して使って、やっていったところ、ずいずいと進んだ、途中で今日ソフトバンクで大規模な通信障害が起こっていたことがわかって、だってよ、よかったね、と遊ちゃんに言った、がんばってがんばったところ、残り20分のところまで進んだ、2時間で40分、というくらいのペースだったろうか、速かった、時間になり、フグレンを出、歩いた、歩いて、それでタラモアに行った、武田さんたちのなんかの忘年会で、なんの忘年会なのかはよくわかっていなかった、20人超の大人数の会ということで、どうして行くって言ったのかなと昨日くらいから思っていた、大人数で集まって、そういう場所で立ち振る舞うことなんて苦手以外のなにものでもなかった、知り合いもほとんどいないだろうし、何して過ごす気なんだろう俺は、と思っていた、でも行くと言ったので行った、で入り、ビールを頼み、貸し切りだった、遊ちゃんと適当な席について煙草を吸いながら、飲んでいた、そのテーブルにはとんかつさんがいて、基本的にはこの3人でずっとしゃべっていた、途中途中で武田さんがいたり、ゆうたろうくんというカメラマンの方がいたりしながら、動かず、ポテトフライ等を食べながら、そこで過ごした。
最近武田さんとゆうたろうくんが行ったというキャンプというかハンモックで寝るキャンプのことから始まり、それから遊ちゃんがVRの教育現場への普及というか使われ方の話をして、それがとてもおもしろかった、曰く、「アインシュタインね」という、アインシュタインになりきった状態で算数の問題とかに対峙すると認知のなにかが向上してどうのこうのということが起こるということだった、遊ちゃんが話す顔をときおり横目で見ながら僕は愛情であるとかときめきであるとかを感じていた、なりきる、というのは大切なことだ、とんかつさんが話した、『絶体絶命都市』というゲームの話、それから演劇の話になり、なりきること、なりきらないこと、ブレヒト、「あっ」の話、本当にそうだと思った、未分化な、分節化以前の、それを保持すること、つまらない自分の尺度でしかできない痩せた言葉に安易に替えず、「あっ」を眼差すこと、僕はそれが引用だった、それから、とてもいいことを聞いた、ジエン社の新作公演が来週からあるという、僕と遊ちゃんは歓喜して、武田さんも行くということで、とんかつさんも行けたら行くということで、その場でチケットを予約した、春だったかに北千住で見た『物の所有を学ぶ庭』が今年一番くらいに好きななにかだった、大喜びで予約して、そうしたらひきちゃんも誘ってみようという気が起きた、『物の所有を学ぶ庭』を見た夜はフヅクエはひきちゃんで、見終えると通知があり、体調が悪くなった、ということだった、今北千住だから帰って行くから交代するからちょっと待ってて〜ということでほくほくした気分で電車に乗って帰って、店行って、今こんな演劇を見てきてさあ、と体調不良のひきちゃんに話して、という記憶が湧いてきて、そうだ、ひきちゃん誘おう、という気になった、遊ちゃんと二人で行く予定だったら誘わなかったが、何人かで行くなら増えるのも楽しかろう、というそういう感じだった、それで、タラモアを出たあとに連絡をした。会は、その貸し切りの会は、最後は武田さんととんかつさんが野球の話をいろいろとしていて、ボールの握りや腕の振りや、その様子を見ているだけで僕はニコニコだった、そのあたりで出た、この夜、とんかつさんと遊ちゃんがいてくれたことによってつつがなく終わって、僕は大して口を開かず、聞いている夜だった、楽しかった、帰って、文字起こしを続けた、あと少しだ、終わらせてしまうぞ、と思ってのことだったが、見ると充電が残り15%で、これは俺が眠くなる前にきっと電源が落ちるなというところで、そうなった、順調に減って、0%になってからしばらく粘るも、ふっと消えた。文字起こしは残り7分。あとちょっとで終わる。
潔くというかさっぱりした、抗いようのない事態によってさっぱりした気持ちでパソコンをしまって布団に移ると『ヒロインズ』を開いて、この日初めて本を開いた、少しで、寝た。
いっぽうで、ときにブログの投稿は、ただそこにあるそのままのものでしかない。未完成で、断片的で、何かを追求する過程にあるもの。私たちはそれを正式な形に整えて、本にしたいとは思わない。ただそのままにしておきたい。生身のまま、私たちだけの素材として。(…)そしてオンラインで書く場合は「完成させる」「洗練させる」「プロらしい質の高さをめざす」ように迫られることからも、完全に自由でいることができる。
X教授たちは私たちのブログを嫌うだろう。未完成で、身体感覚が強く、過剰で、赤裸々なまでに自伝的だけれど、ときには偽名を使って書かれている。そして彼らに嫌悪されるこういった要素のすべてこそ、私たちが書く理由そのものだ。 ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(西山敦子訳、C.I.P.Books)p.381
##12月7日(金) 水曜にそう知ったように今日は仕込みが大変だった、あれとこれを開店までに、これは開店までにとまでは言わないが午後くらいには、それからあれも、というような感じで、一所懸命仕込みをする、も、間に合わず、具体的には和え物が間に合わなかった、湯がくところ、和え衣を作るところまではできた、あとは春菊を切って、絞って、和える。それが間に合わなかった。まあ、開けてからでもどうにかなるだろう、と思って12時になり、開けると、開けると同時に何人かの方が来られ、さらに来られ、あれれ、ということになった、定食が出た、まずいまずいまずいぞ〜、と慌てて切って、絞って、和える、和えて即盛る、というそういうなんというかかなり危うい、ギリギリの戦いとなった、忙しかった、え、なんでこれ、なにこれなに、と思いながらどうにか乗り切って、深い息をついた。いつも以上の準備不足といつも以上のお客さんラッシュという、なんというかそういう掛け合わせだった、昨日見た夢を思い出そうとしたが、そんな余裕はなかった。
少しずつ余裕が出てきて、それで昨日までの1時間15分の2万1千字の文字起こしを、打ち間違いであるとかを整形する作業をしていった、そうしたら済んだ、つまり、あと7分起こしたら、山口くんに送付、確認してもらったら、アップできる。異常な熱心さで取り組んでいる。
なんとなく忙しい日で、パタパタと働きながら、していたが、夕方、誰もいなくなった、あ、誰もいなくなった、これは、と思い、残り7分の文字起こしをここぞとばかりにやったところ、最後まで行けた、それでそれからまた夜もパタパタと働きながら、すぐさま遊ちゃんに送りたい〜みたいなところでInDesignでまた、作って、スマホで読みやすいサイズみたいなそういうことをやっていたらわりと手間が掛かって、できて、それで送って、山口くんにも送って、それで働いた、遅い時間になり特にやることがなくなったので『ヒロインズ』を開き、最後、読んでいった。ブログを書くということ。自分の手で足で、進むということ。ストリートファイト。彼女たちはまさに渾身のストリートファイトを繰り広げていた。それは僕は美しかった。僕も美しく戦いたかった。ストリートファイト。書くこと。自分にとって、書くこととは、なんなのか、考えている。考えていない。考えている。