#10月6日(土)
寝る前は昨日は昨日も『幻のアフリカ』だった。葬式だった。
まったく日が暮れる。案内人と僕は村を出て、近くの岩場で、一群の男たちと一緒になる。みな、二つの仮面以外は、普段と同じ服装をしている。二つの仮面とは繊維の衣装をつけた若者たちだが、暗いのでよく見分けられない。非常な数の太鼓があり、大部分の男は、槍か鍬を持っている。僕は行列にまじる。行列は草や岩場をよぎって、うねうねと進み、ある種の場所で立ちどまり、歌い踊る。武器が振りかざされ、男たちは野獣の真似をするためなのか、裏声で、鋭い叫びをあげる。僕がただ一人の観客だ。やっと追いついたアンバラが、フロックコートの垂れを
空気の精の翼のようにはためかせながら、僕の前で跳ねまわっている。小休止のとき、彼は親族の誰かにフロックコートを預け、両手の先にサンダルを振りかざしながら、輪の真ん中へ踊りに入る。男たちの大部分ではないにしても、多くは酔っていて、なかには、裏声であざ笑いのような声をあげながら、黍の畑に散ってゆく者もいる。これらすべての基調に、太鼓と並外れて気高い合唱の声。
ミシェル・レリス『幻のアフリカ』(岡谷公二・田中淳一・高橋達明訳、平凡社)p.185,186
昨日は昨日も寝るのが遅くなって3時を過ぎていた。気づいたらそんな時間で、慌てて眠ったら朝になって起きた、曜日の感覚がなかった、土曜日だった。
今日は昨日たくさんがんばったから仕込みはほとんどなくて、チーズケーキを焼いた、昨日のたくさんの仕込みは昨日のうちに活躍したのは味噌汁だけで結局他のものは今日でも構わなかったわけだった、それは結果論だった。で、働いた。
忙しかった。今日は複雑に予約がいろいろ入っている日で、複雑というのは夕方くらいに予約が4つ5つ入っていてそうなるといろいろなんだか複雑で、あれ、どうなってるんだっけ、等々こんがらがりながら、働いた、実質満席という状態の時間がいくらかあり、このあと5時からご予約で全部埋まっちゃうんで、5時までは確約できるんですがそれからは状況次第、みたいなところで、お帰りになるというか帰すことになった方が何人かいて、そうしたら5時の予約に直前でキャンセルが出て、こういうときとてももんやりした気持ちになる、店としてももちろん損しているし、それよりも、それよりもはかっこつけ過ぎかもしれない、それとともに、さっきのかた通せたってことじゃん、と思うと、今日フヅクエで過ごしたかった人の一人が無意味に不当に過ごすことができなかった、という、ことで、ふーむ、と思う。デポジットみたいなものを取りたい、とたまに思うが、たまに思うだけだし、ちょうどいい仕組みというかサービスは現時点ではなさそう、探してもいないが。
夜はゆったりしたペースだったが、僕の動きが落ち着いたのは10時を過ぎてからだった、日記の推敲を済ませて、日記の推敲をしていたら先週の日記をだから読んでいたら、先週はいくつか数字づいているというか、数字についての言及というかなにか数字を出したがりな週だったんだなということを思ったのと、それから消費税の納付の事業者になる話が『黙ってピアノを弾いてくれ』の感想とまったく重なっているというか、変わるってことは、怖いことなんだ、という、なんかそういう話だと思っていたらなんだよこれ消費税の話かよwww という話として響いたというそういう気付きと学びがあって、一週間という短いスパンでも自分の気づいていないところでそういう偏りというか意識が向いている方角みたいなものがある、ものだなと思った、野球の引退についていろいろ思っていることには当時から気づいていた。
それで、11時半くらいになってやっとやることもなくなったので、本を開いた、『クラフツマン』を開いた、開いたら、数日前に寝る前に読んでいるときにおかしくなって、遊ちゃんにそのおかしさを伝えた場面を思い出した、このおかしさは可笑しさのおかしさだ、それはこの本がやたらルビを振りたがる本というところで、圏点も多い、ルビを振りたがるというところで、今開いてるページだけでもさ模範モデル発展キャリア有能タレンテッド模範モデル模倣イミテート革新イノヴェート基本原則フォーミュラ作業場ワークショップ技術クラフトまだあるよ模範モデル3度めだ訓練トレイニング技術クラフト共感シンパシー、ちょっとすごくないこれ! どこだったかな、あったwww これ、レベルっていうところにスタンダード!
その、おかしな、可笑しなページの続きを読んでいたら、あ、そういえばメール返さなきゃ、等々が出てきて、すぐに閉店時間になった。疲れた。
終わってから、そういえば、先日の打ち合わせのときに僕に課されたのは日記の読み直しというか手直しというか推敲というか、ということだった、と思い出して、動き出したときにそれがだいぶきれいにできていたら話の進行も早くなるのではないかと思った、というかそれが終わらなければ始まらない、じゃあやろうと思った、やるなら、きれいに整えた状態で見たいと思った、ということは、InDesignをまた入れて、組んで、やる、というのがいいと思った、そう思ったら、にわかに楽しくなった、InDesignをまた触る、これは楽しいことだった、楽しいことは続いた、Twitterを見ていたら『新潮』の11月号に滝口悠生の「アイオワ日記」が掲載されているという、これは! と思って『新潮』のページを見に行ったら目次を見たらB&Bでのときのものだと思われる滝口悠生・柴崎友香対談も収録されているという、これは! と思って、にわかに一気に楽しくなった、楽しくなって、帰った。
帰ってから、いんでざいんいんでざいんと頭のなかはそれで、どうやったら効率的にできるだろうか、そういうことを考えていた、ウィスキーを飲みながら、考えていた、遊ちゃんと話しながら、考えていた、寝ようと思って、今日はミシェル・レリスにしようかプルーストにしようかと迷った末、今日はInDesignのことを考えて寝よう、と寝ることにして、本読まないの? と遊ちゃんに聞かれた、InDesignのことを考えて寝ることにした、と言うと、本当に好きなんだねえ、と言った、それで、すぐに眠った。
#10月7日(日)
朝、InDesignのことを考えながら起きた、昨日寝言で僕は「さっさっさっさ」と言いながら手首をちょいちょいちょいちょいと動かしていたらしく、なんてかわいいんだろう、と思った。
そんな、のんきなことを思っていたら、というかInDesignのことを思っていたら、余裕あったらInDesign触ろうかなと思っていたら、いたが、いたら、とんでもない日になった、先週この店のマックスは35人でそれはもうとてもこれ以上は無理という数字だというところでいろいろ計算したりしていたけれど、今日は33人だった、ただ、35人だった一月のその日は平均の滞在時間がいつもどおり2時間半というそういう35人でだからそれはそれ以上無理な数字というそういうことだったけれども今日のこの33はきっとまだ伝票を入力していないからわからないけれどもおそらく平均にすれば2時間くらいだろうもしかしたら切るかもしれないというそういう33だったから、ちょっと質が違うが、それにしてもすごかった、ずっと機嫌がよかったというかワーカーズハイ的な感じで変に機嫌のいいテンションがずっと続いていて、すごかった、全部なくなった、定食もケーキもなくなった、と、いうことは、と思ったら暗澹とした気持ちになったが、今日はもうどうしようもないのでそのままで、それで11時頃になってやっと座れて、その瞬間にまたInDesignのことを思い出して、少し、下ごしらえのようなことをした。ようやるわと思った、思って、閉店して、急いでご飯を食べて、急いで帰った。
それで、少し『幻のアフリカ』を読み、10月7日まで読み、寝た。追いついた。
##10月8日(月)
早起き、眠り足りない、遊ちゃんに起こされ、「実験」といって二度寝をして、起きて、慌てて、スーツを着て、家を出た。成城学園前まで電車に乗り、持ってきたプルーストを開いたが、まったく頭に入らないし、あれ、ここ読んだっけかな、まだだっけかな、とわからなくなって、あ、読んだ記憶があるな、しかし読んだ記憶がある程度でほとんど読んだ記憶がないようなところは、また読んでしかるべきというか、読んだ記憶があるからといって読んだ記憶がある先のところを探す必要性がないというか、読んだとしても読んでいないんだから、読めばいいじゃないか、と思った、思ったりしていたらあっという間に着いたので降り、バスに乗り、星美学園で降り、砧公園のかどっこだった、降りると名前を呼ばれ、見るとけいちゃんがいたので一緒のバスだったのだねと言って、一緒に歩いた、砧公園は立派だった、公園はよい。
しばらく歩くと、会場らしきものがあり、というか新郎と新婦が外の挙式をあげる庭みたいなところでなにか打ち合わせめいたものをしていて、白い椅子が並んでいた、星美学園で降りてこのルートで会場を目指すというのはたぶん非正規のルートで、だから玉村たちがこちらに気づくと手を振りながら「早いよ」と言ったわけだった、この時間までに来てくださいね、の時間の10分前くらいだったからそれは到着が早いということではなくてこちらを見るのが早いというそういう早いだったはずだった、待つべきところで待っていなさいよという。それで、回り込んで、そういう場があったからそこに行って、西山やけんちゃんが煙草を吸っていたところに、やあおはよう、と言ってまざった、10時20分だった。
それからしばらくすると、案内があり、さっきの庭のほうに行った、そこで人前式ということで、結婚式が催されるようだった、待っていると、まずは新郎からというところで、森みたいな小道みたいなところから玉村が一人で歩いてきて、なんとなく笑った、笑い声が上がった、もっさりとしたひげを蓄えた顔立ちのはっきりしたそういう男が、歩いてきて、祭壇みたいなところの前に立った、誰かが牧師さんみたいだなと言ったのを聞いて、まったく本当にそうだったのでよりおかしな気分になった、そのあととりちゃんとお父さんが歩いてきて、それで同じところに立った、とりちゃんと玉村が並ぶと、本当に牧師さんと新婦、という様子に思えて、面白かった、人前式ということで、まず玉村から、誓いの言葉みたいな言葉が発せられた、人種や性別や云々という言葉があって、なんだか無性におかしな気分になり、というかけいちゃんが後ろではっきりと笑っていて、まわりも笑っていて、僕も感染してすごくおかしくなって笑った、涙が出てきた、おかしくて笑って涙が出ているのか、この光景の全体の幸福感のようなものに感動して涙が出ているのか、わからなくなった。式が終わり二人が退場するとき、沿道というのか結婚式スペースの横の道で、ジョギング途中の人や家族連れや、立ち止まって拍手を送る人たちの姿があった。
短い、気分のいい式が終わると横のレストランでの披露宴で、始まる前、座ってビールを飲みながら、祝日ってどうなん、店、忙しいん、みたいなことを聞かれ、いやあ、営業したいところだよね、小さくないよね、ということを言って、いくらくらいなもんなの、というところで、営業してたら出たであろう売上と今日の出費とで考えたら10万とかマイナスになったりするかもね最大、と言って、昨日が、33人だった昨日が7万5千円とかそういう売上だったからそこから言ったわけだが、こういうとき、年に一回の大入りだった日を注釈なく採用してみせるというのは、僕も何か人になんというか実際よりも大きく見せたいみたいなところがあるのだろうと思った、え、そんな売上いくん、となった、や、めっちゃ忙しい日はね、と言った。年に一回レベルの話だけどね、とは言わなかった。
ビールを飲み、シャンパンを飲み、愉快に、過ごした、途中から玉村ととりちゃんによるスライドと解説みたいな時間が始まり、見た、玉村の、とりちゃんと一緒の玉村の、リラックスした、安心した顔が、よかった。
途中、スライドに突然『読書の日記』の書影とあるページの写真が並んだ様子が映り、おお、よく知った本だ! と思った、玉村が読み上げた、それは玉村と西山と三人でルームシェアをしていた大学時代のいっときのことを書いたところだった、僕はずっと友人であるとかの名前を出さないで日記を書いていたけれどもこのときにたぶん唯一ぐらいで出したのが玉村と西山の名前だった、野球を一緒に見に行った日だった、それで、「どうですか本について、阿久津さん」みたいな雑な話を振られ、え、あ、え、となって、特に何も答えられない自分があった、僕たちはその時分、「アニ玉クッキング107」という料理ブログをやっていたんです、エキサイトブログで、やっていたんです、僕と西山はちょいちょいと更新していたんですけれど、玉村はたぶん一回しか書いていないんじゃないかな、そういうブログを、やっていたんです、という話でもすればよかったような気もしたし、それよりも、一緒に住んでいて、玉村はかっこいい存在で、僕は憧れていて、彼がラッキーストライクを吸っているのを見て僕もラッキーストライクを吸うようになって、それから、そのとき彼はドレッドだったんです、それで、かっこいいなドレッド、と思って、これは僕には黒歴史になったんですけど、玉村の顔やスタイルや雰囲気がかっこいいからかっこいいということを忘れて、僕も真似してドレッドにしたんです、だから一時期、家の中に二人ドレッドがいたんです、そういう話をすればよかった気がした。
酔っ払って、披露宴の後半、外でガーデンビュッフェという時間があって、甘いものを食べた、コーヒーを飲んだ、西山は先日『きみの鳥はうたえる』を見て、すごくよかった、その翌日に山手線に乗っていたら目の前に柄本佑にめちゃくちゃ似ている人があった、似てるなー似てるなーと思って見ていたら、持っていたiPadに三宅唱の『THE COCKPIT』のステッカーが貼ってあって、あ、柄本佑だ、となったらしかった、それで笑った。そのあと、別の人が、SFCの話の流れだったか、公園に小熊英二にめちゃくちゃ似ている人があった、小さいこどもを連れていた、似てるなー似てるなーと思って見ていたら、子どもが着ているTシャツの胸のところに「反戦」とあって、あ、小熊英二だ、となったらしかった、それで大笑いした。
披露宴は最後はやはり感動的でいくらか僕は涙をこぼし、玉村の挨拶もとりちゃんの手紙もよくて、感動して、そのあとは二次会で公園でピクニックということだったので、公園の所定の位置に行った、プラスチックのボールを拾って、それで西山とキャッチボールをした、僕は今日、グローブとボールを持っていこうかどうしようか悩んでいたような者だったから、これは僥倖だった、軽いボールでも、キャッチボールはそれだけでまったく面白かった、木にのぼった、ピクニックは、牧歌的な光景そのものだった、僕はこういう場でどういうふうに振る舞ったらいいかわからない者だから、なんとなく座ったりしながら、ワインを飲んだりしながら、なんとなく人と話したり、話さなかったりしながら、そこにいた、途中、なおちゃんと瀬太郎がやってきて、お、瀬太郎だ、と思って、瀬太郎は二歳くらいだろうか、会うのは二回目だった、なんだかなついてくれたのか、一緒に遊んでくれた、一緒に走って、猛スピードで追い抜いた、それから、抱えて、猛スピードで走った、ボールを渡すと、腕をぎゅっと曲げて、ショベルカー、ということをやった、彼は車が好きということだった、車と恐竜が好き、それで僕もボールを拾いながらショベルカー、とやると、真顔の二秒後にケラケラケラケラと笑う、ということを何度でもやってくれて、うれしかった。そのあと、彼は何度も「アタッチメント」と言っていた、アタッチメントが取れちゃったの、アタッチメントが取れたら違うアタッチメントに交換するの、と言っていた。なおちゃん曰く、ショベルカーとかの先の部分は取り外しができて、なんとかと名称も言っていた、母子ともにショベルカーに詳しかった。
暮れて、帰った、けいちゃんとあきおくんと、また同じ行き方で、バスに乗り、電車に乗り、帰った、電車を降りて、僕はお腹が満ちているような気もするし、でも酔っ払っているこの感じを薄めるためにはあたたかい食べ物を食べる必要があるような気もするし、したので、なか卯に入って親子丼と小うどんのセットを食べて、久しぶりになか卯に入った、おいしかった、とてもおいしかった、それで家に帰り、帰ってきて、めんどくさー、めんどくさー、と言ってから着替えて家を出て、買い物をして、店に行った、仕込みだった。昨日、全部がなくなり、と、いうことは、というそのそれはつまり今晩仕込みをする必要があるということだった、ケーキを焼き定食のおかず全部を作り、その他もろもろ、ということをやった、いい一日を過ごしてなにかエモい気分になったのか、イースタンユースを大きな音で流しながらやった、ひたすら、一気呵成に働き、がんばった、これで、明日も営業ができる。それで、帰った。
帰って、早く寝たかった、『新潮』を開いて滝口悠生の「アイオワ日記」を読んだ。
柴崎さんや藤野さんが書いていたのを読んである程度予想していた通りで、参加者のなかで自分だけ極端に英語ができないことがはっきりした。私は、自分の名前と日本から来たこと、自分はfiction writerであること、日本で五、六冊本を出版したことを話した。As you know, My English is very poor. During this program, I will get many moment of confusion. It is... まで話してあとが続かなくなったので、以上、みたいな雰囲気を出して終わりにした。笑いが起こったが、それが失笑なのか苦笑なのか和やかなものなのかわからない。英語がわからないと他の参加者の情報も得られない。わかるのは国籍と肩書きくらいで、語られているらしき経歴や関心分野についてほぼ意味がとれない。名前も発音が難しくて聞き取れないし、と言って名札やプログラムの冊子で表記を見てもなんと読むのかよくわからない人が多い。何を聞いてもしゃべっても宙ぶらりんのままで、そのやりとりやその人の発言がどういうものだったのか、どこにも落ち着くことがない。言葉の意味としても、またその人の内面的なことも、計り知れなさしか残らない。手応えがない。
滝口悠生「アイオワ日記」『新潮 2018年11月号』所収(新潮社)p.149
わからない、わからない、ということが書かれる。このときはまだわからなかったが、ずいぶんあとになってわかったりもする。という、過去を振り返るだけでない日記が書かれていく。この先の時間を含んだ過去が綴られていく。めっぽう面白くて、べらぼうに面白くて、面白い、面白い、と思いながら読んでいった。いくつもナイスな場面があった。
それでロベルトと、ジミヘンの話をした。ロベルトはベネズエラから来た。すらりとしていてそんなに口数は多くなくて、いつもまわりの声や音を聴きながら心中で何か考えているようで、私はその感じに少し共感する気がしていたので、話しかけてくれたのが嬉しかった。ジミヘンが生きていたらマイルス・デイビスと何かしただろう。イエスそれは間違いないだろう。という会話は単純だが、私たちのあいだには言葉以上の情報交換があった。ロベルトと私はその後、あまり語りすぎないこと、形にしないこと、音楽のようなこと、みたいな感じをたぶん共有していて、挨拶以外にそんなにたくさん話はしないのだが、コモンルームなどで会うと、挨拶をして、無言のうちに何かふたりで思い出すというか、その場の音を聴いたり空気を眺めるみたいな、親しい友人と過ごすのに似た時間を持つようになった。
同前 p.150
今回掲載されたのは10日分ほどで、10日間、わからない、わからない、と書かれていた最後、
トルコの詩人ベジャンは、学生だった頃に逮捕され拘束されていた時の牢屋の暗闇と、子どもの頃に育った土地の美しい景色について話した。私はベジャンとはこれまでほとんど話していなくて、それは彼女がいつもあまり人を寄せ付けない、孤高な雰囲気を出しているように私が感じていたからだが、ベジャンの話を聞いていると、彼女が子どもの頃に見た緑や空の青や、花の鮮やかな色が見えた気がした。その想像について私は説明することもできる。私は、彼女の故郷ではないが隣国のイラン映画の色彩をたぶん彼女の話に重ねて聞いていた。そして彼女はいつも原色の、ビビッドな色の服を着ていた。ブルー、グリーン、そしてこの日も真っ赤な長い丈のジャケットだった。私はその色の印象を彼女の話に重ねて聞いていた。説明すれば不安になるほど私の想像の材料は貧しいが、私にはそれが精一杯で、けれども暗い部屋のなかで鮮やかな色彩を忘れなかった彼女が詩作をはじめ、そして続けているマインドを私はつかめたように思えて、その感覚についてはうまく説明できないがそれは強くて、彼女のことが少しわかった、これまで一週間ほど全然わからなかった彼女のことを少し知ることができたと思いながらその話を聞いていると、涙が出た。
同前 p.160
とってもよくて、清々しい、なにかスコーンと抜けたような気持ちのいい気持ちになって、それで、この気持ちよさのままでいたくて、高橋源一郎の文章を読もうかと思っていたが、きっとこの気持ちよさはなくなってしまうからと思ってやめて、布団に移ってからはプルーストを読んで寝た。
##10月9日(火)
暑い日だった、うどんを茹でるためにお湯を沸かしながら『新潮』を取って高橋源一郎の「「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた」を読んで、途中でお湯が湧いたのでうどんを入れて13分のタイマーをセットして、読んで、やるせない心地になって、それから「躍るせかい——保坂和志『ハレルヤ』/丹生谷貴志」を読んで、うどんが茹であがったのでザルにあげて冷水で冷やしてお皿に取って、食べながら、柴崎友香と滝口悠生の対談を読んだ。
じゃあ自分にとってエモーショナルな言語の使い方はどういうものかといえば、相手と辞書的な意味を超えたやり取りができるかなんですね。コール&レスポンスというか、自分が何か言ったときに、そこに込めたニュアンスや意味を相手が受け取ってくれる信頼というか、可能性みたいなことが存在すること。つまり、言語体系というよりは、文法の使い方とか、あるいは崩し方とか、そういうところに宿るものじゃないかと思ったんです。
柴崎友香・滝口悠生「エモーショナルな言語を探して」『新潮 2018年11月号』所収(新潮社)p.244,245
そのあとの柴崎友香の、massiveの話もなんだかすごくよかった、「発電所の量感を伴ったああいう感じがmassiveか、と理解できた。そうすると、「massive習得した!」って感じがして、嬉しくなるんです(笑)」。言語の習得というものに昔からなんだかときめくところがあるので、ときめいた。
うどんを食べて、それから日記をいくらか書いて、書きながら、なにか油断したというか緩んだのか、済んだら「アイオワ日記」の続き読も、みたいな気分が湧いたことに気づいて、でも続きはここには存在しなかった、来月の『新潮』を待つほかなかった、なんか、「アイオワ日記」、すごくよかった、こんなにぴったり来るものは久しぶりに読んだというかずっと読んでいたいというそういうよさだったらしかった。
で、『マーディン・イーデン』を読むことにした、その前に、そういえば読んでなかった、と思って『新潮』の10月号の、ふた月連続で『新潮』を買うなんて初めてかもしれない、『新潮』の10月号の、三宅唱のエッセイを読んだ。「僕」たちは、クラブに行ったり本を読んだりすることをあたり前のようにしながら生きていた。
彼らは貧乏ではあるが、貧困ではない。なにかを諦めていない。もちろん、楽しけりゃいいってわけでもない。それがあたり前のこととして示されていることが重要に感じた。そうやって生きることがあたり前ではないのだとしたら、どう考えてもおかしい。果たして自分はどうか? 羨ましいと思った自分は多分、今の時代の貧困さにどこかで加担していたらしいと反省した。だから、彼らのそんな姿の眩しさをあたり前のように捉えることが、この小説を今の時代に映画化する自分たちの役割だと決めた。眩しさのためなら、貧しさなんて描写している暇はないとすら思った。
三宅唱「貧しさと眩しさ——『きみの鳥はうたえる』について」『新潮 2018年10月号』所収(新潮社)p.207
眩しさのためなら、貧しさなんて描写している暇はないとすら思った。かっこいい。ほんとかっこいい。眩しい。とても気持ちがいい。
それで、気分よくなって、『マーティン・イーデン』を開いた。すでになんだか眠くて、どうしたものか、と思っていたら、遊ちゃんが帰ってきて、それで、いくらかおしゃべりをして、それから読んで、マーティンは洗濯屋になって、猛烈に洗濯していた、労働の場面というものは面白いものだよなあとやっぱり、思って愉快だった、それから昼寝をした。
起きたとき、やたらに眠くて、重く眠くて、どんよりした心地になって、歯を磨いてしゃっきりして、店に行った。たいしてやることもなかった。
それで、とうとうInDesignをインストールし、テキストを流し込んだ。今回は読んで確認することが目的なので細かな設定はせず、日付けと書誌情報に段落スタイルを付与する程度にした。よくわかっていないが、これを元に作れたほうがきっと効率がいいはずだから、あまり余計なことはしない方がよさそうな気がしたためそうした。それで、あまりファイルが大きいのも不便かなというところでひと月分ずつのファイルを作った、とりあえず前回と同じ判型というのか文字数とか行数とか文字の大きさとかでやったところ、面白いもので、いちばん短い月で74ページ、いちばん長い月で155ページと、倍も違った。合計したら1236ページだった。前よりも多いということだった。
そういうことをしていたら肩が重くなって、閉店して、『Number』の広島優勝特集を、Amazonの袋を開けてすらいなかったそれを取り出して、新井の記事と鈴木の記事と新井の記事を読みながら、ご飯を食べて、帰った。帰ると、『エコラリアス』を読み、それからプルーストを読み、寝た。散漫な読書。
なんだか多分、先々週くらいに、なんかずいぶん本を買っちゃったな、となって、そこで読書のリズムみたいなものがおかしくなった気がする、ちょっと今、散漫すぎるというか、どれを手に取りたいのか、よくわからない、そういう状態が続いている。あまり楽しくもない。
##10月10日(水)
店、着いてぽやぽやとしていると鈴木さんがやってきて、昨日の夜、明日開店前の時間にうかがってもいいですかということだったので、やってきて、おしゃべりというか、わざわざ来られるくらいだからなにか相談ごとがあったらしかった、店のことを話す、僕はやっぱりずっととにかく、新しく始められようとしている店のことをああだこうだ考えるのはすごく面白い、と思っていて、面白がっている、だから面白い時間だった。
開店してから、いろいろの仕込み。トマトソース、トマトをセミドライに焼いてオイル漬けにするやつ、ピクルス、それらを並行して。しばらくして、しばしやることないフェーズに入り、どうしようかな、経理が先かな、それとも原稿チェックかな、と迷った、原稿のチェックは、毎日の経理のタスクと同じように、毎日のタスクに入れて、一日10日分ずつ、ということでやろうかなという気が起きた、それはいい方法に思えた。1ヶ月とちょっとで済む。たぶん、そんなにスピードは求められていないから、1ヶ月とちょっとというのは、ちょうどいい方法に思えた。
2017年10月、激烈に暇。それを、激烈に暇な日に読み返している。不安になっていく。なっていくし、どこにも進んでいないような気にもなっていく。そんなはずは、きっとない。ない、はずだ。去年の10月は暗かった。
と、やっていると、結局ひと月分やってしまった。毎日10日分、と決めたら、野放図に際限なくやり続けることを回避できる、と思っていたのに、止まらなくなってひと月分やってしまった、そうしたら肩が重くなった。気持ち悪くなった。それなのに、そのあともまた時間を見つけてはやっていた、11月。5日に「昼間にちょうど一年前の読書日記を少し読んでみたとき」とあって、一年前の日記を読み直していたらその一年前の日記を読み直していた。
11月の15日までやった。そうしたら、閉店したら、なんだかげっそりと疲れた調子になった。わりと忙しい日だった、仕込みもたくさんあったし、お客さんも水曜日にしては多かった、最初のお客さんが来られたのが15時20分で初めてお会計をしたのが19時だったことを思えば、そういうやたら遅いスタートだったことを思えば、そのあとははっきり忙しかったということだった、だから総じてわりと忙しい日だったその日に、3時間以上は取り組んでいただろうか、なにをやっているのだろうか。それにしてもやはり、日記を読み直すのは面白くて、そうか、そういう気分か、と思いながら読む。そうか、そうだったっけか、すっかり忘れちゃってたな、と思いながら読む。10月の暗い時間を通り過ぎて、11月、スタッフも入り、未来ばかり見ている、明るくなっている、その変化がおかしかった。
帰宅後、遊ちゃんとゲラゲラ笑いながら話したのち、『マーティン・イーデン』。やっと読書。ホテルの洗濯場で、がむしゃらに、猛烈に働いている。働いて働いて働いている。相棒である腕っこきの洗濯屋のジョウは、「自分の仕事と、いかに時間を節約すればいいかに集中し、マーティンにも、五つの動作でやっているところを三つの動作でできる点や、三つの動作のところを二つでやれる点を指摘した」。知っている、と思った。少しでも効率的にやろうという意志も知っているし、ただただ、働き、へとへとに疲れ、嫌気が差しながらも、しかし労働は翌日もまた翌日もやってきて、そのくるくる回る輪っかの中を全力で走り続けなければならない、そういう状態も知っている。
週末になるとまた、百四十マイルを身をすり減らして走った。麻痺してしまった大変な仕事の労苦を、さらにそれに輪をかけたような労苦から来る麻痺によってかき消すのだった。三ヶ月めの終わりには、
三度ジョウと村へ出かけていった。何もかも忘れて、生きかえり、そういう状態にあってよくよく考えてみると、自分が獣になってしまっている——それも酒のためではなく、仕事のために——ことを知った。酒は原因ではなく、結果なのだ。夜のあとに昼が来るように、仕事には必ず酒が付き物だ。獣みたいに働かなくとも高みに達することはできるだろう、との言葉をウイスキーが彼にささやいた。彼はうなずき、なるほどと思った。ウイスキーは賢明だ。自分の秘密を教えてくれる。
ジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』(辻井栄滋訳、白水社)p.183
労働する機械になること、疲れを疲れでかき消そうとすること、酒を飲んで麻痺させようとすること、すべて知っている。すべて、すべて知っているよ、と思った。
##10月11日(木)
開店前からちょこちょこと隙間を見つけてはInDesignに向かっていた、11月20日、鈴木さんとお多幸で飲む。こうあった。「会社を辞め、本屋とカフェが一緒になっている店を始めようとしている人と飲んでいた、こういうのがこういうふうになっているような店だったら町みたいなものに向けてやる意義があるというかけっこうそれは感動的なことになりそうですよね、というような話をして、それを想像していたら楽しかった。」
11月21日、「本の読める店」になった。この転換がどれだけ素晴らしいものであるか、このときにはまだ知らない。それにしてもトンプソンさんの存在というか様々な発想や忠言によって、本当にたくさんのことが変わったのだなと改めて気づかされる。わりと早々と辞めることになったけれど、なんというかほんとありがたい、と改めて、思った。
10月、11月と売上は最悪だった、10月の数字に愕然とし、11月、まだ落ちるのか、と愕然とした。そういうことが書かれていた。毎日10日分、それを守っていれば今はまだ10月20日のはずだったが、すでに12月に入った。いったい何をやっているのか。営業は、暇だった、今日は、18時で店じまいだった。
閉めると、店を出、神保町まで電車に乗った。『マーティン・イーデン』を読んでいた、マーティンとルースの距離が縮まっていく、電車を降りると地図を何度か見ながら歩いて、神保町のその道を歩くのは初めてだった、知った景色にぶつかった、線路があり、その向こうに東京ドームシティがある、坂道を上がって、それで曲がると、懐かしい薄紫色の外壁があった、夜だったから、色はもうわからなかった、薄紫色であるはずだった、アテネ・フランセに入り、階段を4階まで上がり、いったいいつ以来だろうか、なにか小ぎれいになっているような気もするがなにか変わったのだろうか、改修等あったのだろうか、受付でチケットを買い、あの赤い、座り心地は特によくない、座席に腰掛けた。かつて、大学時代、いくらか強迫的に映画を見ていた、見ないと、という気分は多分にあった、そういう時代、何度もアテネ・フランセには足を運んだ、ぼんやりとしたいくつかの光景が立ち上がる、廊下の先の喫煙所でタバコを吸いながらおいおいと泣いたことであるとか、入り口前のスペースで遭遇した友だちと話したことであるとか。
フレデリック・ワイズマンの『病院』を見た。見ていて辛くなるところもいくつもあったけれど、なんともいえない暢気さみたいなものが全体にあって、何度も笑いが起こったし僕も笑った、嘔吐青年の怯えた目つきや言動、立派な嘔吐、白眉だった。私は癌なんでしょうか、という、泌尿器科を受診した方がいいし歯科も受診した方がいいおじさんの涙も、すばらしかった。人間を映す場所として病院というのは多分とても好都合というか強い力を場所が持っていた。がくがくとあごを震わせながら薬とミルクを飲む老婆、危篤の母のあごにキスをする娘、患者の窮状を福祉施設に必死に冷静に電話で伝えようとする精神科医、開かれたお腹、縮んでは膨らむ臓器、傷口からあふれる血、重ねられる手。
とってもいいものを見たと充実した気持ちになって同じ道を戻って電車に乗って、店に戻った、店のキッチンの寸法とか席間の寸法とかを測っていくらか考え事をしてから、いったん家に帰って自転車を置き、飲みに出た、居酒屋に入り、適当に飲みながらつまみながら、イヤホンをしてケンドリック・ラマーを聞きながら、『マーティン・イーデン』を読んだ、少しずつ、状況が変わっていく。書くことで生計を立てようとする男であるところのマーティンの、これからがとにかく気になる。成功してほしい。大金を稼いでほしい。
イヤホンをしてみればわりに落ち着いて居座ることができて、1時間半くらいだろうか、ゆっくり本が読めた、とは言え何か、借り物感というか、肩身の狭さみたいなものは感じた、やっぱりこういう、飲みたいんだよな今日は、酒飲みながら、気が済むまで本が読みたいんだよな、という気分、こういう気分に全力で嘘偽りなく完全に応えてくれる店というのはほぼ存在しない、それはだから、僕が作らないといけない、と思った。思った。
帰って、風呂に入って、日記を書いていると遊ちゃんが帰ってきて、職場の飲み会だった、送別会。そこで職場の人にこの日記を読んでいる人があって数人のグループLINEがあってそこで、「遊ちゃん」の名が出てくると引用だったかスクリーンショットだったかで共有されることになっている、ということを知った、と話していて、笑った。笑ってから、もう少し飲んで、そうしたら酔っ払って、『マーティン・イーデン』を読みながら眠った。マーティンとルースはマジでこれ幸せな結末を迎えるのだろうか、なんだか想像がつかない、というところでけっこう物語に没入しているというか「がんばれ、マーティン!」という気持ちが強くある。
##10月12日(金)
わりと仕込み。がんばる。がんばっていたら途中でまだがんばらないといけない局面なのに日記の手直しをし始めて、本当に際限ないというか、ダメだねえ俺は、と思った。昨日も、飲みに読みに行く前、どこかで本読むのも一興だけど、酒買って家に帰って、飲みながらInDesignの画面を見続けるのも、楽しそうでない? という考えがもたげ、傾いた、がんばって斥けた、そういうことがあった、楽しい時間なんだろう、なんだろうというか、楽しい。
お客さんは少なく、やることも2時や3時にはたいてい終わり、また原稿の直しをしていた。原稿というか日記の。これなの? やるべきことって今これ? という思いはある。書かないといけない原稿仕事もあって、たぶんこれから2週間くらいは「あ〜、やんなきゃだよなあ、なに書こうかなあ」といういくらか暗く重い思いにつきまとわれるだろう、終われば、いややり始めさえすれば、そんなことは思わなくなるのだから、やれ、と思うが、日記楽しい。自堕落。
夕方、ふとクラウドファンディングのことを考えていた、昨日Twitterを見ていたら代々木上原と代々木八幡と初台の中間くらいに、ハイパー銭湯なるものができると知って、そういえば前に遊ちゃんがそんなことを言っていたな、これか、と思って、そのツイートにはそのハイパー銭湯のクラウドファンディングが30%ぐらいの達成率で終わった画面のスクショ付きで、開始直後は盛り上がったのに着地はこんなものか、クラファンはストラグル感が大事だと思っている、というようなことが書かれていた。それを見て、まずは「クラファン」と思って、それから、ストラグル感が少ないのかな、と思ってその当該クラファンを見に行った、なんだかとても勢いがありそうで、元気そうだとは確かに思った。7000万円掛かる。4500万円までは調達のめどがついているが、残りの必要資金のうち1000万をここで募りたい、というようなことがお金についてのそれだった。ところで僕はクラウドファンディングはよくわからないところがあって、今回のはそういうふうには感じなかったというかあくまでひとつの調達手段ですという感じが明確だったのでさっぱりしていたのだけど、あといくら足りないとかこれこれに必要なんですとか、だからお願いしますとか、言うのがあるけれど、クラウドファンディングで集まらなかったらやらないってこと? やるんだよね? やりたいんだから。というかもう動き始めてるんだから。と思うと、融資とかもあるだろうし、その緊急性というかどうしてもクラウドファンディングでお金を集める必要があるんです感がわからないことがしばしばある気がする、必須感がわからない、いや必須感のなさはいいのか、必須とは思えないのに微妙に必須感のある書かれ方とかを見かけやすい気がして、そういうとき気持ち悪い。とても応援したいと思ったものに対しては何度かお金を入れたことはあるけれど、それも、どうしても、という切羽詰まったものでは全然なかった。どちらかというと宣伝という使い方に見えるものが多かった。『BRIDES』という仮タイトルがつけられていた『ハッピーアワー』は例外かもしれない。あれは、クラウドファンディングによってたぶん本当に変わったというか実現したものなんじゃないか。なかったら、全然違う映画になっていたのではないか。
だからそれがストラグル感ということだろうか。でも本当にストラグル感が必要なのか。森の図書室のときは募った額はたしか10万円とかだったはずで、本棚を埋めたいから本を買いたいから、というそういう10万円だったはずで、結果として1000万とか超えたわけだけど、金額的なストラグル感はほぼゼロというプロジェクトだった。ストラグル感。わかる気もするしわからない気もする。それよりも、よりもではないが、お店とか場とか、だから場所が固定されているものはわりと膨らみにくかったりとか、しないだろうか、と思った。
なんか、いいね、コンセプトいいね、そんな場所が近くにあったら自分も通いたいな、と思っても、でも、どこ? あ、そこか、自分の生活とは関係ないな、みたいな、訴求できる範囲が、そこに日々アクセスできる人に限られそうというか、限られはしないにしても、場所のせいで、関係ないな、と思って終わりにする人がたくさん発生しそう。森の図書室も思いきり店だけど、それがまだ「渋谷」くらいの単位で言えるところであれば、話も違いそう。あるいはそういう場所があっても行くのは年一とかでいいんだ、そのコンセプトの場所が存在してくれることが世界にとって豊か、それに俺はマジで寄与したい、くらいのものであれば、場所は関係なくなりそう。
そういうことを考えながら働いていた。例えばフヅクエが、新しい店をやるぞというタイミングが来たときにクラウドファンディングを使うとしたら、どういうふるまいがいちばん適切なんだろう、であるとかを考えていた、「本当に「本の読める店」を全国に作りたい。まずは下北沢から!」みたいな感じとかどうだろうか、下北沢でも青山でもなんでもいいが、いずれにせよ町性には縛られるが、全国というところで、ところで全国が意味がゲシュタルトが壊れた、全国が日本や韓国やブラジルやアメリカやフィンランドやフランスやナイジェリアやコロンビアやみたいな意味にしか思えなくなってきた、そうじゃない、全国というところで、ちょっと自分ごととして捉えてもらうことができないだろうか。こうだ、「今回の2店舗目がうまいこと行ったら、他にも作っていきたいです。もうひとつふたつは都内埼玉神奈川とかの近場からにはなると思いますが、ゆくゆくは各大都市くらいに、というつもり、なので!」という、どうだ。どうなんだろ。お金の理由はこうだ、「開店に掛かるお金は1000万円、銀行から800万円の融資が決定したため残り200万円は自己資金で。なので、始めることはできますというか、始めます。今回お力をお借りしたいのは、助走期間中の運転資金です。最初のうちは、物珍しさや「一度行ってみよう」需要でもしかしたらうまくいくかもしれない、それこそこのクラウドファンディングがバズりでもしたらより最初はうまくいきやすいとも思います。が、ちゃんと軌道に乗るまでがものすごく怖くて。現在のフヅクエが「なんかコンスタントにまともな数字だな」というところになるまでには5年掛かりました。今回は初台のこの5年間でいくらかの下地はできているはずで(きっと)、もう少し時間は掛からないといいなと思っているのですが、それにしたって1年2年は掛かるよなあと。というところと、今までは主に自分が店に立っていたため、(たいへん危うい認識ですが)人件費を最小限しか掛けなくて済む、家賃さえ払えれば続けることはできる、というところがあり、僕はこれまでこういうやり方でしか店舗の運営をしたことがない。経営なんて言えないレベルのものです。のですが、2店舗目になるともちろんそうはいかず、100万円近いコストを燃料として毎月毎月投下し続けなければいけない、という、完全に未知の状態になります。めっちゃ怖い。諸先輩方ほんとすごいよなと思うんですが、ともあれ、軌道に乗るところまでの運転資金を、みなさんからご支援いただけたら、と思ってのクラウドファンディングです。うまいこと行っていただいたお金を切り崩さずに回せていったとしたら、それを原資に、あるいはそれを再び運転資金にして、また次のお店、みたいなことにしたい。それを約束しますとは言えませんが、強い欲望として僕は今そう考えています。もっと作りたい。読書を楽しみたい人たちに向けられた場所をもっともっと作りたい。今日はめっちゃ読書を楽しみたいぞという人たちが気分よく何にも邪魔されない読書の時間を楽しめて、よりいっそうその読書体験が豊かになるようなそんな場所をもっともっと作りたい。だから、やれさえすれば僕はやると思います。うんぬんかんぬん……
夕方以降、ずっとこの文章を考えていた……いったい何してんだろう……楽しかったのでよかった。
うれしいのは、成功の対象物ではなくて、それをやることなんだ。はっきりしないけど、それが僕にはわかるし、君にだってわかってるさ。美のために心が痛むんだ。それは、果てしのない痛みであり、癒えることのない傷であり、燃えるナイフなのさ。なぜ雑誌とかけ合わなくちゃならんのだ? 美を君は目的にするんだよ。
ジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』(辻井栄滋訳、白水社)p.330,331
美を目的にする。
閉店後、『Number』読み、飯、帰宅して、『マーティン・イーデン』。マーティンにいい友だちができてうれしい。どんどん、ずぶずぶ、面白い。