#9月16日
神山町を過ぎて渋谷の町の中に入ると渋谷は変わらずに活況を呈していてたくさんの男や女が上機嫌に歩いたり立ち止まったりしていた。ツタヤのある交差点付近で何かの工事がおこなわれていて白い光が面になっていた。ツタヤに、いつ以来だろうか入り、コミックフロアは地下ということだったので地下に降りてコミックの探し方はわからない、近くにいた店員の方に「A子さんの恋人はどこですか」と尋ねるとそこのまっすぐ行ったところですとぞんざいな案内をしてもらい、そういう案内でいいんだよ、と僕は思った。連れて行ってくれなくていい。
漫画を買うことがめったにないから地下フロアも初めてだったそれで思ったのが例えば丸善ジュンク堂だったらどこで漫画が手に入るのだろうかということだったし新宿の紀伊國屋だったらどこにあるのかということだった、それを知らない、ということだった。
買って地上に戻り、適当に止めた自転車のところまで歩いていると深夜一時のこのにぎわいが何か、「来年はフジロック行きたいかもな久しぶりに」という気を呼び起こした。フジロックに行く理由はたぶんそういうことだった。光、あるいは真夜中にぶるぶる震えながら食べる豚汁であるとか、そういうことだった。たくさんの一人の人や二人の人や三人の人やが、あきらかに愉快そうにケラケラしていたり、ポケットに手を突っ込んで足元付近を見ながら何か真剣そうな調子で話していたり、疲れ切っていたり、そういうなかにいる、そういうことだった。彼らはそのとき何を話していたのだろうか。ツタヤ側の島と109を結ぶ小さいほうのスクランブル交差点で信号待ちをしていると若い英語の人たちがファックファッキン言いながら下卑た笑い声をあげていてそのなかの一人の声がものすごいものすごい頭の悪そうな声ですばらしい声だと思った。こういう人物が必要だ。
土曜日、開店直後からわーっとお客さんが来られて最初の1時間で満席近くになる、それは僕は油断していたというかまったく予期していなかったからてんやわんやになる、予期していたとしてもてんやわんやになる、それで出だしがここまでよいのであるならば優勝する確率は100%だろう、統計的に、大勝利、そう思ってずっとてんやわんやしていた、何時間かして動きがやっと落ち着いて、それで外で休憩しながらふと天気予報を見ると夕方から雨、明日は一日中雨、どうやら台風、それを知り、100%だった優勝確率に30%くらいまで下がった。一回表に一気呵成の攻撃で一挙8点をあげた、もう盤石、そう思いきや、なんの手違いなのかベンチ入りメンバーに投手が一人も入っていない。先発投手に何かがあって降板を強いられたとき、野手をマウンドにあげさせるしかない、そんな状況に思えた。というのは無理があったが、これはもうこれ以降まったくぱったり来ない可能性がある、そう思ったし今日はソフトバンクと広島が同日に優勝する可能性のある日だということも同じとき開いたプロ野球ニュースの様子で知った。東浜と薮田。どちらも亜細亜大学出身で、今年どちらもチームの勝ち頭として活躍している。その二人が今日は先発だった。
わーっと、仕事をしながら、『10:04』のことを思い出していた。抜歯をするのだったかで全身麻酔にするか局部麻酔にするかで悩む語り手とアレックスのやりとり、それを思い出してあたたかい心地になっていた。
でもそれは語り手とアレックスのやりとりではなかった。小説内小説の、作家とライザのやりとりだった。
「僕は局所麻酔にする」と彼は決断した。
「崇高なる風景がかの若者に勇気を与えたのであった」と低い声でライザは言った。
「やめてくれ」と彼は言った。
「ナポレオンは戦の前日、ただ一人アルプスの山々と言葉を交わし、静かにその助言に耳を傾けたのであった」
「やめろよ」彼は笑いながら言った。
最高。ここで生じる笑いが好きでたまらない。演じることがもたらすというか増強させるリアリティみたいなものを僕はたぶんすごく好んでいる。せっかくなので原文を見てみた。
'I'm just doing local,' he resolved.
'The sublimity of the view has lent the young man courage,' Liza said, deepening her voice.
'Shut up,' he said.
'Napoleon alone on the eve of battle communing with the Alps, receiving their silient counsel.'
'Shut up,' he said, laughing.
E。
##9月17日
もっと降るかと思っていたがそこまで降るというでもなかった、もっと壊滅的に暇だろうなと思っていたが雨がそこまで降るというでもなかったということによってかむしろ調子のわりといいスタートにすらなって驚いた。腹が減った。
驚いたと思っていたら一番忙しい日くらいに忙しい日になってより驚いた。3時頃そろそろコーヒー飲みたくなってきたな、淹れようかな、と思って淹れられたのはけっきょく10時前だった。
だから土曜日から驚いてばかりだった、開店からすぐにわーっとなって、「これは勝率100%!」「予報見たらこれから崩れるのか、諦めの夜だな」「意外にも夜も続伸して完全勝利」「まあ明日は完全に暇なので非常に助かった」「雨意外に強くないのな」「というか意外にお客さん来られるのな」「うわ、なんか止まらないな」「めっちゃ勝利したwww」だった。
それで終わりの時間に座っていられたので『ウォール街のランダム・ウォーカー』を読み終えた。後半になるに従ってさっぱり理解が追いつかないことになった。株価収益率とか配当がどうとか、なんのことかわからない。けっきょくどうすればいいのだろうか。iFree S&P500インデックスというやつにすればいいということだろうか。
夜、ゆっくりじっくり湯船につかると風呂上がりに立ちくらみしたのち汗が滝のように体の表面を流れ落ちていった、風がぶんぶんと間欠的に吹いていた、しばらく止まって、木々がざわめいて、その動きに少しだけ遅れて生ぬるい風が体を撫でるというか巻き込もうとしていく。それを受けて立っていた。
寝る前『富士日記』復帰。飼い猫のタマのことがよく書かれる。久しぶりに戻ったが、とてもよくて眠るのが惜しいような気になった。
##9月18日
晴れた。32度まで上がったらしい。じんじんと暑い。三連休の最後の日は、も、忙しい日になった。とてもうれしい。疲れきった。食べるものもなくひもじい思いをしたため餃子を食べにいくことにした。
するとしばしば行く餃子屋さんはいつになく静かで、何組かはいる他の人がしゃべっている気配がない、音楽はなにも掛かっていなかった、そのことに初めて気がついた。音楽は店という空間に生気のようなものを吹き込む、ということを店をやっていると思う、音楽が流れ始めた瞬間に店ができあがるような気がする、でもそれはメッキのようなものかもしれない、いっそ掛けないという選択をする店のほうがかっこいいかもしれない、でもこの餃子屋さんで掛かっていないのはいくらか不思議だ、にぎやかな音楽を掛けていそうだった、でもなんでもよかった、ビールを頼んだ、餃子とそれから坦々豆腐なるものを頼んだ、すると声のでかい男女が来て、平安な時間は終わったためイヤホンを耳にぶっ刺した。しょうがないことだった。それはもう、しょうがない、誰もこの店を一人で来て誰もしゃべっていなくて餃子を食べながらビールを飲みながら本を読むための店なんて言っていないんだから、しょうがない。それで最初はフランク・オーシャンを聞いていて、もっとにぎやかに、と思って途中からチャンス・ザ・ラッパーを聞いていた。イヤホンをしながら食べ物を食べるというのはなんとなくやりにくいと僕は感じている、それで『ウォークス』を読んでいた。
先日インスタで悪ふざけで「#レベッカソルニット好きな人と繋がりたい」というハッシュタグをつけてみたが、もちろんそんなタグを使っている人は他にはおらず、「#rebeccasolnit」を見に行くと、「#nomad」や「#nomadlife」といったタグを同時につけている人がいて、それを見たこと、それから本の中でもわりと反原子力集会に参加したり、いろいろなデモやパレードに出かけたりしているその様子を思い出し、もしかすると「#レベッカソルニット好きな人と繋がりたい」は何かイデオロギーというか何か政治信条を表明するようなものとなりうるタグだったのだろうかと憂慮した。憂慮というほどでもなかった。
ビール、ビール、ハイボール。いくらか酔っ払って帰宅すると布団に入って『富士日記』。
「このまま、山へ行く? 戻って医者に診てもらおう」
頭を振りすぎるほど振って、じろりとにらむ。サンドイッチをのみこんでから「山へ行けば治るさ。酒の飲みすぎだ。判ってるんだ。医者なんかみせたって同じだ。こうやっていたいんだからいさせろよ」。
私は真直ぐ向いたまま、ずっと車を走らせた。
主人は手をのばして私の髪の毛を撫でる。
語気を荒くしたことを恥ずかしそうに、お世辞をつかうように「こうやっていさせろよ」と、今度は普通の声で言いながら。
武田百合子『富士日記(下)』(p.329,330)
この少しあと、泰淳は倒れたらしくしばらく入院した。今は昭和46年。始まったのが39年だから、まだ7年目。あと6年もある。ここまで7年が1300ページくらい掛けて書かれていたわけだった。残りは200ページくらいだ。進めることをためらうほどにもう時間がない。いや時間でなく紙幅がない。胸騒ぎがする。
##6月19日
起きるのが辛い。というよりも布団から離れたくない。というよりもタオルケットが大好きだ。毎晩寝る前は「タオルケットさんタオルケットさん今日もお頼みもうします」と三度繰り返すわけだが、毎晩、本当にいい仕事をしてくれる。タオルケットの中にずっといたい。それで起きるのが辛いというよりは惜しく、いくらか寝坊したのちに起きて店に行くとひきちゃんがいたので挨拶をした。歓談をしながらコーヒーを淹れ、煮物を作り、開店して少しすると店を出た。いい日であれ、と思いながら。
新宿に出て時間がまだあったため伊勢丹に寄った、地下に一目散に向った、地下二階だった、そこでモルトンブラウンコーナーに一目散に向った、柱の裏側だった、近くにいた方にモルトンブラウンのことを聞きたいんですけれどもと伝えると少しするとやわらかい雰囲気の男性がやってきた。客、スタッフ含め、このフロアにいるほとんどが女性であるなか、モルトンブラウンの商品が陳列されたスペースでは男性客と男性スタッフが話すというたぶんとても珍しい状態が生まれた。それでまずは去年のクリスマスシーズンに出ていたジュニパーベリーの香りのハンドウォッシュは今年も出るのでしょうかとお聞きした、はっきりしたことはわからないが、出るような気がしている、11月すぎると発表されるので確認してみてくださいということだった。ジュニパーベリーと、ラップパイン。
それから今日買うものを決めるべくテスター遊びをさせていただいた。期間限定のやつが、グルマンな、という言葉を使われていた、甘い系のやつだった、香りの説明のなかに「ビスケット」というものがあり、「び、び、びすけっと……?」とお尋ねすると、そこから香料の話になって、香料の世界は奥深い、ということを教わった、それは楽しい話だった。マッコウクジラ、ジャコウジカ、そういう言葉が出てきた。もう本当には採れない香り、いろいろを混ぜ合わせて作り出すことでしか表現できない香りがいろいろある、という話だった。天然由来だったらいいというものでもない、天然はどぎつかったりする、そういうこともおっしゃっていたような気がした。たくさんの絵の具を使ってより立体的な絵を描くようなものだ、天然のものだけだと絵の具の数がとぼしくて表現できるものが限られる、云々。なんというか僕はこれはとてもいい、心地いい時間だなと思いながら話をしていた。
けっきょく買ったのは「マルベリー&タイム」というやつだった。なんともいえない複雑で地味ないい匂いがした。明日から売り場に新登場する、ということが知れて、一日早かったか、と思ったのは「ピンクペッパーポッド」「ブラックペッパーコーン」であり、嗅がせていただいたところ「わ、胡椒だ」だった。
飯も食わずに生きていた、間に合うかとも思ったが慌てるのも嫌だったため何も食べないままでいた、それで四階のスクリーン1に入るとしばらくすると『ダンケルク』が始まった。
それはただただ戦場の映画で、戦場はただただ不毛だ、恐怖だけがある、いつ撃ち抜かれるのかとビクビクしながら浜辺にいるその様子は見ている者にまで恐怖を伝染させたし、なんてバカバカしいのだろうか、という強い憤りのようなものを覚えた、戦略も戦術もなにもない戦場で、なんのために撃つのか、なんのために撃たれるのか、もうほとんどわからなくなるのではないか、と思いながら見ていた。目的も生産性もない。ひとつひとつの動きがなんの価値も生みださない。あるいは生命の持続だけを生みだす。いや最大の価値ではある。いや戦争なんてしなければ最初からその価値を持続できるのに。
映画の最初のカットが、実に中途半端な中腰の、体をひるませる兵士たちの様子で、それは動きの始まりですらなくて途中からというもので、そういう瞬間から映画は始められて、ひどく適切な始まりだと思った。戦場にあるのは半端な生存だけだった。
なにか、撃ち落としたとして、それは何かの達成なのだろうか、船に乗れたとして、どうせ魚雷にやられるだけなのではないか、ただただ不毛な状況が目の前にあり続けると思いながら僕は見ていた、しかしこの戦場がいくつも束ねられたところに戦争があらわれて、結果になって、だからひとつひとつの戦場はやはり意味のあるものなのかもしれない、しかし戦場にいたらその意味を見出すのは本当に難しいだろうと思った。それでも、意外に思ったのは負傷兵を何よりも優先して船に運び入れようとする兵士たちの様子で、この絶望的な状況にあってもなおちゃんと規範みたいなもの倫理みたいなものが生き続けているその様子を、すごいことだと思った。俺がお前ならここでゲームを降りる。
そこから下北沢に移動する。なんとなく初台のあたりを通らない行き方はないものかと思うけれども結局甲州街道を通ることになる。甲州街道を幡ヶ谷まで行き、幡ヶ谷を斜めに抜けて、あれは何通りなんだろうか、大山の交差点に出るところに出て、細い道のほうにいき、坂道をアップダウンすると下北沢になる。いつ頃までだったか、コーヒー豆の受け取りに二週間に一度くらい三軒茶屋まで自転車で行っていたことを思い出した。だいたい甲州街道をとにかく行き、環七だったかで左に折れ、まっすぐまっすぐ行くと若林とかになって三軒茶屋。帰りはだいたい淡島通りに入らないで代沢のほうにまっすぐ行って下北沢に入って道なりに行くと左に一番街の入り口を見ながらアップダウンの坂道に入り、大山、幡ヶ谷、という順序で帰った。いやそうだったか。北沢中学校の前を通る経路もしばしば採用されていたのではないか。つまり若林、環七を北上、新代田駅であるとかを越えて大原二丁目で右折、そういう経路。とにかく二週に一度くらい三軒茶屋まで自転車を漕いでいた、それはなんというかエクササイズとしてはちょうどよい心地よいものだった。それを思い出していた。
今日初めての食事を丸亀製麺で食べて、自分の選択肢の乏しさのようなものを憂いつつうどんが食べたいのでそれでよくて、だから食べて、満足して、それからB&Bで本を購入した、エンリーケ・ビラ=マタスの『パリに終わりはこない』だった。今日は19日だった。僕の記憶が間違いでなければ23日にはフアン・ガブリエル・バスケスの『密告者』が出、28日あたりには滝口悠生の『高架線』が出る、それはいずれも楽しみにされていた小説だ、今ぼくは『ウォークス』と『富士日記』を読んでいる、金井美恵子はどうなったのだろうか、それで今はだから19日だった、今『パリに終わりはこない』を買うのは賢明な行動だったのかどうか自信がない。しかしなんでだかここ数日読みたいと思っていたのだ、だからしかたがなかった。
それから打ち合わせ的な予定があってコーヒーを飲みながら人と話した。僕が話したのはインデックスファンドへの積立投資がどれだけ「結局のところそれでいいもの」であるかをバートン・マルキールは本書の中で弁じている、市場に勝ち続けるということは並大抵のことではなく、それを実現できる投資家というのは本当にごくごく限られた人たちだけだ、テクニカル分析もファンダメンタル分析も、何十年にも渡るデータが告げるのは勝ち続けられるものでは全然ない、ということだ、ということだった。そう話すと話し相手の方は指を組んだ手をあごに乗せて何度もうなずきながら、「そうですよねえ」と笑顔でおっしゃった。僕はうれしくなった。
そのあとでトロワ・シャンブルに行って、コーヒーを飲みながら本を読んだ。下北沢に来たら行きたいと思うことになっている。それで『パリに終わりはこない』を読もうと思っていたがもう少しで終わりだしということで『ウォークス』を読んでいた。終わりに向けて、気持ちが先にどんどん離れていっている。
郊外化して車移動の社会になって歩くことが隔絶されるようになっていった、疎外される身体、そんな話のあとに歩行が絡んだアートの話になっていったのを見た。カイユボットの絵画「パリの通り、雨」の名が出てきた。それは先日テジュ・コールの『Blind Spot』で、なんとなく読もうとしてみた箇所を読んでいたときに出てきた名前だった、ミュージアムに行ったら老夫婦がその絵画の前に立っていたというような、なにかそんな感じのことが書かれていたような気がしたそういう名前だった。僕の気持ちがビビッドに本に反応したのはそれくらいで、それから「日記体の身振り」というような言葉が出てきたときくらいで、いやそのせいでか、「日記を書きたい」という奇妙な欲望がうろうろと頭の回りをまわっていた、それが無視できなくなっていった、日記を書きたい。そう思って、一時間くらいすると店を出て、それで帰る方向に自転車を漕いでいった、途中のカフェみたいな店に入り、それで日記を書き始めた、この場所は一度来たことがあった、10月3日のことだった、そのときは雨宮まみの『東京を生きる』とフォークナーを読んでいたのだったか、フォークナー、それはトロワ・シャンブルでも読んでいたあれは11月だったろうか、そういうことを思い出していた、10月3日、雨だったろうか、日記を遡ればわかるだろう、でも僕はこの夜、日記を書きたいと思って、それでジントニックを飲みながら、冷凍のじゃがいも以外でこの形のフライドポテトを作ることは可能なのだろうかいや難しいであろうあるいはわざわざこの形にカットする理由がないであろうわかりやすく冷凍の形のフライドポテトを食べながら、日記を書いていた、と、今、書いている。
##9月20日
沖仲仕。この言葉が出てくると僕はいつも「俺は読めるよ。おきなかせでしょ」と思うようになっていて昨日、『ウォークス』で見かけたときにもやはりそう思った。そう思いながらも、変換もされないし少し自信は常になかった、だから今朝も「おきなかせ」で検索して無事に間違っていないことを確認した。おきなかせ。俺は読めるよ。
昨日は日記を書き終えたあとに居酒屋のような店に行ってハイボールと唐揚げを食べていた、大きな声がいくつもいくつも飛び交うというか巨大なノイズになっているような状態の店だった、僕はそこでハイボールを二杯飲んでから帰った。
それで今日は、休み明けの日がいつもそうであるように気分的なエンジンのかかりが悪く、のったりのったりと生きた、やるべきことを夕方までにのったりのったりとこなし、それで今日も劇的に暇で、しかし昨日は平日とは思えない忙しさだったようだった、ひきちゃんおつかれちゃんだった、今日は暇で、だからコツコツと仕事をしていた。
コツコツと仕事をし続け、いや踊り続けていたところ目と肩が重点的に疲労して、まあ今日はもういいでしょう、よしなさい、といさめる声が聞こえてきたのでよすことにして『ウォークス』を開いた。10時近くになっていた。それで読んでいったところ終わった。ラス・ヴェガスを歩いて人工の町を歩き回り、そこを過ぎてレッドロックキャニオン国立保護区に辿り着き、終わった。昨日読んでいたところに
道に似て、言葉を一挙に捉えることはできない。聞かれるにせよ、読まれるにせよ、言葉は時とともに開かれてゆく。この語りという時間的要素によって、書くことと歩くことは互いに似たものになっていた。
レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史 』(p.448)
というところがあって、最初のほうでも同じようなことは何度も書かれていた。「歩行が、この種の構造がなく連想で展開されてゆく思考にもっとも結びつきやすいということ。これは歩行が分析的な行為ではなく、即興的な振舞いだということを示唆している」でるとか。それから昨日の同じページにあった「日記体の身振り」。アラン・カプローがジャクソン・ポロックについて書いたテキストにある言葉ということで、と思って調べてみたがなかなかうまく探せなくて、愚直に「rebecca solnit wanderlust allan kaprow」で検索したらGoogleブック検索結果として本文が出てきたから愚直さというか普通に検索するべきだなと学んだのだけれどもともあれ、そこにあった語は「diaristic gesture」というもので、ダイアリスティック・ジェスチャー。E。
歩くこと、本を読むこと、日記を書くこと。
##9月21日
寝る前は『富士日記』。泰淳の病気は糖尿病だった。
しばらくして、うっすら笑いながら「食べすぎると毒、のみすぎると毒、あの食べものは体に悪い——医者や新聞はいうがな。公害だから、この海の魚は毒、東京の空気はわるい——学者もいうがな。俺はそういうのはさっぱり判らん」
「……」
「生きているということが体には毒なんだからなあ」
私は気がヘンになりそうなくらい、むらむらとして、それからベソをかきそうになった。
死の影みたいなものがすごく近くに寄ってきている。死の影というか終わりの予感というか。昭和47年はこの翌日6月25日で終わり、次は昭和48年4月26日まで飛ぶ。4月26日、それから5月2日。5月21日と28日に始まりのとき以来くらいの久しぶりさで泰淳によって書かれた日記が挟まれて、昭和48年は終わる。ということは、山荘に行ってはいても日記を書かない日、というものが百合子に出てきたということらしい。悲しい気分になって、おそろしい気分になって、眠くならなかったが本は閉じて電気を消した。
8月1日から読み始められて二ヶ月近く日々読まれてきた、二ヶ月近く百合子や泰淳のそばにいた、それが終わろうとしている。怖じ気のようなものを感じる。ウルフの日記を読んでいたときと同じことを言っている。でもそれよりも気分は暗い。
9月23日発売だと思っていた『密告者』は昨夜Amazonを見たら9月28日だった。変な話だが猶予ができたというような気になった。つまり『パリに終わりはこない』を読むための時間が確保されたというような、そんな気になった。ところでそうすると9月28日は『密告者』と『高架線』両方の発売日になった。たぶん『高架線』、『密告者』の順に読むことになるだろう。長さ的に。どちらの本にも書影がついていた。『密告者』はなんだか怖そうなやつで、『高架線』は先日の本屋さん特集の『POPEYE』と同じ人のイラストっぽかった。ぺたっとしていてとてもいい。
『高架線』が出たら次の読書会でやろうと決めていたので、アナウンスのやつを書いたりイラレをいじったりしていた。アナウンスの記事で引用した『茄子の輝き』のくだりがやっぱりとてもよくて、読んでいるだけで泣きそうになるような喜びがあった。千絵ちゃん。
それにしても暇すぎる。今日も度し難く暇で、トマトを焼いたりカレーを煮込んだりして、あとはそういうことをやっていたら時間がすぎて日が傾き始めた。外に出ると風がいい調子に吹いていて気持ちがいい。季節移ろう。それにしたって暇だ。『パリに終わりはこない』を読み始めるときが来たかもしれない。
読み始めた。
その朝は雨が降っていて、寒かったので、サン・ミシェル大通りにあるバルで寒さをしのいだ。しばらくして気づいたのだが、私は奇妙な偶然で『移動祝祭日』の最初の章に登場する人物と同じ状況に身を置いていた。つまり、語り手は雨の降る寒いある日、サン・ミシェル大通りにある《快適で温かく、清潔で心の安らぐカフェ》に入っていくと、着古したコートをコート掛けにかけ、長椅子の上の帽子掛けにフェルト帽を引っ掛けてから、カフェ・オ・レを頼んだ。そのあと短篇を書きはじめるが、若い娘がひとりで店に入ってきて、窓際に腰を下ろしたのを見て胸が熱くなる。
コートもなければ帽子をかぶってもいなかったが、私は一軒のカフェに入ると、憧れのヘミングウェイにちょっぴり敬意を表してカフェ・オ・レを頼んだ。そのあと上着のポケットから手帳と鉛筆を取り出し、バダローナで起こる出来事を書きはじめた。その日のパリは雨模様で風も強かったので、私の短篇の中でも同じような天候にした。その時、予測もしない、信じられないような出来事が起こった。偶然の一致というほかはないが、若い娘がカフェに入ってきて、私の席に近い窓際のテーブルに腰を下ろして、本を読みはじめたのだ。
エンリーケ・ビラ=マタス『パリに終わりはこない』(p.12)
僕がヘミングウェイの『移動祝祭日』を読んでいたのは11月の寒い雨の降る日で神保町の東京堂書店で黄色い小さい文庫本を見つけて気分よくなって買って、餃子屋さんは閉まっていて行くところもなく初台に戻ろうと都営新宿線に乗ることにした、その駅のホームでだったか、車内でだったかで、《のどがかわいてきて、ラム酒セント・ジェイムズを注文し》てから《ミシガン湖畔について》書き続けていたヘミングウェイの前に《カラスのぬれ羽色で、ほおのところで鋭く、ななめにカットし》た髪の女があらわれ、《私の物語の中か、どこかへ、彼女のことを入れたい》とヘミングウェイが欲望したのを目撃した。
読書は数ページで終わり、一日けっきょくやっぱり激しく暇だった、でもとてもいい時間を過ごしてくだすった感のある方率が高い日で、気分のいい場面が何度かあったので凹んではいなかった、それでだから暇だったので仕事をコツコツしていた。
夜、なんとなく心細い。よくない記憶を掘り起こしていたせいだろうか。それではないだろうか。なにか、人とのコミュニケーションの中で「お?」ということが起きると僕はいつもすぐに「なにか悪口誰かに言ったっけ/どこかに書いたっけ」と思うようになっている。その人のことが好きで悪口を思いつきもしないような人でもそう思う。なんでこんなにうしろめたい気持ちで生きているのかわからない。
意識の焦点が定まらないで一日を暮らしてしまった感じがある。いつもそうだがいつも以上にある。
夜『富士日記』。昭和49年の夏が終わると、「附記」とあり、このあと昭和51年になるまで日記を書かなかった、昭和46年に病気をしてからは寒いのはよくないので春から夏まで滞在するようになった、病後はこれまで以上に泰淳が雑事を面倒がって任されるようになり慌ただしく、日記を書く気になれなかった、そういうことが書かれていた。
私は湖に泳ぎに行かなくなり、庭先の畑や門のまわりに夏咲く花ばかり作った。その熱心さを気ちがいじみていると武田は笑い呆れていたが、朝や夕暮れどき、ながい間花畑の中にしゃがみこんで、花に触ったり見惚れたりしてくれた。喜ぶ風を私に見せてくれた。
言いつのって、武田を震え上るほど怒らせたり、暗い気分にさせたことがある。いいようのない眼付きに、私がおし黙ってしまったことがある。年々体のよわってゆく人のそばで、沢山食べ、沢山しゃべり、大きな声で笑い、庭を駆け上り駆け下り、気分の照り降りをそのままに暮していた丈夫な私は、何て粗野で鈍感な女だったろう。
武田百合子『富士日記(下)』(p.395,396)
51年はたくさん書かれている。夫を見ながら「気持よさそうにソファで眼をつぶっている」と書く百合子のまなざしに何かほろりとする、「トラ公、やっぱり首が痛いか」と言って夜明けに妻の首を長いあいだ困ったように撫でている泰淳の姿に何かほろりとする。泣きそうになりながら読んでいた。
##9月22日
忘れていたが今日と明日は阿波踊りがあるのだった。通りを阿波踊り部隊が踊り練り歩く。轟音が店の中にまで雪崩れ込む。それが2時間続く。そういう日だった。だから昨日おとといと悲惨なほど暇で、やるべき作業にかかずらって平気な顔をしていたけれども本当は平気ではないはずだった、ということを思い出した、こんな日というかそんな状況にお客さんは来ないだろうきっと。かくかくしかじかなので楽しめそうな方だけ来てくださいとSNSでアナウンスもしてしまった。もちろんするべき異例の状況だからするしかないのだが。今日はだから『パリに終わりはこない』を読んで暮らすことになりそうだ。曇っている。
先週レベッカ・ソルニットを読んでいたらお客さんがレベッカ・ソルニットの文章が載っているということで『GRANTA JAPAN with 早稲田文学01』という文芸誌を貸してくだすったのでレベッカ・ソルニットのところを読んでいた。雨だった。阿波踊りはどうなる。そのあと横田大輔と濱田祐史とうつゆみこの写真があったのでそれを見ていた。うつゆみこという人のことは僕は初めて知った。それから岡田利規の名前もあったので、読もうかという気になったあとに、思いついて経理の仕事をしていた。
レベッカ・ソルニット。『ウォークス』を読み始めたとき僕は著者の名前を見てはいたはずだがちゃんと認識してはいなかった、それで途中で会話の訳出のされ方でだったか、著者が女性であることに気づいて「あっ」と思った。僕は勝手に男性だと思って読んでいた。なんというか、根深いというか、僕にとって作家のデフォルトは男性なんだなという根深いこれは、これが差別というものなんだろうか? 根深いそういう意識、あそうか、偏見か、を突きつけられた瞬間で、少しどんよりした。
レベッカ。数日前に友だちからダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』がアホほど面白い、という報告を受けた。
「史上最高の超強硬な対応措置の断行を慎重に検討」という言葉がけっこう好きだった。
暇で、暇で、暇で。少しだけビラ=マタスを読んでいたが、ビラ=マタスを読んでいるとヘミングウェイの話になり、ヘミングウェイの話になると読んでいたときのことを思い出して、それですぐに本は離脱した。まだ興に乗っていない、というところなのだろう。
阿波踊りは一組が踊って、そのあと雨で中止になった。鳴り始めたとき、ああ、そうか。これがそうなのか、そうなのかというか、そうだった、これだった、と思ってうるささに笑った。