読書日記(45)

2017.08.12
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#8月5日 とても忙しい日になって安堵。だいたい埋まった席で人々が本を読んでいるのを見てというか感じて、これはそれにしても本当にいい店だなと改めて思って少し泣きそうになった。
夜、手がすいたので『富士日記』。読んでいると心が落ち着く。この、さっと手にとって、すっと鎮まる感じというのはヘミングウェイの『移動祝祭日』を読んでいたときとどこか似ている。そういう本が必要だ。
##8月6日 ハレ。転んだら自分でもおどろくくらい簡単に皮膚がやぶれて肉が露出している。その状態が変わらない。傷口が乾く気配がない。赤く潤み露出したままでいる。そうすると簡単なことが強い刺激になる。僕はそのたびに大声を出す。『デス・プルーフ』のカート・ラッセルみたいといえばみたいで、僕は何かが触れるそのたびに大声を出す。仲間以外に回す愛は持ち合わせていなくて、僕の愛は限りないはずだが愛を向ける対象には限りがある。
##8月7日 台風との由。豪雨になったり小雨になったりを繰り返す時間があった。
昨夜寝る前に『クウネル』を読んでいたらツナを作りたくなり、ツナのことを考えながら眠った。それでツナを作るべくマグロを買ってきて、午後、ツナを作った。塩を振って置いて洗って水気を取ったマグロを、ちょうどよさそうな大きさだったのでだし巻き卵用の四角いフライパンに入れ、オリーブオイルをひたひたにやり、ローリエ、胡椒、ローズマリー、つぶしたにんにくを入れてごくごく弱火で1時間煮てそのまま冷ます、という作り方で作ってみた。どうなるか。いいようにできるならサンドイッチに加えたい。「マグロのコンフィのサンドイッチ」といえば聞こえがよさそうだが、どうか。
というところで今村夏子の『こちらあみ子』の、「こちらあみ子」に続く「ピクニック」と「チズさん」を読んだら読み終えた。なんかほんと感心するというかすごい面白いなこの人。なんかすごいところをガシガシ突いてくる。最近人から教わるまで全然知らなかった。日本の新しい小説みたいなものを追う態勢というか気構えがまったくないので知らないが、全然知らないとてもおもしろい作家がたくさんいるんだろうなと思った。知りたい読みたい。
なお、バスケスの『密告者』は続報なき模様。明日、どこかで長々と読書をして過ごしたいような気がして、それで検索したが続報がないというツイートしか見当たらなかった。なにか「これ」という一冊を買ってどこかにしけこみたい。『あひる』だろうか。
夕方、ブログを書いていた。昨日の夜も書いていて、それは7月の振り返り記事だった。書く気になったのはこの週末の二日間がともに調子のいい二日間だったからだろう。安堵感が書かせた。先月は二日ともよかった週末はたぶん一回もなく、どちらかがよくてもどちらかはそれを帳消しにするように凹んだ。この土日はともによく、よかった……と思ったし、パソコンのルール変更以降ではそれは当然初めてのことだから、パソコン者に頼らなくてもこの数字を作ることは不可能ではない、という実績ができたのは心強かった。
それにしても調子がよかったからブログが書けたというが、ダメだったらどうするつもりだったのだろう。やはり精神衛生は大切だ、という話だろうか。もう少し強いメンタルを、という話だろうか。
今日はそれに続いて雑誌で紹介いただいた旨の記事も書いた。これは明後日あたりに更新する予定。ご紹介いただきました、の一文で済ませてもいいんだよな、と思いながら書き始めたらナンバーガールのことを書いていた。泣きそうになった。ともあれ、『CREA』が昨日届いたのでペラペラと開いたらフヅクエのページに偶然ぶつかって、その隣のページでは妻夫木聡と渋谷直角が対談をしていた。すごいところに隣接したな、と笑った。
それでブログを書いていたら、「あ、あれもそろそろやっておくか」となった。
ブログの記事一覧ページの一覧数の設定の変更で、これまではだーーーっとタイトルが並ぶところの上限数をなんでだか500に設定していたのだが、そろそろ500に達することはずっと気づいていて、でも面倒で放っていて、今日は心と体にゆとりがたいへんあったのでとうとう着手することにして久しぶりにDockerを立ち上げて、itermでコマンドを打ったりしていた。とうとう着手といっても変更するのは500の数字だけで、でも久しぶりすぎてプッシュとかプルとかチェックアウトとかそういうのがまったくさっぱりだったので心理的に着手の壁があった。それで記事の一覧数を10,000にした。これで向こう100年くらい大丈夫だろう。
バタバタと人が死んでいく。『富士日記』。昭和40年。夏、高見順が死んだ。去年は訃報があった記憶がないが、梅崎春生が死んでから何人もの人が死んでいる。梅崎春生が死んだのは、見たら7月19日とある。一ヶ月のあいだに四度くらい葬儀に出席した気がする。この夏は何かがおかしい気がする。
##8月8日
八月二十二日 雨
昨夜一晩、大雨がやむことなく降り続く。夜中、三、四度の停電あったと、徹夜した主人いう。午前中、新聞をとりに行くと、今夜六時に十七号が伊豆方面に上陸との話。いままでのはただの雨で、これから颱風がくるらしい。雨はやまず、坂上から管理所までの道は、溶岩砂が多いから押し流され、えぐれて川となっている。雨の中をブルドーザーがずぶ濡れの軍手をしぼっては嵌めて、道を補修している。
夕方、早くごはんを食べてしまう。八時ごろ、二、三度停電、すぐつく。
風はそれほどひどくなく、ただ、ひたすら雨が、ぶちまけたように降り続く。今回は雨もりなし。
武田百合子『富士日記(上)』(p.160)
降るか降るかいつ降るかと思っていた雨は降らず、平穏な朝を迎えた。健康診断に行こうかと思っていたが眠かったこと、前夜遅くまで酒を飲んでいたことを考慮し、また今度にすることにした。
店に出、ひきちゃんと歓談し、それから昼飯を食いに出た。
ビールを飲んでダッチパンケーキとサンドイッチを食べた、どちらもべらぼうにおいしかった。最近何人かの人から立て続けに名前を聞いた、ものすごく評判だというお店で、それはどこにあるのだろうとそのあたりを通るたびに気になっていたのだけれども、あるとき「まさかここでは」と思って扉をよく見たら「Path」と書いてあって、それこそが探していた名だった。これまでは前を通るたびに「この店はなんのお店かな、しゃれてます風情のどうでもいいカフェとか何かかな」と思っていた身だったため何か恥ずかしい気と、何に対してか申し訳のない気になって笑った。それでいろいろのタイミングがよかったので行った次第だった。通されたのは奥の席で、席について見回すと内装がすごくかっこよくて、自然光が入り口からしか入らないから奥まったところは昼間とは思えない薄暗さで、その感じ等なんというかけっこうすごいかっこいいなと思った。昼の姿しか知らないのはいろいろとあれな気もしたし今度は夜にいつか来てみたいと思ってお腹がいっぱいになったため腹ごなしに線路沿いを歩いていたところ紫の草木を見かけ、また、ベビーカーに後ろ向きで乗る女の子とすれちがった。女の子、赤ん坊、二人を押す母、という順番だった。器用に乗っていた。その位置からはどんな景色が見えたか。僕は最近の気分を考えながら「ロバスト」という言葉を思い出し、ロバストでないなと思った。せみがわんわんと鳴いている前でコーヒーを飲み、それからぐるっと神社を通る散歩をしていた。境内の木を見上げたりしながらのったりのったり動いていたところすたすたすたと歩いてきて賽銭を入れ、じゃらじゃらとやって拝む、慣れた礼拝の人を見かけた、若い、少しおらついたように見える男性だった。なにを祈願したか。
ところで神社用語がわからないため「境内」も「礼拝」も念のためにググられた。「参拝」が正しいか。
もう一度店に行く用があったため行った。仕込みをして、それからまだ満腹感は残っていたがツナのサンドイッチを試作してみてひきちゃんと食べた。とってもおいしかった。「マグロのコンフィのサンドイッチ」かと思ったが、「ツナときゅうりのサンドイッチ」の方が素直でいいだろう、ということになった。満足した。
とても久しぶりに初台駅から電車に乗った。カレンダーを開いて過去の予定を見てみたところ7月は一度も乗っていない。とてもだからそれは久しぶりだった。新宿で降りると人がたくさんいて、新宿駅を歩くのもとても久しぶりのような気がした。自転車で来ればよかったと後悔したが遅かったし、後悔するようなことでもなかった。紀伊國屋書店に行って2階をうろうろした結果今村夏子の『あひる』だけ買った。
喫茶店に入っておいしくもなんともないアイスコーヒーを飲みながら煙草を吸いながら冷房を寒がりながらテジュ・コールの『オープン・シティ』を読んだところ読み終えた。終わりがけに「マウントサイナイ病院」という言葉というか病院名が出てきて、それはベン・ラーナーの『10:04』で語り手の先生か何かが入院していた病院だった。さらに訳者あとがきで「イギリスのノリッジにあるイースト・アングリア大学大学院」とあって、それはまさにゼーバルトの何かじゃないか、と思ったら直後にそう書いてあった、ゼーバルトがかつて教壇に立っていた大学だという。訳者はそこに留学していたのこと。それだから、そういうフラヌールの系譜とわかりやすく交差するような瞬間が立て続けにあって、「わ」と思った。いや、もっと前から「わ」とは思っていた。モジの話の場面に僕は緊張した。おそろしい場面だった。寒くなったし区切りもいいので喫茶店を出た。時間がまだあった。
雨がぱらついた瞬間もあったが歩いているときは降っておらず、蒸し暑い新宿の町を、紀伊國屋書店のわきの道を歌舞伎町の方向に行ってお酒が飲める店に入った。ビールにしようかと思ったがビールにはしないことにしてジンライムを頼んで、ジャズが流れていた、『オープン・シティ』をもう一度頭から読んでいた。すると「あれ、サイトウ教授はこんなにすぐ出てくるんだったか」であるとか、すべての場面が「もっとあとだったかと思ってた」となるようだった。押し出される何か。順番の感覚が希薄になる小説はいい。どこに何が書いてあったのだか、わからなくなるようなものは僕はよくて、滝口悠生の『茄子の輝き』なんかもまったくそうだった。あのエピソードの場所、というのを探すのにとても手間が掛かる。覚えていない。あるいはベタッとした、ほとんど体験の記憶のような記憶のしかたでしか覚えていない。それは心地がよい。
そういうタイミングで、「茄子が輝くまで」という小冊子は読みましたか、フヅクエに行ったので預けておきました、という連絡が知り合いの方からあり、それめっちゃ読みたかった、展示行きたかったけれど日程的に行けなかったからそれめっちゃ読みたかった、と思ってありがたくお借りしたのでラッキーだった。
僕の背中の席に男女が座り、女性はハイボールとつまみを、男性はアイスミルクティーを頼んだ。お寺さんが出しているカフェが子供食堂をやっていてそこで勉強を教えている。彼とは一緒に住んでいるが週四日は地方に行っているのであまり会わない。女性ばかりが話していた。男性はときたまあいづちを打つくらいだった。しばらくすると会話がやんで、会話がやみつづけている、と思ったらどうやらその男性の姿がなくなっていた。席にいたのは十五分くらいだった。どういう間柄でどういう状況だったのか、まったくわからなかった。
それで思い出したのは先月野球を見に行ったときに一列前にいた家族のことだった。夫、子供、妻、という並びで夫はヤクルトが点数を入れるたびに傘を三本出して隣の子供と妻に配布し、盛り上がり、終わると回収。ラーメンやカレーだったかを買ってきて子供と妻に配布し、食べ、ゴミは回収。つまり甲斐甲斐しくしていた。その子供の姿が途中からなくなった。終わりの一時間くらいだろうか、一時間もいっていないかもしれないが、そういえば子供がずっといないな、と思っていた。そのあいだも夫婦はまんなかにひとつ空いた席を気にする素振りも見せず、ヤクルトを応援していた。試合が延長線になり、帰ったが、家族の状況は変わらないままだった。子供は十歳くらいで、長時間離席していても不安を覚える必要はない、というには若すぎる、はずで、あれはいったいなんだったのだろうか。どういうことなのか考えたが、まるでわからなかった。想像できるシチュエーションはどれも特に気持ちのいいものではなかった。
男性はけっきょく戻ってこなかった。
テジュ・コールを読んでいるときもベン・ラーナーを読んでいるときも、あるいは他のニューヨークを舞台にしたものを読んでいるときも毎度思うのだろうが、57丁目とか125丁目とか、そんな数字を人々はどうやって覚えているのだろう、正気とは思えない、と思う。それで7時を過ぎて店を出た。
大学時代の友人たちと飲む約束があり、約束といっても場所が新宿という以外はなにも決められておらず、7時過ぎくらいか、と思って連絡を取るも、誰もまだ新宿にいないようで、出ちゃったよと思いながら、行くあてもないので紀伊國屋書店にもう一度入った。一階の新刊のコーナーをうろうろとしていて、こんな本が出ているのか、こんな本も、と見ていた。ジャレド・ダイヤモンドの新しいやつも読んでみたいような気もしたし、コロンバイン高校の銃乱射事件の犯人の母親によるノンフィクションも読んでみたいような気もしたし、生態系の調節機能がどうのこうのという紀伊国屋書店から出版されているやつも面白そうだったし、性と食がどうのという民俗学者の本も惹かれたし、面白そうな本はたくさんあった。
入り口近くに移動すると芥川賞受賞作と直木賞受賞作が並んでいて、芥川賞受賞作を開いてみると「ふざけてるのかな?」というような文字組みというのかレイアウトというのか知らないけれども、「ふざけてるのかな?」というようなすかすかの、1ページ500文字くらいなんじゃないかな、というような文字組みというのかレイアウトというのか知らないけれど、そういうのだった。その横に文豪が焼きそばを作ったらみたいな本があってパラパラと読んでいた。顔がほころんで仕方がないのでできるだけ人目につかない角度で立った。開いたら目次だけで面白かったのだが、スーザン・ソンタグの項があるところで吹き出しそうになった、タイトルは「反カップ焼きそば」みたいな感じで、ソンタグの文体というのもイメージが僕はつかないのだけれども、つかないなりになんだかものすごい面白い気分になった。いくつか読んで、どれも面白かった。菊池良という人を僕はけっこう好きで、以前どこかで「安全ちゃんと結婚したかった」という書き出しのブログを書いているのを見かけ、それでもっと好きになった。買おうかと思ったが、しかし買わなかった。なんで買わなかったのか。
今日の飲む予定のために作られた連絡用のFacebookグループには、誰も何も書かない。僕はどこにいたらいいのか、いつまで待っていたらいいのか、と思い、二階に上がって窓に面したカウンターの席について読書をして待つことにした。『あひる』はまだ開かない。『富士日記』を読んでいた。丸善ジュンク堂のブックカバーが巻かれているが、カバーの色は紀伊國屋と一緒なので問題ない。問題ないというか、どのみち特に問題はないとは思うが。
『富士日記』を読んでいたら「西湖荘食堂でカツ丼(主人)、トースト(私)、盃三個百五十円」とあってそのあとに「西湖荘で昼飯。泰淳はカツ丼、百合子は、トーストと紅茶。キノコの形に木をくりぬいて作った盃、主人三個買う。西湖荘のおばさんはずい分年をとった」とあって、さらに次のページでも「昼 カツ丼、トースト。」とある。それがよかった。たしかに「今日の出費」「今日のできごと」「今日の食事」という雰囲気の別項目として書かれてはいるのだけれども、でもさすがに重複させすぎのような気もして、それがなんというか、日記ならではの自由さみたいなものをさらに強化しているような気がして、とてもいい心地があった。
本を整頓するであるとか新刊本を置くであるとかそれにともなって抜くであるとかの仕事を店員の人が後ろの棚でしていて、少しヒールのある靴なのか、足音がコツコツと強く立った。手つきもきつく、バサッ、バタン、という感じで、てきぱきした動きと機嫌の悪い動きというのは出る音が明確に違う、と思った。僕は人の不機嫌に触れるだけでドキドキするタイプなので、ドキドキした。機嫌の悪い音というのは、周囲になんのいい影響も与えない。周囲になんてなんのいい影響も与えなくていい、他者を不快にさせても構わない、そういう他者を顧みない気分が音に表れるからこそ、機嫌の悪い音は人の気分を害する。そう思って8時過ぎ、一人新宿に着いたということで出て三丁目の方に向かった。
##8月9日 眠る前に『富士日記』を読んでいたら、食事の記述をさかのぼっていろいろと見ていたら、書いてあったのかどうかは忘れたが納豆を食べたくなった、というか翌朝に納豆を食べることがとても楽しみな予定になった。それで深く眠った。
昨日の夜はタイ料理だった。おしまいに食べたプー・パッ・ポン・カリーというカレーがやたらにおいしくて、別で頼んでいたご飯がなくなる前にご飯を追加した。パッタイもとってもおいしかった。そんなに久しぶりではない友達や、わりと久しぶりの友達や、ものすごい久しぶりの友達と4人で、みなそれぞれにあれこれありながら健やかに生きていることが喜ばしかった。楽しい時間だった。感謝したい。
水曜日、曇り、暇。昨日の日記を書いたり、『富士日記』をいくらか読んだりしている。
そのうちに暗くなりジープが二台続けて上ってきた。関井さんが乗っている。台所のカギのことを話す。明日新しいのに取り替えることになる。急に冷えてきたので、外で工事をしていた人たちは、あわてて管理所に戻ってきたのだ。小屋で着替えをし、終発の下りバスに乗る支度をしている。やがて終バスが管理所に上ってきた。乗り遅れる者がないように、大きな声をかけ合って、いそいで乗りこんだ。バスは赤い尾灯を左右にゆらして出る。冬になった。
武田百合子『富士日記(上)』(p.214)
『オープン・シティ』を読んでいても『茄子の輝き』を読んでいても、寒くなってきた、というような描写に当たったときに同じ感覚がやってきて、それは冬を迎えるときの高まりやさみしさがないまぜになった心地なのだけれども、それがやってきて、『富士日記』でも同じことが起こった。涼風至。季節がめぐっていく、季節の記憶を幾層も積み重ねていく、というのはなんというか途方もないことだなといつも思う。
夕方に腹が減ったため、チーズ入りオムレツを作って食べて、5枚切りの超熟にマヨネーズとチーズ乗せてトーストして食べた。するとお腹が膨れ、眠くなった。それで深煎りのコーヒーを濃い目に淹れて、しかしコーヒーで眠気が取れた試しなんてあっただろうか、と思いながら飲んだところなんだか胃が疲れるとかなのかわからないが少し気持ち悪くなった。眠気は変わらない。散々だった。
『オープン・シティ』をまた読んでいた。シープ・メドウ、セントラル・パーク・サウス、五番街、雨が降る秋の日、語り手はアメリカ民芸美術館に入った。それは53丁目通りの建物の軒下から振り返ったところにあった。その三階の展示室の、中央を白い細い円柱が通り、床は桜材、という様子を見たくて検索してみるも、いまいちたどり着けない。GoogleMapで53丁目通りを見るも、ニューヨーク近代美術館があるばかりでよくわからない。けっきょくよくわからなかったが、巨大な数字の「丁目」のことはわかって、東西に走る通りが南から北に向かって一本一本「〜丁目通り」となっている模様。つまり、「なるほど〜」だった。南北には「〜番街」というのが通っている模様。つまり僕は「なるほど〜」だった。
セントラルパークは59丁目から110丁目までだった。長大。
##8月10日
八王子の並木道で乗用車が人二人をはねた直後に通りかかり、気分重くなる。
七時半、無事赤坂に着く。主人、長椅子に寝ころび「皆でうなぎを食べよう」という。うな丼をとる。風呂をわかして、主人の頭を洗う。体も洗ってくれという。風呂から出ると、拭いてくれという。また、階下にきて長椅子にねころぶ。何となく、いつまでも私に話しかける。
東京の水道が、ひねれば出るのが不思議だ。
武田百合子『富士日記(上)』(p.274)
寝る前に『富士日記』。『オープン・シティ』の日と『富士日記』の日があり、どういう気分なのだろうか。あまり酒も飲まずに寝床に入ったがすんなりと寝入った。
あっというまに一日が終わったような感じがあった。なんとなく忙しいような感じはあったがとてもバタバタする感じではなかったが本を読むでもなく、いつのまにか過ぎていったようだった。夜から雨が降り出して、ざあざあ降っていたのでじっとしていた。
##8月11日 朝、パドラーズコーヒー。10日から二週間にいっぺんくらいの頻度で朝に行くようになった。気持ちのいい習慣というか行事なので続けたいというか気持ちいい習慣というか行事でありつづけてほしい。山の日にちなんだ催事ということで20人くらいの人が作った山のTシャツが売られており、TシャツがほしいところだったのでTシャツを買った。MかLか悩んだ結果、Lサイズを買うことになった。最後の決めはどうかというと、人工知能です。人工知能というのは、つまり政策決定者である私が決めたということでございます。
家を出たとき意想外に涼しさがあったので今日はホットだろうかという気が一瞬よぎったが、歩いているうちに暑くなったのでアイスのカフェラテを飲むことに無事なり、外の席で飲み、少しして店に向かった。三連休の初日だった。
開店したもののなんとなく予期(あるいは覚悟 )していたとおり暇だったので特にやることが見当たらず、『オープン・シティ』を読んでいた。蝉の鳴き声が店のなかに染み込んできた。彼はブリュッセルに向かう飛行機の中にいた。彼は「忘れられた都市——巨大な埋葬地ネクロポリス地下墓所カタコンベ——に眠る無数の死者のこと」を考えていた。この小説を説明するとしたらそういうことだろう。足元に広がる不可視の歴史、歴史を掘り起こしたら死者が埋まっていて、そして戦争や虐殺といった悲劇が横たわっている。それを避けて歴史を語ることは可能なんだろうか。意義があるかどうかは別として、歴史から悲劇を差し引くことは可能なんだろうか。僕は飛行機で隣だった女性の言うエジプトに1907年に作られたというヘリオポリスなる町がどんなものなのか見ようと検索したところ最初というか検索結果の右側に出てきたのは「日本 川崎市のキャバクラ・クラブ」であるところの「club HERIOPOLIS」だった。
ウォール街の駅、連邦公会堂、証券取引所、トリニティ教会。今日夕方に来られたお客さんを見たら『オープン・シティ』のそのあたりを読んでいたときのことを思い出した。数日前にも来てくださってそのとき僕はそのあたりを読んでいた。それでそういうふうに思い出した。
夜はまったくの暇。人のインスタグラムのページを見ていたら「 (≧▽≦) 」というコメントをしている人を見かけて、こういう無意味なバカみたいなコメントをする人はいったいどういうつもりなんだろう、と思った。どういうつもりなのかのヒントがあるだろうかとその人のページに飛んだ。飲食店をやっている人だった。つまり「 (≧▽≦) 」はこういうことか、と納得できたというか身をもって納得できた。彼の意図したとおりに名前をクリックする人は他にもいるだろう。それで店の存在を知ってもらえたら宣伝になる、というそういうことなのだろう。しかし、「このバカはいったいどういうやつでどういうつもりなの?」という極めてネガティブな第一印象から、実際の来店くらいの動きまで持っていくためにはものすごい大きなハードルがあるように思うが、そんなこともないのだろうか。
そう書いたのち、もう一度インスタに戻って、「もしや」と思ってあるハッシュタグをクリックしてみた。すると「 ♪ヽ(´▽`)/ 」であるとか「 (`・ω・´)b 」であるとか「 d(^-^) 」であるとか「 ( ^∀^) 」であるとか「 (\*´∀`) 」といったコメントをいろいろなところに残していた。それをポチポチやっている様子を想像した。品性とか恥の感覚であるとかを越えてしまうと人はこんなふうに振る舞えるものなのかと思った。