読書日記(44)

2017.08.05
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#7月29日 夕方から雨が降り始めて強いまま数時間経った。こうなると、なのかそもそも、なのか暇土曜日になった。出だしがよかったが、お手上げだった。手を下げたところでお手上げには変わらなかった。
夕方になる前、お帰りの方をお見送りをするタイミングで若い、「ギャル」という感じになるのだろうか、そういう様子の二人組がほとんど駆け上がるような感じで来て、テンション高く来て、おしゃべりできませんけど、と言ってそれが初めて知られて、討議の結果大丈夫ということになって、僕はほんとに大丈夫ですかと尋ねて、大丈夫ということで入られて、このとき見送っていた方は最後の方というか午後ぱったり止まったためこの方が帰られたら誰もいなくなっちゃうよという方だっただから、誰もいないところにその女子二人組が来たということだった。
で、食べ物はあるかということだったのである旨を伝え、ペラペラと勢いよくメニューをめくりながら「わたしはあの定食を」と言っていて、たぶん、インスタを見てやって来たのだと知れた。インスタの写真のみで来たのだと知れた。それで「定食二つ」ということだったので定食の準備をし始めていたらメニューはもう放棄してソファに移っていて、事前に今は別にしゃべっても大丈夫だけど他の方来られたら本当にしゃべったらダメになりますよということを言っていたから今は別にしゃべっても大丈夫だからしゃべっていて、メニューはだから、読まれていなくて、普段はこういうことがあっても「まあ知らんわ」という感じでいるのだけれども、なんでだろうか、やっぱり二人だと不満みたいなものがあったときにすごい増幅しやすそうみたいに思ったからだろうか、勢いありそうだし、みたいなところでトコトコと彼女たちのところに行って、メニュー読んでないですよね、あの、いていただきたくないとかでは全然ないんですけどね、僕は懸念をしておりましてね、あとでえ〜ってなってブーブー言われることを懸念しておりましてね、この店はですね、かくかくしかじかと説明をしてメニューを再度渡して、ご飯準備し始めはしましたけどまだ引き返せるところなんで、と告げた。討議の結果帰ることにしたということで、それがいいと思いますと言った。
なんというか、暇だったし、本当だったらこの二人からの売上なんてほしくないわけがなかった。でも今回はそれよりも怖さみたいなものが上回ったというところと、もしこのあとお客さんが来られたときに、彼女たちが本当にしゃべれなくなったときに、なんだかストレスのあることが起きそうなことも怖かった。「え、しゃべれないって何度も言いましたよね。なんでしゃべってるんですか。厳密にって言いましたよね。確認しましたよね僕」とか、言いたくないというのがあった。
こういうことはめったに起きない。二人で来られても、その二人が話し始めて僕が注意するようなことはもうどのくらいだろう一年は起きていない気がする。のがその前に今日起きていた。男女で、どちらも愛想のいい感じだったし男性の方はわりとしっかりメニュー読んでいたし懸念する材料はなかった。ところが途中からときどきコソコソと話し始めて、それが何度もあったので「すいません、話さないで下さい」と言いにいったら、理解いただいていたなら「すいません」の段階で「あ、ごめんなさい」かと思ったのだけどその段階では「え、なんだろう」という顔をしていて、だから、なんだったのだろうか。そうしたらわりとすぐに帰り支度を始めた。会計は女性がして、見送った際も、それまで愛想がよかった男性は帰り際はうんともすんとも言わずだった。お話注意は久しぶりすぎて、なんかほんとこんなこと言わせんなよと思った。で、それを一日に二度もしたくもなかった、そういうこともあったのかもしれなかった。
雨がずっと降っていて、それとはきっと関係なく夜は完全なる暇だった。どうしたものか。隅田川の花火大会は決行されて滝口悠生の小説のなかでは神田川が流れている、早稲田通り、新目白通り、神田川。グーグルマップを開いて描写に従って地図に目を走らせた。都電荒川線が面影橋で曲がる。
雨がずっと降っていて、今年もインスタ等を開けばフジロックでの写真が目に入る。アルゴリズムがフジロック優先になっているのではないかという疑念が芽生える程度に目に入ってくる。それで毎年思うように苗場に今いない自分というものを思う。そんなに強く行きたいわけでももはやない。というか多分別に行きたくない。いや行きたくないこともないが、いや、いや、いや。とにかく、写真を見ていると少なくとも今俺はそこにいないということが突き付けられるし、今彼らはそこにいるということ、いやそうじゃないか、今苗場ではフジロックがおこなわれていること、が突き付けられるのか、一周まわってなんでもなくその通りのことだった。たしかに今おこなわれているのだろう。東京は雨ですが、そちらはいかがですか。
##7月30日 現在夕方、日曜日、ちょっと怖さを覚える程度に暇。朝から萎える気分が胸のあたりにあって薄暗かったから猛烈に働いて吹き飛ばすみたいなことをしたかったのだけれども叶わず、ダラダラしていると萎えがずっと体の中にあって離れないので萎える。働きたい。というかこの調子はまずい。
滝口悠生自身もツイッターを見ていると日記を書いているようなのだが彼の小説の語り手も日記をつけていて過去をそこから思い出そうとしたり、もう思い出せないことにうろたえたりし続ける。その時点で未来の妻であり語っている時点で元妻である女性とその両親と会津若松に旅行にいって一泊したホテルで父と娘は酔っ払って眠り彼は母がオリンピックのカーリングの試合を中継するテレビの前で手帳に日記を付けているのを見てそこには「朝食、パン。宇都宮で伊知子・市瀬くんと合流。袋田の滝、白河の関、会津若松。雪。伊知子、今年入籍の予定。」と記されていて「こんな程度でも、あとから読み返すといろんなことを思い出せるもんでね」と彼女は言ったし伊知子はそのあとに起きてきたので三人で遅くまで話に花を咲かせ、彼が日記をつけるようになったのはこのときの記憶に影響されてなのではないかと彼は後年思った。
読んでいるあいだじゅう、何かが刺激されているような感覚がある。
店に着いてからだからそのあいだに何が起きたというと特にないのだが店に着いてから右手首が痛くて骨折でもしているのかと思ったまま仕事をしていたら特に痛みが変わらないので驚いている。なぜ僕の手首は痛んでいるのだろうか、まるでわからないし不自由だった。気持ちを明るくさせる要素が特にないまま夜になった、ということもなく、気分は朗らかだった。不安ばかりが募る。なにもかも。
17時52分。人が来る気配のようなものがもうまったくないような、そんな気になる。なんだろうか、なんだかどんどん恐ろしさが満ちていく。
パソコンに向かっていたり、本を読んでいたり、そうすると視界の片隅にはいつも店の扉があって、そこに人影があらわれたように見え顔を上げるとなにもない、そういうことが何度かあった。お客さん希求しすぎwという感じだろうか。ともあれ暇なまま夜は更けていった。
ここで感じているさみしさの原因はおそらくわかった。今日は滞在時間が短い人がものすごい多いということだった。あとでExcelに入れたら正確な数字はわかるが、たぶんすごく珍しいレベルで短いことになっているはずだった。それは、僕をたぶんわりとさみしくさせるというか、心配であるとかに、させる。一度来たことがあって、つまりフヅクエという店のあれこれを承知したうえで短い時間を選択されることに対してはそういう感情は湧かないが、初めてと思われる人が短いのは僕は不安というかなにかになる。webにも短くとも二時間は過ごそうくらいのつもりで来られることをおすすめしますというようなことを書いているが、そう思う。というか、そのくらいいたうえで何かが判断されたかった。だから、なんだろうか、今日は、あらゆる意味でさみしく不穏な日だ。
私は島根に行ってから、だいたいそういう生活を送るようになった。半年前には思いもよらなかった自分のそんな生活を顧みて、おじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さんのことを、本当はまだ私の親や祖父母ではないのに、そう呼ぶと、呼べば呼ぶほど、彼らへの親しみもこの家やお店のしごとに対する愛着も増していくような気がした。慣れなくてよくわからないことや、疲れたり、いやだなと思うことももちろんたくさんあったけれど、場所が変わって、生活が変わると、生活のなかの楽器も変わって、私はここで弾けるようになったその音や音楽が東京でそうしていたよりも好きな気がしている。
滝口悠生『茄子の輝き』(p.194)
そんなことを思いながら本を読んでいたところ読み終えてしまった。この短編集というのか作品集というのか、ものすごくよかった。滝口悠生はたぶんこれまで読んだものはどれもなにかエモさみたいなものがあって、それが鳴り出したときに僕は両腕を突き上げるような、それで咆哮するような、そういうことになる。今、ホワイトステージのうえに滝口悠生が突っ立っているそれを僕は見ている。たくさんの観客と一緒にそれを見ている。連作最後の「今日の記念」における千絵ちゃんの語りはすごかったし、いやそこだけではもちろんない、記念写真の、とうとう、彼は、踊った?
踊るのだろうか。踊らなくてもいいけれど。なにかははっきりと起きた。
そのため予期せぬことに読む本がなくなってしまった。まさか日曜日にこんなに本が読めてしまうとは思っていなかったのだった。だから、困って、終わったあとに蔦屋書店にでも走るべきなんだろうかとかそういう可能性を考えたりもしたがそんなことをしてもというような気にもなったし、どちらかというと今日、閉店まで、何を読んだらいいのか、それが問題だったため朝にレビューを読んでふいに読みたくなったブレイディみかこの本をポチった、明日届く。だから問題は特には解決はせずにやっと先週だったか先々週だったかに買った『POPEYE』を開くことにしていろいろなカレーを見た、すぐに閉じた。なにをしてすごそうか、それが問題だった。
そして22時半には誰もいなくなった。こんなことならもう店はぶっちぎって蔦屋書店に行けばよかったポチらずに。なんだか今日はちょっと、鬱屈の度合いが強いというか、それもこれも朝からいけなかった、いや関係ないか。それにしてもブレイディみかこをそんなに読みたかったのだろうかと思うほどに今はどうも読みたいらしく、朝読んだレビューは國分功一郎が書いたものだった、ブレイディみかこはたまにネット上で見かけて読むことはあったが本は読んだことがなかった、それにしても僕は自分が今これを読みたいというもの以外は本当に読みたくなれないタイプで、だから今店にこれだけ本があるのにどの一冊も輝いては見えない。貧しい目。
Amazonはキャンセルができるのだったか。まさか蔦屋書店に行く気なのか。いやよくわからない。いや、よくわからない。
##7月31日 けっきょく蔦屋書店に行った。店を出たのは11時半で、僕の中で11時20分を越して誰もいなかったら閉めていいことになっているのでそれに従った格好で、それで自転車のタイヤに空気を入れて一路代官山だったし走っていてもいくらか蒸し暑かった。
日中の蔦屋書店というものをそういえば知らない気がするのだが昼はすごいらしいが僕には夜中もこの時間によくこれだけ人がいるなと思う程度に人がいる気がして、でも日中はその比ではないらしい。それで小説のコーナーに行って、テジュ・コールの『オープン・シティ』はすぐに見つかった、平置きされていて、二ヶ所で見かけた。それからぐるっと日本の小説の棚に回り込んで、それですぐに見つかった今村夏子の『こちらあみ子』を取った。小説のコーナーを離れ、なんとなくで探していたらわりにすぐに見つかってブレイディみかこの『子どもたちの階級闘争 —— ブロークン・ブリテンの無料託児所から』を取って、すぐ横に春日武彦の『鬱屈精神科医、お祓いを試みる』があって、去年この人の他のやつを読んで面白かったというか異形な感じがして好きだったので読もうと思っていたものだが4冊は買いすぎなので買わなかった。また今度。
それで買って、上のanjinに行って酒を飲み飲みでもよかったが、そんなにしっかり読みたいわけでもあるいは飲みたいわけでもない気がしたのでやめて壁際の椅子に座ってブレイディみかこをふたつ読んで満足して出た。
帰る前にコンビニに寄ってビールを買ってガードレールに腰掛けて煙草を一本吸いながら飲んで、帰った。まだ12時40分で、1時間でこの動きができるのかと思うとこれはいいもののように思えた。なんというか昨日は総じて鬱屈というか久しぶりにとても鬱屈していた感じがあったので、気分転換に外の空気というか本屋の空気というか社会というかに触れたかったというか広い場所にいくらかいたかった、それでそうしたわけだが正解だった、気持ちがよかった。
しかし、しかしというか、空気に触れたいと同時にもう一つが「休日に予定していた「書店に行く」というタスクを先に片付けちゃおう」という動機があったことは否めず、つまりテジュ・コールは休みの日に丸善ジュンク堂に行って買おうと思っていた、「久しぶりに本屋をうろうろする」をだから、休日にやることリストに入れていた、それを先に潰した。それも、だから、この夜に蔦屋書店に向かうことを促したのは間違いなかった。圧倒的な貧しさを感じる。
ともかくブレイディみかこを読んでいた。とっても面白い。すごく面白い。わーそうですかーイギリスはそういう感じですかー、というので鱗が目からぽろぽろと落ちるようだった。ソーシャル・アパルトヘイトであるとかソーシャル・レイシズムであるとかものものしい言葉が出てきて、あー、なんかすごいな、そうかー、と思いました。
だが、こうしたお母さんたちはわたしには優しかった。保育園で唯一の外国人保育士だからである。ブライトンでも特に同性愛者の居住者が多く、リベラルでヒップで進歩的と言われている地域の保育園のことである。こんなところに子どもを預けている「意識の高い」お母さんたちには、外国人差別などというポリティカル・コレクトネス(PC)に反することはできない。であれば、どうして自分より恵まれない環境で育った人のことはあからさまに差別できるのだろう。それは「外国人を差別するのはPCに反するが、チャヴは差別しても自国民なのでレイシズムではない」と信じているからだ。これがソーシャル・レイシズムというものの根幹にある。
「チャヴ」というのは「公営住宅地にたむろっているガラの悪い若者たちのこと」だそうで、「英国社会の荒廃を象徴する言葉と結び付けられてきた層」だそうだ。
なんというかその、この文章とかをミドルクラスのそういうお母さんたちに読ませてみたらどう思うのだろうというか、恥ずかしくなって怒ったりするのだろうか、それともそんな意識は認めないのだろうか。と思った。ともあれとても面白くて、今朝店に着いてからもひとつ読んだり、そういう「読みたい読みたい」になって読んでいる。
今日は仕込みがいろいろとある。ので日中はそれをやっていた。夕方になってそれも落ち着いたため座っている。今日は家賃と三年に一回の契約更新の月だったのでその更新料とを朝払って、すごい出費だなと思ってExcelをいくらか見たりしていたが見ていても特に解決することではなかった。とにかく言えるのはもっとどうにかならないとならないということだった。しかしいったい。
そういうことを考えていたら谷元が金銭トレードで中日に行くというニュースを見て衝撃を受けた。なんというかこれは衝撃的だった。なんというかこれはとても、驚いた。誰も予期していなかった。記事を読んだら来年とかにFA権を獲得するらしく、先に出したのだろうということだったが、なんだろうか、頭では理解できても心がついていかない感じがある。去年の日本シリーズの最後のマウンドに立った選手で、なんというか日ハムファン全員が谷元を好きだった。今年の日ハムはさみしい年だ。まだ下にチームがあることが信じられないくらい、毎日負けている感じがある。いいことがほとんど何も起こっていないのではないか。西川が盗塁王になれるかなれないかくらいだろうか(盗塁成功率は現在9割を超えているそうだ)。白村が先発として起用されたことくらいだろうか。上原が一軍で投げ始めたということくらいだろうか。横尾はどうした。淺間はどうした。松本くらいか。あとは大田泰示か。とにかく言えるのはもっとどうにかならないとならないということだった。
なんということだろうか、読み終えてしまった。
それから、今度は『こちらあみ子』を読み始めた。じーっ。スキップになっとらん。あみ子のは地団駄じゃ。滝口悠生に続き、今村夏子もまた。
##8月1日 休日、店に顔を出し、ひきちゃんとぺちゃくちゃしゃべって、そろそろどこかに行こうか、どこに行こう、と思っていたところ、近くで仕事があったらしい友だちが来たためちょうどよかったのでご飯を食べることにしてビールを飲んだ。そのあとしばらくのあいだ屋上にあがって話をしていた。助かった。救われた。
その後いったん帰り、薄明るい部屋で吐き気。体調はよし。メンタルおかし。吐き気。えづく。
渋谷にバスで出てヒカリエ、モディ、東急ハンズとまわって店に必要な買い物。すると夕方。ルノアールに入って読書。吐き気。今村夏子を読んでいた。途中で苦しくなって読むのをやめて野球の記事を読んでいた。『こちらあみ子』はすばらしい、そしてえぐい。目をそらしたくなった。もうちょっと無理。
時間があり、ルノアールに居続けるのは読書がもうしんどかったためしんどかったため雨が降っていたので丸善ジュンク堂に行ってうろうろとしていた。その結果として武田百合子の『富士日記』が買われた。書店でもずっと吐き気。
雨がどんどん降っていてリュックに入れながらこれまで一度もたぶん開いたことのなかった折り畳み傘を開いたら持ち手というのか柄というのかがものすごく短く、頭に載せるような差し方で差していた。円山町。いくつものラブホテル。神社で雨宿り、先に店に入り先にビールを飲み始めて『富士日記』を開いた。
八月一日 快晴
快晴。快晴。南アルプスだか、中央アルプスだか、日本アルプスだか、アルプスみたいな山なみがパノラマのように全部見える。朝から夕方まで、冷たい風が少しずつ吹いていて、空は真青で、動かないまっ白な雲がある。夏休みのお天気だ。静かだから、遠くの遠くの人の声がはっきり聞える。コーヒーの罐をあけたら、いい匂いがした。コーヒーをつづけて三杯飲む。
武田百合子『富士日記(上)』(p.23)
1964年の8月1日。
日中にバリウムを飲んでからお腹がおかしな調子になっていてトイレから出られなくて遅れたという友だちが来たので焼肉を食べた。6時だった。起業でも独立でもなんと呼ぶのか知らないが僕はそれをしたいと思った誰もがとりあえずやってしまえばいいと思ってしまう人なのでやっちゃえばいいじゃないかと思いますけどねと言った。肉はうまかった。ビールばかり飲んでいた。5杯くらい。最近はなんでだか2杯飲むと充分というふうになることが多かった。でも肉を食べていたせいか、飲んだ。いや肉は関係ない。肉を食べるペースは、年を取ったということなのかこれはもしかして、という遅さだった。盛り合わせを頼んで、僕も友だちも人任せの人であったため珍しく僕がずっとトングを握って、5分に1枚ずつみたいな感じで食べていた。雨はまだ降っているようだったし、途中から厨房に明るい雰囲気の女性が加わり、すると厨房内の男たちもそれまでよりもどこか楽しそうというか明るい様子になっているように思えた。おいしかった。
そのあと時間がまだあったため向かいにあったビール屋さんに行ってビールを2杯飲んでどちらもおいしかった。クラフトビール的な世界のなかでピルスナーとはどういう立ち位置なのだろうか、ということを話したら同じことが考えられていた。そう思ったため2杯めはピルスナーにした。
それで路地を抜け駐車場に続く階段をおりるとコンクリートな建物がありその3階がユーロスペースだったのでそこに入った、三宅唱の『密使と番人』を見た。なんとなく最前列で見た。なんというか僕とその友だちとで三宅唱の映画を見にいくというのは、けっこう愉快なイベントだった。12年とかの時間がぐっと遡って、あのとき僕らはアテネフランセの廊下で煙草を吸ったりしていた。スージーは元気だろうか。
60分程度の映画とはいえお酒もたくさん入っているし眠くなるのではと懸念していたがどんどん目が覚めていくようだった。道を踏みしめる足音、荒くなっていく呼吸音、枯れ木やすすきを揺らす風の音、Hi'SpecとOMSBの音楽。が耳を刺激し続け、それからとにかく役者の顔がどの顔もすばらしくよくて、特に石橋静河と井之脇海はなんか凄かったし特に井之脇海に目が釘付けになった。なんていい顔なんだろう、誰だこれは、と思って調べたら『トウキョウソナタ』の子どもだったことが知れて懐かしいというか「わー」と思った。それから山含め風景がほんときれいだった。逆光が何度もピカーと光を溢れさせるところであるとか、雪深いところでの追いかけっこでの人間が黒い影だけになっているところであるとか。レイトだし飲む予定だし見られないかもと思いながら、飲む場所をユーロ至近にして飲み始める時間を早くして映画の可能性を残していたが、見られてよかった。
映画が終わって監督とプロデューサーのトークというか質疑応答コーナーがあってそれもとても楽しく、終わったところで名前を呼ばれたので振り返ったら一列後ろに知人の方というか敬愛する知人の方がおられたので三人で飲みに行った。どこに行こうかというのでフラフラしたらさっき行った焼肉屋の隣の店に入ることになって、円山町の、と思って住所を見たら道玄坂だった、道玄坂のまったく同じエリアの店にいくつも入る日になった。酔っ払っていてもうお酒はよかった僕は果実のシロップが五種類くらいあったうちのラズベリーをサワーにしてもらってその一杯をちびちびと飲んでほんの少しつまんで、あれこれ話して僕はとても楽しくなり、人々の終電であるとかの時間になったので店を出て別れて歩いて帰った。涼しいくらいだった。渋谷を駅とは逆方向に歩いていくと人の数がどんどん減っていって暗くなっていって、多くの店はもうシャッターをおろしていた。ふわふわした気持ちのいい気分で歩き続け、そばを食ってから帰った。吐き気はもうなくなっていた。助かった。救われた。今日は人間に本当に救われたと思った。
##8月2日 腹のあたりにいくらかの重い気分。晴れない。それにしても誰も来ない。今は15時を過ぎた。それにしても誰も来ない。そのため昨日ハンズで買った椅子の脚用のクッション性のあるフェルトのやつをチョキチョキしてスツールの脚に貼る業務をおこなっていた。これでグラグラが緩和されたと思った。それはずっと頭の片隅にぼんやりとはあり続けたことだったがずっと手をつけていなかった。なにがきっかけで動きが生じるのかはわからないものだし、こういう、まだ手のつけられていないやってみたらなんてことのない極めて簡単なことがいろいろとあるのだろうと思った。例えばなんだろうか。
八百屋さんで細くて難ありで売れないやつだからと大根を二本いただいた。どうしようかと思っていたが福神漬けにすることにして福神漬けみたいなものを作った。ほんちゃんの福神漬は紫蘇の実だったか、なにかの実が入っているらしいしそもそも何種類もの野菜が必要そうだが大根と生姜と鷹の爪で作った。漬けて一時間もしないで食べたがもうおいしくて夜ご飯に食べるのが楽しみになった。それが今日で、憂鬱は腹の中で、育つな。
明日、読書会のときに初めて読もうかと思っていたが、今回は埋まりはまったくしないもののそこまで悠長に読書をし続けられるほど暇でもなさそうだったしなにより今が暇だった。それでテジュ・コールを読み始めた。本当になんというかフラヌールで、本当になんというかゼーバルトだしベン・ラーナーだった。とてもフィットする。落ち着く。気持ちが包み込まれる感じがある。
何かを決めるということ ——どの角を左に曲がるか、うらぶれた建物の前でいつまで佇むか、ニュージャージーの彼方に沈む夕日を眺めるか、それともイースト・サイドで対岸のクイーンズを眺めながらビルの影の中を駆け抜けるか—— はさほど重要ではなく、自由の感覚を思い出させてくれたのだ。ニューヨークじゅうのブロックからブロックを、まるで歩幅で距離を測るように網羅した。街じゅうの地下鉄の駅は、あてのない進行での動機モチーフとして繰り返し現れた。大勢の人が地下に駆け下りていく光景はいつ見ても奇異だった。全人類が本能に逆行して死へと突き動かされ、移動式の地下墓地カタコンペに突進している気がした。地上で私は、それぞれの孤独のうちに暮らす数えきれない他者と生きている。一方、地下鉄の車内では見知らぬ人間と密着しながら居場所と息をする空間を求め、人を押しやり、人に押しやられている。そこでは誰もが、気づいていないトラウマを再現し、孤独を深めているのだ。
テジュ・コール『オープン・シティ』(p.11)
いや、ここよりも。
気がむくと本の言葉を読み上げた。すると私の声はフランス人だかドイツ人だかオランダ人だかのアナウンサーの小さな声と、あるいはオーケストラのヴァイオリンが奏でる繊細なテクスチュアと奇妙に混ざり合う。読んでいた本がヨーロッパの言語からの翻訳だったことで、声の混ざり具合はなおのこと奇妙になった。その秋、私は本から本へと飛び回った。ロラン・バルトの『明るい部屋』、ペーター・アルテンベルクの『魂の電報』、ターハル・ベン・ジェルーンの『ラスト・フレンド』。
テジュ・コール『オープン・シティ』(p.9)
なんでだかこの引用を打っていたらふいに「大丈夫」という気になった。
僕は昨日も友だちに言ったし少し前も他の友だちに言ったが、最悪のケースを想像したときにそんなに最悪でもないんだったらやっちゃえばいいんじゃない、そう言ったが、同じようなことをいま自分にも言う。言ったからではなく、その前に「大丈夫」という気がテジュ・コールとともに、あるいは「日記を書く」という行為とともに、あるいはそれに伴ってよみがえった昨夜の記憶とともに、もらった言葉とともに、まず起こって、そのあとに、そう思った、というのが順番だった。人に向ける言葉はいつだって花束のように使いたい。
テジュ・コールと『富士日記』を交互に読むような感じで読んでいる。「交互」で思い出したが『富士日記』は午前午後を「前八時」「后二時」のように書いていて、午前午後だろうとは思いながら読んでいたが「后」という見慣れないというか「皇后」ぐらいでしか見た覚えのない字があって不思議で調べたら知恵袋がいろいろと教えてくれた。「午后」という書き方は戦前は普通にされていたとの由。
八月二十六日 晴
主人留守番するというので、花子と二人、晩ごはん後、吉田の火祭りを見に下る。七時半ごろ、河口湖駅前の原っぱに車を置いて、山麓電車に乗って吉田へ。セーターを着ていると、大たいまつの火に焙られて暑い。どの家も道に面した硝子戸や障子を開け放って、奥の奥の方までみえる。座敷にはビールが並んで、おさしみや南京豆やのしいかを食べながら、にこにこしたり、死にそうに真赤に酔払ってしまったりしている。どこの家にも必ずおさしみがある。綿菓子とぶどうを買う。
武田百合子『富士日記(上)』(p.36,37)
今日も激しく暇。何回か行ったことのあるカフェ的な店がだいぶ苦境に立たされているという記事を読み、そうかー、と思う。年内もつかどうかと書かれていた。閉まるときは閉まるんだなと思う。うつむいていても眠くなるだけなのでガスコンロのあるところの壁拭きをやっていたら局所的にきれいになって気持ちがよかった。夜は一滴も酒を飲まなかった。
##8月3日 朝から胸騒ぎのようなものがしたのでゲラゲラ笑っていた。
物件の更新の契約書に連帯保証人の欄があることがわかり数日前に父に連絡したところ来てくれるとのことだったので甘えて来てもらって署名捺印をしてもらった。退職してひと月ですがどうですかと聞いたところ愉快に暮らしていそうなのでよかった。いくらか話し、開店時間を迎えるとカレーとビールを注文して食べたら帰っていった。このまま帰るのかと聞くとレコード屋さんに寄ってレコードだったかプレイヤーだったかのクリーナーか何かを買って帰る、と言っていた。
明日区役所に行って住民票と印鑑証明を取ってこなければならない。必要書類等なにも見ていなかった。
それにしても、三年が経ったのか、あの夏から、と思った。ちょうど今は工事が始まったころだろう。7月20日くらいに始まったんだったっけか。忘れたが、もちろん冷房設備などなにもないなかでまずは箱をスケルトンにするために何かガガガガガとやるやつでコンクリートブロックの壁をはつったり、穴を開けてぶら下がって木組みの天井をぶち落としたりしていた。もうもうと埃が舞った。すべてが体に貼り付いた。これまで過ごしたどの夏よりも暑い夏だった。それを思い出したためゲラゲラ笑いながら仕事をしていた。声はどんどん大きくなって、気がついたらお客さんもゲラゲラと笑っていた。
午後になって、気持ちがどうしても落ち着かないというかソワソワと吐き気みたいなものをもたらしてくるので落ち着いていられなくてしきりに外に出てゲラゲラ笑いながら煙草を吸っていた、すると下の床屋のおばちゃんやご通行中の方々もみなゲラゲラと笑いだした。初台の町中に笑いがあふれた。それが一定量を越して雲になったのか、雨が降り出したのは午後3時ごろのことで、地震が起きたのもちょうどそれくらいだった、避難場所として僕が認識していた場所はどうもそれではなかったらしくもぬけの殻だったしその敷地の外には倒れている人がいくつもあって、笑いながらそれを跨いだ。火事が起きているのか、雨が降っても消えないらしく空が明るくけぶっていて、僕は僕がその火事を起こしたような気がしてきて、そうするともう笑いをこらえるのはとても無理だったし、そもそもこらえることは一度もしなかったのでずっと笑い通しだった。それは人々も同じだった。愉快ですか? そう尋ねるとみな一様にうなづいた。一人だけ泣いている女があったのでクソほど血が出るようにできるだけ丁寧に殴打した。別のものが出てきたので拾い集めて食べた。そうしたら喜んだのかやっと笑ったため、愉快ですか? そう尋ねるとみな一様にうなづいた。それで店に戻った。それから先も何度も煙草を吸いに外に出なければならなかったし、笑いはずっと止まらなかった。
石炭(上)かます五百円也。豚肉八百グラム六百四十円也。
パーティーのときのこと。
テープが回りだすと、テープレコーダーについている小さなマイクを口のところにあてて、社長は立ち上がって歌った。「富士の高ねに降る雪も、京都先斗町に降る雪も、雪に変りがあるじゃなし、溶けて流れてみな同じい」と、ふだんの声よりも、もっとささやくような可愛らしい声を出して、首を少し振りながら歌った。一番を歌い終ると女衆たちは「スッチャンチャラランカ、スッチャンチャラランカ」と、すぐ間奏部分を手拍子をうって歌った。私も一緒に歌った。
武田百合子『富士日記(上)』(p.48,49)
「京都先斗町」を「会津若松」に言い換えて彼が歌ったのはその時点で未来の妻であり語っている時点で元妻である女性とその両親と会津若松に旅行にいって一泊したホテルでのことで、「お座敷小唄」という曲との由。ゲラゲラ笑いながら『富士日記』を読んでいる、その前の時間は『オープン・シティ』を読んでいた。今日も激しく暇で仕込み等を終えてしまったら本を読むくらいしかやることもない。今は夕方で、今日は6時になったらいったん閉める。夜は読書会になる。その時間を楽しみにしてとりあえず笑いながら過ごしている。『富士日記』で武田泰淳が親子丼を食べていて、その一言だけで親子丼みたいなものを無性に食べたくなる、いったん閉まるその時間のあいだに作ろうかという気がむくむくと起こった。起こっている。いや眠りたい。とりあえずプルーンを氷砂糖と少量のウォッカで漬けた。切りながら何個も食べたらおいしかったのでおかしくなって吹き出した。いや眠りたい。
##8月4日 区役所の初台出張所に朝行くも、印鑑の登録カードのようなもの見当たらず、辞去。店にていくらか探すが見当たらず。机のあたりで見かけていた残像あり。捨てるはずもなし。
昨夜は夕方閉めるとずるずると眠って、起きて、眠って、起きて、それから読書会の時間になった、いやその前に役所に行ったがやはり閉まっていて眠気が一気にやってきたから急いで戻って寝たのだった。それで読書会だった。なんというかとてもいい時間で、僕は勇気づけられた気になった、この場所は本当にいい、そういうことだった。それで元気になった。読書会のあいだはオランダのラジオを流していた、クラシック専門チャンネルを流していた、曲が終わるごとにアナウンサーがぼそぼそと話をした、そうするといくつもの地理と時間が混ざりこんで、考えたら混乱しそうだった、余裕がいくらもあったため僕も一時間半くらいのあいだは同じように『オープン・シティ』を読んでいた、無防備都市、一時間くらいだろうか、いい時間だなあと噛み締めながら元気になっていった。
夜は変に酔っ払って、テジュ・コールを飲みながら眠りに落ちた。
重たい雲が掛かったような心地が続いている。店での労働でそれを払いたいが、今日も暇。やることもなくテジュ・コールと『富士日記』を読んでいる。陰鬱な気分で本を開いていても、あまり楽しめない。いや嘘で、それぞれ楽しいし充実している。でもお腹のあたりがずっと重い。眠い。
それはともかく7月からの暇になってきている流れはこれはもう流れとして間違いないように思えてきた。と、思い出したのは去年のことで、たしか4,5,6月と調子がよいようになっていって、よいかな、と思ったら7,8,9月でぐんぐん暇になっていった。もしかしたらこれを繰り返すのだろうか。であるとすれば、去年そうであったように10月からまた調子を取り戻すのだろうか。去年は、どんどんとダメになっていく夏場はたぶんすごくきつかったはずで、「はあ????」と思っていたんじゃないかと思うのだが、「どうなるのこの店???」と思っていたんじゃないかと思うのだが、去年のことがあるので今年は少し違う気分で過ごすかもしれない。つまり「10月から元に戻る」という心地でこの下降トレンドを生き抜こうとするだろう。そうなったとき、10月は本当に緊張するだろうなと思う。「頼む! 10月よ! お前に掛かっている!」という心地だろう。これで10月もダメになっていったら、僕はどう感じるのだろうか。とりあえず9月までは暇というつもりでいた方がいいだろうか。昨日漬けたプルーンのシロップは二日目にしてきれいな赤色になって目が喜んだ。
『富士日記』がとても気持ちがいい。この本はこれまでにも何度か買おうかと思った機会があったが、そのときは開いてペラペラしてもしっくりこない感じがありやめていたのだけれども、今はぴったりくる。なにがしっくりこない感じだと思ったのだろう。それともただ長さだろうか。上中下という。
上中下といえばさっき読書メーターを見ていたら上巻の登録数が1200くらいで、中巻と下巻は両方とも500くらいだった。つまり、中巻から下巻のあいだで離脱する人がとても少ない、ということだった。なんか立派。
印鑑登録証が出てきた。机の上のいくらかの紙片を取り除いたら出てきた。やはりこのあたりにあった。めでたい。また来週。
あの日以来読むのをやめていた『こちらあみ子』を再開したのは超熟(5枚切り)にチーズを乗せて焼いて食べて、もう一度超熟(5枚切り)にチーズを乗せて焼いて食べて、そのあと思い立ってトースターの掃除をしたあとだった。読み進めるのが怖かった。あみ子を見ているのが怖かった。が、読んだ、ら、なんだかむしょうに泣きたくなって、目の縁まで涙はやってきて、少し油断したらたくさん泣いてしまいそうだった。別に泣いてもかまわなかった。誰もいなかった。でもそれで泣くのも癪だから泣かなかったけれど、
勘弁してほしい。
あみ子は坊主頭に訊いてみた。「気持ち悪かったかね」
坊主頭が一瞬黙った。しかしすぐに笑顔に戻った。「気持ち悪いっていうか、しつこかったんじゃないか」
「どこが気持ち悪かったかね」
「お前の気持ち悪いとこ? 百億個くらいあるで!」
「うん。どこ」
「百億個? いちから教えてほしいか? それとも紙に書いて表作るか?」
「いちから教えてほしい。気持ち悪いんじゃろ。どこが」
「どこがって、そりゃあ」
「うん」
笑っていた坊主頭の顔面が、ふいに固く引き締まった。それであみ子は自分の真剣が、向かい合う相手にちゃんと伝わったことを知った。あらためて、目を見て言った。「教えてほしい」
坊主頭はあみ子から目をそらさなかった。少しの沈黙のあと、ようやく「そりゃ」と口を開いた。そして固く引き締まったままの顔で、こう続けた。「そりゃ、おれだけのひみつじゃ」
引き締まっているのに目だけ泳いだ。だからあみ子は言葉をさがした。その目に向かってなんでもよかった。やさしくしたいと強く思った。強く思うと悲しくなった。そして言葉は見つからなかった。あみ子はなにも言えなかった。
今村夏子『こちらあみ子』(p.119,120)
夜、ここ数日の憂鬱が覆されるような感覚があり、全部がクリアになるような心地になって喜びに包まれた。それでうれしいすがすがしい気持ちで酒をあおった。こうでなくちゃな、と思った。