#7月22日
7月も四週目か、と思った、土曜日、ここ三週連続暇だった、だから今日も暇なのだろうというつもりで朝からちんたらしていた。
ウルフが最終的に自殺するという物語の結末を僕は知らないで読んでいたかった。そうしたらまるでそんな気にならないで読むことになっただろう。1940年暮れ、ウルフは幸福を感じている。ロンドンの家は空襲で破壊された。家財等々は完膚なきまでに破壊され、それで彼女はいくらかの清々しさを覚えた。『幕間』——そのタイトルはまだ出てこない—— はおおかた書き終えられた模様。幸福を彼女は感じている。これまでになかったほど軽やかになっているようにすら見える。1941年、59歳、最後の年に入った。
朝から今村夏子の『星の子』のことを考えていた、間違えた、営業が始まってから考えていたんだった。一人、メニューを見て帰った方がいた、もう一人、オープン直後の時期に来られてとても久しぶりに来てみたらシステムが変わっていてゆっくりするつもりじゃなかったからといって帰った方がいた、そのときいずれも他に数人のお客さんがいた、そのわりと立て続けの踵返す劇を見て、それから考え始めたらしかった。少し似ているところがあると。
つまり、中に入って、自分のニーズとこの店が提供しているものがマッチしないとわかって帰る人にとって、なんだよこの店はと思う人にとって、受け入れがたいその場所をどうやらすんなりと受け入れているらしい座っている人たちのことをどう思うのだろうか、え、なんでこの場所がいいの、となったりするのではないか。一方でここを受け入れた人は踵を返す人を見てどう思うのか。この場所のよさを知らない不幸な存在に見えたりするのか(ずいぶん極端な考えだけれども)。ということでつまりこの場所は喜ぶ存在と、喜ぶ人がなんで喜んでいるのか不可解に思う存在が両方、たぶん多くの店よりもくっきりと分かれて生まれる場所で、——あなたの魂にいずれ救いがもたらされますように—— もちろん当然これは『星の子』が描いたものとはまったく違うけれども、どこか関係があるようにも思えなくもない、まったくの他人事ではないような、そんな気がしたのか、考えていた。
ああ、ああ——なんという安堵感! わたしはこれでまた進んでいける。今日はとてもいい日になった。ここひと月ほどの傾向を見て諦めかけていた土曜日が、そうであってほしかったような土曜日になったのだ。レナードはたしかに「土曜日の展望については、君が間違っているかもしれないよ」と言っていたが、私は半信半疑だったのだ。でも、ああ! 私はよろこびのあまりふるえている——すべてがむだではなかったわけだ。つまりここで私がみたヴィジョンが他人の心にも何かの力を持っているわけだ。これでまた仕切り直しだ。さあ一本たばこを吸って、それからまじめな仕事に戻ろう。
##7月23日
ヴァージニア・ウルフが死んだのは2017年の7月22日の深夜だった。いや1941年の3月28日だったかもしれない。あとすこしだなあ、と思いながら、なにか感慨のようなものというか、終わることに、死を迎えることに恐れのようなものというか、そういうものをいだきながらページをめくっていたら、終わった。日記は3月8日が最後だった(日記の原本だと4日前の3月24日まで記述があるそうだ)。
そして今、いくらかのよろこびをもって、七時だということに気がつく。食事の用意をしなければならない。たらとソーセージの肉。このことを書くことによってソーセージやたらに対してある種の支配力を手に入れることはほんとうだと思う。
ヴァージニア・ウルフ『ある作家の日記』(p.518)
これで終わった。この二週間ほど、ウルフとともに僕の暮らしはあった。だからウルフが死ぬぞ死ぬぞ、日記が終わるぞ終わるぞ、というのは惜別というか恐れのようなものがあった。終わってほしくなんかなかった。
あとでウィキペディアで夫に宛てた遺書を読んだ。それはとても悲しいものだった。訳者あとがきを読んでいるとウルフの病気はずいぶん大変だったことが知れた。
なんだろうか、こんなに彼女はずっと生きていたのに、それを僕はずっと読んでいたはずなのに、なんでこんなに死の印象が与えられるのだろうか。ただ最後に死んだだけなのに。僕はいったい何を読んできたのだろうか。生を忘れるな。
日記にはやっぱりクライマックスや終着点なんてないほうがきっといい。
夕方まではとても調子がよかったので今日は大丈夫かなと思ったがダメだった。暇日曜日になった。せっかく昨日がよかったのに台無しというか昨日がよくてまだよかった。これでこの週末というか書き入れどきであるはずの金土日はさっぱり・すばらしい・ダメ、というものになった。均せばダメな週末だろう。なのに夜になってから体がヘトヘトに疲れてしまって、ふくらはぎが重く、座っていたかった。なので座っていた。疲れとはいったいなんなのだろうか、いまだによくわからない。頭もぼんやりしていて、それで仕事をしている気もなくなったのでカルペンティエルの『バロック協奏曲』を読み始めることにした。昨今の表記はカルペンティエルではなくカルペンティエールだった。
##7月24日
トイレに入ると『Number』があり表紙に「上原浩治」の文字があり、「上原お前の名前むっちゃ似てるやん!」「ほんまやなあゲラゲラゲラ!」と、教室で上原少年と級友がやり取りをしている、それを、母が見たのか、居間で「うふふ」と声が出た。
完膚なきまでに暇だった。でも落ち込むことはなかった。なぜならそれぞれの方がいい感じで過ごしてくださったというか、なにかと気分のいい感じの日だったからだ。結局、その日その日は売上で落ち込むということでもない。長い目で見たときに数字というものが意味を持って立ち上がる。長い目では、見ないわけにはいかないのだが。
##7月25日
朝から映画を見に行った。とても久しぶりに映画を見た。いつ以来だろうか。マルコ・ベロッキオの『甘き人生』を。『密使と番人』の上映情報を調べていたらユーロスペースのトップページにあり、踊っている二人、ベロッキオ。それだけでどうしても見たくなり、過ごし方のパターンをいろいろ考えた結果早起きをすることにした。
ユーロスペースは久しぶりに行ったら席が指定できるようになっていた。こうでなくちゃ、とは思う。
なんというか、冒頭3分、完璧だった。踊る母子、映画を一緒に見る母子、そしてバスに乗る母子。母の表情に陰りが見えるまでの時間、なんというかそれは本当に完璧だった。映画。映画!と僕は大喜びしていきなり泣いていた。
とても苦しい映画だったが、本当に充実した素晴らしい映画だった。快哉。快哉!と僕は叫んだ。そのため顰蹙を買った。
終盤のあのダンスシーン。なんてなんてなんて素晴らしいのか。やっと、踊れた。彼は。
夜、野球。一塁側。原樹理の暴投で中日が先制したあたりで入った。そのあとすぐにバレンティンが2ランを打って逆転した。そのあとはどうしたんだったか、2点さらに入って4-1。福田が3ランで同点。そのあとはどうしたんだっけ、京田がフライを取れずに勝ち越しをゆるして直後の打席でホームランで取り返したという流れだったっけか。とにかくシーソーゲームというか雑な打ち合いという感じで、代打で出た荒木がヒットを打った、その裏に岩瀬が上がった、飯村や大松が代打で出た。鵜久森は出なかった。福田はもう一本3ランを打った。山田が満塁から四球を選んだ。9回が終わって延長線になったところで帰った。山田がまた満塁から四球を選んでヤクルトが勝ったようだった。
前もそうだったが、今回はヤクルトと中日という、本当にどちらが勝ってもいいような試合だったこともあり、よりいっそういいプレイが出ればそれだけで満足する、楽しくなる、そういう野球観戦だった。一日じゅう雨マークの日で心配されたが降らなかったし雨はけっきょく日付けが変わってから降り始めたらしかった。とにかく蒸し暑く、座っているだけでじんわりと汗が出ていくようだったし、ビールの売り子の人たちはみな顔をテカテカにして働いていた。それはもう、がんばれ、がんばれ、の様子だった。球場の他のどの人たちよりもビールの売り子たちががんばっていたのではないだろうか。花火を、見ることができた。見上げたら、打ち上げられていた。夏だった。
##7月26日
週に一回の休日をどう使うかというのは非常に重要なことであり、だから昨日は早起きをして映画を見に行き、それからフヅクエに顔を出し、それからカフェに行って仕事をし、野球を夜から見た、そのあと少し飲んだ、行った餃子屋さんに友だちのカップルがいて少し話した。つまりずっと座っている日だったし何かと充実した気分になる休日で、起きたら雨がざあざあと降っていたため歩いたら濡れた。
わりに忙しい日だったため一生懸命仕事をし続けた。ダラダラとした時間はほとんど過ごさなかった。煙草を吸いに休憩に出るくらいで、あとはとにかく仕事をしていたため勤勉だったから善良で踊った。
夜になり、この半年くらいのあいだ生きていた日々が全部無駄だったのではないかというような気に一気になり、いくらか悄然とした。悄然としたが、それはただそう思っただけでそうだったというわけではなかった。なんでそう思ったのかはわからなかった。ウルフ。ウルフだったらなんていうかな。そんな問い掛けを日々、まったくしない。
閉店後、テレビの取材依頼というメールが来て、返信はまだしなかった。断るわけだが、どうして断るのかを考えながら歩いていた。テレビの取材を受けたらたくさんの余計な人が、やはり来るから、だから断るのだろうか。それとも、テレビの取材でまともに真面目に正当に扱われるイメージが一切湧かないから断るのだろうか。どちらもそうなのだろうが、僕の偏見でしかなかったりもするのだろうか。もしかしたらたいしてそれで余計な人が来るということもないのかもしれないし、でも僕が気持ち悪くなく取材を受けられる気はやっぱりどうしてもイメージできなかった。雑誌とかでも赤を入れまくらないと気が済まないのに、こちらの修正の手を加える余地がなさそうなテレビなんて最悪な扱われ方しか思い浮かばなかった。ナイン、ナイン、ナイン。全部違う。と言いたくなるだろうと思った。なぜドイツ語が出てきたか、それは先日ドイツ語を話している人を道端で見かけて、何語だったっけなと思っていたらナインと言ったのでドイツ語だったからだった。ではたとえば、取材をお受けします、10万円頂戴します。なお、この契約書にサインをいただき、禁止条項を破られた場合は追加で10万円をいただきます、みたいなことをふっかけてみるというのは一つの手なのだろうか。それでもやっぱり受けたくないのだろうか。でも僕はそこで即座に契約書みたいなものを作れるような技術がないから、できないことだろうと思った。20万円で魂を売るという売り値は適切なのだろうか。どうでもいいことだった。
20万円くらいだったら、破ってでも好きなことをしそう、というのがテレビのイメージだった。そんな時代でもないのかもしれないし、時代は関係なくそんなお金は払わないのかもしれないが。
以前よその店で、月一回テレビの収録に使ってもらっている、それは一日で月の家賃分くらいの売上になる、だからとてもいい、みたいなことを言っている方がいて、それはすごいなと思ったのを今、思い出した。でも怖い売上の作り方だよなとも思った、ディレクターとか、知らないが、の気が変わって場所が変わっただけでポッと消える数十万円。ポッと上がる余計な数十万円、と捉えればそれはしかし特に怖くはないのかもしれなかった。慣れたらやはり怖そうな気はするし人間はどうしても慣れてしまいそうな気もするが。
夜、だから、カルペンティエールを読んでいたところ期せずして読み終えられた。薄い小説だったが、それにしても終わった。なんとなくのまま目が滑るようにして読んでしまった。コンサートというかわーーーという場面がすごく楽しかった。解説はこれから読む。
##7月27日
一生懸命仕事をしていたところ昨日の夜にポチった滝口悠生の『茄子の輝き』が届いた。今週はこれを読んで、それで来週はテジュ・コール、というのが取るべき流れなのだろう。日記を読みたい。次は誰の日記を読んだらいいだろう。ウォーホル、ソンタグ、ホッファー、茄子の輝き。
10ページほど読んだ。なんだかすごくいい。「お茶の時間」というのがタイトル。これは短編集。なんだかすごくいい。『死んでいない者』を読んで、それから『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』を読んで、という三冊目だが、いつの間にか僕の中で滝口悠生は読みたい作家になっていたのかもしれない。
##7月28日
「お茶の時間」もよかったし「わすれない顔」もよかったというか、こちらは痛みと苦しみが伴った。
「ヴィヴィアン・ウエストウッド」と打とうと思って「ウェスト・ヴィヴィアンウッド」と打っていたら暇だった、金曜はまたしても暇。壊滅的に暇。夕方まではよかったので、これは大丈夫かと思ったが、夜はすっからかんだった。どうしたものか。どうしたものかと思う。読める必要はないけれど、まったく読めない。傾向にならない。いやだんだん金曜は暇という傾向ができつつある。困る。これはとても困るというかどういうことなのか。俺が悪かったんだったら謝るからさ、だから黙ってないで教えてくれよ! と男は言った。
暇だったが、やるべきことはあったのでなんやかんやとずっと仕事をしていたため偉い存在になった。目の前には『茄子の輝き』があるが手に触れもしなかった。表紙では茄子が、輝いていた。茄子のおかずを今日作ったときにその輝いた茄子を見ながら、「茄子が
ここまで打ってから忙しい店になった。7時半過ぎのことだった。その結果としては「素晴らしい金曜日」というものになった。ひと月ぶりくらいだろう。金曜日にこれだけお客さんが来られたのは。とてもよかったというかひたすら安心した。よかった。疲れられてうれしい。
それにしても、なぜ7時半の段階で完全にあきらめていたのだろう。むしろあるとしたら8時からの1時間でどれだけ来られるか、みたいな勝負ではなかっただろうか。7時半であきらめるのは早すぎやしないだろうか。でも知っていたが、あきらめても試合終了しないこともあればあきらめなくても試合終了になることもある。僕は関係者ではあるが試合そのものに関与はしていない。誰と誰の試合なのかは、わからない。
火曜日に見た映画の、エマニュエル・ドゥヴォスの怪演というか怪物的な存在感を、何度も思い出しながら今週はだから生きた。
夜、カティサーク。おいしくない。安ウィスキーを飲むならバーボンの方がいい気がする。滝口悠生。関係なくない、と思った。