#4月8日
昨日今日と朝、カニエ・ウェストの「Bound 2」を聞いている。1曲を延々とリピートしたいのだけどiPhoneでどうやったらいいのかよくわかっていないらしくリピートしたつもりでいたらアルバムリピートになって1曲目が流れた、それもかっこうよかった。このアルバムは次元の違うところにある音の層が無理やり継ぎはぎされたような感じがしてとてもかっこうよいため好きで、昨日は「おー久しぶりだね」という友だちが来てそういう友だちが別々に3人来て、それは極度に珍しいことだった、それぞれと帰り際であるとかに外で長々と話をした。一人は明日駐在地のバンコクに帰るという。一人は明日福岡に引っ越すという。一人は明日、明日のことは聞かなかった、目黒あたりに帰ったのだろう。僕はその明日であるところの今日4月8日土曜日曇り、たまに雨が降る。
昨日の夜は今日の一日を、友だちといくら話そうがそこそこに売り上げが悪くなかろうが、苦々しさが流せなかった今日の一日を全部流してしまうためにいつもより多くの酒が必要とされたのか妙な勢いがありビールを3本続けて飲んでそのあとバーボンを飲んで寝たところ朝起きてみると胸焼けみたいなものが腹というか胸というかに残っていてコーヒーを注ぎこんでみてもご飯と納豆を流しこんでみてもきっちり晴れはしなかった、しかしそれもだいぶよくなった、理解するつもりのない人間を相手にしたところで得られるものはない、ただ、黙っていろとは思う、無理解が無理解のまま無理解を撒き散らす愚かな害しかない光景をなんで看過していいのかが、今のところわからない。バーボンを飲みながら多和田葉子の『百年の散歩』を読み始めた。こう始まった。
わたしは、黒い奇異茶店で、喫茶店でその人を待っていた。カント通りにある店だった。
店の中は暗いけれども、その暗さは暗さと明るさを対比して暗いのではなく、泣く、泣く泣く、暗さを追い出そうという糸など紡がれぬままに、たとえ照明はごく控えめであっても、どこかから明るさがにじみ出てくる。お天道様ではなく、舞台のスポッとライトでもなく、脳から生まれる明るさは、暗い店内を好むのだ。
多和田葉子『百年の散歩』(p.6)
多和田。「多和田」を検索バーに入れると多和田葉子と多和田真三郎のどちらが先に出るのだろうか、後者は西武ライオンズの2年目、去年は序盤はまるで勝てなかったものの8月9月とかで7勝とかをたしかあげて今年はさらなる飛躍が期待されている、ホープ。と思ったらどちらでもなく多和田秀弥という俳優が出てきた。葉子と真三郎は敗れたり。本日は有原航平が8回8失点完投という、そういう投球を見せた模様だった。12安打打たれて110球というのはとても省エネで、それにしても今年の有原はどうかしたのだろうか。2試合続けての大量失点で心配される。ただただ悲しい。広島は今日は2年目の岡田が9回まで投げていて今はピンチを迎えているようだが昨日も新人の加藤が9回途中まで投げていて、実に中継ぎ孝行の2試合で立派だ、と思ったら岡田は現在までに144球投げていてずいぶんな球数になっている。144は多すぎるのではないか。ただただ悲しい。ソフトバンクは今日は負けた模様だが上林が第2号のホームランを打ったらしく今年の飛躍が期待されていた若手がこのようにどうやら結果を残しているらしく立派だった。ただただ悲しい。
今日は途中からいいようになってそうあってほしいような土曜日になって4月は本当にもう終わったんじゃないかという気になる日が多かったからほっと胸をなでおろしたら薄い薄い胸があってTシャツにカレーが散っているのに気がつき暗澹としたが胸にはその薄い薄いなでおろされた胸の箇所には「Think Good」と書いてあったからいいように考えることにした。いいように考えるために一つこれは、と途中で思ったそのときは動きとしては暇な時間を引きずるような、お客さんでわりと埋まっているけれど手はすいているみたいな状態だった、そのときにいいように考えるために一つこれは、と思って休日に割り振っているバジェットを減らすことにした。バジェットバジェットと言っているこれは会社勤めのときに目標値をバジェットと言っていたからなのだけど予算って、予算ってなんだか使うものという感じしかどうしてもしないのだけど売上予算売上目標これはバジェットって言葉でいいのかなということはずっと思っていた、それでこれまでも検索したことがあったとは思うのだけど今あらためて「バジェット 目標」でググってみると出てきた記事でバジェットでまったく間違っているわけではないがバジェットはやはり費用に絡んだ予算のことを指すらしく、projection、あるいはgoal、estimateあたりが妥当ではないか、ということだった。ところで正しい英語を知りたいわけではなかった。日本人が読んだときに「なんでこいつ売上目標のことバジェットって言ってるの?」と思われる使い方だったとしたら恥ずかしくそれさえ回避できればいいわけだから、売上予算=バジェットというところで合っているならそれでいい。というか、いや話は「というか」ではなかった、バジェットだと英語的にぴったりではないとあったけれど僕が勤めていた会社は外資系だったのだけど、外資系の会社で使われる英単語が的外れなものというのも、不思議な話だと思った。とにかくバジェットで特に問題ない、ということがわかった、ということでいいのだろうか。休日に割り振っている、と話を戻すと、休日に割り振っているバジェットを減らすことにした。今月のバジェットは1,2,3月の実績に基づいた数値——それは調子がよかった時期をもとにしているから強気なものになるのだが——に設定したのだけど、でもその設定だと心が荒むのではないか、と今日思って、それで減らした。減らす前の数値だとわりと「回る」みたいな状況が必要とされることになって、それを意識し始めたらけっこうダメだなと今日思った、それで減らすことにした。減らしたところ月全体のバジェットが当然減って、ここまで7日間でマイナっていた数値もぐっと減った、それで減らしたところ当初設定していた値よりも今日は多くなったから一気に取り戻すような格好で8日営業時点でプラスに転じた。まるでうまくいっているみたいに見えることもあり、バジェットを減らすことはよいことだった。
なんでこんなことを書いているかといえば土曜日は日記の書き始めの日であり初日がなかなか終わらない、この日記はどれだけの量になるんだ、みたいなことになったらいい、いいという意味がよくわからないが、なんとなく初日を増やしてみたい気がさっき起きたからで、それで書いた。これによって現在3000字弱になった。このペースで毎日書くと2万字になるということだった。でもここのところそうであるように1万5千字くらいで着地するのだろう。知らないしどうでもいいが。文字数を稼ぎたいわけでは当然ない。文字数を稼いだところで1円にもならない。ところでこれは28週目の日記でここまで27週で書かれた文字数は33万字だった。そう打っているあいだに最後のお客さんが帰られ営業が終わった。肉のハナマサに行っておしぼりを買わないといけない。雨が降り出さないといい。明日も天気はぐずつくようだ——。最近、『10:04』を読んでいたあたりからだろうか、この「——」をわりと使いたがるようになっていて。最後のはわざと使ったというか先ほどの「——それは調子がよかった時期をもとにしているから強気なものに鳴るのだが——」を今なんとなく書き足したというかそのセンテンスを少し修正したときに書き足したところで、それで「——」を最近使うよなと薄笑いを浮かべた、それで元々「天気はぐずつくようだ。」としていた終わりに「——」を足したのだけど、これは「シフト+オプション+伸ばし棒」を2回打つとこうなる。それが、いったいなんだというのか、それはわからない。
用事があったために自転車にまたがったところ、ここのところ自転車に乗る機会がめっきりと少なくなってしまって、それがために初台の坂をくだっていって山手通りと合流してまっすぐにいくその道の気持ちよさを久しぶりに感じることになった。夜で空はもやっていて濃いというか薄いというか紫色で紫色の色鉛筆が好きだったことを思い出した、好きだったというかなにか魅せられていた、そのことを思い出した。通りは夜中でもそれなりに車が走っていて僕は代々木八幡の駅と駅前の通りが白白とぽんぽんと丸い明かりで照らされているのを見下ろしてそこで両サイドに抜ける景色がいつも好きだったためこの夜もまた好きだった。帰宅するとソファで私は昨日は多く飲んで朝に胸が変だったことの反省を活かすべくバーボンをストレートでちびちびと飲むことにして飲みながら多和田葉子を読んでいた。そうすると次第に意識が遠のき、遠のき、心地よく眠りのなかにおさまっていくような感覚があった。入眠は点で、点は言い過ぎにしても小さくて、円錐の先っちょを下に向けたそのいちばん下のあたりが眠りだ、それに向けて意識を体ごと小さく小さくしていく、だからあれかあれだ、円錐が先っちょを向き合って、あ、だからあれだ、砂時計みたいなことになっている。意識を小さく小さくしていって極小のところでポンッと下のエリアに抜ける、その抜ける瞬間が入眠で、下は広々とした眠りの領域だった。多和田葉子を読みながら意識を小さくさせたりときおり大きく戻したりしながら、それはとても気持ちのいい、快楽といって差し支えのない気持ちよさの時間だった。眠ることを了解して、受諾して、ちゃんと起きて布団にうつった。するとわりと起きたので多和田葉子の続きを読んだところ「カール・マルクス通り」と題された一編は読み通せた。「マルティン・ルター通り」が始まって数ページで眠ったらしかった。
公園の右隣の道路は交通量が多く、歩道に立った広告時計の針を見て、わたしは胸が重くなった。待っているということさえ忘れられれば、この公園で肌寒くなるまでずっと時間を潰し続けるのもわるくない。それにしても時間を潰すなんて傲慢な考え方だ。わたしが時間に潰されることはあっても、時間は蜜柑ではないのだから、たとえトラックが何台上を走っていっても潰されることなどない。Die Zeit totschlagen、時間を叩き殺す。こちらは、かなり犯罪的に響く。
これは「カント通り」からの一節で、ここに限らず言葉をこねこねする手つきがとても楽しい。影響を僕はすぐに受ける。影響を受けて忘れて染みついての総体が僕を形作っているはずなので影響をすぐに受けることはまったく問題ない。
##4月9日
4月9日日曜日暇ときどき仕込み。Chrome、今3つ開けているタブの真ん中で「プロ野球 - スポーツナビ」のページを開いたところ、左から順に「プロ野球 - スポーツナビ」「プロ野球 - スポーツナビ」「プロ野球 - スポーツナビ」というタブの並びになって愕然とした。慄然とした。しかし毅然とした態度で生きたい。こんなどうしようもない時間を過ごしているくらいなら本でも読んでいるべきだ。いやチーズケーキを焼くべきだ。大谷が怪我で戦線離脱となり、今日はどんなスタメンなんだろうと思って見に行ったら中田翔の名前もレアードの名前もなかった。どうやら途中で交代した模様。横尾が4番。オープン戦みたいな並びになっている。しばらくはいろいろと難しそうだ。いやまずはチーズケーキを焼くべきなのではないか。焼いた。では飲み物はどうしようか。
「飲物は」と女主人が訊くので、「紅茶」と答える。紅茶はドイツ語ではSchwarztee(黒茶)という。しばらくすると、女主人はお盆を持って戻ってきて、湯気の立つポット、カップ、スプーンなど、おままごとをする子供のようにわたしの前に並べながら、「これは中国の白茶よ」と得意げに宣言した。「ドイツ人は白茶を知らない人が多いけれど、中国の白茶ほど美味しい紅茶はないですよね」と女は知った顔で付け加える。紅茶を注文したのに白茶を持って来た。つまり、白茶は彼女にとっては緑茶ではなく紅茶の一種で、だから、白くても黒茶なのだということになる。
Buntes Essen——「色とりどりに食べよう」の意——という店に入ってしまったときのことが書かれていた。
それにしても、この女は何を考えてこの店をひらいたのだろう。色とりどり、というだけではコンセプトにはならない。(…)
この店は鳥肌はたたないが、どこか調子がはずれている。趣味でやっているにしては趣味が悪すぎる。壁には小さなドイツの国旗がさしてあるが、その下にインディアンの羽飾りがかけてあり、そのまた下に電動仕掛けの中国製の招き猫が置いてあるので、右翼ではないだろう。エコでもオルガニックでもグルメでもないし、文学喫茶でもない。この人は一体なんのためにバナナ・パンを焼いて、迷い込んできた客に食べさせるのか。
多和田葉子『百年の散歩』(p.74)
##4月10日
暇で不安になっていく。明日は読書会で明日もだから暇だから暇で不安が重なっていく。カレーを煮込みながら多和田葉子を読んでいた。今は「ローザ・ルクセンブルク と打って、「ク」だっけ「グ」だっけとわからなくて、「ろーざるくせんぶるく/ろーざるくせんぶるぐ」で変換して全部カタカナになってローザと次のやつの間に「・」が入ったら正しいということだろう、と思って打ってみたところ、どちらも変換されてしまう。ローザ・ルクセンブルク、ローザ・ルクセンブルグ。これは困った。困ったというか検索をすればいいのだが、だから困ったこともなかった、「ク」だった。「グ」も検索結果の2つ目には出てきてそれは日本のロックバンドということだった。これは、「グ」だと思ったメンバーたちがつけた恥ずかしい名前ということだろうか、あるいは1980年代とあるのだが、その時分には「グ」の読み方が一般的に流通していた可能性もあるだろう。ずっとバルガス=リョサだった彼が最近はバルガス=ジョサで刊行されつつあってそう振り切れるのか、それともリョサの方が通じるままであるのか、わからないのと同じように。
なのでだから今は「ローザ・ルクセンブルク通り」を読んでいる、多和田葉子はそこを散歩している、遊歩文学、とベン・ラーナーにあったけれどもまさにこれも遊歩文学で、読んでいてとても心地がいいから僕は遊歩したいのだろう。ただ今日が暇で明日も暇で、このように読み進んでいったら明日の晩に読むものがなくなってしまうということが考えられ、そのため次の一冊をAmazonで買うことにして、日本の小説をといっても何を読んだらいいのかわからないし、というので、『百年の散歩』のページから案内されるものを買おうと思って桐野夏生の小説をポチった。桐野夏生の小説はいくつか読んだことがあってそれらはどれも面白く恐ろしかったから楽しみだし、結局知ったところに逃げるというか、まるで知らないところにはアクセスしないのだなと思った。書店であれば、もしかしたら違うか。どうか。わからないがとにかく明日はそれが届くから今日多和田葉子をどれだけ読んでもかまわないことになった。この場所にとどまって、僕は本を読み続けるかカレーを小分けにするか、他の仕込みを見つけてやるか、他の事務作業をするか、なにかするだろう。それにしても地球に重力があってよかったと思った瞬間だった。重力がなかったら「私は散歩などやめて、旅をするのをやめて、自分の部屋に引きこもってしまうかもしれない」と書いている、その場合は散歩をしないということはこの小説は書かれなかったということだ、だから重力があってよかった。「同じ場所に留まっている人間は、自分の足首に足枷がはめられていることに気づくことがない。これはローザが残した言葉だ」と続く。同じ場所に留まっている僕の足首には、知らぬ間に枷が付けられているのだろうか。
好きな役者にお金を包んで渡すように、この人の仕事が好きだと思った人にお金を渡すという感覚の方が、商品を買うよりずっと気持ちいい。商品を買おうとすると、どんなに安くても損をした気がする。わたしの払ったお金が何億何兆という他のお金といっしょになって、企業のトップに立つ誰かの懐に入るのだと思うと腹がたつ。ミシンを踏むこの女性の懐に入るなら納得できる。
そこまで考えると帽子を買ってもいいような気さえしてきたが、実はわたしは帽子をかぶれない体質なのだった。もともと頭の回りが大きすぎて、かぶれる帽子がなかなか見つからない。やっと見つかっても、考え事に集中すると頭が膨張して帽子にしめつけられる。頭のいい人ならば、外から入ってくる情報量が増えれば無駄な情報は捨て、大事な情報は似たもの同士を重ねて引き出しに入れるので場所を取らない。わたしの場合は、頭の中に入ってくる一つ一つの情報が独自の宇宙を持とうとして膨張していく。硬い帽子を無理にかぶったりしたら、内部に向かって爆発してしまうだろう。
多和田葉子『百年の散歩』(p.103-104)
この箇所を読んでからの気がするが気がついたら頭が締め付けられているようなきつい感覚があって、なんだか具合が悪いのとも違うがいつもとは違う窮屈な変な感覚でいる。
本も読み疲れてコーヒーも飲み疲れてFacebookを開いてみるとキリンの広告か何かの投稿があって石田ゆり子のCMが流れてそのあと「石田ゆり子」で検索することになった。なぜならばとても魅力的だったから…
それから、その下の下に友人というか知人というか「友達」の投稿で周囲で結婚が多くておめでたいですが自分はいつになることやらといったトーンの、なんのためになされる投稿なのかわからない投稿——しかしどんな投稿なら意義を認めるというのか——があって、そこにコメントがいくつかついていてそのうちの一つが「xxx君なら秒で決まるでしょ」というもので、それがじわじわと愉快だった。売買みたいでいい。即決。
それにしても、どんな投稿だってそうだけれども、自分の結婚はいったいいつになるのだろう、という投稿はどういった気持ちでおこなわれるものなのだろうか。今朝も同じことを思っていた。第二次大戦末期の日本の偉い人たちが本土決戦をどういうふうに考えていたかというツイートのまとめ記事がはてブにあがっていて読んだのだけど、「ほうほう」と勉強になった、ひとつ賢くなった、ありがたい。それはいいとして、そのツイートというか複数なのでツイーツとしよう、ツイーツはとても授業の様相を持っていて、ここまでは理解できたと思います、ここは重要なポイントなので前提として抑えておいてください、みたいなそういうふうに話が進められていた。それが僕はすごいことだと思った、自分が持っている知識が人の役に立つということを疑わずに、あるいはそういう疑いの時期は乗り越えて、しかも突然に、実際に目の前に生徒たち聴衆が見えるわけでもない状況で、粛々と、淡々と、教えを発することのできる人の心性というのはどういうものなのだろう。すごいことだと思う。街なかで一人ひとりが勝手に思ったことをつぶやいているのがツイートというものの基本的なありようならば、今日見たものは街なかで自分で踏み台を持ってきて立っていきなり授業を始めるような、そういうものだった、実際にその授業は僕がこうやって見に行く程度にはたくさんの人を招き寄せたのだから授業としては成功しているのだけど、きっとこの裏には誰からも聞かれることのない授業が無数に存在しているのだろう。いいですか、ここは覚えておいてくださいね、いいですか。私だけは、それを聞いていた。彼からは見えなかっただろう。角をまがったところに身を潜めて、私は聞いていた。彼は誰一人として立ち止まることなくいささかの注意を払うことなく歩き過ぎていく人々をものともしない態度で、延々と授業を続けていた。彼のトーンが落ちることはなかった。彼はもしかしたら今ではなく未来をすでにして見ているのかもしれなかった、ぼとりぼとりと路上に撒き散らされるそばから踏まれていくツイートたちも、未来のある瞬間に誰かが拾い上げ、汚れを取り去り、高々と持ち上げる日が来るかもしれない、高々と持ち上げられたそれは彼がかつてツイートした内容を一字一句違わずに町に放射され、今度こそ聴衆は耳を、喜々として傾けるかもしれない、やんや、やんやの喝采が起きるかもしれない、彼は黙殺されている今この瞬間からその可能性に賭けていた、ということだろうか。しかしその可能性がほとんどないことは、彼もさすがにわかっていたはずだった。それでも彼はツイートし続けた。彼はツイートし続けたし、私は聞き続けた。あるときふいに私は思った、路上で薄汚れていくツイートを拾い上げきれいにして持ち上げること、私こそがその役割をある日担うことになるのではないか、彼に可能性が残されているとしたら、その可能性とは私のことではないか、なぜなら。なぜなら彼をフォローしている人間はたった一人、私をおいて他にいないからだ、鍵を掛けているわけでもないのにその「1」という数字が増えることはなかった、「1」を維持し続けること、これもひとつの芸のようなもの、才能のようなものだと私は思っていた、彼はしばしば今日このときのように授業をぶった、ハッシュタグを用いることもあった、彼が選ぶ題材は時宜にかなったものであることも多かったし、可燃性の高いものであることも多かった、それでも彼はずっと、誰から拾われも、ハートを与えられもせず、そして私という「1」を維持していた。今日、このときが、とうとう私が彼の薄汚れたツイートを拾い上げる日なのではないか。なぜだか今日に限って、そう思わずにはいられなかった。しかし
彼女の手記はここで終わっていた。僕は本も読み疲れコーヒーも飲み疲れて営業を終えたところたまに来てくれる友だちが最後のお客さんとしており、話をしたいし銭湯にも行きたいし、彼の家は行ったことはないがそちらの方だしと思って、大黒湯に行かないかと誘ってみたところ快諾されたためそうするべく店を出た。それで歩いて、彼の家を経由して大黒湯に行って風呂に浸かり、たらたらと話しながら帰った。彼の家の前で別れてからコンビニに寄って金麦を買って僕は歩いていた、なんとなく、僕は今31歳で、31歳になってこうやって友だちと真夜中に銭湯に行って他愛もなく話をし、おやすみを言って軽やかに別れる、そういう時間を過ごすことができるということがけっこうなところうれしい、今プレシャスと最初打とうとして打ちそこねて「うれsh」くらいになって、プレシャスというよりはうれしいだなと思ってうれしいになった、けっこうなところうれしいことだなと感じながら気分よく歩いていた。
すると西原のスポーツセンターの前を僕は歩いていた、無人の、照明のともされていないテニスコートがあり、それを見下ろしているとボールがポンポンと打たれ合っているのが見えた、あるいはコーチが山なりに出したボールを生徒が目指すべき位置に打っている、そういう情景があったし音があった。夜中のテニスコートで誰もいないはずなのにボールが打たれていたというような怪談めいた話はいくらでもありそうだけれどもそれは怪談ではなくて、その景色にまつわって堆積されている記憶の層がそれを僕に見せているのだし、あるいは、その場所に堆積された行為の履歴がそれをそこに映しだしている、そういうことは明らかにある、とそう思いながら歩いていた。すると、するとだった、すると、そのコートの向こう、目線の高さずっと向こうに赤い明滅する光があった、そして赤い、細い細い三角形があった、それは、東京タワーだった、僕は、知らなかった、この位置から、渋谷区の西原のこの位置から、東京タワーが見えてしまうことを僕は知らなかった、まさかこんな場所から東京タワーを見通せるとは思ってもみなかったからにわかには信じがたく、そのあと歩きながらグーグルマップで方向を確認したが、確信はなかった、しかしあんな赤い細い三角形は東京タワーでなかったらなんだというのだろうか、僕は、けっこうなところ興奮して、東京タワーだ、東京タワーがこんなところから見えている、と思って大喜びをした、そのあと桜が、幾本もあった、太い幹のぶりぶりした桜の白い花を、下から見上げた、暗闇のなかで白い影のように花は咲いていた、初台の町の中でちゃんと桜を目撃したのはこれが最初だった、僕は、もっと散歩をするべきだと思った、遊歩、もっと遊歩しなければいけない。遊歩。いい言葉で、今年でいちばんいい言葉だった。
##4月11日
「「最もキャプテンに不向きな男」浅村栄斗を指名した西武の狙いとは」「開幕3カード消化で明暗くっきり セは無風? パは春の珍事?」「オリックス開幕3連敗→5連勝を呼んだ守護神・平野の気遣い」この3記事をまず読んだ。うしろで大根等の煮物とジンジャーシロップが煮込まれているその向こうで、だから私は私の席で、その3記事をまず読んだ。そのあとはただただ、音を立てて雨だった。僕は生姜のシロップをこしらえたりしながら雨の音を聞いていた。今日は夜の読書会も少数だし、完全に休日だと思った、仕込みが終わったらどんどん本を読もうと思ったが、マニュアルの作成をしていたら楽しくなっていった。これは作ることを楽しむためだけに作られている感じがある。今日はジンジャーシロップのレシピと目次を作っていた。目次を作ってみると、メニューのレシピだけでずいぶんたくさんの項目になることがわかった。項目はどんどんと増えていかなければならない。
WBCに出場した日ハムの選手の現時点での成績は次のようなものになる。中田翔:.200、レアード:0.67、大野:0.56、宮西:9.00。中田は怪我で今日はお休みでレアードが、打率.067のレアードが、4番を張っている。宮西はどういった感じなのかよく知らないのだけど全員絶不調すぎる感じで面白いことになっている。
だから夜は読書会だった、読書会の日は18時でクローズして19時半に開ける、1時間半が空白の時間になる、それはなんとなく楽しみで、久しぶりだった、営業と営業のあいだに休憩ができる時間があるというのは。それで、だから、ソファで多和田葉子を読もうかとしたが、それは読書会の時間でいくらでもできる、と思って昼寝をしようとした、そうしたらすぐに寝付いて、けっこう疲れが堆積していたのかもしれない、と思った。だがかつてを思い出すと、まったく疲れていないような日でも簡単に昼寝していたから、疲れと昼寝は関係ないのかもしれなかった。だから疲れてはいない。高梨は5回までに3点を取られた。
読書会の時間、参加者は二人だけだった、そのお二人は大きいソファ、真ん中のソファに座られた、それで僕はたちまちオーダーを出し終えてしまったのでコーヒーを淹れて、厨房寄りのソファに座って本を開いた、三人が一列に並んで本を読みふける格好となった、なんとなく僕はそれをとても好ましいものとして感じていて多和田葉子を読み終えた。遊歩、遊歩。フラヌールというらしい。こういうものをずっと読んでいたいな、と思って満ち足りた気持ちになって休憩に一服しにおりて、それが済むとまた戻って今度は桐野夏生の『夜の谷を行く』を読み始めた。連合赤軍の浅間山荘のやつに加わっていた女性、現在63歳、リタイア後現在はジム通いが趣味、という人の話だった。途中で東日本大震災が起きた。なんというかてくてくと興味の赴くままに語られる遊歩の小説を読んだ次に読まれた桐野夏生の非遊歩具合というか、脇目も振らずにゴールに向かって一直線、物語に貢献しないセンテンスなんて一つたりともない、という猪突猛進っぷりがとても鮮やかで、ギャップが、それで戸惑いながら、しかし簡単に僕もそういうモードになるからぐいぐいと読んでいった、面白かった、半分くらいが一時間くらいのあいだで読まれた。
電車に乗ると寝静まったマンションであるとか木立の暗がりの連なりがふっと途切れて、踏切やくぐっては上がる道路で開けてオレンジ色の光がまたたくそういう瞬間が好きだった、薄まった光が車内を舐めて消える。
だから夜中は遊歩していた。電車から見たら木立の暗がりの連なりにあたるところをずっと歩いていた、眠る電車の車両たちと桜の並木、深いところをチョロチョロと流れる川の水の音、その向こうの鬱蒼とした竹やぶと暗がり、それらを感じながらビールを飲みながら、1時間ほど遊歩していた、暗黒舞踏の人たちのようなうねり方をした花よりも幹や枝が主役になっているような桜の木が数本立ち並ぶところで背伸びしてフェンスの向こうを覗くと広大なグラウンドらしきものが見えた、その向こうに高速道路らしきものがあった、時間が狂っていって見かける車が古いものになっていった、電信柱は細い木製のものだった。パトカーが何台も何台も、大げさな音を響かせながらどこかに向かって走っていった。
##4月12日
「風がけっこう強いですね」「寒いですね」「寒いです。お気をつけて」
不覚にも見舞われた小雨のなかを自転車を漕いでジャケットのフードをかぶった僕が信号待ちをしていると隣から「こんばんは」と声を掛けられて、見るとマウンテンバイクでスーツでとがったヘルメットをした日本語を母語とはしないふうに思えるしその発音は実際にたどたどしい男性がいた、僕はすぐにその隣りに同じ格好の男性がいるのではないかと思ったがいなかった。僕が「こんばんは」と応えると「風がけっこう強いですね」と言った、それはもしかしたらというか何も考えなければ「カゼガケッコウツヨイデスネ」と表記したくなるような言い方だったけれど、なにを基準に表記をカタカナにしていいと、僕は思っているのだろうか。お気をつけて、と言われて、はーいと答えると信号が青になったので他の何台かの自転車と同じように僕も漕ぎ出して、それで初台の方向に進んでいった。彼はどういった理由で、どういった気分で天気の会話を他人としようと思ったのだろうか。
休みだったため午前中に雑誌の取材の予定があったために店に行って取材を受けて、取材のときにいつも思うことを思って取材が終わって、僕は予定があったので撮影にお出ししたものをライターの方とカメラマンの方が食べたり飲んだりしているところで先に出ることにして先に出た。いずれにせよお代はいただくとはいえ、ちゃんと食べていただけると僕はうれしい。
予定はつまり映画を見るというものだった、その前に本屋に寄って、まだ日本の小説を続けようと思ったため、渋谷だったので丸善ジュンク堂に行こうかと思ったが、まだ日本の小説を続けようと思ったため、そしてわりと最近出たやつを読んだらいいような気分でいたため(多和田葉子も桐野夏生も3月末が発売日だったから出たばかりのものだった)、西武百貨店とかのところにある紀伊國屋書店でまかなえる気がしてそこに行った、それで、江國香織の小説と、これはまったく最近のやつではないし小説からも外れてしまったのだけど何度か読みたいと思ったことがあった末井昭の『自殺』を買った。江國香織は読んだことがないので楽しみだった。江國香織で僕が知っているのはクウネルだったか何かで姉妹で往復書簡をやっていることで僕はそれはちらっと読んだことがあって面白かったというか心地がよかった記憶があった。僕が今回買った小説の帯には「読書の喜び」がどう、みたいなことが帯に書かれていた、楽しみだった。
あれがHUMAXシネマだろうと向かったところはシネパレスだった。HUMAXシネマはその並びの建物だった、ディズニーストアの建物だった、デモ隊がガラス壁に大きな写真を叩きつけて店内の子どもたちに見せつけた、それは中東で殺された子どもたちの姿だった、君たちと同じような子どもたちが世界ではこんなふうに殺されている、と拡声器を通して言った、子どもたちはその写真以上にその恫喝する調子の怖い声に怯えて泣いていた、店のスタッフの方もまた泣きながら、外に出てきてやめてくださいと言った、あなたが泣いても世界は平和にならないと男は言った、それは2003年の、おそらく、ことだった。1963年、ジョン・F・ケネディが殺された、リンカーンの葬儀を模した葬儀がジャクリーン夫人の主導により執り行われた、ナタリー・ポートマンがその夫人を演じていた、ダーレン・アロノフスキーが監督かと思っていたら彼は製作で監督は別の方だった、監督はパブロ・ララインだった、チリ人だったので応援したくなった、不安定で不安な感じのカメラで、正面、少しだけ低いところからナタリー・ポートマンを捉えるようなそういうショットが多かった、不安定な不吉な気持ちとともにずっと見ていた、暗い荒い画面が心地よく不安だった、ナタリー・ポートマンの不安と緊張と誇りみたいなものの混ざりあった顔つきはとびきりに美しかった。グロテスクなぐらいに美しく、最後の最後でなんでか眠気がやってきて多分ちょっと大事な場面を見逃した、ホワイトハウスの日々を「キャメロット」と呼んだ、そのあたりのことを話しているところをたぶん見逃した、それから映画が終わったのでエンドロールが流れているあいだ、少し眠い気がしたので少し眠ることにしたところ見事に眠って、エンドロールが終わったところで起きた。立派な即時的入眠だった。
そのあと酒屋でジンを買って、今回は初めてスロージンを買った、シップスミス、ガチョウっぽい絵のラベルのシップスミスのスロージンでスロージンはスローベリーというスモモ的なベリーを使ったものらしくて、そういう色をしている。度数は29度と低く、これどうやって飲むんだろう、と思っている。どうなのか。
どうなのか、と思いながらカフェみたいなところに入って、それで昼ごはんを食べて、食べながら桐野夏生を読んで、そのあとで原稿的なものを書くという仕事をするべくがんばることを始めた。しかしなかなかがんばれる気が起きず2,3行書いて止まったりして、席を移動してからやっと動き始めた、それで書いていた、もうひとつ書こうと思って書き始めたところ腹痛に見舞われ、「?」と思っていたところ猛烈な腹痛になったためトイレに行った、それから席に戻った、すると猛烈な腹痛になったためトイレに行った、それから席に戻った、すると猛烈な腹痛になったためトイレに行った、ということを2時間近く繰り返していた。途中、トイレが空くのを待っていたところ焦りもあったのかもしれないが猛烈な発汗が起きて顔中を汗の粒が覆っていた、あごからポタポタと落ちて、「これ完全に不審者だw」と思いながら焦りながら、焦ったのでノックをするなどして待って、出てきた人に「すいません体調悪くなっちゃったみたいで」と言ったところ不審な曖昧な顔をされて終わってそれで僕はシュンとした。そのあとだいたい治ったので焼き鳥を食べにいった。
##4月13日
ずいぶん汗をかきながらよく寝たところ起きたら朝だったため朝から桐野夏生を読んでいた。一直線に進んでいくからなのか、一瞬で入れる感じがある。一瞬で入って一瞬で離脱して構わない感じがある。そうこうしているうちに読み終えた。
夜はひたすらに暇で、原稿みたいなものをまた書くことをおこなった、それからピクルスの仕込みをおこなったところだったのでピクルスの仕込みのレシピをイラレで作ったりしていた、それからまったく誰もいない状況が続いていたので石井一成、森本龍弥、清水優心という、僕も見慣れない、読み方もいしいかずなり以外は心もとない、そんなフレッシュな3人のヒーローインタビューを音付きで再生しようとしたところ、幸いにもお客さんが来られたのでヒーローインタビューを聞かずに済んだ。清水はゆうしと読むらしい。
夜はだからひたすらに暇で、今度は江國香織の『なかなか暮れない夏の夕暮れ』を読み始めた。まったく初めて読む人なのだけど、なんだかとても面白そうに思った。
深々と愉快な、そしてたぶんやさしい気持ちに稔はなっていた。チーズなら無難だから。その言葉が、すっかり胸にしみていた。こういうことが、稔にはときどきあった。何の変哲もない言葉に、いきなり気持ちのどこかを鷲掴みにされる。かわいい発言だと思った。かわいくていじましい。それに意味不明だ。なぜチーズなら無難なのだろう。くせのあるチーズだってあるし、腹にたまらないものなら枝豆とか野菜スティックとかあるのに?おまけに、やや感じが悪い。無難なものを選ぶというのは、謙虚なようでいて傲慢だ。完璧ではないだろうか。かわいくていじましく(稔には、その二つの区別がいつも上手くつけられない)、意味不明でやや感じが悪いというのは完璧に淳子だ。稔が女性に魅力を感じるのはこういうときで、それは恋愛感情では全くないが、好意には違いなく——もっとも、雀なら悪意と呼ぶかもしれなかったが——、今夜、別れ際にうっかりキスなどしてしまわないように気をつけようと、稔は自分で自分を戒めた。
なんともいえずいい。こういう瞬間はなんというか生きている醍醐味の一つのような気がする。たぶん僕はいつかの読書日記、たぶん秋くらいだったと思うけれど、で書いた蔦屋書店の喫煙所で聞いた女の発した「気をつけて」という言葉を思い出していた、かわいくていじましくてそして意味をなさない、すばらしい一言だった、その発語の場面に出くわせて僕は自分の幸運に感謝している。それを思い出していた。
一日、いささか体が疲れているように感じていた。関節が痛い。関節が痛く、すぐに疲れる。なんだろうか、休みの翌日だぞ、ふざけてるのだろうか、俺は、と思っていたのだけど、胸のあたりに漂う寒気を感じて関節の痛みに合点がいった、昨日の猛烈な腹痛も合点がいった、どうやら少し体調を崩しているようだった、それで寒くて、痛いのだった。マジで困るなと思いながら一日を過ごしていた。本当に参ったというところにはいかず違和感を覚える程度で留まっていた。風邪を引いたらいろいろに支障をきたしすぎて困りすぎるし、一日家で布団のなかで臥せっているという過ごし方も、もしかしたらたまにする分には贅沢で面白い愉快な時間かもしれない、とも思ったが風邪は引きたくなかった。寒々とした気分で生きていた。夜は本を読みながらウイスキーをがぶがぶ飲んだ。
##4月14日
朝起きると全快していたので自身の免疫力というのか頑健性、ロバストネス、正しいかどうかわからない、一時期ロバストという言葉が好きだった。『現れる存在』という本を読んだときに学んだ言葉だった。辞書によるとこうだった。「システムや機械がもつ、外乱に対する強さ。また、その性質。外乱に対して安定に挙動したり、何らかの冗長性によって外部からの影響を排したり、影響を最小限に抑えたりする仕組みを指す。ロバストネス。」ロボットがまっすぐ歩いていたら突然わりと岩みたいな石があったときに「でも大丈夫で〜す」みたいなのがロバストネス、きっとそうに違いなかった、まるで自信はなかった。だから煮物を作ったりカレーを作ったりしていたら一日がどんどん過ぎていった。
江國香織を読んでいた、読書好きの金持ちの中年男性とその周囲の人たちのことを描いた小説で、読んでいてとてもいい。すると最近考えていたのとまったく同じことが書かれていて膝をあれした。
正直に言えば、テレビを長時間見る人間は暇で孤独か知性がないかのどちらか(あるいは両方)だと決めつけて、内心軽蔑していた。だから夫が休みの日は終日(平日も毎朝、毎晩)テレビを見ることに、最初はひどく戸惑った。でもいまは、それをある種の優しさだと感じられるようになった。すくなくとも、本ばかり読んでいられるよりはずっとましだ。テレビならば夫がいま何を見ているのかわかるし、一緒に見ることもできる。
「お部屋にあんなお風呂がついてるの?」
と言うこともできるし、
「この人は女優さんなの?それとも昔のアイドル歌手か何か?」
と訊くこともできる。たぶん、'共有'の問題なのだ。テレビを見ている夫を、渚はいまここにいると感じることができるが、本ばかり読んでいた稔のことは、そばにいてもいないようにしか感じられなかった。渚をそこに置き去りにして、いつも一人でべつな場所に行ってしまうようにしか——。
江國香織『なかなか暮れない夏の夕暮れ』(p.105)
そう共有の問題だった。読書という行為のいかがわしさ、排他性、そういうことを最近考えていた。そしてそのいかがわしくて排他的な読書者のために僕は働くのだと、そういうことを考えていた。ただ今晩はそういうわけにはいかなくなった、夕方になって節々の痛みと寒気とが今日もやってきて、そしてずっと強くやってきて、「あ、これは」となったためスタッフのひきちゃんに「ダメ元でお聞きしますが」とお尋ねしてみたところ8時くらいからであれば、とのことだったので助かった、救われた、となって代わってもらうことにした。それでその8時ごろになって、7時前くらいから途端にバタバタし始めた店でバタバタと働いていたところ「もう大丈夫になってきた」となったのだけど、お願いした手前8時手前にやってきてくれたひきちゃんとバトンタッチをした、外で業務連絡がてらかくかくがさあ、しかじかでさあ、とひきちゃんに話して、それはあれですね、お大事にですね、ということだったので今日は大事にさせていただくことにすると言って荷物をまとめて店を出て家に帰って帰っている途中からまた節々の痛みと寒気がやってきたからやっぱり代わってもらってよかったとなった。8時台の金曜日の夜、もう酔っ払った足で帰路につくような人も見受けられた。飲み始めも早ければ解散も早いし飲むペースも速い、そういうことだろうか。
帰宅後に熱を測ると38度あった。代わってもらってよかった。熱いシャワーを浴びると早々に寝た、と現在21時38分、わざわざ持って帰ってきたPCを開いてこれを打っている。シャワーはたしかに浴びたが俺はまだ寝てはいない。俺がいつ寝ることになるのか現時点で知っている人間はいない。