読書日記(24)

2017.03.18
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#3月11日 そんなことでは誰にでもできてしまう、といって困るのはそれで飯を食おうとしているプロだけでそんなことに惑わされる必要はない、RAWなものを、RAWという言葉をこれから使いたい気がしたから毎回「英数」にしてrawこうやって打ってまた「かな」に戻すという作業をするのもどうかと思ってためしに「ろー」でいってみたところ無事に変換されて今後はRAW、こちらでいきたいと思うのだけどRAWなものがいい、手が加えられていない、意図があったとしても遠くまでは及ばない、遠くで消えようとする波紋が重なり合って響き合うようなそういうものがいい、僕らはどこに石を投じるかは選べてもその波紋がどこでぶつかってどんな模様ができてどこで消えるのかまでは決められないそれがいい、そういうことを考えていたときにそんなことだったら誰にでもできてしまうということじゃないか、と著名な男性作家が言ってきて、著名な女性作家とそのとき話していた僕は改まった慇懃な口調で「ご著書はいつも愛読させていただいております」と言ったものだから、著名な女性作家はこらえきれずにその場で大笑いしてしまって怪訝な顔つきをしている著名な男性作家に笑いを残したまま弁明とも媚びへつらいとも呼べそうな言葉と態度を見せた。著名な男性作家は面食らった様子だったが結局のところ著名な女性作家の解放的な楽しげなフェアなつまり気持ちのいい笑顔に気持ちがよくなってしまって、「ところであなたの次の本は、どんなものになりそうなんですか?」と尋ねた。著名な女性作家はそれには答えずに「ごめんなさい、夫が待ってますので」と言ってその場を離れていった。しばらく著名な男性作家と話を続けていた僕は著名な女性作家がいなくなったことで彼の興味がまったく消え失せてしまったことを感じ取り、少しすると夜のあいさつをして会場から出て駅に向かった。
3月とはいえ真冬とそう変わらないような寒さで、2月には「真冬の寒さとはこんなものだったか」と思っていた僕は今度は「3月の寒さとはこんなに厳しいものだったか」と思い、いつだって季節を錯誤し続けて生きていた。南北線のホームは天井までを閉め切る落下防止の措置が僕の知る限り少なくとも10年前くらいからとられていて、安心感はあったがなにか閉塞するような感覚もあった。閉所恐怖症的な症状が出始めて僕は落ち着きなく手元の何も知らせてはこないiPhoneと発着の時刻を知らせる電光掲示板を交互に見ていた。首が疲れていった。着慣れないスーツと首を締めるネクタイが意識にのぼってきた。ホームには人はまばらでそれぞれに静かな顔つきをしていた、それは二人組であっても同じで、閉塞した空間は声を落とさせるのかもしれなかった。ネクタイを外してお尻のポケットにねじ込むと、左のポケットが震えて通知画面に著名な女性作家からのLINEが表示された。その場でLINEの交換と呼ぶのか、IDを教えるであるとかスマホを振り合って何かをするだとかをしてはおらず、電話番号も知らない彼女がなぜ僕にLINEを送れたのか、僕は仕組みに明るくないのかよくわからなかった。本名だけで検索できるものだっただろうか。とにかくその画面には「とにかく全部やってみて」とだけ書いてあった。僕が「全部って?」と聞き返すと「とにかく全部」と彼女は繰り返しただろうか。そのまま画面を暗くするとポケットにおさめ、返信はまだしないことにしておいた。いずれにしろ、その彼女の言葉がなにかの効果をもたらしたのか、今までかかえてきた気持ち悪さ落ち着きのなさがおさまり、奇妙に安心した心地で僕は突っ立っていた。電車がふだんよりも静かな音でホームに滑り込んできて、扉が順繰りに開く。閑散とした車内に乗り込んだ僕は扉のわきに立って向こうの流れていく暗闇と反映する自分の顔を見つめ、とにかく全部、とにかく全部、と胸の位置で言葉を反復させながら目黒まで運ばれていった。
体に疲労がすっかり溜まっている感じがあって、よく寝たはずなのに身体的にしっかりと疲れている。2月は週1.5日休みという感じでこれまでで一番休んでいたところ、3月は3日から13日の11日間の連勤ということをやっていてそのギャップに余計疲れる、というのは嘘で、そんなギャップは関係なく疲れるものは単純に疲れる。11日間のあいだに2回週末が入る2回目の週末の1日目が今日でもちろん疲れる。土曜日14時。12時の開店とほとんど同時に数人の方が来られ、今日も忙しい週末になるだろうか、大歓迎、ぜひそうなって、と思っていたところその数人の方でぴったりと止まってここまでずっと止まっている、扉が開くことはない、今日はどうなるか。土日月と働いたら連休という奇跡のようなものが待っている、だからそこまでは全力で走りきる気持ちは持っている、だから存分に忙しくなってほしい、それにしても疲れた、昨日読んでいた『パリ・レヴュー・インタヴューⅠ 作家はどうやって小説を書くのか,じっくり聞いてみよう!』のカポーティのところが面白かった。
迷信深いところが奇妙な癖って言えるかもね。数字をみると、合計せずにはいられないんだよ。何人か、ぜったい電話しない相手っていうのがいるんだけど、それは電話番号の合計が不吉な数になるからなの。それと、ホテルの部屋もダメ、おなじ理由でさ。黄色いバラがあると耐えられない——好きな花なんで、悲しくなる。ひとつの灰皿に吸い殻が三本あるのもダメ。尼さんが二人乗ってる飛行機には乗れない。金曜日にはなにも始めないし、終わらせない。無限にあるよ。できないこと、したくないことは。でも、こういう原始的な概念に従ってるとね、なんか、奇妙に落ち着くの。
なんともいえずいい。この本の最初がイサク・ディネセンで、僕はこの人は知らないのだけど、次がカポーティ、それからボルヘスと続いている。ディネセンのインタビューもよかった、どこかのレストランでだとか、じゃあ明日またいらっしゃいとか言って中断されて翌日に美術館とか、いくつかの場所で数回に渡っておこなわれたインタビューのその状況までちゃんと拾われている感じが、情報としてのインタビューではない感じがして好ましかった。
ディネセンとカポーティが同じことを言っていて話が自立というか自律して驚く方向に勝手に進んでいくのが楽しいみたいな、そういうことを言っていて、それは僕には昔の人たちもこういうこと言っていたのだなと新鮮で心地よかった、登場人物が勝手に話し出す、動き出す、踊り出す、そういうことを言う人を僕はこれまで保坂和志くらいしか見たことがなかった気がしたのだけど、こういう昔の大家みたいな人が続けて言っていて、言っていたんだなと思った。この感覚は多くの小説家が持っているものなのだろうか、まったく設計図通りに書く人ももちろんいそうだけど、多くの小説家が体験したことはあることなんじゃないのかと思うのだけど、驚くほどにそういうことがあるものだと一般的な理解として理解されていないような気がして、こんなに、昔の人たちもこう言っているのに、と思う。
と、これを打っていたときは何時頃だったろうか。そのあと怒涛の感じというかどこからか歯止めがきかなくなったような感じで動き続ける感じで途中で何かの動作で腰がピキッという音を立てて、それから疲労がとんでもない量になっていった。なんというか、今日の疲れ方は「ここまでいってはいけない」というタイプの疲れ方になってしまって、今はその11連勤だかの最後の山場みたいな週末なのだけど、12時間フルタイムな営業の連勤はほどほどにしないといけないということが身にしみてというか全身で理解されたそういう一日だった。銭湯に行こうと思っている、体を伸ばしてゆっくりと風呂に浸かることで、しかし本当に疲労はいくらか弱まるのだろうか、それはずっと疑問だ、だが銭湯に行こうと思っている、ところで連勤だからのこの疲れなのだろうか、それも疑問に思ったのだった、休みが挟まれていたら、違ったのだろうか、それは思ったのだった、どうなのだろうか、とにかく今日はいけない疲れ方をしたそれだけだった。
##3月12日 銭湯に行ってゆっくりと湯船に浸かるといって銭湯に行ってみたところですぐにのぼせるし飽きるためゆっくりと湯船に浸かることはできないから忙しく生きているが土曜の晩に関しては体が本当に休息というか回復を求めていたのだろういつになくゆっくりと浸かった、最初から全部入ってしまうとすぐにのぼせてしまうのが関の山なので最初は足だけ入り、ぼーっとして、そのあとで満を持す様子でざぶんと浸かる、そういうことをしたらいつもよりも長く浴槽に関わって過ごすことができた。代々木上原にある大黒湯に行ったのは久しぶりでよく行くのは笹塚の栄湯なのだがこの日大黒湯に行ったのは富ヶ谷にある肉のハナマサに行かないといけない喫緊の用事があったからでそれならばと久しぶりの大黒湯に行った。栄湯の快適さに慣れてしまえば大黒湯は作りもいなたいというか「いなたい」の意味をわからず使っているが作りもいなたく、広くもなく、100円でシャンプーボディーソープとともに支給される小さいタオルは薄っぺらで使い勝手はひどく50円でしっかりした厚みのあるタオルをくれる栄湯(シャンプーとボディーソープはそもそも置いてある)とはいろいろと比べられないものがあるけれどもあれはなんというのだろうかビッグバンド?わからないが昭和な感じといっても昭和も60年もあればいろいろな時期があろうけれどもなんとなく昭和という感じというかある時期の日本の映画でよく流されていたような気のする感じのジャズが流れていたり、テレビでどうでもいい通販番組のようなものが流れていたり、敷地の入口から建物の入口まで続く通路の両サイドが洗濯機でベンチがあってそこで吸う煙草がよかったり灰皿には『Playback』のステッカーが貼られていたり煙草を吸っていると首輪をつけた猫がのそのそと通っていったり、エモポイントとしては明らかに大黒湯のほうが高い、だから久しぶりに行った土曜の晩はその久しぶりを堪能してそして夜中の1時ごろで人はまばらでゆっくりと風呂にだから入ることができた。するとどうだ、翌日、腰の痛みがほとんど消えている、土曜日は16時ぐらいからどっと体が疲れて深刻に疲労していたが、土曜よりもずっと忙しい、この現在の状況はどこかおかしい程度に忙しい、そういう確変の起きた日曜日だった日曜は昨日よりも全然疲れない、どんどんワークするよ俺はと思いながら本当にずっとずっと働き通した。それは確変だった、満席状態がずっと続くというか、誰かが出ては新たな人が入りまた満席、のような、「回転」とでも呼べそうな何かがわりとずっと遅い時間まで10時くらいまでずっと続いていた、それはおかしな状況だった、しかし閉店後に調子がいい日の数字は当然知りたくなるのでExcelにデータを打ち込んでいったところ平均のご滞在時間は2:55となりそれは2:30がずっと平均である平均を上回るつまりしっかり多くの方がゆっくりされたそのうえでタイミングの妙により回転らしきものが生まれていた、いいことだった。翌日の、その疲労の軽減のされ方を知り、日曜はだから土曜よりも働いた、今日の疲れを軽くすることそれは賢明なことそう判断した僕は再び大黒湯におもむいたまた1時だった。しかし今度はとてもたくさん人がいて湯船のスペースは限られている、昨日のようにゆっくりできる気が起きないというかいつまで俺は浸かっていていいのだろう、と思い始めたら察し方がわからなくなって昨日よりは短い時間で上がった。銭湯はハイコンテクストな場所だと思うそのコンテクストを僕は理解していないだからこういうとき、どうしていいかわからない。近くで芋を洗いながら固まって入っていた3人か4人の人たちはホットペッパーへの入稿が40万円するだとかFacebookでいいねキャンペーンをしただとかそういう話をしていて美容院の人たちだろうかなんだろうか、どうやってお客さんに知ってもらい足を運んでもらうか、一緒になって考えた。横になってからサエールを開くと2ページで寝た。
##3月13日 手が猛烈に痛い。手のいたるところに切り傷があるような感じで痛い。傷口に塗り込んで固まるみたいなものがあったらいいのにと思うのだけどないのだろうか。絆創膏は効果はあるけれどすぐに外れてしまうし絆創膏をきれいにつけられない箇所が手には多すぎる。とても痛いし今日で連勤が終わりなので全部をやっつけるつもりで生きている。なんとなく、頭がぼーっとしている。朝からぼーっとしていて、少し寒いような気もしていて、これ、まさか風邪のひきはじめの諸症状なんかじゃないよな、と思っている。これで今日風邪を引いたら僕は本当に愚かというかどうしようもない。悲しい。
風邪では、ないよな?あれだよな?昨日寝たの3時半とかだったから寝不足気味なんだよな?それで頭がぽやーっとしてるんだよな?いやまさかあれか、昨日の銭湯のあとベンチで煙草吸ったりしてるあいだに湯冷めしてとかか?それで風邪引いたとかか?いやただの疲れとかだよな?疲れてるのを風邪っぽさみたいなのと誤認識してるだけだよな?等々、焦りながらふわふわと感じている。この胸のあたりの冷たさはなんなのか?腹減ってるだけだよな?なんでもないよな?
夕方に友だちが来ていた。それで帰り際に今自分が風邪気味なのではないかということに怯えているという話をした、そうは見えないからそうじゃないはずだし隣りに薬局があるのだし葛根湯でも飲んでおいたらいいと言われた、それが30分くらい前のことだ、それ以来、体調がとてもよくなった気がしている。俺は寝る前に必ず本を読んだ。
少女は寝る前にかならずシャワーを浴びた。私と言葉を交わすことはなかった。読み書きができなかったので、バカラで大儲けしたある晩、彼女にラジオを買ってやったが、私の知るかぎり、それに手をつけたことは一度もなかった。掃除が終わると台所へ行き、腕組みをしたまま腹をレンジ台にもたせかけ、日が暮れるまで窓の外を眺めている。窓の外を眺めるなら、たとえば表通りに面した私の書斎の窓など、ほかにも眺めのいい場所はあるのに、彼女はなぜか奥の中庭に面した台所の窓のそばに立つのである。そこから見えるものといえば、イチジクの木のわずかばかりの枝と、洗濯場を覆う腐りかけた藁の屋根、そしてとりわけ、イチジクが葉を落とす冬に枝を透かして見える空の断片くらいなものだった。
フアン・ホセ・サエール『傷痕』(p.120)
昨日読んで寝た2ページのなかにあったこの場面がとてもよくて、ものの5分10分の読書のなかでふいに立ち上がって実感されるそういう景色や運動がある、それは小説はすごいものだと私は思った。だからいい眠りに入った。
しかしそれは本当に2ページだったのだろうか、こういうときしばしば人は数字を誇張するから、僕も多分に漏れないで4ページや5ページ読んだのにそれを2ページだと思っているのではないか、そう思った私は今本をぺらぺらとしてみたところ正しくは2ページではなく3ページだったことがわかった。
海軍にいたときも同じだ、戦争中でね——1942年——将官たちがいる真ん前でだぜ、父親はどかどか入ってくるとこうぬかした、「ジャック、おまえは正しいぞ!ドイツはわれらの敵であってはならん。同盟国でなきゃいかん。きっと時が証明してくれる」。将官たちは口をぽかーんとあけたままだったよ。父親はだれからもとやかく言われるのが嫌いだったんだ——太鼓腹でね、こんなにでかくて、ポーン!と叩く。いつだったか、母親と腕を組んで歩いてたときもそうだったな、ニューヨークのローアー・イースト・サイドあたりだよ、昔の話だ、1940年代、向こうからユダヤ人のラビどもがごっそりやってきた、やはり腕を組んで……らんらんらん……そして、そいつらときたら、こっちのキリスト教徒の夫婦に道を譲ろうともしない。そしたら父親はポーン! ラビを溝に叩きつけた。そして母親の手をとるとさっさと立ち去った。
ジャック・ケルアックがしゃべっている。これ目の前でやられたらほんとうんざりするというか『アニー・ホール』のべらべらしゃべり通すプロデューサーの前で凍りついた笑みを浮かべるウディ・アレンの顔を思い出す。ああいう事態になるだろう。なんとなく『オン・ザ・ロード』をまた読みたいというのは坂口恭平を読んでから思ったことでああいうだからべらーっと加速し続けるようなものに触れたいそれにはオンザロードはいいかもしれないと思ってそれで読みたくて「スクロール版」というアレン・ギンズバーグとかが実名で出てくる書いたままの状態みたいなデモヴァージョンみたいなやつがあることそれは以前渋谷の丸善ジュンク堂で見かけて知ったのだけどそれなんかが今の僕の嗜好というかあれにはとてもいいかもしれないと思って、よりRAWなものだろうからそういう点でそれはとても読みたいと思ったのだけどこのインタビューを読んでいたら読み出したときはそれを思い出して読みたい本リストにそのスクロール版の『オン・ザ・ロード』を登録したのだけど読み進めていたらこの饒舌に付き合うということかと思ったら少しばかりというかそれなりに萎えてきたところがある。
ところで『オン・ザ・ロード』というか『路上』、それを見るとというか考えると思い出すのはいつだかのたぶん大学生のときのフジロックの会場というかリストバンド引換所の前の長蛇のスクエアな渦を巻いた長蛇の列とは外れたというかその外の柵に寄りかかって横にリュックとかを置いて座り込んだ若い女が『路上』の文庫本を読んでいるのを見かけたことがあって僕は「wwwwwww」と思ったことがかつてあったそれを思い出す。
いったん書いてしまったものは直さないでおいたほうが、読者には、こっちが書いていたときの心のじっさいの動きが伝わるんだがね——いろんなことについての思いがそのまま変わらないかたちでさらけだされるから……たとえばの話、バーでどっかのだれかがみんなに長々とむちゃくちゃな話をしてるとする、みんな、聞いて笑ってる、そいつが途中で話をやめて話し直しをするのなんて聞いたことあるか?前の文章にもどってそれを直したりとか、リズミックな思考の流れの衝撃をやわらげたりとか?……もしも話を中断して鼻をかむとしたら、それってつぎの文章を考えてるってことじゃないか?そして、つぎの文章を放り出したら、そいつの言いたかったことは結局はそれであり、それでおしまいってことだろ?その文章にたどりつくまで考えていたことからは離れてしまったことで、シェイクスピアが言ってるとおり、その件については「永久に口をつぐむ」しかないんだよ、だって、その件のうえは通過しちゃったんだから、川がひとつの岩のうえを流れていったみたいに、それっきりさ、もうもどれない、川がのこのこ逆方向に流れるか?
##3月14日 せっかくの特急列車の旅なのでおいしいパンとおいしいコーヒーを携えてと思ってニュウマンでサワムラでパンを買ってブルーボトルでコーヒーを買ってそれを持って歩いていたら観光客になった気分で笑った、特急あずさという電車に初めて乗った。いい電車だった。それで諏訪まで向かった途中でビールを飲んだ、2時間とちょっとが所要時間だった。空は予報よりもずっと晴れていてまったく太陽の見られない2日間になるかと思ったが雲のあいだから青空はあったし総じて景色は明るく寒さはまるでないようなそういう三月だった。
午後に今回の旅行の行きたかった場所というかそこに行きたかったから行くことにしたリビルディングセンタージャパンに行って古材を見たり古道具を見たりしてカレーを食べてチャイを飲んでそれからスコーンを食べた。その前に散歩で寄った諏訪湖はスワンボートを巨大化させた形の遊覧船が浮かんでいて近づくにつれてその姿は大きくなっていって想像上の漕ぎ手がそれを漕いでいる様子を考えると不安定な心地になった。土手をぐっとあがると湖が開けて、まず目に入ったのは巨大スワンボートの横にもやいでいた5つほどのスワンボートが波の上でゆっさゆっさと揺られまくっている姿だったため大笑いした。この海みたいな波のある湖をスワンボートで漕ぎ出すのは、非常に勇気のいることなのではないかと思った。上諏訪は、昔の建物がたくさん残っているようで建物を見ているだけでもいくらでも面白がることができた。
暗くなってから下諏訪に電車で移動してマスヤゲストハウスにチェックインすると風呂に入りに行くことにして湯温が他よりもまだ低い42度であるためおすすめされた菅野温泉に行った、浴槽は楕円形で、それがまんなかにあった。なんとなく「ハンマーム」と思った。ハンマームがどうなっているのかは、忘れた。一度たしか行ったことがあったが、忘れた。 湯上がりに外で煙草を吸っていたらまるで寒さがなかったので本を開いてしばらくのあいだ読んでいた。「まだ2003年3月には六本木ヒルズは開業していなかったから、彼らは六本木の駅からだと西麻布方向の、緩い勾配の道沿いにある、スーパーデラックスという名のライブハウスに向かうとき、その左側をただ行くだけでよかった」と書き出されていた。「それに今はもう別れたあとで随分経つし、僕たちはこの先、ヘンな偶然さえなければ、もうけして会うことなしに人生を各自で済ましていく」ともあった。人生を各自で済ましていく、というフレーズがすごいと思った。人生を済ましていく。何杯か酒を飲むと、早い時間に眠りについた。
##3月15日
いつの間にか私たちには、時間という感覚から遠ざかるようなあの感じが訪れていた——時間が私たちのことを、常に先に先に送り出していって、もう少しだけゆっくりしていたいと思っても聞き入れてくれないから、普段の私たちは基本的にはもうそれをすっかりあきらめてるところのもの、それが特別に今だけ許されている気がするときのあの感覚だ——それが体の中に少しずつ、あるいはいつのまにか、やってきていた。私たちは率先して自分たちがそうなるよう、積極的に仕向けて、そして実際そうなっていった。(…)さらにそのデイパック自体も、ベッドから一番遠い壁のところまで持っていき、見たくもないし存在すらしていてほしくないもののようにそこに置き、そうすることで時間を、自分たちの領域の外まで追いやってしまって、自分たちが、時間ってなんだっ? くらいのところまでいきやすくなるようにした。今になって私は、今があれから何日経ったのか、今の日付はいつなのか、そんなこと分からなくなってしまいたい、という気持ちでいた自分のことを、冷静に俯瞰できる。そしてあのときは、そういう気持ちでいることが特別に許されていたのだということが、よく分かる。私たちは窓も時計もない、テレビも見ずに済む、子供の夢のような部屋にいたのだ。セックスして、そのあとまったりする。いつのまにか寝て、どちらが先に寝たのかがどちらにも分からないような幸福な奇跡の中で、私たちは短く眠る。しばらくすると一方が目覚め、遅れてもう一方も目覚めたり、あるいは目覚めさせられたりする。それからまたセックスをする。その繰り返しをたぶん、まるまる二日間ほど私たちは繰り返していたのだ。もちろん時計も太陽もない世界での話だから、あれが二日間だったのか、三日間だったのか、丸一日くらいでしかなかったのか、正確なことなんか分からない。そのときの私たちは、分からなくなることができていたのだ。
分からなくなることの豊かさ。僕たちはなかなかわからなくならせてもらえないで生きている。それはもうそういうものだと思うけれど、分からなくなれたらいいと思うことはある。わからなさではないけれど旅行のあいだ、ほとんどiPhoneを開かなかったから充電はしないで済んだそれは、少し分からなさに近づいたことだったし喜びがあった。それで三月の2日間は「三月の5日間」を読もうと思っていたのでそうしていた。9時半ごろに目を覚ましていくらでも寝ていられると思いながら目を覚ました。もっと階下の、宿泊客たちの活動の始まる音で目が覚めるかと思っていたらずっと静かで、ときおり話し声が聞こえて、なくなる。それも何か一枚の膜を挟んで聞こえてくるような聞こえ方で、それは朝の聞こえ方というよりは平日の午後遅くに布団に入っているときのような聞こえ方だった。本を少しだけ読んでチェックアウトをすると教えてもらったカフェに朝ごはんを食べに行ったらモーニングの時間は10時半で終わっておりコーヒーとマフィンだけいただいて、それから下諏訪の町をよく練り歩いた。それはとてもいい歩きだった。慈雲寺がアホのようによかった。
ところで諏訪の店は、リビルディングセンターのカフェとゲストハウスとそれから朝に行ったエリックズキッチンの3つがどれも水ではなく白湯を出してきて、だから若い人たちのやっている新しい店というか場に白湯の文化がある町のようだったし白湯というのもたしかにとてもいいものだなと飲みながら思った。歩きつづけていたらそれなりに寒くなって足湯に入ったら足だけあたたまってそれから蕎麦を食べたりカフェに入ったりして諏訪の町をこの日世界で一番満喫した。雪が落ちてきたりもしたがすぐにやんだ。夕方のあずさに乗った。
この関係を五日間だけの限定みたいにしよう、という話をしたのがどっちからだったのか、分からなかった。男の方が——でも別に俺と、これからもそしていつまでも、みたいになろうとか、思わないでしょ? ——と女に言った。男は——や、ほんと率直に、うん、って言っていいからさ、だってお互い様なんだし、言おうよ——と言った。うん、うん、と女は言った。涙の出ない偽の涙腺がぱかっと開いたようなすがすがしさがした。一度、二人のそのときのうんという声が、もちろん単なる偶然だったのだが、完全にぴったり重なりあったときがあって、それは奇跡の一種に思えた。あまりにぴったりと合わさりすぎたので、二人ともそれについて冗談めかして言及したりもできなかった。だからそれについては何事もなかったようにやり過ごされていった。それから男はまた話しはじめた——別にね、今の俺らのこういう関係が、ここから先たとえば、いつまでも系にはならないわけじゃない?でも、俺思うんだけどさ、いつまでも系の方が関係としてランクが上だとか、ランクが上だったら二人はいつまでも系になって、そうじゃないからこの関係はならなかったとか、なれなかったとか、そういうことじゃ絶対にないじゃない。分かるでしょ? ——女は分かるよと言った——うん、でもそれってすごいラッキーっていうか、この五日間一緒に過ごした相手がたまたまそういうことが分かる人だったっていうのはね、スペシャルなことなんだよなあって思うんだよね。そういうことみんなが分かるわけじゃ別にないからさ、ほんと、超スペシャルなことだと思うんだよ。
「三月の5日間」は僕にとっては致命的なというか現代のなんというかフィクションというか表現というか表現という言葉はいつだってしっくり使えないけれども作品でいいのかな現代の作品でもっとも重要なものであり続けている気がしていてそれは久しぶりに読んでいてもやっぱりそうだった。他者とわかりあうこと。うなずきあうこと。合意を形成すること。合意が形成されたことを認識し合うこと。そのプレシャスなスペシャルな瞬間の偽の涙腺がぱっかり開いたようなすがすがしさ、そんな瞬間があれば僕はわりと生きていかれるようなそんな気が、この作品をスーパーデラックスで初めて見たあれはいつだったのだろうか2006年くらいだろうか2007年くらいだろうかそれ以来ずっと、何度も劇場で見、DVDで見、小説を読み、戯曲を読み、戯曲は読んでなかったっけか、とにかくこの作品に触れてからずっとそんな気が、していたししているというかこの作品以上にすがすがしいうれしい生きることを肯定されるようなものがどこにあるのかわからない。
あずさが新宿に着こうとするころには外はとっくに暗くなっていて、電車は少しずつ速度を落としていった。旅行の時間が終わろうとしていた。
私はいつもと変わらないはずの渋谷を、まるで旅先の街を歩くときのようにして歩いた。そのことを私はもちろん不思議に思った。でも実はこのとき私は不思議に思うことでそのモードが消えてしまったりもとに戻ったりするのではないかと、少し心配していた。だから不思議に思っていることに、必要以上に自分で気づかないように、していた。だけどしばらくそうしているうちに、この感じは意識すると簡単に消えちゃうとか、そういう脆いものではどうやらなさそうだ、ということが分かってきて、それからはもう、そのことにそんなにナーバスじゃなくなっていった。私はこの五日間を、最後までこのモードの中で過ごすことができた。とてもラッキーだった。たぶん私の人生でこれだけラッキーなことは、もうない。
帰りの電車で諏訪のおせんべい屋さんで買ったおせんべいとビールでお腹がそれなりに埋まっていたためインド料理屋さんでサイドメニューとビールで軽い夕飯にして帰宅するとビールを飲みながらソンタグの日記を開いて少し読んでいたら11時にもならないうちに眠っていた。
##3月16日 旅行のことを書いたり旅行のことを思い出したりしながら生きている。小さい時分の誕生日パーティーであるとか大学生の時分であるとかに部屋に人が集まってきて鍋を食べたりしてというのが終わって人々が帰っていって取り残されたときのような、ぽっかりとさみしいような妙なノスタルジックな気持ちになっていて、もっと今日の営業が忙しかったらよかった。昨日のこの時間は諏訪にいてなにをしていた、そういうことを考えていた、なにも悲しくなんかないのだけど、なんだかぽっかりと切ないような感情が胸に宿っている。
諏訪ではいくつかの店であるとかに行ってそこで感じた時間というのはやはりどこか東京で感じるそれとは異なった感触があって、店の数だけ感触なんてあるだろうから諏訪で感じる必然性というか感じる場所が東京でない必然性はもしかしたらないのかもしれないけれど諏訪で感じた店々の雰囲気はなんというか昨今の僕にとってはとても新鮮だった。場と場の関係性というか場の人と場の人の関係性が近いというか敷居が低いというか距離感が近いというか、単純に友だちということではあるのだろうけれど、なんだかいろいろ有機的な感じがして面白い感じがあった。今の僕はたぶんその近さはしんどいだろうなとは思うけれど、見ている分にはとてもよかった。総じてやはり知らない土地の知らない店を知るのは楽しいというかずいぶんお利口なことを思うものだと思うけれどなんらかの刺激になるものだと感じた。絵に描いたようなお利口な発言で打っていて笑った。刺激。SI・GE・KI。がほしくてたまらんのか。
度し難く暇な一日で夜になってから本を読むことにしてケルアックのインタビューの続きを開いたらケルアックがべらべらべらべらまくし立てていた。インタビューに同席していたアラム・サローヤンに詩を復唱させていた。なにかいいことも言っていた気もした。店が終わったら『傷痕』を開いた。バカラのことが「加えて、先在性の無秩序、共存性の無秩序、未来の無秩序がある。これら三つは、顕在的あるいは潜在的な状態のなかで、共存の関係におかれている。先在性の無秩序は、シューに収められたカードの配列と共存の関係にあり、やはり共存の関係にあるところの、シューの横に表を上にして積み重ねられたカードの山が意味する共存性の無秩序とともに、ふたたび具体化する」という調子で10ページ以上続く場面というかページをやっと抜けて人々が動き出したのでがぜん読む気が湧いて夜中の公民館の照明のあまり届かない薄暗い座りづらいベンチに腰掛けて一服しているあいだも開いていた。
##3月17日 考えなければいけないことがあったような気がしたが今週は、重度の労働と二日間の離脱があったのでまた来週から本気を出して考えたらいいと思っている、それは夏休みの宿題のように少し未来から僕を常に脅しつけている、あるいは発破をかけている。未来。したがってそれぞれの勝負はある種の架け橋複数の過去と未来が交差する十字路でありその中心点においてはすべての現在が凝縮しているつまり一時的かつ束の間の状態におかれたゲーム自体の現在と前の勝負で使われたカードの山が意味する過去によって形づくられる現在最初の状態のシューが意味する過去によって形づくられる現在がありさらに客観的に見た場合シューはすでにできあがった過去であると同時にすでにできあがった未来でもあり変更可能な過去であるとともに変更可能な未来でもあるという理由からシューが意味する未来によって形づくられる現在がある。すでにできあがった未来。遡行的に組み替えられた過去。「三月の5日間」は小説も好きだけど小説だと描かれない場面があってファミレスでの報告会であるとかミッフィーちゃんの宇宙船の部屋だとかデモ行進だとか、そうだし、と思って僕は考えてみたら戯曲は読んだことないかもしれないと思ってしかし読んだことがある気しかしないので本棚を見てみたらたしかになかったのできっと読んだことがない、そのためポチった。それはともかくとしてDVDでまた見るか、また見たい、あの壁にもたれた男の、内ももをさすりながらの、すばらしい発語の瞬間を。
『パリ・レヴュー・インタヴュー』を読んでいる夕方。ジョン・チーヴァーの回で、いみじくもチーヴァー自身「自分の作品が将来も読まれるなんて思ってない。だから、そんな心配事はない。明日にも忘れられるかもしれないけど、べつに気にしちゃいないよ、ぜんぜん」と言っている通り日本では古本が出回っているだけで新刊では何も売られていないし僕もまったく知らないのだがきっと高名な方なんだろうなと思いながらお話をうかがった。ドス・パソス、『マンハッタン乗換駅』をいつか読み通したい。と書いたらそういえばと思いだしたのでひと月前くらいに買った『ユリイカ』をやっと開いた。「アメリカ文化を読む」という特集のやつで飲んでいるときに面白いと教わってその場でポチってずっと開封すらされていないまま置いていたそれをやっと開いた。それで面白かったと教わった池田純一の文章を読んだところ面白かったしスティーヴン・キングを読みたくなってまたインタヴューに戻って今度はポール・ボウルズがタンジールでしゃべっている。僕はこの人も知らない。その次がレイモンド・カーヴァーだった。アル中になったり何かと苦労してきた人だったのか、と知った、話に全然『ロング・グッドバイ』だとかのフィリップ・マーロウな作品が出てこなくて『大聖堂』だとか『愛について語るときに我々の語ること』だとか読んだことはないけれどなんだか静かなタイトルだけどキャリアの最初の方はそういう感じだったというかハードなボイルドは実はとても後期だったのかもしれない、と思ったらそれはレイモンド・チャンドラーだった。
夜になるにつれて悄然としていった一日だった。なんとなく悲しいやりきれないような思いを感じながらポテチを食って金麦を飲んでサエールを読んでそれで人生を済ましていった。毎日のように思っていることだけれども仲間以外に回す愛は持ち合わせていないし人はつねに愛するものについて語りそこなう。