読書日記(15)

2017.01.13
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#1月7日 『戦地の図書館 - 海を越えた一億四千万冊』は原題が「When Books Went to War: The Stories That Helped Us Win World War II」で、なんか副題からなんかやばい香りがする。なんなんだろうかな、たぶん「us」が気になるのだろうけど。私たち。寝際に読むだけなので進まないし、なんだか興にも乗らないような感じで読んでしまっている。ノンフィクション、に対して、スリリングな展開みたいなものを求め過ぎなのだろうか、スリリングでエキサイティングなそんなリーディングをしたい、その感覚でいるとこの本は調べたことをまとめましたので発表しますという感じがなんだかして、淡々としている。ドイツは本を燃やした、一方アメリカは兵士のために本を戦場に送った。その経緯と兵士たちの喜びの声。をお聞きください。といったあんばいの。
##1月8日 開店時間を12時にして2日目だが過ごし方がいまいちわからないでぼーっとexcelを触ったりしながら座っている。肌寒い。今日は寒い。
つまり、これはこれまでの営業時間でも同じことは言えるはずだけど、でも長くなった
と書いて途中でやめて、書かれるはずだったことを実行に移すために本を開くことにして、2ページくらい読んだ、そのあとは読まなかった。読んだところには「かくして誕生したのが兵隊文庫である」みたいな記述があり、ちょっと展開めいていて「お」となった。楽しくなるといい。
書かれようとしたのは「これはこれまでの営業時間でも同じことは言えるはずだけど、でも長くなったことは違う態度を要請することもまたたしかで、つまり、」いやうまくつながらないな。なんだったろうな。「つまり、今まで以上に営業中にオフの状態を自分の中で作ることが肝になるように思う」みたいなことだったと思う。つまり、暇な時に、仕事中なのを忘れるくらいに電源を切れるか、みたいなところで、一瞬で再度つけられることは前提だけど、そしてそれはできるはずなのだけど、暇な、ぽっかり空いたときに、これまで非営業時間に振る舞っていた振る舞い方、といっても煙草を吸うとか奇声を挙げるとかはできないけれど、非営業時間に振る舞っていた振る舞い方というか、モードで、本を読むなり、をできれば、この長時間営業は乗りこなせるんじゃないか、と思った。営業中に、他のお客さんと同じような感覚になって、読書に耽る、あるいは何か他に、ブログを書くでもいいけれど、そういうことにオフのモードで耽る、そういうことができるようになれば、案外簡単なものじゃないか、緊張感を持たない時間を作る、お客さん来て驚くくらいに電源を落とす、そういうことが今、求められているのかもしれない、と書いたらろくでもないだろうか。
ともあれ夕方からとても雨が降って、とてもゆっくり過ごしていた、ブログも一つ書いた、その実、お客さんの数は昨日とそんなに変わらなかった。昨日はめいっぱいという感じでひーこらやっていたが今日は余力がずいぶんある。と思って見てみたらオーダーの数が全然違った。そりゃ疲れ方違うわ、というものだった。
##1月9日 調子がいいとそれがどれだけ調子がよかったのか知りたくなってすぐに伝票をexcelに入力したくなる、ので3連休の初日から毎晩リアルタイムな感じで数字を打ち込んで、確認している。
連休最終日は怒涛のように忙しい日になった。途中までは2016年の振り返りブログみたいなやつを書きながらやっていたけれど途中からそういった余裕は一つもなくなって、途切れることのない忙しさが長い時間持続した。なんというか、週末の昼からの営業、これまでやってこなかったことが長らく間違っていたんじゃないか、という気になる。長い時間を開けていると長い時間を過ごされる方の数が増える感じがして、それはなんか、とてもいいものだった。なんというか、「今日は一日休日をフヅクエにベットしてこもりきるぞ」みたいな、なんでベットって言いたかったのかよくわからないながらも、そういうのは、店をやっている身からしたらとてもなんというかほまれなことなんじゃないかと思う。貴重な休日を預けてもらえるみたいな。そんなふうにしたい店ってあるか?と自分自身のことで考えると、めったにないから、だからやはりそれはすごくほまれなことだと思う。
疲れきった。労働の疲労を味わいながら最初に飲む酒はやっぱりビールなんだなと思いながらビールを閉店してすぐに飲んだらそれでちょっとクラクラするようだった。『戦地の図書館』を少し読んだ。ノルマンディー上陸作戦のことが書かれていて、なんというか、やっぱり死に接した状態で生きることが全然想像がつかない。死ぬ確率のめちゃくちゃ高い作戦に参加するとか、僕にはまったく想像がつかない。だって死んだら終わりじゃないか。というのは、自分しかない人間の考え方だろうか。でも、やっぱり想像がつかない。国のためとか世界の秩序のためとか思えてしまうのか、わからないし、愛する家族のため、とかもいくつも越えなければいけない考えの段階がある気がするからわからないし、あるいは一緒に戦う仲間たちのため、みたいになるのだろうか。もしかしたらそれが一番理解しやすいというか、その思考の状態は想像しやすいかもしれない。とにかく死にたくはない。でも生きながら死ぬのが本当の死体だとしたら、それでもやっぱりとりあえずは死にたくない。生きながら死んでいたとしても生きながら死んでいることはもう一度生きられる可能性があるけれど、死にながら死んでしまったらもう一度生きられる可能性がないから、やっぱり死にたくはない。ノルマンディー上陸作戦のときにルーズベルト大統領が発表した祈祷かなにかの文章が引用されていて、そういうものが発表されていたことを初めて知った。「私たちの子ら」と大統領は言っている。なんというか、戦争というのはずいぶん国家的エモだったんだなと思った。でも、それにしたって戦地ですぐ目の前に死がある兵士たちと、そうではない人たちとでは、引き受けるリスクが違いすぎて、なんというか、そんな言うんだったら全員前線にいけよ、みたいに思うというか思わないけれど、死のただなかにある人たちを前に何が言えるだろう、と思った。また同じことに戻った。死ぬ可能性のある場所にいないといけない意味がまるでわからない。死にたくない。生きながら死にたくもない。眠い。疲れた。
##1月10日 昼の労働をしながらずっと昼からフヅクエをやることについて考えている。
今週はただの疲労日記になっているけれど、朝も起きるのに苦労して、体の疲れが露骨に残っていた。夕方に1時間昼寝しようと昼寝したらあと30分、だいたいの仕込みはどうせ暇なんだから営業始まってからでいいや、となって寝た。泥のように寝た。は言い過ぎ。夜はおだやかに過ぎた。お客さんが来てくれてうれしかったというのとお客さんが来てくれたから仕込みをちゃんとやれた感じがする。お客さんが来ることでちゃんとスイッチが入る感じがあった。
夜、首都高の下を自転車で走りながら、夜中は本当にいいなと久しぶりに思った。店を作っている時期に真夜中に大宮から初台まで、やらないといけないことをしに行った日があって、その夜中のドライブがすごく気分がよかった。それをとても久しぶりに思い出した。ラジオを聞きながら走った、それがとてもよかった。
ずっと数字とにらめっこしているが、大きな指針がなければ何の参考にもならないというか、意味がない。どんなふうに生きたいのか、暮らしたいのか、それがなければ何にもならない。それが全然わからない。
##1月11日 銃後の国民。
その、前線と銃後の対になった言葉に嘘を感じてしまうというか、あまりに死に接している前者とあまりに死に接していない後者を一緒くたの言葉で語ることを許しているこの対の二つの言葉というのに嘘を感じるというか、死にたくはない。「1945年、ヨーロッパにおいて、アメリカ軍兵士は死をものともせず、勝利に向かって前進した」死をものともせず、前進する。死んでももう一度チャンスがありそうな感じがして薄ら寒い。一人ひとりが死んでいることが死をものともせず前進する、それも勝利に向かって、などと言ってしまうと、一人ひとりが死んでいることが、ぽっかりなくなってしまっているように思えて怖い。死をものともせずに死んだ一人ひとりは二度とまた前進することはなかった。死にたくはない。
死にたくはない私は最初に製菓の材料を買いに行って、そうすると思った以上に材料を買ってしまってリュックがいきなりすごく重くなって失敗したと思った、それから伊勢丹に行ってすごい香りにむせ返りそうになりながらハンドウォッシュを買った。そのフロアに男性の姿は、あったか。どの人またどの人も女性だったように見えたそこで私はハンドウォッシュを買って紀伊國屋書店に入るとほとんど時間を掛けずに保坂和志の『試行錯誤に漂う』と角田光代の『坂の途中の家』を買ってそれもリュックに入れてそれから信濃屋に行って京都のジンを買って、リュックの重みで肩が最初から疲れていた。 それは休日だった、勝利に向かって前進するために、晴れた寒空の下をたくさん自転車を漕いで、どこかに行くことが求められていた、それで、なんの欲求だったのか、野方のコーヒースタンドに行くことがとてもしたいことになった、自転車を漕いで漕いで、そうすると野方のコーヒースタンドに着いた。それは友だちのやっている店だった、Daily Coffee Standと言った。ずっと自転車を漕いでいたら暑いためアイスのアメリカーノを頼んだ、外の席で煙草を吸った。それから中に入った、寒くなったのでホットのカフェラテを頼んだ、それを飲んだ。それを飲むと、戻らないといけない時間になったので出て自転車にまたがって、広い道路が好きだった、住宅街を抜けるような道も好きだった、道と名のつくものはどれも好きだったのかもしれない、死をものともしないことはせずに交通事故にあわないように気をつけながら走行した、空が暮れていった、あいまいな明るさと暗さが赤と紺で混じり合っていた。
店に戻ってすべての荷物をおろし、スタッフのひきちゃんと新年のあいさつを交わし、指示を出し、今度は三軒茶屋に向かった、当初そうしようと思っていた松見坂のところで淡島通りに入る行き方はその瞬間にそれじゃない気がしたので回避され、246を通ることにした、それも左側ではなく右側の歩道を選んだ、誰も死なせないために、時速10km以下でタラタラと進んでみることが選ばれた、左右が間違って逆転した世界。フアルシュ。太平洋の島々は娯楽に乏しく士気を保つのは容易ではなかった。
ガダルカナル島は1944年の時点で、連合国軍が上陸した1942年とくらべて大きく様変わりしていた。軍は、かつて戦場だった場所で野菜を栽培し、アイスクリーム製造所で、毎日200クォートのアイスクリームを作った。何百もの楽器を揃え、150の野外映画場(スクリーンを設置し、座席の代わりに、椰子の木の丸太や石油用ドラム缶を並べた)でC級映画を上映した。競技場も作り、ボクシングをはじめとする様々なスポーツの試合を行った。マリアナ諸島では劇場を建設し、バレーボールとバスケットボールのコート、ボクシングのリングを設けた。
モリー・グプティル・マニング 『 戦地の図書館 - 海を越えた一億四千万冊 』(p.210)
ムーンファクトリーコーヒーは僕はとても好きな店でいつ行ってもとてもかっこいいと思ったためそこに行ったところ『戦地の図書館』と、それから保坂和志を取って一つだけ読んだ。あんまりよくて、すべてのページに折り目がつきそうだった。これを一つずつ朝に読むことを習慣にしたら、一日が、それはヘミングウェイのエッセイを読んで豊かな心地になったのとは違う豊かな心地に彩られるような気がし、そうすることにした。カフェオレを飲みチーズケーキを食べ、それから浅煎りだったか中煎りだったかのコーヒーを飲んだ、その場所はあいかわらずとてもかっこいい店で、夜の寝る前に『戦地の図書館』を読んだら終わったために角田光代を開いた。
角田光代は数冊しか読んだことがないながらもどれを読んだときも凄いと思いながら読んだ作家だったが、この小説もどんどん凄そうだった。子供の虐待死を扱った小説っぽいということはたぶん表紙とかでうっすら知ってしまっているなかで読み始めたそれは母親と子供のおだやかでにぎやかな日々の描写から始まって、それだけですごく怖かった、この母親が子供を虐待するようになるのか、と思ったら本当に恐ろしくて、目を背けたくなるようだった、が、ある日母親に裁判員裁判に参加するよう通達が来て、それで少し安心した、殺す母親は彼女ではないのだ、ということがそれで知れたため得た安心だった。それでもなにかぞっとするような怖さが背中に張りついて、本と目を閉じて寝ようとしながらも、なんだかとても怖い映画を見たあとのような怖さを感じていた、これは僕はもしかしたら読めないかもしれないと思った、怖いのが苦手だからで、夜に読むのはやめようか、昼だけ読んで読むことにしようか、そうしたら大丈夫だろうか、そう思いながら寝た。
##1月12日 昨日はおそらく40kmくらい走った。そうしたら体が疲れていた。体が疲れていたからではないが、昼飯をバカ食いしたら眠くなったので買い出しの前に昼寝をすることにしたらとても寝て、さらに寝た。夜、平日の営業時間を変えようかなの日記を書いていたら、妙にうまく書けなくて何度も書き直した。それで時間を取られた。寝る前に角田光代を開こうとしたが、やっぱり怖くなるような気がなんだかしたため保坂和志を開くことにした。バチバチに面白くて、よかった。
中井久夫が『世に棲む患者』の中で、統合失調症で本当に苦しいのは幻聴以前の雑音が頭の中で鳴りつづけている段階で、幻聴・幻覚という形をはっきり取るようになると患者はむしろ安心すると、繰り返し書いている。中学高校の頃の方向づけられていない騒音状態とか試行錯誤の中に作品が漂うというのとは似ているような似ていないような考えだが、何かを何かが似ていると思うとそこに真理があるように感じる心性、あるいは物理法則や宇宙の法則がシンプルな数式で表しうると期待する信念、私もまたそれについ寄りかかりそうになるが、小説を書くこと、何かを作ることは、むしろそういう統一をほどいていくことなのではないか。問題は強い共鳴ではなく、ごく弱い遠い響き合いだ。
保坂和志 『 試行錯誤に漂う 』(p.24)
朝に読むつもりだった保坂和志が夜にまわり、角田光代は朝に回る、しかしその朝は。
##1月13日 しかしその朝は、ブログを更新したりメールを打ったりに費やされた。二日目の筋肉痛みたいなものが肩に残っている。全身がぼんやりと痛んでいる。コーヒーを飲んでいる。ビヨンセを聞いている。煙草を吸っている。
平日の営業時間を変えようかなの日記を書いたところ露骨に昼労働に対するやる気が失われ、わりと早い時間に閉めて夜の仕込み等を早めからやることにして、時間があると判断されたため角田光代を読んでいた。読んでいたところ、夜に読んでも特に問題はない気はしてきた。なので夜も読む。どう考えても面白い。
角田光代は読んでいていつも怖い。なんというか甘えがないという感じがする。よくわからないけれど、まったく甘くないという感じがする。 子育ての八方塞がりの状況を読みながら、息苦しくなるような気分になる。なって、植本一子の『かなわない』に続いて、なんで立て続けに子育ての大変さみたいなものが描かれるものを読んでいるのだろうと思ったときに、どちらもそういうのが書かれているというのを知って手に取ったわけではないから後付けでしかないけれど、先月姉に子供が生まれたことと関係しているのではないか、と思った。どうも、姪っ子にあたるその存在に対する興味が湧かないというか、存在に対する興味ではなく、その存在に会いに行きたいという気分が特に湧かない。小さいときは今だけなんだから、と親もうながしてくるが、いずれどこかで会うわけだしとても小さいときを見ておく必然性を感じない。姉が産んで、子が生まれて、それで十分なことなのではないか。十分に素晴らしいことで、それは僕が見ようが見まいが十分に素晴らしいことのままこの世界を彩っているのではないか、そう思う。それで特に会いに行かない。これは薄情さなのだろうか。わからないのだけど、こうやって子育て大変の本を続けて読んでいる、それが僕なりの姉の出産、姪っ子の生誕、への祝福の行為なのではないか、などとふと思った。が、どうか。
金曜日、やたらに忙しかった。どうしたんだろうと思って初めて来られた方に帰り際に「何で店を知って」とお尋ねしたところ何かのwebでいつだかにという答えが続けてあって、それで少し安心した。取材を受けた雑誌が昨日届いたところで、発売日を見ていなかったのだけど、それが発売されているとしてそれの影響なのかなと思ったがそうじゃない返答が続いたので安心した、安心したというか、雑誌を見て来ましたよりもwebでいつだかに見てというほうが、なんというか地道な感じがしてうれしかった。全員が雑誌を見てだったら完全に一過性ということになるけれど、webで何かでいつだかに見て、であればそれはなんとなくじわじわな感じがして、前を向ける。それにしてもいそがしかった。閉店までのあいだ椅子に座っている時間が一度もなかったのではないか。いったいどうしたのか。確変が起きたのか。平日でこれだけお客さんが来ることは珍しいというか、これまでで一番平日でお客さんの数が多かった日なのではないかと思った。が、どうか。
夜もビヨンセを聞いている。いつ聞いてもパワフルに歌っている。