週末の営業時間の変更のお知らせ

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2017年1月より、これまで16時だった土日祝日のオープン時間を12時に変更します。閉店は変わらず24時です。
新しい営業時間は下記です。
平日18:0024:00
土日祝12:00
24:00
なおこれは「試行」というていで、6月末を一つのめどにこの営業時間が適切なのか再度検討するつもりで、「ひとまず半年はこれでやってみるぞ」というところなのですが、場合によってはすぐに音を上げて「すいません、12時はやっぱちょっときつかったんで13時にします…」とか言い出す可能性は十分に考えられます。ブログでもお伝えはしますが、そのときどきの正しい営業時間はページ下部に記載されている数字です。
というわけで、先日「週末の営業時間を変えようかな日記」という記事で書いたとおりの変更をすることにした。書いた時点でそれは決まっていたというか、何にせよ試してみないことにはわからないので、試しにと思ったら試してみる以外に試す方法はないから試す以外に選択肢はないわけだった。そういうわけで試しに変更です。12時24時ってなげーなしかし。大丈夫かなほんと。年明けいきなり3連休あるんだよな。戦々恐々。起きられるかな。まあとにかく、試してみないとわからないので。試してみるという、そういうことで。
ところで先の記事を書いたわりと直後に父親が店にやってきたときに、「変えるかもしれないんだってな。母さんが「私は最初からそっちの方がいいと思ってたのよ」って言ってたぞ。「隆にそう伝えといて」って」と言っていて僕は笑ってしまった。
理由は二つあって一つが週末の営業時間変更のことを思いついたときにちらっと「しかしどうかな」と考えたのが両親のことだったからで、彼らはときおり一人でなり二人でなり、土日の開店前の15時とかに茶をしばくなりウイスキーを飲むなりしながら話をしに来るということがあるからで、だから「なんか12時に変更したらそういう過ごし方はできなくなるからちょっと残念がるかな」みたいなそういう考えがちょっと頭をかすめたのだけど、その当人が「最初からそっちの方がいいと思ってたのよ」と言い放つというのが、「余計な思慮だったw」と思った。
と、書いていてはたと思ったのだけど、僕が至った「余計な思慮だったw」に至らせることこそが母の発言の意図だったとしたら!という説だ。なんとまあ、思慮に思慮をかぶせた実に思慮深い家族であることよ!ということになる。いったい何を書いているのか。
まいいや。で笑った理由のもう一つがその言いっぷりがそのいくらか前に読んでいたこれ
「スタジオに行ってくる」

ジョイスはすでに読書を再開していた。ジョイスは顔を上げた。
「なにか言った?」
「スタジオに行ってくる」
「もし神が絶対的な知の持ち主なら、ある種の魂が永遠に地獄の責め苦を受けることもご存知のはずよね。神は絶対的な善であるのに、どうしてそうした魂を創造するのかしら?」
「知らないね」
「ところがわたしは知ってるのよ」 ジョン・ファンテ『満ちみてる生』(p.113,114)
ここを思い出させて、とても愉快で好きなシーンだったのでそれで愉快だったからだ。
まあしかしなんというかこう、書いたあとにお客さんと話したりしていても早くなるのはうれしいですねみたいなリアクションはあって、書いた時点では僕は「昼にフヅクエ→夕方に映画→夜は飲み飲みみたいなコース取りしたい人もいますよね休日ってきっと」みたいな、自分だったらみたいな考え方しかしていなかったのだけど、会社員時代を思い出すと休日って「昼にどっか喫茶店とかでゆっくり本読んで、早めに家帰ってゆっくり飯作って食って、DVDでも見つつ本でも読みつつまあ翌日に備えつつ」という過ごし方をしていたよなと思い出して、だから休日の昼っていうのは普通になんかこう、ありなのかもしれないなという気になっていった。完全に忘れていた。今の僕の感覚だと「翌日に備えて早めに」ということはまったく頭にないというか、そんなことをやっていたら休日なんて一つも何もできなくなってしまうので何にも備えないぞというスタンスで生きているのだけど、備えていたなそういえば、というのを思い出した。
まあそういうわけで2017年より休日、明るいフヅクエ始まります、という話でした。 photo : sachiko saito