読書日記(5)

2016.11.05
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#10月29日
テイラー・スウィフトを大きな音で流してガチアガリながら仕込み活動をおこなった。調子外れの大声で歌い、ふいに感動して目を潤ませ、何かつぶやいたり一人芝居をしたりして続けてゲラゲラと笑って、ふいに何かに掴まれて切なくなってまた泣きそうになったりしながら、仕込みをしていた。
陽岱鋼、宮西、石井、大野
レアードは年下
編集者の方が見本を届けてくださった『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』を取った。一般流通する書籍に原稿を書かせていただくという初めての経験をして、実際にできあがった本を見て思うのはうれしいとかそういう感情よりは「わ、本だ」というものだった。それで開いた。森岡書店の方のやつが凄い、とお聞きしたのでそれを読んだ。「凄っwww」となった。
誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』。ビールとポテチとともに。
この本は猛烈に面白いというか、猛烈に面白い。ドイツのmp3開発者たち、海賊版の大元になるっぽいアメリカのどこか田舎町の工場労働者、ワーナーとかの音楽レーベルとかのトップとかのエグゼクティブみたいな人、の話がとりあえず3章か4章までで出てきて、たぶん交互に繰り返されていく。映画化されそう。
#10月30日
「コミットしてプッシュしてプルリクエストをする」と彼は言った。
webをお願いしている友だちに昼から店に来てもらって僕のパソコンである程度なにかをできるような状態にしてもらった。itermというあれでdockerがどうこうでgit hubがうんぬんという話だった。ぼくのぱそこんのなかにぱそこんができた。
それで「とりあえずこの一冊を読んでおこう」ということだったので『Ruby on Rails 4 アプリケーションプログラミング』をポチったので明日届いた。
./docker/bin/compose stop
#10月31日
cd workspace/fuzkue
./docker/bin/server
git status まずいことになった git add . git commit -m 'じつにまずいことになった' git push origin ひじょうにまずい
ひじょうにまずいことになっている
#11月1日
ひじょうにまずいことになりつづけている
どくしょかいだった どくしょかいはやっぱりすごくおもしろかったしほさかかずしもやっぱりすごくおもしろい きーすりちゃーずはすごいまでの3つをよめたのだけどいちばんたのしみにしていたきーすryたーずはうsぎなうのhrがjなkんあぎおあhなうった
#11月2日
ねてもさめても
11あつ3にt
#11月4日
少し落ち着いただろうか。いやまだだ。でもそろそろ落ち着ける気がする。早く落ち着きたい。でも少し落ち着いた気がした。昼のあと、コーヒー豆を取りに三軒茶屋におもむいた。三軒茶屋で好きなコーヒー屋で本でも開いてゆっくり過ごそうかと思った。今日豆を取りにいかなければならなくなることはわかっていたので仕込みが発生しないように調整したので仕込みがなかったのでそういう時間を取ることができた。でもそうしなかった。結局そうしなかった。そこでのんきに本を読んでいられる気がしなかった。頭の中は全部持っていかれている。だからあきらめて本をリュックに入れることはしなかった。松濤のあたりで知らない道を入った。すると東大前のほうに出て目当ての淡島通りに出た。知らない道をゆくことは楽しかった。自転車は気持ちよかった。コーヒー豆をピックアップして下北沢を経由して帰ることにした。行きも帰りも大きな道路を回避した格好だった。それでひと息を入れたらどうだろうという気持ちになったのでベアポンドエスプレッソに寄って外のベンチの席でダブルショットのラテを飲んだ。B.Pという飲み物だった。これはまさに今飲むべき飲み物だと思いながら飲んだ。坂をくだりながら「豚肉 is いい、牛肉 is also いい」というフレーズを繰り返し発した。「is」のところで眉間と鼻頭を寄せるような力の入れ方をしていたら、舞台でエモーショナルに歌うバンドだか女性シンガーだかが歌っている歌いっぷりがエモーショナルな、そんな光景を見たいと思った。エモーショナルなものに触れたいと思った。そんな映画を見たいと思って、ぼろぼろと泣きたい、と思った。スーパーに着いた。
今週は、というか日曜日からか。非常にまずいことになり続けている一週間というか6日間になった。読書は寝る前に『誰が音楽をタダにした?』を1章ずつくらい読んだのと『夢の本屋ガイド』から2編読んだのと読書会の時間に『地鳴き、小鳥みたいな』の短編3つを読んだの、がすべてだったろうか。あとは『Ruby on Rails 4 アプリケーションプログラミング』、これは開いてみたけれど、予期した通りだけれど、もうまったく何がなんだかわからない。友人はこれを僕に読ませて何を理解させたかったのか、どうなってほしかったのか、と思って閉じた。それがすべてだった。こんな週はこれっきりにしたい。