【紅玉のジャム】
ジャム作る〜〜〜〜〜作った〜〜〜〜〜満足〜〜〜〜〜。みたいなところがあり、作ってから数日経ったわけですけどその間忘れていたわけではないんですけどもう別にいいわ俺満足したわみたいな気分ではあって、さっきやっと「そろそろ出そうかな、出さないとしかたないし」みたいな気分が起きたのでパンに塗りたくって食ってみた次第です。
作るときにスパイス入れたいな〜とかラム酒入れたいな〜とか様々な欲求が湧いたのですがなんかせっかくおいしいりんごなんだしシンプルに、というところでなんとかこらえてグラニュー糖で煮込んで最後にレモン絞るだけにとどめました。偉い。
でパンに塗りたくって食ってみたんですがまあなんというか「おい&C」ですわ。バター塗るつもりだったんですけどバターこれ要らないなっていうような。そもそもパンも朝営業に使っていたやたらおいしいやつだったのでジャムも要らないんだけどな、とも最初数口パンそのままで食っているときに思ったというのもまたここで告白しておきたいんですが。いやでもこのジャムおいしいと思いますとても。ジャムがおいしいというかりんごがおいしいのでそのりんごのおいしさそのままにジャムになってくれました無事に、という感じで。ジャム作ったの初めてなのでよくわからないんですけど(無責任)
そういうわけでなんらかの形でジャムお出ししようと思います。ドリンクにも何か使いたいんですが、ソーダ割りだったり、紅茶になんかするであったり、お酒だったらラム酒とソーダとかなのかな、だったり、ジンジャーミルクみたいにあったかいミルクで割ってもおいしいのかな、これはどうなのかな、試してみないとわからないな、あでもおいしいかな、シナモンぽんぽんやったりしたら合いそうとか、適当にというか。ちょっとまだいろいろ未知な要素多い感じでメニューに今日から入れるかわからないんですけど「あれある?」って言われたらなんらかの形で応えられる予定ですので、あれな方はお試しくださいな感じで。」
と朝、
インスタグラム等に投稿したその中で触れた「やたらおいしい」パンは代々木八幡の365日のパンで、フヅクエのサンドイッチやピザトーストとかでは近所のラ・セゾンのパンを使っていてこれもとてもおいしいのだけど(ちょっと前にインスタで「さすが365日のパンだけあってサンドイッチすごくおいしかった」みたいに書かれている方がいて、「残念でした〜〜〜それ365日じゃありません〜〜〜」って思った、ということがあった)、あさふづくえを始めるときに
ひきちゃんが「すごいおいしいんですよ〜これにしたいです〜」つって持ってきてくれたそれがまあやたらおいしかったので「これにしよう〜」つってあさふづくえは365日のパンを使っていた。(使っていたといってもこれはラ・セゾンも同じだけど、コーヒー豆についてそうしているように契約というか何かして卸していただくみたいなあれではなく、ただ一消費者の顔をしてパン屋に行って普通に買ってきて、というあれ)
それで朝そのインスタに投稿したあと、なんかそういうふうに書いたし、パン買っておくか、と思ってパン買いに行った。
365日は今日まで改修工事でおやすみで、webを見たらそのあいだは姉妹店の15℃でパンの販売がされているとのことだったのでそっち行って、それで朝のときは「北海道」という食パンを買っていたのだけど、今朝はその「北海道」と「福岡」一枚ずつ焼いて食べていて、ジャム塗るんだったら福岡のほうがいいかも、と思って福岡を2本買った。でチャリ乗った。漕いだ。
途中ちびっこをうしろに乗せた若いママの後ろを走っていて、向こうからやってきた別のチャリのママがすれ違いざまに「〜〜ちゃん!」と言ってきたのですごい勢いで振り向いて「おはよう!」とか言っていて、あー町だなー、暮らしだなーとか思いながら後ろ走っていて、山手通りに出る薄い坂道で2つ選択肢があって、このママはどっちのぼるかな、と思ったら僕もそっちのぼろうとしていた方を選択したので「ほほ〜」とか、意味わかんないでしょうけど「ほほ〜」とか思っていて、そこらへんでいったん追い越して、右手が代々木八幡宮の信号のところで赤になったので止まった、すると追いつかれた。
その横断歩道は非常に短いところで、車がまったく来ないことがわかったら渡っていいやつだと僕は思っているところで、「でもどうすっかなー横にちびっこいるからなーちびっこに信号無視って見せたくないんだよなーでも自力でチャリ乗ってるとか歩行してるじゃなくて後ろに乗っかってるちびっこだから構わないかなーそもそも見えないかなーというかこのママもなんか渡ろうとしているようなというか車の行き来確認してる気配があるような気がするなー」とかなんかそんなことを思っていたら「すいません」と声を掛けられた。
「365日もうやってました?」と言ってきた。
まずなによりも365日という店の偉大さというか、一つのパン屋がその町に暮らす人たちにこんなふうに希求されていること、暮らしのなかに根を張りまくっていること、それがすごいとまず思って。フヅクエはこれからたとえどれだけ名店みたいな、なんか偉大だぞって存在になれたとしてもそういうふうには絶対に機能しないはずで、町のパン屋の町のパン屋たるゆえんというか、町のパン屋すごいというか365日is偉大と思って、すばらしいなと思って。
で聞かれたので、かくかくでしかじかでうんぬん&かんぬんですよ〜と答えてそうなんですねーありがとうございます〜ということで、それでちびっこが後ろからママに何かを言ってママが「うん教えてもらった、明日からだって」と言っていて、信号が青になって改めてありがとうございました〜と言われていえいえ〜ということで漕ぎ始めた僕は。なぜか泣きそうになっていて。というか明らかに目を潤ませていて。バカみたいだなというのはいくらも承知しているのだけど、俺はこんなコミュニケーションがいいんだよな、と思った。赤の他人と一瞬だけ交錯するような、一瞬だけ交錯してすぐに離れ離れになって、顔なんてもちろん覚えていなくて、でもその一瞬にはたしかなあたたかみがあって、やすらぎがあって、そんなコミュニケーションがいちばん美しいように思うんだよな、これは俺の怠惰さのあらわれなのかな、あるいは臆病さのあらわれなのかな、でもそれはそれとして、これはとてもいいんだよな、そう思った。
いつも思い出す、岸政彦のそれと柴崎友香のそれをいつも思い出す。わたしたちは他人と触れ合うことをおそれている。傷つくことをおそれている。でももしかしたら、手を伸ばしてみれば、意外にそれはナイスなコミュニケーションを、ナイスなコミュニケーションのナイスな時間を、生むんじゃないか、思っている以上に、人はそれに応じるのではないか、やさしく、あたたかく応じるのではないか。でもわたしたちはおそれている。わたしはおそれている。
おそれているからこそ僕は「あ、365日じゃんあの袋」とか思って声を掛けてきたそのママのその声の掛け方をとてもとても好ましいものに思って、僕もこんなふうに他人に声をかけたい。あ、すいません、そのTシャツってどこで売ってるんですか?とかそういうこと言いたい。