いい接客わるい接客

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僕自身はそんなにたくさんの飲食の店に「どんどん行くぞ!」みたいなタイプではないというか、果敢に攻めて「あちゃ〜」とか思うくらいだったらドトールの方がずっといい、CP良い、CP!人生に求めるのは良いCPだけ!CP重視で豊かな人生!CPCP!というそういうタイプなのでたくさんの店は知らないのだけど、なんとなくいろんな場所で人がどういうふうに接客しているのかというのは気になったりいっさい気にならなかったりする。
そういうなかで「いい接客というのはどういうものなんだろうなあ」というのはわりと、仕事柄なので、考えるのですが、ひとまずのところ「いい接客悪い接客なんてものはない」というのが結論だろうか。以上。
終わっちゃった。いや嘘です。でも本当は本当で、一概にいい接客わるい接客というのはないはずだとは思っている。笑顔だったらいい接客か、無愛想だったら悪い接客か、声が朗々としていたらいいか、小さい声だったらダメか、テキパキしていたらいいか、のんびりしていたらダメか、あーあ、こういうのすごい苦手なんですよ、なんか羅列しようとするの、一つも思いつかない、今は3つ思いついたからまだよかったけど、こういうのほんと苦手で。
なのでまあいろいろあると思うんですけど、そういう項目。でまあ、パッと見たところよさそうに思える項目、笑顔×朗々×テキパキ、これとかとてもよさそうだけど、でもこれ葬儀屋だったら違うなーだろうし、ガソリンスタンドだったらよさそうかなーだし、あまた詰まった。ダメなんですよだから、こういう羅列系。まいいや。
だからなんというか、TPOをわきまえたいというか、違う違う、要はなんというか、いい接客というのがあるとしたらそれは場にそぐう接客だ、みたいなところだろうか。あるいは「目的にかなった接客こそがいい接客」みたいな。これこれ。最近はそう思っている。最初からそう書けばいいのではないでしょうか?なんとなく段階を踏みたかったんです。
で、「目的にかなった接客こそがいい接客」と思ってみたあとにもうひとつ展開というかあれしてみると「すべての接客は目的にかなったものである」みたいなところに行けて、そうするとなんというかはかどるというか、精神衛生上いいというか、みんながそう思ったらとても静かでいい社会になりそう、というか逆に冷たくて笑えて好ましい、というふうに思う。
どういうことかというと、こう考えてみると接客上のあれこれについては文句とかクレームとかって付けられなくなるというか、たとえばスーパーで、なんか柔らかいものでも買いましょう。
白いあれの上でピタってラップされてない、ビニール袋入りの肉とか。それ買うじゃないですか。それをレジの人が左手で取って、バーコード読み取って、その次の刹那、大上段に振りかぶって思い切り壁とかに投げつけるんですよ。「パーン」みたいないい音が響く。とする。
そのときに「なんなんだこれは!ふざけてるのか!」と怒ったり呆れたりしたくなるのが人情だし、「こんなことされました」と人に言ったりツイートしたりしたくなるのが人情かもしれないし、「全力で潰せ」とか書き込んでニヤニヤしたくなる人情もあるかもしれないし、まあだから、ろくなことにならないと思うのですが、ここで「すべての接客は目的にかなったものである」という態度を持っておくと話はずいぶん変わる。
「ああ、なるほど、ここはこういう接客の店なんだ、俺はこの店にふさわしくないというか店に求められてもいないし来てほしい客としてみなされてもいないってことなんだな。了解しました、二度と行かないことにします」と思う、それで終了、といったような。心の安寧が得られる。
「なるほど」に至るなかで、私たちはこのように考える。このスーパーマーケットの接客の目的はきっと「楽しんでいただく」とかで、「レジにおける破壊的なパフォーマンスを楽しんだりしてくれるお客さまのためだけに私たちは今日も明日も一生懸命誠心誠意、新鮮なお肉やお魚、お野菜をお届けしたい!」ということであり、それを不快に思う人は商売の相手として想定していない、ということだ。彼ら彼女らは見事なまでに目的にかなった接客をおこなっている。であるならば、一人の客でしかない私が、何かを言う権利はあるだろうか。権利はあるのだけど、少なくとも「そのやり方を変えろ」は間違っているし意味がない。「なぜ変えなければいけないのでしょうか、私たちはお客さまに楽しんでいただきたい一心でおこなっているのです!」そのとおりだ、社是に則っている彼らを罵ったところで得られるものなど何もない!
なんか極端な例すぎて、あと声高になっちゃって、なんかいろいろよくわからなくなっちゃったな。まあなんか、このスーパーの場合だと肉パーンが「いい接客」で、一般的によしとされていそうな丁寧かつ迅速な手つきに終始するだけのレジ処理はつまらないという理由で「わるい接客」となる。という。
だからなんというか、何を言いたかったのか、あの店接客いいねとか悪いねとか、人は簡単に言うけれど、それはやめにしてみてはいかがだろうか、という、という提案だったのか!打ってる途中でびっくりした。
いや提案というか、「接客ダメな感じだったね〜」と言わないで「あの接客こそがあの店の目的にかなった接客である、ということはそれを快しとしない私のような人間は相手に含まれないのでもう行かない」とだけ思って済ませる方が、なんか気分悪くなったときにリベンジ感強くてよくないですか?なんか冷徹に突き放す感あって、なんかこう相手を制圧できそうというか、やっつけちゃえ!といったあんばいの。なに書いてるんだっけなほんとうに。
あとあれなんですよね、制圧ですよ、マウンティングっていうのかな昨今は。負けないマウンティングのために。といったあんばいの。
例えばツイッターでも食べログでもいいけどレッティでもいいけど、気づいたら検索結果にレッティ出てくるようになりましたね。でまあ、書くとするじゃないですか、「ダメ接客でした」と。それじゃやっぱり脇が甘くなっちゃう可能性をはらんじゃうんですよね。「いや、弊店は肉パーンこそがモットーですので」と言われたときに、そのモットーもどうかとは思いたくもなりますけど、ディスったはずの相手がなんか誇らしげに主張してくるみたいなことあったらよりいっそう気分悪いじゃないですか。一方的にマウントするつもりだった相手がむしろマウントしにきたみたいな。だからこそ、そういう無駄なカウンターパンチを見せられてげんなりするリスクを負ってしまう「悪い」ではなく、「合わない」でこき下ろす。「そういう理念なんですね、わかりました、私には合わないです、なのでもう行きません」でこき下ろした方が、「いやいやいや違うんですそれは一従業員のあれでしてつまり我々どもの監督不行き届きでして私どももお客さまに満足していただくために日々向上といいますか改善改善であり」と慌てさせられる可能性を持っていられるというか、「すべての接客は目的にかなったものである」という前提で考えてみましょうとは書きましたが、実際は大半のダメに見える接客はただダメなだけであるケースの方がずっと多いだろうから、わざと目的を誤解してみせることで大きなところから根こそぎでディスる、みたいなことがこの方法なら可能なのである。
       
ということが書きたかったのではなく、どちらかというとこちら側というか接客する側の意識の話として、目的をちゃんと設定しておくと妥当な振る舞いに近づけるしそれをキープできる気がするんですよ、という話をしたかったような気がしないでもないのだけど、4つ目のブロックの「と思ってみたあとにもうひとつ展開というかあれしてみると」というところで完全に道を間違えたらしく、展開というかあれなどしないで流れに沿って書けばよかった、という気がしないでもないけど、いずれにせよ疲れたというか本当に無駄に長くなりすぎたのでもうやめます、という話でした。
続きめいたもの→ 目的にかなった接客