支持や応援の意を表すものとしてのお金の支払い方があるのだということを初めて意識したのはアール座読書館に行ったときだった。ということはメニューの最初のうだうだ書きのところでも書いてあることなのだけど、繰り返すと、あーこれもっと払いたいなー、コーヒーもう一杯とかは飲めなかったけどいい時間を過ごさせてもらったからすごい払いたいなー、と思って、はあ、なるほど、お金って、と思ったのだった。
そういうわけもあって開店当初は「値段きめてください、この店で過ごした時間に感じた価値はそれぞれでしょうから」という仕組みにして、3月に変えて、「値段はあるけどもっと払ってくれてもいいですよ、じゃんじゃん」というふうになっている。
お金っていうのは「払わなくて済むなら払わない方がいい」ものでなく「その対象へのあれこれを込めることができる」ものだ、という感覚を、僕は持ちたいと思っているし、そういう人が増えたらいいなと思うし、そういう流れで「え、こんなにくれるんすか!」ということが起きたら私もあっという間に富豪になれるのでラッキー。
この「お金は支持・応援・投資」である、という感覚が書かれていて膝を打った本としては去年の年始に読んだ糸井重里の『インターネット的』が初めてで、「そうだそうだ、言ってやれ!もっと言ってやれ!」と思った。そのあとは藤野英人の『投資家が「お金」よりも大切にしていること』、影山知明『ゆっくり、いそげ 〜カフェからはじめる人を手段化しない経済〜』でもそういう感覚に触れ、「そうだそうだ、もっと言ってやれ!」と思った。どの本も僕はとても好きだった。
ところでね、なんでこういうこと書いているかというと昨日2つ音源を買ったんですよ。先日友だちに教えてもらって「おーこりゃかっこいいな」と思って。
Tyler The Creator - Yonkers - YouTube
Earl Sweatshirt - Grief - YouTube
これとこれなんですけど、odd futureっていう集団か何かのお仲間らしいのだけど、かっこいいっすね。(今なんか見たら2012年の時点で世界でもっとも話題になっているヒップホップグループとありました。4年も知らないままでいたよ)
で、それはいいんですけど、音源を買うとき僕はなんとなくitunesストアで買いたくない気分の人で、それで使うのはAmazonとかbandcampとかboomkatとかで、あと日本のものだったらototoyとか、それ以外どこに行ったら買えるか知らないのでそこらへんで探すんですけど、今回はどこでも売ってなくて、AmazonはCDはもちろんあったのだけどmp3では売ってなくて、amazon.comにはあったのでそっちで買おうとしたらなんか住所の登録がどうしてもできなくて諦めて、それでしぶしぶitunesストア行ったら両方あったので買ったんですよ。それで聞いているんですけど。2枚で3400円とかだったかな、それで今も聞いているんですけど。
3400円か、と、思ったのでした。そしてitunesで買ったってことはAppleミュージックでも聞けるってことだよな、と、思ったのでした。3400円ってAppleミュージック3ヶ月分だよな、と、思ったのでした。3ヶ月あったら、この2枚だけじゃなくて彼らの他の音源とか、いろいろ、聞けるんだよな、と、思ったのでした。
最初の話に戻ると、アーティスト的なものに対しても僕はやっぱりできるだけ直接に近いかたちでお金を払いたいと思っていて、「いいですね」であるとか「好きです」であるとか「また作って下さい」であるとかを込めたいと思っていて、だからAppleミュージックとかのサブスクリプション?定期購入?のサービスって気持ちとしてはけっこう抵抗があって。
こういう支払いモデルであっても聞くことでお金を払っていることにはなるのだけど、1回の再生当たりいくらみたいな感じで報酬が払われるのだとは思うのだけど、こういう月額制モデルだと、感覚としてはあくまでも「ことになる」という感じで、そこには作り手に向けて「はい」と差し出す感覚が一切ないじゃないですか。購入という行為がアンビエントでアブストラクトな感じになる気がして、それはどうなんだろう、という。なんかいろいろ薄まりそう、という。
そんなことでうだうだ悩むんだったら今まで通り普通に買ったらいいじゃないですか?はい、もちろんそうなんです、そうなんですけど、昨日3400円で2枚を買うということをおこなって、「あれ?」と思っちゃったんです、「このお金でもっと聞けるじゃん」って思っちゃったんです、際限なくお金使える状況だったらまだしも、だってほら、あれじゃないですか、と思っちゃったんです。
それって例えば君の大好きなOMSBとかでも同じこと言います?や、たしかにその指摘はけっこうそうかもしれなくて、けっきょく今回買った2人のやつは応援したいぞって思うほどの対象ではなかったというかそもそも「聞いてみたい」と思っただけというかこれから好きになるかもしれないという対象だからそりゃそうなんだけど、だからこういう感じになっているのかもしれません、OMSBが新しいの出したときは、なんかで「itunesストアとかよりCDの方がアーティスト側への利益大きいすわ」みたいなツイートを読んだこともあってわざわざCDで買ったし、これからもそうしそうだし、たしかに、作り手への気持ちの問題かもしれません、でも、でも、月額でずっと払ってあれこれ聞くような環境に慣れていったら、自分の中の何かが損なわれてしまうんじゃないか、それこそ「今回はOMSBだからCDで買うぞ」みたいなことをする心理的なハードルがめちゃくちゃ上がったりするんじゃないか、みたいな恐れがあるんです、非常に素朴なことを言っていることは百も承知ですが。
というかそんなこと消費者が悩む必要ないんじゃないですか、Appleミュージックで聞かれるのじゃ困るっていうアーティストはその仕組みに乗らなければいいだけの話で、そこに登録しているって時点でそれでOKだよっていう話じゃないですか?や、それもほんとそうなんですよね、音源だけじゃ利益にならないとしても収益はライブとかグッズとかで作るとか、そういった売り手側の営業努力は当然必要だと思うんですけど、自分たちがちゃんと続けていける環境を構築する努力をしないで売れない、これじゃやっていけない、とか嘆いている人たちは完全に間違っていると思うんですけど、それとはまたちょっとずれる話というか、なんというかこう、いいのか、これで、俺は、という、俺は、の話ですよねどっちかというと。
というわけでこれほんと困ったよね。いやさんざん書いているように別に困る必要はないんだけど、いま「困」の字がすごいピースマークに見えるモードに入っているんですけど、いいんですけど、こんなサービス存在しなければよかったのに!と思っています。いやウソウソ、このモデルだからこそ成り立つんだっていう作り手っていうのもきっといるだろうからそれはそれでいいんですけど、いやー。
易きに流れるというか安きに流れるというか、あー俺いまこのしゅんかん瀬戸際に立っているかもなあ、と思っている。(あそうか、これ
前書いたこれと同じ話か。)
ただ、僕の場合はまだ最後の砦みたいなものがあるような気がしていて、それは投票欲と同時に所有欲があるというところだ。本は買う以外しませんというのはこの2つの欲に支えられている感じがする。一方でAppleミュージックだと僕の認識だと所有はできないわけで、ダウンロードするにしても980円だったかを払い続けることで一時的に借りておくみたいな感じだから、その点で「それはなあ」という気分が作られている。これでもし、「解約時、契約月数×アルバム1枚分くらいの音源をダウンロードできます」みたいな規約があったら、「あれ、それだけ手元に残せるならいいかも?」とか思っちゃいそう。
まあ、もちろん、もう所有っていう感覚は古くなっているのかもしれないけど、なんすかね、まいいや。揺らいでいます、という話でした。あれ、そんな話がしたかったんだっけか。