グルーヴィーなナイト

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ここ2,3週間くらいだろうか、お盆明けてからくらい、わりと調子がいい日が多い気がしていて、「お、いいじゃんいいじゃん、せめてこのくらい入ると私としてはたいへん嬉しい」と思いながら労働に勤しむ、そんな時間がいくらかある。この調子で繁盛店を目指してぜひがんばってほしい。
そういったなかで先日、長きにわたって来てくださっている方、だから猛烈に暇な状況を体感し続けている方が帰り際に「お客さん入っているのいいですね」とおっしゃる。「こっちのほうが楽しい」と。
楽しいっていうのが「へえ〜〜〜」だったのだけど、曰く、1人2人の人間が点在している中での静けさと、それなりに埋まっている状況で成立している静けさとでは性質が違うと。前者における静けさは「まあそうだよね」感があって、後者における静けさは「なんかすごい状況だよね」感がある、みたいな話だったと思うのだけど。要は同じ静けさであっても価値が違うというか、体験の希少性が違うというか、そういう話だったと思うのだけど、僕は「あ、お客さんもそういう感じって受けるものなんだ」というので「すごいなるほどですねえ〜」と返答した。
僕はその感想を教えていただくまで、お客さんにとってこの店でお客さんが多い状況は「気にならない」ものだと思っていて、つまりマイナスには作用しないものだと思っていて、そのマイナスに作用しないっぷりに対して「すごいっしょ。ないっしょこんなん。いいっしょ」と思っていたのだけど、マイナスに作用しないどころかプラスに作用するのか、というのを教えられたというか。
教えられたというか、外から眺める身である僕はわりにそう思っていたので、僕の感覚とお客さんの受ける感覚が合致というか近似しているということがとても心強いものだったというか、間違ってなかった感が嬉しかったというか。
なんというか、僕自身、見ていてというか店の人間として店の空気みたいなものを眺めるというか感じるときに、人がほとんどいないときよりも人がそれなりにいるときの方が好きで、ふいに「おかしいだろこれ!この状況すばらしすぎるだろ!」とか思うときがあるのだけど、なんだろうな、「なんか知らないけどグルーヴィーだなあこれ」と思う。うねってんなーというか、すごい静かなのにすごいグルーヴが生まれているように感じるときがあり、それを感じる瞬間を僕はたいへん気持ちのいいものとしてとらえており、そういう瞬間が訪れるのは決まって一定以上の人数がいるときで。
なんせ、例えば全員が本を読んでいたとしたら、そこにいる人数の分だけ目の前に違う世界が開けている、7つとか8つとかの世界がそれぞれの視線の先の紙あるいはディスプレイの向こうに開けている、みたいな、なんかそのカラフルな感じを想像するだけでワクワクしますわという感じがあるし、なんていうかな、あとはやっぱり、わざわざこの場所を選んで本を読みに来る、みたいな、そういう人間が集積している状態のなんともいえないプレシャスな感じというのもやっぱりあるんだろう。
あ、あとあれかな、お客さん多くてオーダーが続くと店の人間がわりとずっと動くことになって、その運動の音とか気配だとかが静けさをより彩る的な側面とかもあったりするのかなとか。
って、まあ、そういえば前もこんなこと書いた気がするなっていま思い始めたところなのだけど(これとか)、そういうわけで本日は日曜ですけどなんもやることないっすわ、というフヅクエからお届けしました、という話でした。眠くなってきた。