『若い藝術家の肖像』を読む(53)どっちが正しいのだろう?

blog_fuzkue243.png
フヅクエは中5日のペースで休みにしているのだけど平日の定食川越は営業がおこなわれていて(安定収入という面と夜だけ休めれば別にいいよなという面とある)、既述の通り先週後半から川越さんにまるまる任せるようになったのでこれからはまた違う感覚になるだろうけれど、これまでは少なくとも休みかと思いきや準備・定食屋の営業・翌日の仕込みと、結局午前中から18時くらいまでは労働をおこない、それから「休み開始!」という感じで、休みなのか、なんなのか、というふうになっている。(今度からは準備・オフ・翌日の仕込み・オフ、というふうになる)
なので月に1日2日発生する日曜日の休みというのは貴重で、「今日こそ休み!」という感覚になる。
それが今月で言えば昨日だった。
その前夜、土曜、「小説が、読みたいっ…!」というよく湧くあれに従うか従うまいか懊悩した末に従い、閉店後、1時頃に蔦屋書店に行く。しかしどれだけ棚を眺めていてもいかなる本も私を欲望させなかったしまた、いかなる本も私に読まれることを欲望していないように見えた。私はうつろな目つきで何周も小説の棚を周り、しゃがみこみ、立ちくらみ。既視感。前も同じようなことがあった。
それでなぜか、ポール・オースターの『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』の第2巻なるものを買った。ラジオ番組で人々から寄せられた実話をポール・オースターが朗読した、その話の集まりらしい。少し前に何かでこの本のことを知り、無数の人々の物語、それ読みたい、と思っていたこともあり、また、せっかく夜中に本屋に来たのだから何か買わないではいられなかったのか、買った。市井の人々のいくつもの声。それを聞きたい。というその欲望は、岸政彦の『断片的なものの社会学』を読んで芽生えたものかもしれない。あの豊かさ。
高揚する出会いというものもなく、言い訳のような買い物がおこなわれ、とぼとぼと上がらないテンションを抱えて帰ったし、夜、それを開くことはせず、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を読んでいた。訳者の前書きみたいなところによるとここで「悲しき」と訳されている語はもっと重苦しい、「憂鬱な、うんざりする、暗い」という雰囲気の言葉らしく、特別に陰鬱なことが書かれている気はしないが、少なくとも気持ちが晴れやかになるような、目が爽快に覚めるような、そういうものではなく。酒を何杯も飲みながら読んだ。
めいっぱいの大声で罵りの言葉を絶叫しながら壁を殴打し続ける夢を見た。たまに見る夢で、どうやら喉が乾いているときに生じるようだった。起床後にたくさん水を飲んだ。
そんな夢のあとだったせいか、日曜日も気が晴れない。せっかくの休日だが、ぼんやりした気分が抜けない。予定は夕方から母親の還暦を祝う家族の食事みたいなやつで、それまでは特にない。食事会みたいな催しの場として姉によって選定された店は自由が丘にあり、私はバスで渋谷まで出、東急東横線に乗車した。自由が丘の方に行く機会のない生活のため、これまで行きそびれていたサニーボーイブックスに行くために学芸大学駅で降車した。
古本を買う際のルールが僕にはあって、絶版になっていて元々読みたかったもの、あるいはそこで出会わなかったら読む気が起きることがなかったはずのものつまりその書店によって初めて欲望を喚起させられたもの、それは買っていい。新刊で流通していて読みたいとそもそも思っていたものは見かけても買わない。
そういった中で買った3冊、一つは『現代思想』のラテンアメリカ特集、もう一つが平凡社の『ラテンアメリカを知る辞典』、どちらもまさに出会い頭というふうで、「こんな面白そうなものがあったのですね!」みたいな喜び方をした。
そしてもう一冊、それが岸本佐知子の『なんらかの事情』だった。これは問題だった。岸本佐知子のエッセイを読んでみたいなあと、面白いらしいなあと、ここ1ヶ月くらいのあいだ本屋に行くたびにうっすら思っていたのだった、手に取られすらしていたのだった、しかしなんらかの理由により棚にそっと戻され、買っていなかった。それを今、私は、買った。これは重大なコンプライアンス違反なのではないか。ちょっと自分でも驚いた。これはちょっと、なんというか、なんかこう、どうしたのだろうか、これは。本当に何をやらせても半端なやつだなというか。
2時過ぎ、学芸大学駅前の喫茶店に入って買ったものどもを読んだ。どれも面白いし岸本佐知子のエッセイすごい面白い。面白いと思えば思うほど、後ろ暗い気分がもたげてくる。3時頃、自由が丘に移動した。素敵なライフスタイルショップ的なところに入り、物品を見学した。そのあとコーヒー屋さんに入り、本を読もうとしたが小さな店内で常連と思しきお客さんと店の方々の会話がダイナミックにというか、声の線を結ぶとできる面が非常に大きく、私のいる位置は辛うじてそこから外れるという様子でおこなわれていたため気分が落ち着かなくなってすぐに出た。会食の5時までまだ1時間ほどある。時間が進まない。どうしたらいいのか。ぱらぱらと雨。神社に入ってみるなど右往や左往をしたのち、大衆酒場的なところに入ってビールを一杯飲みながら本をあちらこちらと読んだ。5分おきに時計を見、やっと時間になったため駅に行き、家族と合流し、飲食物を供する店に向かった。
家族との穏やかな会話のなかで、あるいは人間とのコミュニケーションのなかで、私の心もようやく穏やかさを取り戻したように思えたが、普段飲まない日本酒のせいなのか変に酔っ払い、7時だか8時だかになるぐらいにはすっかり眠くなってしまった。最後はうつら、うつらとなり、一家の面々も十分に飲み食い及び懇談を果たしたため店を辞した。電車の中でもすぐにうつら、うつらとなり、新宿三丁目駅で同じ電車に乗っていた父母と別れた。どうにか帰り着き、何を思ったのか王将に入った。初めて入った。さっぱりとした冷たい麺が食べたく、小ライスセットで注文をした。目を開けたら飲食物が置かれていた。どのくらい眠っていたのかわからなかったが、ライスと餃子がしっかり冷えていたためそれなりに眠っていたらしかった。王将で一人、こういった醜態を晒すことがにわかには信じられないのだが(船を漕いで飲食物に頭から突っ込む等になっていたらと思うとぞっとする)、このときはただ「あ、寝ちゃってた」と思っただけで、目の前の飲食物をおいしく平らげ、帰った。すぐに倒れ込み眠りに落ちた。まだ10時にもなっていなかったと思う。12時ごろ暑さで目が覚めた。まだ酔いは残っていて、水を何杯も飲んだ。眠気はすっかり遠くに行ってしまったらしかった。『なんらかの事情』を開き、ポール・オースターのやつを開き、『悲しき熱帯』を開き、それから思い立って、リュックの底から取り出して『若い藝術家の肖像』を開いた。
「そんなふうに考えるのはひどくくたびれたし、じぶんの頭がとても大きくなったような気がした。彼は見かえしをめくって、くりいろの雲のまんなかにある、みどりの、まるい地球を、ぼんやりながめていた。みどりのほうと、くりいろのほうと、どっちが正しいのだろう?」(P31)
さあね、どっちが正しいんだろうね。どっちもどっちなんじゃない?なんの話か知らんけど。そう思って閉じた。また『なんらかの事情』を開いた。少しするとまた別の本を。空が白み始めるまで、ずっとそんなことを繰り返していた。