読書の日記(11/25-12/1)

2024.12.06
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抜粋

11月25日(月) 

それでアイスコーヒーをつくり、夜8時につくるそれは「今からやるぞ」のサインという感じがした。改めてAmazonのAPIをがんばることにしてこことは向き合おうと思ってのことだった。土曜日の進め方が隘路感があったので改めて一から相談してみると、提案してきたコードに書かれたパッケージはamazon-paapiで土曜日はaws4だった。そうなの? と聞くとaws4でもできるけれどaws4は「より低レベルなライブラリ」で「より低レベルな実装が必要」「リクエストの署名をすべて自分で実装する必要」「すべてのパラメーターやヘッダーを自分で実装する必要」、ただし「より細かい制御が可能」、ということで、amazon-paapiは「Product Advertising API に特化した高レベルなライブラリ」でとにかく簡単とのこと。つかまされたのか! と思いながらpaapiでやるとaws4で2時間かけて何も進まなかったというかひたすら隘路の壁に頭を押し付けていたのがものの5分で検索結果が吐き出され、うれしいのと驚くのとで忙しかった。立ち戻ることにして本当によかった。危なかった。

11月26日(火) 

濡れた靴下は嫌い。洗濯籠の中には入れずに他のものに干渉しないように掛けてシャワーを浴びた。キーマカレーを食べながら試合の続きを見、サウサンプトンが勇敢に戦っていた。前半のうちに追いつき、後半に追い越し、というスコアとは関係なく戦い方が勇敢だった。そこから追いつかれて追い越されたがその結果によって減じることのない価値のある戦いに見えた。それにしてもリヴァプールが強い。眠かったのもあり、寝る前はさすがに検索しなかった。布団に入ると『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』の続きを読んで慢性自殺、局所性自殺、と依存症を呼ぶことがあるそうだ。「あたかも爬虫類が尾を切り離しながら延命を図るように、少しだけ自身の健康を犠牲にして延命すること」だそうだ。
そして、矛盾するようではありますが、こうも考えます。アディクションとリカバリーは対義語ではなく、むしろ両者は同一線上に位置するもの、連続的なスペクトラム上にある、と。いや、もっと大胆にいいます。曰く、「アディクションはリカバリーの始まり」。 そこには、次のような意図があります―「死にたいくらいつらい現在」を生き延びるためにアディクションを用いるのは最悪なことではない、少なくともただちに死ぬよりははるかにマシな選択だ、なにしろ、リカバリーの前提は「まずは生き延びること」だから。 松本俊彦、横道誠『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』(太田出版)p.255

11月27日(水) 

終わって帰ろうとしたときにふと思い出して踵を返し、店に寄るとちょうど矢田部さんがテイクアウトのドリンクを外に持っていくところだったので、戻ってくると、「最終回読みました!?」と話しかけて『正反対な君と僕』の話を少しして、矢田部さんがまだ読んでいない佐藤くんに気を使う発言をしたので、佐藤くんには「大変な殺人事件が起こってね」と説明した。満足して帰った。

11月28日(木) 

気が済むと本を開いて今日から庄野潤三で『世をへだてて』で最初は「夏の重荷」というやつで、福原麟太郎の『命なりけり』という本に収められている「秋来ぬと」という随筆の紹介が始まり、途中でおミズさんという元女中が登場するとおミズさんが登場していた「新しい家」という他の随筆の話に移ってその「新しい家」というのは「昭和六年、二年間の英国留学を終えて無事帰国した福原さんが、その翌々年秋から敗戦の年に強制疎開のため取壊されて世田谷新町の友人邸に移るまで十余年住んでいた、勤め先の学校に近い小石川区第六天町のお宅である」とのこと。
崖の上にあるから眺めがいい。殊に夜はあかりがきれいで、新宿の百貨店の見えるあたりはまるでクリスマスのお菓子のようであった。一日中日がよく当り、離れの四畳半や八畳お廻り縁、二階の六畳の廻り縁などは硝子戸に囲まれて温室のようだが、その暖い離れに郷里の備後の国から迎えた福原さんの御両親がいる。 庄野潤三『世をへだてて』(講談社)p.9
廻り縁と硝子戸の家が少し高い位置から見下ろす感じで想像され、そこにふたりの老人が座っている姿が想像され、もうこれだけでうっとりする。そのまま「新しい家」の話が続いて一家みんなが風邪を引いていった、不幸はさらに続いて猫のタマがふといなくなった、と福原麟太郎が書いていったことを庄野潤三が紹介していった。
はじめは明日は帰るだろうと思っていたが、明日も帰らない。明後日も帰らない。奥さんもミヅも泣き始める。ミヅは、最後の夕食のときに、ちくわの一切れをタマに与えなかったことを繰返し語って情ながる。―福原さんの郷里は広島県の備後の国の海岸沿いの松永という町の外れだが、近くの鞆ノ浦にはおいしいちくわを作る店がある。猫に与えるのをためらうのも無理はないと思われるいい風味のちくわで、その一切れをたまたまミヅさんが惜しんだからといって、誰も彼女を咎めることは出来ない。戦争中に郷里に疎開したきり村に居ついてしまった福原さんのお母さんから野方のお宅へ届く小包の中に、柿や素麺、ちくわ、ときにフキノトウの佃煮が入っていることがあるという話を読んだことがある。 同前 p.10
読んでいるなかで生じるこの充実した気持ちはなんなんだろう、と思いながら、本当にいい、本の紹介をしているだけなのにたちまち庄野潤三だ、すごい、と思ってうれしくなってから寝た。

11月29日(金) 

家に着いてシャワーを浴びると焼きそばに着手し、クリスタル・パレスとアストン・ヴィラの試合を見ながらこしらえた、4つ入っていたピーマンは全部使った。ピーマン、長ネギ、豚肉。キャベツとブロッコリーはレンジで温野菜にした。パレスが点を取ってヴィラが追いついてパレスがまた点を取った。パレスは今日こそ勝つだろうか。今日もまたダメになる予感しかしない。なかなかうまくいかないパレスの試合を自分が見ていることを思うとき、『三月の5日間』で映画館で連れが来られなくなって余ったチケットを譲る男が自分はコケる映画を見るのが好きだ、コケてるなあと思うと面白い、と話すその場面を何度か思い出している。コケてるチームを見る微妙な面白さがパレスの試合にはたしかにある。

11月30日(土) 

2時半くらいまでうろうろ仕事。本当に整理しないと、と思ってから寝、庄野潤三。これは小説なのかエッセイなのか、と思いながら読み、最初のやつが終わってやっと「これはどうやらエッセイっぽい」と思う。でも最初の『命なりけり』という本のあらすじを紹介しているところは小説のようだった。エッセイと小説を分かつところはどこなのだろう、と思いながら次に進み、少しすると寝ていた。

12月1日(日) 

閉めるとりんごのジン・トニックを半分の量でつくって飲みながら売上金のまとめをし、それからホットアップルラムも。どちらもおいしかった。ぽかぽかし、明日は昼番で、パソコンを置いて帰るか迷った。リヴァプールの試合は1時から。終電であれば家に着くのがちょうど1時だから、どうせ試合を見るから、パソコンは不要だろう。でも今日はやや早く出られそうで、帰ってから30分くらいはアプリを触れる気がする。おこないたい変更がある。なので持ち帰ることにしてリュックに入れた。すると家に着いたのは0時45分とかで、案外そんなものかと思う。シャワーを浴びたら試合の時間。

今週言及した本

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