欲望のあたまかず

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自分が書いたものについて「あーこれ書かなきゃよかったかなー」とか後悔をすることはあまりないのだけど、先日書いた「増長する頑迷さ」という記事については珍しくそうなった。
お客さんや友人から「よっぽど嫌だったんだねっていうのはわかったんだけど真意はいまいち」という感じのリアクションをいくつかもらったり、非常に信頼している友人からLINEで「色々な想像力を働かせ」「書かれアップされたブログだとは思ってはいるのだけど」「ヒヤリとした」し「びくっとして萎縮した」、「個別対応でよかったのでは」、「多くの他の人たちに釘をさすには、早かったような気がしました」とメッセージをもらったりして、わりとぐうの音くらいしか出ないというか。書いている段階で手がとても迷っていて、そういうふうに書かれたものはやっぱりいいことにはならないんだよな、わりと、ということを学んだというか。
なにせ、あの記事で書いた「二人での勉強はなしでしたわ」という過ごし方にまったく該当していなかったその友人をも「ひりひり痛」がらせてしまったというのが本当にいただけなくて、やはりネガティブな記述というのはよほど周到にやらないと、まったく間違ったところにまでボールが届いてしまうというか、あさっての方向に投げたつもりがしあさっての方向だったというか、完全に手元狂ったというか、手元狂って足元すくわれるみたいなことになっちゃうというか。
で、このトピックについて考えるときに頭にいちいち浮かんでくるのが掲題の通り「欲望のあたまかず」という言葉で、別に「あたま」なくて「かず」だけでいいんじゃないかと思うのだけどなんとなく「あたまかず」で、それはそれとして表記はなんなの漢字でいいのではとも思うのだけど「頭数」って「とうすう」って感じがして馬っぽいというか、なのでここは一つひらがなでというところなのだけど、欲望のあたまかず。
なんか、どこかにお昼食べに行ったとしてランチ1000円で。「そういえばあそこ行ってみたかったんだよな」とか言いながら行って、1000円じゃないですか発生。それを人を誘って「あそこ行ってみたかったから行ってみようよ」つって、4人で。そうしたら店からしたら4000円ゲットじゃないですか。欲望のあたまかずは一つなのに売上は4倍になった!みたいな。最高ですよね実際。
という、なんかそういう状況を考える機会があったので考えたのだけど、俺フヅクエという場所におきましては来てくださった人全員が「ここで時間を過ごしたかったんです/過ごしたいんです」であってほしいわ、と思ったというか。
ここにいる全員がフヅクエで時間を過ごすという主体的な選択をした状態であってほしいというか。10人いたら10個の欲望(なんとなく欲望という言葉が好きで使ってるんだけど興味でも期待でも共感でも敬意でもいいのだけど)、みたいな状態であってほしいというか。あたまかずって言葉使いたかった意味もわかったのだけど、見回したときに、頭頂部を人差し指でロックマン的に脳内ホッピングしながら「よくぼう、よくぼう、よくぼう…」みたいな、欲望ビンゴ完成といったおもむきの。
なので、「あそこ行ってみたかったんだよね、なので行きましょうよ」とか言われて、「は、何そこ?別にいいけど」とか鼻くそほじりながら同意して、みたいな流れは一つもほしくないわというか。
会話はご遠慮いただいていてもお二人でのご来店自体はご遠慮いただいてはいないわけなのだけど、それは双方にフヅクエへの欲望があることを前提にしているというか。「行こうよ」「そりゃもう、がぜん行きたいっす」のお二人以外は来てくださんなというか。(来てくださんなとか言って「誘われた来てみたんですけど来てよかったです最高でした」みたいなことをアンケートで書いていただいたこともあるので、そしてそれを僕は大変うれしいと思った者であるので、一概には言えんよねーとも思うのだけど)
なんなんだろうな、やっぱりうまく書けないな。
頑迷さ。頑迷という言葉で思い出すのはウディ・アレンの『ハンナとその姉妹』に出てくるマックス・フォン・シドー演じる画家で、「壁にスペースがたくさんあるし大きいやつを欲しいんだよね」と言うロックスターか何かに対して「お前には売らん、私の絵は壁の飾りじゃない」みたいなことを言って拒絶するのだけど、なんかそういうのってありますよねーと思うというか。ちゃんと欲望されたいというか。売れないと苦しいけれど、売れれば全部嬉しいわけではいささかもないというか。でもふるまい方を間違えると売れたら嬉しいと思える人たちからもそっぽ向かれて気付いたときには誰もいなくなっていたということになりかねないので慎重を期さないとね、ということだろうか。
まあなんか、いいバランスを探っていきたい所存ですわ。そういうことなのかな、よくわからんな。
そういうわけで、この記事の副題は「わたしはしあわせになりたい(もっとシンプルに)」でした、という話でした。
photo by 斉藤幸子