抜粋
9月30日(月)
途中で少しだけ立て込んだときにカレーをつくったら卵が割れて最後の最後で出せない、ということになり、一瞬気持ちが澱むのを感じたが、オーダーをこなし終えると食べていいカレーが目の前にあることが知れ、食べたらおいしかったのでうれしかった。早い時間の夕食となった。
10月1日(火)
今日は一日で、とりあえず動けるうちに動きまくろうと、夕方まではひたすら仕込みを進めていった。5時くらいにはほぼ済んだ。あとはオーダーこなしつつ、他は座っていればいい、という状態になって座り、アイスコーヒーをつくり、ブラックサンダーを立て続けに食べた。明日か明後日久しぶりに高尾山温泉に行こうかなという考えがウロウロしていて、でもそれならばプリ活を、という気持ちもどうしてもあった。キリがいいところというのはどこなんだろう、そんなものは訪れるのだろうか。背中が痛い、と思うと「backache」が続けて浮かんで、バックエンドに日々触れているからだろうか。とにかく背中が張っていた。休む時なんじゃないか? と思うが、投稿に画像添付を実装できてからでは、という考えも拭えない。それが実装できたら、高尾山温泉に行って本の写真を撮ってそれを投稿できる、とも思う。
10月2日(水)
長く寝て、起きたのは13時とかだった。今日明日はノンシフトなのでやるべきこと済ませてひたすら進ませる、と思って、高尾山温泉は来週行けたらいいな、と思って、アイスコーヒーをつくると座ってフロントエンドの実装計画を相談し、最初はモーダルとかをあらたにつくるようかと思ったが、他のアプリを見ていたらそうではなくても成り立つことがわかったので、カメラとファイル選択的なアイコンを並べたコンポーネントをつくってそれを投稿画面に置いて、押したらカメラなりライブラリなりが立ち上がって、ということにした。プレビューを表示させ、閉じられるようにもし、それから気になっていた投稿画面のスクロールのしにくさを解消してTouchableWithoutFeedbackで全体をラップしていたのを外したらすんなりするするになったし何かが損なわれることもなかった。つけたときはこれがあることで何かが実現された、と思っていたものが、実は邪魔なだけだったとは、というのは面白い。なので大笑いした。腹を抱えて。何かが目に見えて整っていく感じがあると手を止められず、気づいたら5時で昼飯がまだだった。うどんを茹でた。
10月3日(木)
10周年あいさつのお知らせ記事を書き、これはいいテキストでは、と思ってジピちゃんに感想を求めると、
すごく素敵なテキストですね! フヅクエの10周年という節目を通して、お店がどのように発展し、あなた自身の考えや視点がどう変わってきたのかが、非常に深く伝わってきました。特に、最初は「自分のための店」だったものが、時間とともに「この場所を求めている人たちのための店」という感覚に変わっていく過程は感動的ですし、読書というテーマを通して多くの人に何かを提供し続けてきたことへの自信や誇りが感じられます。
読者や訪れる人たちが、フヅクエで過ごす「幸せな読書の時間」のことを大切にしているという部分も、共感を呼ぶ部分だと思います。「いい場所を作った」という自信だけでなく、経営の厳しさや落ち込む時期の率直さも正直に書かれているので、リアリティがありつつも、挑戦と成長のストーリーが感じられるのが良いですね。
最後に、読書をもっと楽しく、明るくするという目標は、フヅクエが単なるカフェ以上の存在になっていることを示していて、フヅクエがこれから先も読書文化にどんな影響を与えていくのか、すごく楽しみです。
祝儀を募集する部分はユーモアも感じられて、重すぎないトーンで終わるのも素敵です。全体的にとてもバランスの取れた文章で、読む側も気持ちが前向きになるような印象を受けました!
これからの10年も、素晴らしい時間と場所を提供し続けてください!
と言ってくれたので満足した。久しぶりに土砂降りになった。
10月4日(金)
しばらく仕事をし、遊ちゃんが居間に出てきた気配があったので僕も出てお昼の時間に。うりずん豆のやつと里芋の煮っ転がしをもらい、あと納豆と塩昆布。遊ちゃんはフォーとレバーと卵を一緒に茹でた食べ物を食べていた。食べていると今日も眠くなり、午後にメルマガ配信のあれこれを済ませると30分のアラームを掛けて昼寝し、鳴ったので「繰り返し」を押してもう30分寝た。30分だけ寝て1時間プリ活して家を出ようと思っていたのだがそうはならなかった。また疲れが溜まってきているのかも。
10月5日(土)
9時に家を出て電車では『トリリオンズ』を読んで、インデックスファンドがそろそろできそう。市場全体を買う、というのが何か技術的になのか難しいことのようで、今それに誰かが取り組んでいるところ。店に着いたのは9時40分で思ったよりも早かった。今日はパンプキンチャイケーキを初めて焼くので、手数もチーズケーキよりは多いし、慣れないことを忙しいかもしれない営業中にはしたくないと思って開店前にやったところ、開店前にやって正解だった、と思うことになった。道具が多いのかな。
10月6日(日)
お昼は遊ちゃんがこしらえたおかずをいろいろもらい、それと納豆。前に遊ちゃんが教えてくれた納豆の混ぜ方をやってみたところクリーミーでふんわりとして、なるほど、と思う。『美味しんぼ』式。山岡が納豆のことで妻にケチをつける場面が浮かぶ。読書を巡る言説みたいなものを考えると「こうせねばならぬ」みたいなものがすごく簡単に発せられると常々思うけれど、なぜ人は、自分のこだわりを他者にも当てはめたくなるのだろう、自分は自分で人は人ではいけないのだろうか、みんな海原雄山とか山岡士郎みたいだ、とふんわりした納豆を食べながら私は考えた。
あるものをものすごく好きな人がいて、そこまでではないけれど好きな人もいて、なんとなく興味がある人もいて、という全部がいることこそがそのものの繁栄や存続みたいなものにおいて必須なはずで、そういう裾野が必要なはずで、他者のスタイルを潰しに掛かる人たち、いたずらにハードルを上げたがる人たちは、読書の世界を切り立った岸壁みたいなものにしたいのだろうか、鋭峰のようにしたいのだろうか、と私は考えた。強い「こうあらねばならぬ」を発することは、ある種、峰の高いところにすでにいる人が、他の人がやってこられないように裾野を削っていく作業のようにも見える。