読書の日記(7/29-8/4)

2024.08.09
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抜粋

7月29日(月) 

静かな営業が終わって、氷を割って売上金をまとめて入金して、とか終わりの時間のほうが忙しく働いていた。
またカレーをひとつもらって帰り、セブンで煮卵を買った。今日も同じスタイルでカレーと卵とキャベツと人参とご飯のお皿を持って部屋に入る。3時半まで。

7月30日(火) 

3時ごろ布団に入って『消去』を開く。「私の役割は、動揺した者たちのそれだった」「私もその役割がいちばん好都合だと感じていた」「人に見られているときは、できるかぎりうなだれているように注意しさえすればよかったのだ」と語り手は考えた。
かといって、万事にまったく心を動かされなかったわけではないが、実際のところはいま、他人の葬式に列席したとき以上のものを感じてはいなかった。いま「野辺送りをする」のが自分の家族だという事実にも動揺してはいなかった。というのも芝居があまりにも大袈裟だったので、動揺の入り込む余地がなかったのだ。私はまだ動揺を感じていなかったが、すべてが終わった時点で、はじめて動揺させられることだろう、と私は考えた。ショックは受けたが、動揺はこれからやって来るのだ、と私は玄関に司教たちといっしょにたたずみながら考えた。 トーマス・ベルンハルト『消去』(池田信雄訳、みすず書房)p.459
しんみりしちゃった。

7月31日(水) 

夜ご飯は昨日の炒め物をもう一度と、白菜と大葉の和え物。い志井のお通しで食べたやつを再現しようと思い。僕はキャベツだと思い込んでいたが遊ちゃんが白菜だと言ったので白菜を買ってきた。それを昨日から見始めた「ゆるコンピュータ科学ラジオ」の続きを見ながらつくってデータベースの話を見ている。面白い。堀元さんとNotion見せ合いっこしてみたい。

8月1日(木) 

それで元気になって午前中からテキパキと仕事を進めて今日も早く早くと気が急いている。気が急いている中でもラジオをやりながらNatsumenを久しぶりに聴いたらどんどん胸がいっぱいになって涙が溢れて嗚咽しそうになった。特別な記憶があるバンドというわけでもないのにこれはなんだろうか。音楽の力というものだろうか。蝉が宇宙を歌う。ライブを見たのはたぶんフジロックのオレンジコートのとき一度きりで、そのステージの途中でフロントマンのAxSxEが「ここに立つことができるのもみなさんのおかげ、んなわけねーだろ!」みたいなことを言ったのがずうっと印象に残っている。その姿勢は僕の中にはっきりと残された。謙虚な顔をしすぎないほうがきっと真剣だということ。下手な謙虚さは不真面目だということ。

8月2日(金) 

PostgreSQLはサーバーというものを持たない僕は開発時だけで、クラウドに移行して使うのはNoSQLなデータベースなのかと思っていたらそれは勘違いでクラウドでPostgreSQLを使えるサービスというのはいくらでもあるとのこと。なぜかクラウド=NoSQLだと思っていた。それからあるテーブルの構造について相談し、「多対多だから中間テーブルをつくるということでいいですか?」と最新の知識を披露した。相談できる人ができた感じがしてうれしい。話していると一方通行の路地を車が逆走して出てきて、さらに逆走方向に曲がっていこうとしたから、ここ一通でそっち逆ですよ、と教えてあげたらドライバーのおばちゃんが明るい顔で手を上げてお礼めいた身振りをし、そのまま逆走を続けて甲州街道に出て行った。うん、ありがとう、でも今日は勘弁してね、ということだったのだろう。ダメだよそれwww

8月3日(土) 

布団に入って『消去』を開くとどんどん文章が高まっていくような感じがあった。そしてふっと消えるように終わった。消失点、という感じの終わり。すっと終わった。ヴォルフスエックが世界から消去された。

8月4日(日) 

「長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない」から始まる最初のページがなかなか読めず、うっすら視界に入るディスプレイに気を取られる感じもあり、頭に情景が立ち上がらず、3分くらいそこにとどまっていた気がする。でも少しすると板に乗った姿勢が安定し、足で地面を蹴ると前に進んでいった。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアは、誰にも実験の邪魔をされないように奥にもうけた狭い一室にこもって、長い雨期をすごした。家の仕事からはまったく手を引いて、天体の運行を観測するために中庭で徹夜をし、正午をはかる精密な方法をきわめようとして日射病で倒れかけた。やがて器具の扱いに慣れた彼は、空間というものをはっきり理解し、自室を離れるまでもなく未知の大海原で船をあやつり、人煙まれな土地を訪れ、すばらしい生き物と交わることもできるようになった。 ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(鼓直訳、新潮社)p.13
空間というものをはっきり理解し、自室を離れるまでもなく未知の大海原で船をあやつり、人煙まれな土地を訪れ、すばらしい生き物と交わることもできるようになった。この飛躍が気持ちよく、そしてなんだかインターネットみたいだと思う。それにしてもここに限らずホセ・アルカディオ・ブエンディアが何かにドハマリして周囲が見えなくなる感じは身に覚えのあるもので、なるよね〜、と思いながら読んでいた。
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