読書の日記(6/10-16)

2024.06.21
402.jpeg
書籍版新作『読書の日記 予言 箱根 お味噌汁』『読書の日記 皮算用 ストレッチ 屋上』が発売中です。
https://fuzkue-s3-v4.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/DN_56_cover_2_16adc7232b.png
こちらのページは抜粋版です。残り約16,000字のフルバージョンはメールマガジンかnoteで読めます。

抜粋

6月10日(月) 

ルールというと自分を縛ってくるものという印象を持つ人が多いのはどうしてだろうと思うというか、どうしてだろうとまでは思わないしその感覚もわかるけれど、だけどそれは自分にとって面倒だったり窮屈だったりするルールだけを取ってきてルール全般に対してその印象を嵌めてしまっているに過ぎず、窮屈なルールが窮屈であるだけに過ぎず、ルールは本来もっとフラットなもので動きをデザインするものだ。ルールのないスポーツやルールのないゲーム、ルールのない交通、その状態を想像したらルールの恩恵がすぐにわかるしルール全般に否定的になる理由がなくなるはずで、ということを考えながら『ルール?本』を持って小説のほうに行くともっと明るい色の本があって『みどりいせき』をゲトることができた。「ゲトる」は人生で初めて使った。

6月11日(火) 

明晰な頭で布団に入って『消去』を開くと孤独について書かれていた。
私はいつも孤独に憧れているが、いざ孤独になってみると、私はもっとも不幸な人間なのだ。私は孤独に耐えられないくせに、絶えず孤独について話している。私は孤独を説きながら、孤独を心底憎んでいるが、それはなぜかと言えば、孤独は、私がいまもう感じはじめているように、他の何にもまして人間を不幸にするものだからだ。私はたとえばガンベッティを前に孤独を説いているが、孤独はあらゆる罰の中でもっとも恐ろしい罰だとよく分かっている。私はガンベッティに言う、ガンベッティ君、「孤独こそ最高なものだ」と。なぜなら私は哲学者を演じているからだ。しかし私は「孤独がすべての罰の中でもっとも恐ろしい罰」だということをよく知っている。気が狂った者だけが孤独を宣伝する。そして完全にひとりでいるということは最終的には、完全に気が狂っていることにほかならないのだ、と私は自分に言い、また別の方向に引き返した。 トーマス・ベルンハルト『消去』(池田信雄訳、みすず書房)p.223
そしてページをめくると、右ページはこれまで同様にみっちり文字が埋まっているのだが左ページに3行ずつくらいの空白に挟まれた「遺書」という文字が置かれていてなんと! 章が、変わった! これまで読んできたのにもタイトルって付いていたんだっけ〜! あえて振り返ることはせずにそのまま読み進めて語り手はとうとうヴォルフスエックの中にいた。

6月12日(水) 

前の方の席に着いてしばらくすると予告編が始まってダニエル・シュミットの『デ ジャ ヴュ』と『季節のはざまで』が近日上映とあったがいつだろうか、見に行きたいと思った。それからバス・ドゥヴォスという簡潔な名前の監督作がふたつ掛かるということで静かなゆったりとしたそれだけで懐かしい気持ちになるような美しい映像で予告編終わりの作品詳細みたいなところに複数の言語が書かれていて、なんとなく多言語の映画には惹かれるところがあってこれも近日上映とあったがいつだろうか、見に行きたいと思った。思ってから、勝手なイメージだがこれはきっと最初イメージフォーラムで掛かったのではないかと思って、それから小林さんのことを思い出し、小林さんだったら絶対に見に行っているやつだろうなと思う。あとで上映スケジュールを調べてみようと思う。

6月13日(木) 

7時になるとお客さんがやってきて読書会の時間になってみんな鮮やかな明るい緑の本を持っている。オーダーをわーっとこなしていって隙間ができると僕も本を開いて「あれは春のべそ。まぁ、そんなわけないし、もしそうなら、みんないつか死ぬ、ってことくらい意味わかんないし、わかんないものはすこし寝かせたい」と始まって、作者の受賞スピーチ以外は何も知らない状態で臨んだわけだがこうくるかと思ってそれはうれしいほうのこうくるかでウィールがオレンジで板が青のペニーボードが近づいていくる場面。
竹並木の葉擦れにまぎれ、質の違う何かのこすれる音がおっきくなっていく。近づいてきてんだ、って理解した時には僕の横を、髪をなびかせながらペニーが追い抜いていった。さっきの彼女は地面を蹴り、そのたんびにスピードに乗って遠ざかっていく。原付の前で急停止して、同時にペニーを起きあがらせてつかむと、原付のカゴへ放り投げ、そのまんまの勢いでバズカットのうしろへまたがった。すぐに乾いたエンジン音がけたたましく空気をふるわせ、二人はいなくなる。 大田ステファニー歓人『みどりいせき』(集英社)p.22
なんかすごくいい。「近づいてきてんだ、って理解した時には」というのが特に好き。

6月14日(金) 

「かまく、らのおみ、すす、うう、うわあ、お土産でもらったややつ。だから」
「じゃあもらえないす。洗って、ウチに渡しに来てほしい」グミ氏がゆっくり体を低くして顔をのぞき込んでくる。「チャーハン好きすか? ルルの奢りっす」
春が舌打ちする。
「いい、いいいの、お?」
「ほんとはラメちもくるはずだったんで」グミ氏が春を見る。「ね?」
「うぐう、なが、ナカムラって、ああが、出てすぐの、どご?」
「そうっす。並でも量イカついんで、残しちゃダメっすよ」
「え、おま、一年以上通ってて行ったことねえのかよ」
グミ氏が自分の靴箱に向かい、「レタチャがエグちす」って言いながら上履きを履き替える。春はスリッパのまま昇降口から出ていった。 大田ステファニー歓人『みどりいせき』(集英社)p.109
ここで本を閉じ、明かりを消し、それからも「レタチャがエグちす」という言葉が繰り返し響き、きっとレタスチャーハンがエグいおいしさという意味とかなのだろう。ちす。エグちす。レタチャがエグちす。何に救われているのかさっぱりわからないまま、救われる、という気持ちで眠る。レタチャがエグちす。

6月15日(土) 

6時で山口くんと酒井さんが来て昨日の夜くらい忙しくなることを祈念すると上がり、調布、くまざわ書店。
敷野くんが買ったという、僕も何かで見かけて読みたいと思った『サッカーダイジェスト』か何かのムックを買おうと思って来たわけだが、開いてパラパラしていたらこれは俺はそんなに楽しくないかなと思って元に戻した。今年のヨーロッパ5大リーグの総括号みたいなやつで各チームのいろいろとか誰がどれくらい活躍したかとかが紹介されているのだが、何かが僕の期待とは違ったようだ。タイトルに偽りはなく、期待の置き方を身勝手に間違えたとしか思えない。僕はどうもユーロ2024を見る助けになるようなものを期待していたのかも。

6月16日(日) 

試合が終わったあとはなぜか仕事に戻ってしまって経理をやりきった。今月分完了し、税理士さんにチェックお願いの連絡をしたのが3時22分だった。そこからさらに仕事をしたから驚きで、布団に入ったのは何時だったのか。『消去』を開くと語り手はヴォルフスエックの庭師たちにとうとう話しかけ、庭師たちは悲報の一家の息子を迎えて喜ぶ顔を見せることは当然できず、まさか両親と兄を事故で亡くしたばかりの目の前の男が完璧な葬礼芸術を演じ上げる期待に胸を膨らませてウッキウキになっているとは思わない。
・・・
残り約16,000字のフルバージョンはメールマガジンかnoteで読めます。