抜粋
6月3日(月)
家に着いて正月ぶりで久しぶりになった。仏壇に線香をあげて手を合わせ、すぐに夕飯の時間になった。新玉ねぎとトマトとブロッコリーとかのサラダ、厚揚げと大根と鶏肉とかの煮物、塩辛か何か、巨大ホッケ、ご飯とお味噌汁。那須の殺人事件の話と大腸検査の話をしながらの夕飯となり、ビールを飲み、日本酒を飲んだ。父はかつて休肝日をつくっていたとき、週2日設けることにしていて、それをいつも月火で消化した。2日我慢したらあとは飲めるという考えで、それを聞いて、それはいいやり方だ、それなら僕もやれるかも、と思った。
6月4日(火)
那須のショーゾーも明るい林の中にあって駐車場から気持ちがよかった。最初はテラス席に着いたのだがすぐに肌寒くなってきたので中に入らせてもらって外がよく見える席に移った。僕はスコーンとチーズケーキと浅煎りのコーヒー、遊ちゃんはスコーンと松の実のタルトとウインナーコーヒーで、遊ちゃんが鞄から散歩特集の『ユリイカ』を出して散歩について話しながら目次を見ていたら皇學館大学の岡野先生が執筆者に名を連ねていて、岡野先生がいるね、とふたりでよろこんだ。前に講義に招いていただいた。またいつか伊勢に行きたい。
6月5日(水)
食後にテレビが「解体キングダム」という番組になってやたら面白そうだったので見たらやたら面白かった。高速道路の真上に位置する巨大な岩山を解体するという工事で下手にやると落石とかで大変で慎重を期す必要がある。それを解体のプロたちががんばっていく。見事だったし他の回を見てみたい。解体にはときめくものがある。多分この感覚は初台の店をつくるときに生まれた。残置されたコンクリート壁や天井をぶっ壊していったときの激しく楽しい記憶によって生まれたものだと思う。あれ以来解体にときめく。それからもダラダラとテレビを見る時間を経て風呂に入りシャキッとすると仕事復帰してしっかり働けた。
布団に入ると今日も『ビジョナリー・カンパニー2』。この本の原題は「GOOD TO GREAT」だが、僕に必要なのは「BAD TO GOOD」だよなあと思う。いや、「BAD TO NOT BAD」かも。
6月6日(木)
コーヒーを淹れて昼まで働き、そのあいだまたフランク・オーシャンを聞いていたら、そのあとなぜなのか頭の中に残って流れ続けることになったのはアル・グリーンの「Let's Stay Together」で、昼になると4人で歩いてそば屋さんに行ってお昼を食べた。「社長」と呼ばれるお客さんがいた。
2時半まで仕事をすると帰り支度で布団を上げて荷物をまとめた。両親に駅まで送ってもらい、田んぼがただただ続く道で稲は若草色でいっぱいに張られた水は太陽の光を浴びて輝いていた。今日は山はぼんやりとしか見えなかった。
セブンでアイスコーヒーを買い、ロータリーのところで荷物を下ろして今回も大変お世話になりました。
6月7日(金)
調布戻り館。今日もフランク・オーシャンを聞きながら仕事をしてやっと調子が出てきたという感覚。次の読書会のことを決めていかないとで、6月の後半は岸本佐知子の『わからない』でこれはみんなでくすくすぷすぷす笑いながら読む空間ができたら最高だろうなという目論見。次の『氷の城壁』の発売日はいつだろうと、調べようとしつつ、しかし恐れつつ、何も知りたくない、発売日以外のいかなる情報も知りたくない、と思いながら、だからいっそ遊ちゃんに連絡して調べてもらおうかとすら考えていたが、いま知りたく、だから自力で。慎重に、と思って検索ワードは「氷の城壁」から始めず、「発売日 12巻 氷の城壁」の順にしたのに、その下とかに「氷の城壁 14巻」みたいな文字列が見えてしまって14巻で完結なのか!? ともあれ12巻は7月4日と知れて『氷の城壁』でも読書会をしたい。発売日にやりたい。
6月8日(土)
初台はヘルプは必要ないとのことだったので帰り、夕飯はまたカルボナーラをつくるつもりで、今日は全卵ではなく卵黄でつくろう。カルボナーラについて真剣に考えながら歩き、そのあと今日のバイクの時間のおともについて考え、今日は読書をしながら漕ぐことにした。今なら16でも後傾でも漕げるようになっているかも。それを試してみたい、ということでもあるようだ。では何を読むか。『消去』か『ビジョナリー・カンパニー2』か、どちらが汗が飛び散るのが嫌か、で考えたら答えを出すのは簡単で、汗が飛び散ってもいいと思えるのは『ビジョナリー・カンパニー2』だった。
6月9日(日)
忙しい夜になってうれしかった。日曜日の夜というのはゆったりになりがちなので珍しい感覚で最後までわーっと働いた。田村さんが10時で上がりで下高井戸シネマの話をした。
終電に乗って日曜日の終電は特急でも空いている。座り、『消去』を開いた。今週初めてのことでおかしな週になったものだ。語り手は母の不貞、自己破壊と自己消去についての語りを中断するとヴォルフスエックに向けていつ発とうか、どの交通手段で帰ろうかと考えていた。時刻は午後5時らしい。
私は下に降りて電話をしようと思い、下に降りるためにドアまで行ったが、ドアのところまで行くと、ふたたび窓辺に戻り、それからまた引き返す、というふうに何十回、おそらく何百回となく私はドアのところまで行ってはまた引き返した。何回だったかもうよく覚えていないが、二、三回どころでなく、数十回どころでもなくもっと頻繁に、窓辺とドアの間を往復した。
トーマス・ベルンハルト『消去』(池田信雄訳、みすず書房)p.217,218
部屋をうろうろしてくれるだけで僕はうれしい。