読書の日記(5/20-26)

2024.05.31
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抜粋

5月20日(月) 

帰宅し、こう考えた。バイクを30分、それからシャワーで料理、もちろんそれでもいいのだが、ミートソースにはじっくり炒めて煮込んでいく工程があってそれはときおり手を動かすが基本的には働くのは時間だ。それならば複数のタイムラインを同時に走らせることが可能なのではないか。つまりこうだ。まずキッチンに入って今日使う分のひき肉を残して残りは小分け。今日使うやつには塩を振って混ぜて、それから薄力粉を軽くまぶす。玉ねぎニンニク人参をみじん切りにしてオイルを引いたフライパンに。軽く塩を振る。それから椎茸も刻んでこれはひき肉と一緒のタイミングで入れることにしたのでひき肉のところに入れておく。その準備が済むと、バイクをキッチンまで運び入れ、調理台にパソコンと水のボトルを置き、タブレットホルダーにはiPad。着火して弱火で炒め始めるとパソコンでリヴァプールとウルヴズの試合の続きを流してiPadにミラーリングさせ、iPhoneで30分のアラームを掛けると漕ぎ始める。試合を見つつ、漕ぐ動きを止めることなくたまに玉ねぎたちを動かしたりしつつ、漕ぎ、汗をかき始め、水を飲み、十分に炒められると漕ぐ動きを止めることなくひき肉を合流させて火加減を調節し、今日の実況は倉敷保雄さんで、倉敷さんの実況は他の人たちとは一線を画している、サッカーという美しい物語の語り部という感じがあってとても好きで、いま思いついたが「倉敷さん実況の試合を追う」というサッカーの追い方も楽しいかもしれない。

5月21日(火) 

とにかく黒字にしたい。それだけが望み。

5月22日(水) 

それでも延々と働き続けて10時半くらいまで。仕事から離れられない感覚がある。仕事をしていないと不安という感覚。
ご飯をつくる気になれず、面倒になり、お腹は減った。アーセナルの試合の続きを見ながら30分しっかり漕ぎ、冨安がきれいな同点弾を決めた。セロトニン、セロトニン、と思いながら汗だくになって今日も漕いで実際、いくらか明るい心地を取り戻せた。

5月23日(木) 

帰りは『あらゆることは今起こる』。この本は語り口の硬軟みたいなところが僕はすごく好きらしく、考えてみたら柴崎友香は小説以外は読んだことがなかったからか、緩み方が新鮮で、それは関西弁とかもそうだけど「い」抜きの動詞が並ぶところとか、よくて、それをそのまま残す編集の姿勢も好ましく感じて、そういうくだけた書き方とそうじゃない書き方の緩急、硬軟、それが好き。これは硬軟なのかわからないが先週引用していたところの「わー、これがまさに私の脳内多動や! そしてだいたい間違った選択肢を選ぶんや!」の「そして」とかで不意打ちのぐっと来る感じが生じる。「そして」のあとに「だいたい間違った選択肢を選ぶんや!」が続くのにもぐっと来る。

5月24日(金) 

この前だったか後だったか、アメリカのフィクションに触れるのが楽、距離感がちょうどいい、ちょうどよく異世界、というようなことが書かれていたけれど僕にとってはそれがまさにラテンアメリカ文学で、ホセとかロベルトとかフリオとかすごくちょうどよく遠くていいんだよな、というのでずっとラテンアメリカ文学のところにいる気がする。『百年の孤独』をまた読みたくなってきた。文庫で出たか出るかするし、次の会話のない読書会を『百年の孤独』でやろうかなとか考えていると調布で館にイン。

5月25日(土) 

アイスコーヒーをこしらえ今日は昼番。準備を万端にしていると岸本さんがやってきてコーヒーの淹れ方レクチャーを経て開店で、しかし誰も来なかった。誰も来ない時間が40分くらい続いて珍しい土曜日で、そこからはしっかり忙しくなっていってみっちり働いた。
6時過ぎに山口くんと交代して出て駅に向かって歩き始めたところで、朝ご飯を食べそこねてそのまま何も食べずに過ごしていたことを思い出した。腹ペコ。『あらゆることは今起こる』を読みながら帰り、館に行く説が濃厚だったが別の改札を出てオオゼキに向かっていた。

5月26日(日) 

ここ数日、僕は今『消去』を読み続けるべきなのだろうかという考えが漂っているのを感じていて、簡単にダウナー側に倒れる今読むには刺激が強いというか、あまり適していないような気がしてきている。そういう状態をこそ助けるような気もするけれど、今の僕にはなんとなくよくないような気がしている。それに、今のところは本当のところはあまり面白がれていないような気がして、この男、小説が始まって以来、なんにもしていない! 両親と兄の死を知った時間にとどまり続けているのだろうか。僕は運動を見たいのだと思う。罵詈雑言は面白さに色を添えるもので、ベルンハルトの最良のというか、一番面白がりながら読んできたのは、何かしらの運動が描かれているところだったような気がする。歩いていたりとかそういう。部屋から出て、歩きながらその罵詈雑言をしゃべってほしい、という気持ち。
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