『2666』日記

2024.05.01
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2022年12月29日(木) 

すっきりした体で歩いていると咳かくしゃみかをしたときにお尻からぷりっと何かが出たような気がしてまさかうんちを漏らしてはいないよな? と心配を感じながらコンビニでビールと、店で味噌汁2杯食べて「今晩はこれでいいかな」とさっきまでは思っていたはずなんだがパスタを買っていて今日はカルボナーラだ、「アルポルト監修」とあるやつだ、それで家に帰るとすぐにトイレに行って確認を実施したところ何もいけないことは起きていなくてよかった、放屁だったということだ。冷蔵庫を見たらほうれん草としめじがあったのでなくしたほうがよかろうと湯がいて和え物をつくってパクパク立ち食い。今日済ませるべき仕事をし、それからカルボナーラ。これはなか卯とかのテイクアウトの丼とかと同じような二段構造になっていて上部構造がソースで下部構造が麺だ。なんとなく今日『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』を読み終えたい気がしている、数日前から年越しは『2666』をまた読みたいような気もしていたが今日は忘れていたので持って帰るのを忘れたからそれは叶わないし本気で考えていたわけでもないのだろう、でもいつか『2666』をまた読みたい。

2024年2月8日(木) 

帰ると肉をマリネして、でも面倒だなと思う。明かりをつけないまま、カッパえびせんの小袋があったので食べ、それからポテチがあったので食べる。ソファで延々とサッカーの記事とかを読みながら。読んでいると日本とイランの試合を見てみたくなってTverとかで見られないのかと思ったが見られなかった。なんの気力も湧かない。ひどい気分の日。漫然と『証人』の続き。『2666』を読みたくなっている。

2月11日(日) 

ふわふわした体でボーナストラックに行き、前を歩く人も言及していたが今夜のボーナストラックは静かでひと気がなかった。「ひとけ」はこれまで僕は「ひとけ」と書いていた、「人気」はどうしたって「にんき」だから開いていたのだが、『汚穢のリズム』のたしか虫の話で「ひと気」という表記を見てなるほどと思って使ってみたが今後はどうするだろうか。とにかくボーナストラックにはひと気がなく、いやだけど自分でもこれは「ひとき」と読みそうになる感じがあってあまりよくないかもしれない。ボーナストラックはだから静かでひとけがなかった。B&Bがやっていたら『消去』を買っちゃいそうな予感があったが、今日は6時で閉店だったので、買わずに済んだというかなんというか。『ハリケーンの季節』を読んでから『2666』を無性に読みたい感じが続いていて第一部の学者たちのやつが本当に好き。アルチンボルディだっけ。二部はボクサーだっけ。犯罪の部はとんでもないんだ。四部構成だった気がするがあとはなんだっけ。

2月12日(月) 

昨日もおとといほどではないにしても忙しい日になって素晴らしい。今日もそうなってほしい。おとといのがんばりが効いていて準備はそんなにない。朝飯を食っていると敷野くんがやってきたので4-1-2-3のことを聞いてそういうフォーメーションはあるということだった。アーセナルには「ガブリエル」の名の選手が3人とか4人いるという話からガブリエル・ガルシア・マルケスの名前の話というかスペイン語の名前の話になって、本棚に並んでチラチラと目に入る『2666』が僕を呼んでいる気がして仕方がない。読みたい。持って帰ろうかと思うが、本当に読むのだろうかとも思う。僕はどうしたいのだろう。

2月25日(日) 

田村さんが帰っていき、明日の引き継ぎの連絡をいろいろとし、明日から家で飲む分のコーヒー豆をいくらかかっぱらい、それから本棚から『2666』を取ってリュックに入れた。久しぶりに持った『2666』は覚えていた以上に重かった。
帰り道、夕飯をどうしようか迷った末に味の濃そうなラーメンを選んだ、「とみ田監修デカ豚ラーメン ワシワシMAX」というやつ。それとビールを買って帰り、寝室の前で遊ちゃんとまたしばらく『夜明けのすべて』の話をしてからシャワーを浴びて居間に行って人参と玉ねぎと小松菜を温野菜にしてラーメンあたためてご飯もあたためてアーセナルとニューカッスルが試合を始めて夕飯。ラーメンは食べごたえがあり、長い労働をいたわる食べ物としてはうってつけという感じがした。ご飯はもうひとつあたため、だからたらふく食った。
すでにけっこう強い眠気があったがそれでも『2666』を持って布団に入り、開くと「ジャン=クロード・ペルチエが初めてベンノ・フォン・アルチンボルディを読んだのは、一九八〇年のクリスマスのことだった」と始まった。
当時、彼は十九歳で、パリの大学でドイツ文学を学んでいた。件の本とは『ダルソンヴァル』である。若きペルチエはそのとき、その小説が三部作(イギリスを舞台にした『庭園』、ポーランドを舞台にした『革の仮面』、そして見るからにフランスを舞台にした『ダルソンヴァル』から成る)の一つであることを知らなかった。だが、彼の無知、空白もしくは書誌的な怠慢は単に彼が若すぎたせいであり、その小説が彼にもたらした眩惑と感嘆は少しも損なわれはしなかった。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.13
なんだかこれだけで胸がぎゅーっと締め付けられるようで、強烈にときめく。これを堪能したいと強烈に思う。そしてたちまち寝る。

2月26日(月) 

ミーチングを終えてうどんを食べて今日仕事をとにかく進めたい。遊ちゃんが今日か明日か高尾山温泉行って『2666』読んできたらと言ったのを聞くと俄然それをやりたくなっていて、だから今日仕事をすっきりさせて明日を休みにしてそうしたい。一日中、風呂に入ったりバカでかい本を読んだりする日、想像するだけで最高で、それをぜひやりたい。
一日よく働き、2時過ぎ布団。『2666』。ペルチエ、モリーニ、エスピノーサ、ノートン。名前は空で書いたから合っているかわからない。4人の愛おしいアルチンボルディ研究者が順番に登場してひとりひとり紹介されていって、その感じは試合前の今日のスタメンの発表の画面で背番号と名前の表示からふわっと写真が立ち上がって短く言及される感じと似ていて、そしてサッカーだったら選手たちがフィールドに出てきて円陣を組んだりしてから試合が始まるわけだが小説では学会で一同に会して親睦を深める。それからは4人は本当に仲良くなっていく!
エスピノーサは奇妙に興奮して、あるいは興奮を装い、あるいはいとおしそうに、いずれにせよ礼儀にかなった興味を示しながら耳を傾け、モリーニはあたかも自分の人生がかかっているかのようにしゃべりまくり、その二日後か数時間後に、エスピノーサがノートンに同じような調子で電話し、続いてノートンがペルチエに電話する、するとペルチエがモリーニに電話をかけ、何日か経つとまたもや再開される通話は極度に専門的なコードとなり、アルチンボルディにおけるシニフィアンとシニフィエ、テクスト、サブテクスト、パラテクスト、『ビツィウス』最後の数ページにおける言語・身体的領土権の奪還という具合で、そうなるともはや話題は、映画であろうとドイツ語科の問題であろうと、朝な夕なにそれぞれが住む都市をひっきりなしに通り過ぎていく雲と同じだった。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.23
フランス、イタリア、スペイン、イギリス、4つの土地に暮らす4人が電話を掛け合う。通話がヨーロッパ地図に網の目を形成していくそのイメージが初めて読んだときもすごく好きで10年後の今日もすごく好きで、だけど今日読むとその網の目はサッカーのボール回しにも見えてきて、物語の序盤、これは4人によるビルドアップの時間なのではないか。やっぱりそれにしても『2666』は、特にこの第一部は、チャーミングなんだよなと思い出す。ボラーニョの他の作品ではあまり見ることのなかったようなチャーミングさがあってこのわちゃわちゃした感じは『ブヴァールとペキュシェ』っぽくもあって、すごく明るいおおらかな心地になる。やっぱり好きだなあ、と思う。そう思うとき、不思議と「駄目だ。好きだ」のこゆんではなく、「嫌いだなあ〜」の桃香ちゃんが浮かんでいる。

2月27日(火) 

オーブン焼き。今日は鶏肉、玉ねぎ、人参、カブ、カブの葉、ゴボウ、セロリ。遊ちゃんは僕のオーブン焼き習慣を喜んでいるらしくてタンパク質と野菜をたくさん摂っているから。今日もおいしく、漫然とどこかの試合を見、食事を終えると布団で『2666』。シュヴァーベン人が何かを長々と話している。今日も楽しい。

2月28日(水) 

シャワーを経て今日は短時間のマリネでもう焼いて、鶏肉、玉ねぎ、人参、カブ、キャベツ、セロリ。サッカーではなくレオザフットボールと守田英正の対談動画を見ながら食べて、フォカッチャも柔らかくていいものだ、天板の油分や旨みを全部吸ってくれる。守田選手はめちゃくちゃいい人そうだった。前後編見て満足すると布団に入って『2666』。面白い。だからいっぱい読みたい。金曜日、高尾山温泉に行って一日読みたい。果たしてそれは実現するのでしょうか?

2月29日(木) 

カツ丼はやっぱりおいしかった。布団に入ると今日も『2666』。アルチンボルディの出版社のブービス夫人が訪問してきたペルチエとエスピノーサに向かってグロスという画家の話をしている。「わたしはグロスで笑う、向こうはグロスで落ち込む。本当にグロスが分かってるのはどちらかしら?」とブービス夫人。
「あるいはこの話を別の形にしてみましょう。あなたは」とブービス夫人はエスピノーサを指さして言った。「無署名の絵を取り出すと、これはグロスのだと言って、売ろうとする。わたしは笑わず、冷めた目でその絵を眺め、線の描き方、確かな技術、風刺性を褒める。けれどその絵に悦びを感じない。美術評論家はその絵を注意深く観察すると、いかにも彼らしく気が滅入ってしまい、その場ですぐに買い取りを申し出るけれど、その金額は彼の貯金の額を超えている。で、取引が成立すると、彼は日ごと午後の長い時間を憂鬱に浸って過ごすことになるというわけ。わたしは思いとどまらせようとする。その絵はどうも怪しい気がする。なぜなら笑いたくならないからだと彼に言うの。評論家は、ついにわたしがグロスの作品を大人の目で見るようになったと答え、おめでとうと言う。二人のうち、どちらが正しいのかしら?」 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.36

3月1日(金) 

脱衣所で服を脱ぎながら、お風呂に入りたいわけじゃなくて本読みたいんだよな、という考えがよぎるのを感じ、それはたしかにけっこうそうで、早く『2666』を読みたかった。入浴の時間がもったいない、もどかしい感じもあった。しかし風呂に入ればその考えはたちまち雲散して今日も高尾山温泉は最高だった。日の光がお湯に当たってゆらゆらと揺れる水面に頭上の木の輪郭が映り、湯気は光の中で宣伝用写真みたいにぼうっと上がり、風が吹くと水上をサーっと走っていった。まぶしくて、まぶたを閉じると視界は一面これ以上なく真っ赤になった。向こうの山々が見える炭酸泉に移ると枯れたり緑だったりの山があって下手なバリカンで刈ったあとのようにジグザグで、小さな気泡が体に苔みたいに生えて、指でなぞって線を描いたり、ブワーッと手のひらで撫でたりすると時間を置いてシュワシュワが水面に上がって、その音が聞こえる。
サウナ、もう一度露天風呂を経て上がり、水を飲むのを控えたのはビールのためだ。着替えて本とかの荷物を持つと食事処に行って今日は前よりもさらに空いている気がする。昨日が雨だったが、濡れて足元が悪いから登山の人が減るとかはあるだろうか。座敷に荷物を置くとビールとポテトフライを頼み、受け取ったビールをごくごくと飲む。すぐに『2666』を開いて今日は帯とカバーを外して、こちらのほうがきっと読みやすい。重い重い本を机に置き、開くとそのまま開かれてくれる。でもちょっと不安定なのでスマホを重石にする。これまでも楽天モバイルはここではかなり微弱な電波だったが今日に至っては圏外が続いている。小説はモリーニの部屋から再開された。
テッサロニキで、モリーニは発作に襲われた。ある朝、ホテルの部屋で目覚めると、何も見えなくなっていたのだ。彼は失明していた。最初はうろたえたが、しばらくすると落ち着きを取り戻した。彼はベッドの上でじっと横になり、もう一度眠ろうとした。楽しいことを考え始め、子供時代の光景や、いくつかの映画、静止した顔を思い浮かべようとしたが、うまくいかなかった。ベッドの上で身体を起こすと、自分の車椅子を手探りで見つけた。折りたたみ式の車椅子を広げると、思ったほど手間取らずにそれに座った。それから、部屋にひとつだけある窓のほうへそろそろと向かおうとした。窓の外にはバルコニーがあり、そこからは草木の生えていない黄土色の丘陵や、テッサロニキの近くにあるらしい地区の別荘を宣伝する不動産会社のネオンサインを掲げたオフィスビルを臨むことができた。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.43
ビールをぐいぐい飲んで一杯目はやっぱりすぐに眠くなる感じがあってあたりはとても静かで、少しすると前の席にハイボールか何かを持った人がひとりでついて、パソコンを開いて仕事をしている。近くでしゃべっている人は見当たらず、しゃべっているのは恋するペルチエとエスピノーサくらいだった。パリとマドリードからふたりは話し、「最初の二十分間は悲劇的な調子で、運命という言葉が十回使われ、友情という言葉が二十四回使われた」。リズ・ノートン50回、パリ7回、マドリード8回、愛2回、恐怖6回、幸福1回(エスピノーサ)、解決12回、唯我論7回、婉曲語法10回、範疇9回、構造主義1回(ペルチエ)、アメリカ文学3回、夕食・夕食を食べる・朝食・サンドイッチ合わせて19回、目・手・髪合わせて14回。
その後、会話はよりなめらかになった。ペルチエはエスピノーサにドイツ語の笑い話を聞かせ、エスピノーサは笑った。エスピノーサがペルチエにドイツ語で笑い話を聞かせると、ペルチエも笑った。実際には、電波、あるいはそれが何であれ、真っ暗な野と風とピレネーの雪、河川、寂しい道路、パリとマドリードをそれぞれ取り巻く果てしない郊外を越えて彼らの声と耳を結ぶものに包まれながら、二人は笑っていた。 同前 p.48
それから少しして「ベルリンでドイツ研究者の大会が、シュトゥットガルトで二十世紀ドイツ文学学会が、ハンブルクでドイツ文学についてのシンポジウムが、マインツでドイツ文学の未来をテーマとする会合がそれぞれ開かれた」とあって、どこにもサッカーチームがあるし、どのチームも日本人が所属していた馴染みのあるチーム名だ、と思う。日本人が所属していたことがあるというのは偶然だが、都市名とサッカーチームが結びつくのは当然か。日本であっても横浜、広島、名古屋、札幌、福岡、こうやって並べてみたらどこもサッカーチームがあるわけで。いや、でも、どれも一部リーグのチームという都市名の連なりはそれなりの何かのような気がする。2024年ブンデスリーガの一部チームの連なり。20年前くらいに他界したボラーニョが冥界から僕に何かのメッセージを送っていると捉えるのは無理があるだろうか? こうやって野生の探偵がまたひとり、高尾山の地に生まれようとするわけか。ロンドンの地ではふたりは間の抜けた訪問者となる。ロンドン駅で落ち合うとノートンの住まいを訪れる。道路から部屋を見上げるとふたつの人影がある。どうやら笑い合っている。ふたりは突っ立っている。突然ノートンが窓に近づき、窓を開け、目を閉じる。「やがて目を開け、下のほうを、奈落を見下ろし、そして二人を見た」。さもたった今ここに着いたような顔をしてエスピノーサは花束を振ってペルチエは本を振った。そのあと間男というかその部屋にいた男と一悶着が起き、その男の名はプリチャードと言った。別のある日またノートンの住まいを訪れたペルチエは階段でプリチャードとすれ違う。その際に「メドゥーサに気をつけろ、あいつをものにすると爆破されるぞ」と忠告を受けた。ただちにエスピノーサに電話をかけた。
「奇妙だな」とエスピノーサは言った。「警告のようでもあり、脅しのようでもある」
「それに」とペルチエは言った。「メドゥーサはポルキュースとケートーの三人娘、ゴルゴーンと呼ばれる三海獣の一人だ。ヘシオドスによれば、ほかの二人の姉妹であるステンノーとエウリュアレーは不死身なんだ。ところがメドゥーサは不死身じゃない」
「ギリシア神話を読んでいたのか?」とエスピノーサは訊いた。
「家に着いて真っ先に読んだよ」とペルチエは答えた。「聞いてくれ。ペルセウスがメドゥーサの首を切り落としたとき、怪物ゲーリュオーンの父となるクリューサーオールと天馬ペガソスが生まれたんだ」
「ペガソスはメドゥーサの身体から生まれたって? なんてこった」とエスピノーサは言った。 同前 p.76
滑稽で最高だなあ。クスリクスリと笑いながら読み続け、外が青くなり、それから黒くなり、読書は続き、しかし完全に圏外というのもやや不安定な気持ちになるところがある。敷野くんは休日はスマホを家に置いて家を出ることがわりとあるらしく、それもいいねとか言っていたけれど、僕は少しソワソワする感じがある。本を読んでいるときは何も気にならないけれど喫煙室に行って煙草を吸っているときに手癖でニュースアプリを開いても何も表示されないと、何をしたらいいのかわからなくなる。煙草を吸うことに集中したらいいのかもしれないが。
読書は続き、メキシコの存在が徐々にちらつき始める。トゥールーズでの会合でアラトーレという小説家志望のメキシコ人学生と4人は知り合い、知り合いのメキシコ人エル・セルドが最近アルチンボルディに会ったとアラトーレが話した。アルチンボルディは消息不明のドイツの老小説家だ。メキシコにいるだなんてそんな馬鹿なと思いながらエル・セルドに電話をかけ、なぜアルチンボルディがエル・セルドの電話番号なんかを知っているというのか。それはブービス夫人が提供したのでしょう。なぜブービス夫人があなたの。ベルリンでおこなわれた出版関係者との集まりの際に挨拶をしたんですよ。
「彼女に名刺を渡したはずです」とエル・セルドはメキシコシティから言った。
「で、その名刺に自宅の電話番号が書いてあったんですね?」
「そうなんです」とエル・セルドは言った。「きっと名刺Aを渡したんでしょう。名刺Bには職場の電話番号しか書いていないのです。それに名刺Cには秘書の電話番号しか書いていない」
「なるほど」とエスピノーサは辛抱強く言った。
「名刺Dには何も書いてありません、私の名前だけで、あとは白紙です」とエル・セルドは笑いながら言った。
「そうですか」とエスピノーサは言った。「名刺Dにはあなたの名前だけ」
「そのとおり」とエル・セルドは言った。「私の名前だけです。電話番号も、職業も、自宅の住所も、いっさいなし。お分かりですか?」
「分かります」とエスピノーサは答えた。 同前 p.108
あー面白い!
それからノートン、ペルチエ、エスピノーサの3人がメキシコに渡ってアマルフィターノが登場し、アマルフィターノ、なんという懐かしい響き! と喜ぶ。8時ごろだったか、近くのテーブルに座った人たちがしゃべり始めて、そもそも僕もそろそろかなと思っていた、家に早めに帰ってポテチを貪りながら続きをやろうみたいに考えていた、そういう頃合いに話し声がけっこう耳に入ってくることもあってやめにした。ちょうどアマルフィターノが「身を売る者たちだって悪気があってそうするとはかぎりません。そうやって身を売ることが、すべてを売り渡すことを意味するわけでもない」と言ってから長広舌を振るっているところだった。身を売ることが、すべてを売り渡すことを意味するわけでもない。本当にそうだ。
帰りの電車では林陵平の続きを読んでフォーメーションのお勉強。ウイスキーと炭酸とポテチと柿ピーを買っておうちに帰ると遊ちゃんに今日がいかに楽しかったかを報告してからソファでいいポジションを見つけて読書を再開してアマルフィターノの長話が終わるとノートンが「何を言っているのかさっぱりわからない」と言った。そのまま読み続けると第一部が終わって、ああ、ここでもう、この愛しい4人とはお別れなんだと思うと寂しい。第一部はやっぱり最高で、広々とした気持ちになる。それはやっぱり土地や言語の異なるヨーロッパの4人が行ったり来たり、電話で話したり、第5の土地というか始まりの土地であるドイツで顔を合わせたり、そしてメキシコに飛んだり、ここに感じる風通しのよさというか、広さが何よりも好ましいんだろうなと思う。ラテンアメリカの小説が好きな理由のひとつにもこの感覚はいつもある気がして他の国がスペイン語のまま地続きだ、大陸の外にもスペインという飛び地がある、その感じが好ましい、うれしい。
第二部は「アマルフィターノの部」という名だったのでアマルフィターノの部ということのようだった。しばらく読み、大満足の休日を終える。

3月2日(土) 

試合はもうワンプレーだけ続いて終わり、終了後、何に対しての抗議なのかフォレストのスタッフたちと審判が揉めていて誰かにイエローカードが出され、そとあと同じ人なのか別の人なのかにレッドカードが出された。同じ映像を見ているはずの実況と解説のふたりは不自然なくらいにその出来事に触れなかった。なにかこう、アンタッチャブルな、陰謀とか、闇の権力とか、なにかそういうものの力が働いているのではないかと疑いたくもなるような不自然なスルーでウケた。
大満足で、そして満腹で、水を飲むと布団。『2666』。すぐ寝る。

3月3日(日) 

目が覚めると暗く、妙にはっきり目が覚めてしまったのでスマホを見ると6時ということだった。明かりをつけて『2666』を開くとアマルフィターノの元妻の手紙が続いていて精神病院に詩人を見舞いに行くというか奪回しに行く。医師がやってきて「スペイン文学の王道には、成り上がり者、日和見主義者、それに、こんな言い方をお許しいただけるなら、おべっか使いどもしかいないに等しいのですから」と、ベルンハルトみたいな長広舌を振るう。この小説の人たちは突然いきいきと長話をしがち。

3月4日(月) 

2時、布団。『氷の城壁』を読む。熱川さん! と思う。熱川さんといい五十嵐(こゆんの元カレ)といいこゆんといいつっこちゃんといい桃香ちゃんといいミナトといい、何か凄みらしきものをいくつも感じる巻で、これはまだまだ続くぞ〜と思う。読み終えても眠くはなかったので『2666』を読むことも考えたが眠りを試みたところいつも通りころんと寝た。

3月5日(火) 

なんで今日のオーブン焼きは微妙になったのだろうと思いながら食事を終え、布団で『2666』。アマルフィターノが幾何学の本のミステリーと向き合っている。鬱屈としていく。

3月6日(水) 

今日は一日シフト。暇な時間ができたらと思って『2666』をリュックに入れる。今日も雨が降っているし空気が冷たい。初台に着くとまいばすけっとに行ってパイの実を買う。開店前は味噌汁を仕込んだり給与計算をしたり。昨日でタスクの整理がついて、明日からの俺に期待、と思っていたわけだが、新たなビューでタスクを見ても頭がすっきりする感じはなくて失敗している気がする。今週返すメールという親タスクに入れたところから着手して、それ全然、真っ先じゃないでしょう、と呆れるように思う。
雨は昼ごろにはやんで、寒い日だったがお客さんはコツコツとあっていい調子で一日働く。十中八九そうなるだろうと思っていた通り、本が開かれることはなかった。
終電で帰るとハンバーグとキムチと温野菜スープ。オーブン焼きをつくるときに先にちょっと火を通すために玉ねぎとか人参とかはレンジに掛けているのだが、そのときに入れる水が野菜の味が出ておいしくて飲むことを、帰り道に温野菜のことを考えていると思い出し、それって水をもっと入れたら即席のスープがつくれるということなのでは、と思いついた。それで玉ねぎ人参キャベツブロッコリーに水とコンソメを入れてレンジで10分くらいチンして、そうしたらたしかにスープになった。おいしかった。食べながらシティとユナイテッドの試合の続き。漫然と。
なんとなく悄然とした心地で布団に入り『2666』。アマルフィターノのほうが悄然としているというか鬱屈としてきてパラノイアックになってきた。それにしても『2666』、面白いなあ。とても面白く読んでいる。

3月7日(木) 

オーブン焼きは鶏肉、玉ねぎ、人参、カブ、カブの葉、アスパラガス、キャベツ。今日はとってもおいしかったのでうれしかった。
布団に入ると遊ちゃんが目を覚ましていて、じゃあ音読しようと言って「ちょうどその時間、サンタテレサ警察は新たに、郊外の空き地に半ば埋められた十代の女性の遺体を発見した」と読み上げた。遊ちゃんが笑った。僕は続けた。
西から吹いてくる強い風が、東の山裾に当たって砕け、サンタテレサを吹き抜ける途中、土埃を、道端に捨てられた新聞紙や破れた段ボールを巻き上げ、ロサが裏庭に干した服を揺らした。その風、その若くて精力的であまりに命の短い風は、まるでアマルフィターノのシャツやズボンを試着し、娘のショーツのなかに入り込み、『幾何学的遺言』を数ページめくって、何か役に立つことは書かれていないかと、自分が駆け足で通り過ぎていく通りや家並みが作る実に奇妙な風景について説明が書かれていないかと、風としての自分の存在について語られていないかと目を通すかのようだった。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.204
期せずしていいところに当たったというか、読んだあと、そういえばここは昨日もう読んだなと思い出したのだが、でもこんなに風のことが描写されていたことは頭に残っていなくて、適当に読んでいたことが知れた、だから音読という機会を得て改めてちゃんと読めてよかった。

3月8日(金) 

パスタもスープもおいしかった。布団では今日もボラーニョ。4ページで就寝。

3月9日(土) 

遊ちゃんが福島に行くというので出たのが8時とかで、僕はもう少し眠ってから起きて、リュックに『2666』を、まあ、と思いながら入れて出た。「まあ」というのは「まあ開くような時間はないだろうけれど」という意味だ。
言うまでもなく読まれずに働き、帰ると肉を漬け、野菜の下ごしらえをして予熱にするとシャワーを浴び、オーブンに野菜と肉を入れて焼いているあいだで些事を潰すことにして30分後に焼き上がるとシティのドキュメンタリーを見ながら食べて試合前にペップが「ハーフタイムや試合後じゃなくて今言おう、今日の君たちは準備ができていない」と発破をかけるところがかっこよくてペップの演説力はすごい。最終的にすごい記録を打ち立ててシーズンを終えて、優勝のパレードとか、スタジアムでの式典とか、優勝当日でもいいけど、ああいう場面で選手たちがぴょこたんぴょこたんと跳ねながら腕を上げたりしながら喜ぶあの喜びの持続性についてやはり考えてしまって、それはいつまで本当なのだろう、という思いを拭わずに見ることができない。一度強い咆哮をあげることはわかるし会う人会う人と強く握手したり抱きしめ合ったりすることもわかるけれど、笑顔でぴょこたんぴょこたんと跳ねるというのは、僕にはとてもできない芸当だ。そもそも笑顔であり続けるということから僕にはできない芸当で、笑顔でい続けなければいけない場面が僕は怖い。この怖さはいつから僕の中に巣食っているのだろう。ずうっとある。無理につくった笑みがどんどん引きつっていくことへの恐れみたいなもの。笑顔なのか泣き顔なのかわからなくなるあの感じへの恐れ。アマルフィターノにこの話をしたらすんなり通じる気がする。そう思いながら布団に入るとサンタテレサで陰々と暮らすアマルフィターノがいて、マキラドーラを爆破したいとゲーラ。マキラドーラという言葉も懐かしい。海外に輸出する製品の組立工場とかだったか。かつて『2666』を読んだときは読む前にメキシコの歴史の本を2冊読んで、そのときに学んだ。ゲーラは「詩だけが健全な糧であって、腐ってはいない」と言う。トラークルという詩人の名を出す。アマルフィターノはバルセロナ時代を思い出し、よく行っていた薬局の若い薬剤師はいつも本を読んでいた。彼が好きなのは『変身』、『バートルビー』、『純な心』、『クリスマス・キャロル』、今は『ティファニーで朝食を』を読んでいる。次のページが折られていた。該当箇所は明白だった。
彼は明らかに、疑いようもなく、大作よりも小さな作品を好んでいた。『審判』ではなく『変身』を選び、『白鯨』ではなく『バートルビー』を選び、『ブヴァールとペキュシュ』ではなく『純な心』を、『二都物語』や『ピックウィック・クラブ』ではなく『クリスマス・キャロル』を選んでいた。なんと悲しいパラドックスだろう、とアマルフィターノは思った。いまや教養豊かな薬剤師さえも、未完の、奔流のごとき大作には、未知なるものへ道を開いてくれる作品には挑もうとしないのだ。彼らは巨匠の完璧な習作を選ぶ。あるいはそれに相当するものを。彼らが見たがっているのは巨匠たちが剣さばきの練習をしているところであって、真の闘いのことを知ろうとはしないのだ。巨匠たちがあの、我々皆を震え上がらせるもの、戦慄させ傷つけ、血と致命傷と悪臭をもたらすものと闘っていることを。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.228
次のページで「アマルフィターノの部」が終わって「フェイトの部」に突入〜。

3月11日(月) 

ブライトンが先制して30分くらい見ると食事を終えたので試合も終えた。ストレッチを経て布団に入って「フェイトの部」。この部はハードボイルド小説の感触がある。
ビールを頼み、バーを見渡した。客のなかからシーマンを見分けることはできなかった。ビールを片手に、大きな声で、誰かバリー・シーマンを知らないかと尋ねた。
「そういうあんたは何者なんだ?」とデトロイト・ピストンズのTシャツと空色のデニムのジャケットを着た小男が訊いた。
「オスカー・フェイト」とフェイトは答えた。「『黒い夜明け』というニューヨークの雑誌の記者だ」
さっきのウェイターが彼に身を寄せ、本当に記者なのかと尋ねた。記者だよ。「黒い夜明け」の。
「なあ兄弟」と小男が座ったまま言った。「あんたのところの雑誌の名前ときたらクソだな」一緒にカードゲームをしていた二人の男が笑った。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.242

3月12日(火) 

雨。最近雨の日が多い気がする。よく傘をさしている気がする。今日は予報を見ると夕方が土砂降りとかみたいで、壊滅的に暇になるだろうか。昨日が平日としてはお客さんが多かったのは明日が雨だから今日にするかみたいな方が多かったみたいな理由だろうか。
念のため『2666』をリュックに入れて出、起きたときから妙にお腹が減っている。
もちろん読む時間はないまま終わり、「無伴奏チェロ組曲」を聞きながら帰ってセブンでカツ丼。また見たくなったのでリヴァプールとシティの試合を見ながら食べ、うーん、面白いなあ、と思う。かつ丼も、うーん、おいしいなあ、と思う。
結局開くことのなかった『2666』をリュックから取り出してお布団。ブラックパンサー党の老人の講演の続きからで、講演の途中で寝る。

3月13日(水) 

布団に入ると『2666』。講演がやっと終わる。また長時間どこかで『2666』を読む日をやりたいな。考えてみたら3月は1日以来、まったく仕事がはかどらない日はあれど、ちゃんと休む日はつくれていない。すぐこうなる。

3月16日(土) 

食後も画面の前でフリーズしたみたいにぼけーっとして時間が過ぎて、寝たのはけっこう遅くなった。遊ちゃんたちは明日は中野のLOUに行くそうで元気だ。布団に入って『2666』を開いてサンタテレサに入ったフェイトが殺人事件に近づいていく。記憶ではフェイトの部はボクサーの部だったがフェイトはボクサーではなく新聞記者だった。

3月17日(日) 

今日は前半だけにしておこうと思っていると44分と47分にマクアリスタ、サラーが立て続けにゴールを決めてあっさりリヴァプールが逆転した。少し体調が悪いような気がした。
なので前半でピッチを後にすると布団に入って『2666』。グアダルーペ・ロンカルの登場。そんな人もいたなあ! ルンペル、間違えた、混ざった、ロンカルは刑務所に行くのを怖がっていた。
「そんなに怖いところなんですか?」
「夢を見ている感じ」とグアダルーペ・ロンカルは言った。「刑務所が生き物に見えるんです」
「生き物?」
「どう説明すればいいのか。たとえばアパートの建物より生気がある。はるかに生気があるんです。こんなことを言っても驚かないでくださいね、切り刻まれた女のように見えるんです。切り刻まれながら、まだ生きている女です。そしてその女のなかに囚人たちが暮らしている」
「分かりました」とフェイトは言った。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.297
驚かないでくださいねと言われましても……。フェイトはフェイトで「分かりました」っていったい何を分かったんだよwww

3月19日(火) 

不必要に早い時間に目が覚め、すぐには眠れなそうだったので『2666』を開いた。チャーリー・クルスの家。クルスはシネフィル。フェイトは広い暗い家を歩き、ロサを探した。ロサはコカインを吸っていた。「行こう」とフェイトは言った。「それは命令でもなく懇願でもなかった。ただ一緒に出ていこうと言っただけだが、言葉の一音一音に魂のすべてを込めた」。ロバート・ロドリゲスへの言及があるがこのシーケンス自体がロバート・ロドリゲスの映画の感触を思い出させるものだった。"Two Against The World"のセリフを思い出す。
一日働き、夕食後も1時半までパソコンの前でうんうんと考え続け、黒字までの距離の測定のことだった。とても遠いんじゃないかという暗い予感と同時に、何かが見えてくるような視界がクリアになる気持ちよさがあって、後者のほうが今は上回っているようで、いつまででも考えられそうだったが寝ることにして布団に入って『2666』。ロサ・アマルフィターノとフェイト。砂漠の中のモーテル。
明かりを消したまま、フェイトは長いあいだ窓のカーテンの隙間から、砂利の敷かれた駐車スペースや、ひっきりなしに道路を通り過ぎるトラックのライトを眺めていた。(…)目をつぶる気にはならず、駐車スペースを、モーテルの正面を照らす二つの街灯を、行き交う車のヘッドライトが彗星の尾のように暗闇を切り開いて作り出す影をこっそり眺めていたかった。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.336,337
静かな夜に光が流れていく茫漠としたイメージ、この感じが僕にもたらす切なさや広がりはなんだろうと思う。しばらく読み、眠気が来なかったがそろそろ寝るべく本を閉じて明かりを消して目をつむって、しばらくそうしていると頭の中で人の話し声のようなものが聞こえ始めてこれは眠りの入り口に足を踏み入れたしるしで、これで寝られると安心したのだが、しかし眠りに到達することはできず、それどころか気配も遠ざかり、諦めて明かりをつけて読書に戻った。読み進めるとフェイトは刑務所を訪れてドイツ語を聞く。スペイン語話者のロサがドイツ語を英語に訳してフェイトに伝える。そしてページの左側に大きな空白が見えて「フェイトの部」が終わって、お次は、と思って見ると「犯罪の部」でとんでもないやつがやってきた。ブロックごとの最初の一文を引くとこういう感じだ。「その女性の遺体はラス・フローレス区の小さな空き地で見つかった」「この事件は一九九三年に起きた」「エスペランサ・ゴメス=サルダーニャの身元は比較的容易に判明した」「その五日後、一月末に、ルイス・セリーナ・バスケスが絞殺された」「二月半ば、サンタテレサの中心街の路地で、ゴミ収集人が新たな女性の遺体を発見した」
僕の記憶が正しければ、まったく当てにならないが、仮に正しいとしたら、「犯罪の部」はただひたすらこれが繰り返される。サンタテレサで起きた数え切れないほどの殺人事件が延々と描かれる。しかも一番長い部だった気がする。読んでも読んでも眠くならない。ずうっと起きていられそうだった。今日はビールを飲んでいない。それがいけないのかもしれない。頭が駆動し続けている。このまま起きて仕事をして朝を迎えるのも手じゃないかと、ありがちな夜の過信もよぎったが、どこかのタイミングで寝ることができた。

3月20日(水) 

布団に入って『2666』を開くと何人目の被害者だったか、エミリア・メナ=メナという名が登場した。スペイン語の姓は父方の姓と母方の姓を並べるのがたぶん一般的なわけだが、父方、母方という順序は今も揺らがずにそのままなのだろうか、最近は何かが変わったりしているのだろうか、明日調べてみようと思ってエルビラ・カンポスはさまざまな恐怖症について話した。神聖恐怖症、橋渡恐怖症、閉所恐怖症、広場恐怖症、死体恐怖症、血液恐怖症、犯罪恐怖症、寝台恐怖症、毛髪恐怖症、単語恐怖症、衣服恐怖症、医師恐怖症、女性恐怖症、降雨恐怖症、海洋恐怖症、花弁恐怖症、樹木恐怖症、開眼恐怖症、幼児恐怖症、弾丸恐怖症、移動恐怖症、道路恐怖症、色彩恐怖症、夜間恐怖症、労働恐怖症、決定恐怖症、対人恐怖症、天体恐怖症、万物恐怖症、恐怖恐怖症。

3月21日(木) 

目を覚ますと『2666』を持ち上げ、フアン・デ・ディオス・マルティネスは引き続きエルビラ・カンポスのマンションに通い、警察署長はビジャビシオサに行って部下の助手にする少年を預かって帰って帰り道でコヨーテを撃ち殺して死骸を持ち上げたあたりでアラームが鳴ったのでスマホを取った、いつもそうするようにまたニュースアプリを開くとトップページに表示された「今読まれています」みたいな赤字が目を引いてそこには「大谷翔平の水原一平通訳がドジャース解雇…米報道」とあり、息を呑む。
そのあとも一日中報道のことが頭の中を巡っていた。大谷翔平という存在は僕にとってこんなに大きかったのかと思うし、一平さんを悪く思う気持ちもまったく起きず、たとえ大きな嘘をついていようとも、狂うよね、狂うよ、狂って当然よ、という気持ちしか湧かない。悪夢を見そうだ、と思いながら布団に入って『2666』。こっちも悪夢見そう。

3月22日(金) 

夜に鼻水のことを遊ちゃんに言っていたら帰り道でクラリチンEXというのを買ってきてくれていて、いいらしい。藁にすがる思いで飲み、口に含んだ瞬間に鼻水が引くのを感じた。『2666』読んで寝。

3月23日(土) 

今日の作戦はこう。鼻にティッシュを詰める。それを隠すためにマスクをする。そうしたら遊ちゃんがケタケタと笑って、阿久津くんのマスクは下にずれがちだから、ずれたときの様子を想像して面白くなったとのこと。ずれたマスクの下には鼻に詰めたティッシュ。見たほうも見られたほうも不幸だ。
救世主クラリチンEXと『2666』をリュックに入れ、遊ちゃんとともに出る。遊ちゃんは鍼とのこと。

3月24日(日) 

家に着くとシャワーを浴び、たちまち寝るだろうと思いながら布団に入った。『2666』を開くとたしかにその通りになってすぐに意識が落ち、しかしおしっこをしたくて目を覚ますとそのまま目が覚めて読書を再開させた。すると小説は400ページを迎え、いつまで経っても眠気はやってこず、その間もサンタテレサでは遺体が発見され続け、無数の事件のうちのひとつの容疑者としてドイツ人クラウス・ハースが逮捕されて4つある独房のひとつに入れられた。
顔を覆わないほうがいい、とハースはよく響く大きな声で言った。死んじまうぞ。俺を殺そうって奴がいるのか? ヤンキーめが、お前か? 俺じゃない、クソったれ、とハースは言った。巨人がやってくるんだ、お前はその巨人に殺される。巨人だって? と農場主は言った。聞こえたか、クソったれ、とハースは言った。巨人だ。とても大きな、とてつもなく大きな男がお前たちを、お前たち全員を殺すだろう。ヤンキー野郎、気でも狂ったか? と農場主は言った。一瞬、誰も何も言わず、農場主はふたたび眠り込んだようだった。ところが、少しするとハースが、足音が聞こえると言った。巨人がやってくるぞ。頭からつま先まで血まみれの巨人がやってくるのさ。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.470

3月25日(月) 

ノンアルのビールは今日はクラウスターラーというのを買ってみたがまずくないというかおいしいかも。だが龍馬のほうがやっぱり好きかも。でもこれもありかも。かもかも。なにも断言できない人間。その人間は食事を終えると2時くらいまで仕事をした。始動が遅くても、これで帳尻が合っただろう、みたいな感覚になる、と言った。布団に入ると毎晩そうしているようにこの日も『2666』を開いた。クラウス・ハースは「刑務所じゃみんな、私が無実だと知っているんですよ」と言った。
で、どうして知っているんでしょう? とハースは自分で問いかけた。それを調べるのは少々骨が折れましたよ。まるで、誰かが夢のなかで聞いている物音のようなものです。その夢は、閉ざされた場所で見るすべての夢と同じように伝染するんです。突然、誰か一人が夢に見て、まもなく、囚人たちの半数が同じ夢を見る。ただし、誰かが夢で聞いた物音のほうは夢の一部ではなく、現実のものなんです。その物音は、物事の、異なる原理に基づいたものなんです。分かりますか? まず誰かが、そのあとは誰もが、夢のなかで物音を聞く。ところがその物音は夢ではなく現実に属している。その音は現実なんですよ。分かりますか? 新聞記者さん、あなたにははっきり分かりますか? ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.478
クラウス・ターラーはその問いには答えずに、「私はノンアルコールビールなんです。ノン・アルコール・ビール。そんなものが存在するなんて、あなたには信じられますか?」と言った。「90年代の、メキシコの、北部の、獄中にいるハースさん、あなたには信じられますか? 20年後30年後の人々は、酒からアルコールを取り除き、煙草から火と煙をなくすんです。戦場から兵士を、レストランからウェイターを、映画から俳優を、写真からモデルとカメラマンを、ことごとくなくしていこうとするんです。ステーキから肉を、パンから小麦を、死から尊厳を、生から畏れを。何もかもを抜き取ってカラカラに乾かしてしまう。人々は水の抜かれたプールの底に這いつくばって血だらけになりながら泳ぐわけです。世界中が砂漠になっていくことに誰しもが気づきながら、決してそれを口にも顔にも出さないわけです。ハースさん、分かりますか? あなたがサンタテレサの刑務所で、あるいはコンピュータショップの地下室の鉄の寝台の上に横たわるすでに事切れた少女の上で感じた絶望はいまや、あまりにもポピュラーな絶望なんです。そのポピュラーさたるや恥ずかしいほどだ。あなたにははっきり分かりますか? 日ごとに、世界が砂漠になっていく。いいですかハースさん、私はノン・アルコール・ビールなんですよ」。クラウス・ハースは寂しげに微笑んだ。僕は本を閉じ、穏やかに暮らしたい、という言葉が一日うろうろしていたが内実のない言葉だと思う。言葉の表層にしか留まっていないことが自分でもわかっている。反吐が出る。世界が砂漠になっていく。

3月26日(火) 

マヴィディディ、デューズバリー=ホール、知らなかった選手たちが躍動している。67分まで見て止めて寝。ある家でふたつの遺体。きりがない、と警官が漏らす。少しずつ参っていく。フアン・デ・ディオス・マルティネスも何日ものあいだ「エルミニア・ノリエガが死ぬ間際に起こした四度に及ぶ心筋梗塞のことを考えた」。
ときには食事をしながら、カフェや司法警察の連中がたむろする食堂のトイレで用を足しながら、あるいは眠る直前、明かりを消した瞬間、あるいは明かりを消す数秒前に考え出してしまうこともあった。そうなると明かりを消すわけにいかなくなり、ベッドから起き出して窓辺に行き、外を、俗悪で醜くて静まり返った薄暗い通りを長め、それから台所へ行って湯を沸かし、コーヒーを淹れ、ときには、その砂糖なしの熱いコーヒーを、不味いコーヒーを飲みながら、テレビをつけ、砂漠の四方八方から届いてくる、その時間にならないと見ることができないメキシコやアメリカのテレビ局がやっている深夜番組を、星空の下で馬にまたがり、理解できない言葉で、スペイン語か英語かスパングリッシュか、いずれにしてもわけの分からない、ありとあらゆるくだらない言葉を話す不具の狂人たちの番組を食い入るように見た。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.518
フアン・デ・ディオス・マルティネスは手で顔を覆う。うめき声を漏らす。涙は流れない。クラウス・ターラーの声がはっきりと聞こえてくる。「私はノン・アルコール・ビールなんですよ」。

3月27日(水) 

大満足の試合と食事を終えて寝室に行くと遊ちゃんが「ないていっていうのはこういう意味でも使うんだね」と言って、「ないてい」というのは「内定」だろうか、なんの夢を見ているんだろうかと思いながら「そうだねえ」と言ってみると「そう、わかったってことだけじゃなくて、わからない、一般的な言葉」と言って、何かをキビキビと説明するときみたいに手のひらを開いて上に向けながら「わかったってことだけじゃなくて」までを言い、最後の「一般的な言葉」はむにゃむにゃむにゃという言い方だった。
『2666』を開いてサンタテレサでは事件が続く。複数の容疑者が逮捕されてこれで終わるかと思ったが遺体はすぐに出てくる。

3月28日(木) 

試合をぼんやり見ながら食べ、食後は5分のアラームを掛けてストレッチをおこない、そして寝。『2666』。ハースは中庭。
目を開け、中庭の向こう側の日なたで草を食んでいるようにうろついているバイソン団員を、夢を見ているかのように眺めた。バイソンが刑務所の庭で草を食んでいる。そう考えると、即効性の鎮静剤を打ったように気持ちが落ち着いた。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.544
刑務所の中にもっとも穏やかな時間が流れる。塀の外では死体が見つかり続ける。ただただ死体が見つかる街の話の何がこんなに面白いのだろうと思うがただただ面白い。何がそうなのかわからないが、『2666』はボラーニョ作品の中でももっともキャッチーだと感じる。気づいたら4時。

3月29日(金) 

六月一日、サブリナ・ゴメス=デメトリオ十五歳が徒歩でメキシコ社会保障機構ヘラルド・レゲイラ病院へやってきた。刃物で刺された無数の傷を負い、背中を二発撃たれていた。ただちに集中治療室に運ばれたが、数分後に息を引き取った。わずかではあるが、途切れ途切れに言葉を残して死んでいった。自分の名前と、兄弟姉妹と暮らしている通りの名前を告げた。サバーバンに閉じ込められていたと言った。豚のような顔をした男の話をした。止血にあたっていた看護師が、その男に誘拐されたのかと尋ねた。サブリナ・ゴメスは、兄弟姉妹に会えなくなると思うと悲しいと答えた。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.555

3月30日(土) 

目を覚ましたら明るく、時間を見たら6時だった。妙にぱっきり起きてしまったのでダラダラとネットニュースを見、それから『2666』を少し読み、時間が経っていく。7時になり8時になる。
店、そして帰り、まだ夕方、眠りそうになり、どうせ寝るなら布団で寝ようと布団に行き、遊ちゃんがそれで起き、先週もふたりで昼寝をしたね、と言ってからまた寝、僕も『2666』を開いて新たな死体がひとつ見つかったくらいですぐに寝た。
目覚めると頭のすぐ横にはきれいに開かれた本が置かれていて、紙は白いなと思う。部屋でここだけが明るく見える。白は光を反射するということがよくわかる。つまり本を読むとは、光を浴びることなのか。

3月31日(日) 

布団に移って『2666』。クラウス・ハースの刑務所内での記者会見。アメリカの著名な捜査官アルバート・ケスラーのサンタテレサ訪問。アスセナ・エスキベル=プラタ下院議員の長話。そして街で見つかり続ける女性の遺体。その4つが交互に語られていく。すっごい。

4月1日(月) 

帰ると今日は新年度というところで出勤していた遊ちゃんが帰ってきていて部屋でぺたっとしていた。よく働いてよく疲れたそうだ。僕は早々に布団に入って『2666』を読むが眠気が一向にやってこない。数字を見続けたあとは頭が冴えるのか、眠りの予兆もない。そうしているうちに遊ちゃんも布団に来て庄野潤三をしばらく読むと眠り、僕はまだ寝れない。明かりを消して目を閉じて、だいぶ経ってから徐々に眠りに近づく感じがあってスプレッドシートとサッカーとサンタテレサが混ざったような夢を見た。

4月2日(火) 

帰ると鶏肉のお粥をつくって、昨日よりは重めというのか、10倍の水で炊いた。昨日ので十分においしかったが今日は鶏ガラと長ネギを加えた。炊き上がる前にチョコとミックスナッツを食べた。それにしても誤算続きでこんなに何もできない日になるなんて考えていなかった。炊けると食べた。今日もおいしかった。食べているとなぜかサブリナ・ゴメス=デメトリオが漏らした「兄弟姉妹に会えなくなると思うと悲しい」という今際の言葉を思い出して悲しい気持ちになった。
食べ終えるとやや痛みは残るものの元気にはなり、働けた。何時まで働いていたかは忘れた。終えて布団に入ると『2666』。
一九九七年最後の事件は、その前の事件とそっくりだった。違いはと言えば、遺体の入れられたビニール袋が、街の西端ではなく街の東端で、国境線に並行して走りながらやがて分岐し、山の麓、谷間の小道へと消えていく舗装されていない道路で発見されたことだった。被害者は、監察医によれば、死亡してからかなりの日数が経過していた。年齢は十八歳くらいで、身長は一メートル五十八センチから一メートル六十センチだった。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.613
ついに「犯罪の部」が終わって「アルチンボルディの部」に突入。第一次大戦のあとのドイツ、のちにアルチンボルディになるハンス・ライターの父母の話から。ドイツではなくメキシコにいたかったというような気持ちがあり、少しテンションが下がるのを感じる。

4月3日(水) 

布団。ハンス・ライター。まだ幼少期。まだテンションは上がらない。

4月4日(木) 

2時まで労働。終えてストレッチして布団。昨日の夜に攣ったあたりがまた少し痛く、攣ったのではなくて、これ、ポリープ切られた箇所だったりして。油断しすぎてたりして。やや不安になりながら『2666』を開いてハンス・ライター戦場にゆく。気持ちが乗ってきたのでよかった。

4月5日(金) 

『ヒロインズ』とかは小林さんから教わって読んだ本だ。ベン・ラーナーの話とかテジュ・コールの話とかベルンハルトの話とかもした。何かずっと店であり僕でありをうっすら優しく見守っていてくれている人という感覚が僕の中にはあって、『2666』の再読とかも、小林さんはあの分厚い小説をまた読んでるのかあとニコニコと面白がってくれそうだなと、どこかで考えていた気がする。

4月6日(土) 

それにしてもというか、予期した通りにオールナイト営業に関して僕が手伝うべきことは何もなく、店に入ったのは自分が飲むコーヒーを淹れに行ったそのときだけだった。コーヒーを淹れると小山さんにも羊羹をあげてからハウスに移ってそこでコーヒーとお菓子を置いて『2666』を読み始め、少しするとオアダイさんがハウスにやってきて晩ごはんを食べて、少し話し、そしておやすみなさいと言った。『2666』はインゲボルクがアステカ族についての長話をしているところだった。それからロシアで戦争の時間を過ごすライターは何度か死にかけ、そのあと小さな村に送られた。丸太小屋で生活し、そこでかつての住人のユダヤ系ロシア人のボリス・アンスキーの手記を見つけてずうっと読んでいた。アンスキーの手記の中にボルネオの先住民の話が出てきて密林に入っていったフランスの人類学者たちはボルネオの人たちは誰かに触れるときに決して相手の目をを見ないことに気がついた。
たとえば父親が自分の息子を撫でているとき、父親はいつも別の方向を見ようとしているし、幼い少女が母親の膝の上で丸くなるとき、母親は左右や空を眺め、少女のほうは物心がついていれば地面を見つめている。友達同士で植物の茎を採りに出かけるとき、二人は互いに顔を、つまり目を合わせるが、その日の収穫がうまくいって相手の肩を叩くときは、互いに目をそらすのだ。そして人類学者たちは次のことにも気づいてノートに書き留めた。先住民たちは握手をするとき横並びに立って、右利きなら右手を左の腋の下から通してだらんと垂らし、ほんの少しだけ握り合う。左利きなら左手を右の腋の下から通すのだ。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.704,705
ここを読んだとき、昨日今日ツイッターで見かけた有名アカウントが凍結されてその凍結の発端と目されている電車での痴漢の動画を思い出して、それは右手を左の腋の下から通して隣で眠る女性の胸を握るという気持ち悪いものだった。というろくでもない思い出しを経て読書を続け、アンスキーの手記が終わって戦争も終わってライターは捕虜収容所に送られてベッドで隣だったツェラーという人物が長話を始めて本当はザマーという名でアルコール依存症の10歳の子どもたちが昼から酔っ払ってサッカーに興じるポーランドの町を管理していてそこに500人のユダヤ人が手違いで送られてきて「戦争という災厄に強いられて」その問題を解決した。「俺たちは何かをし、何かを口にする。そしてあとになってそれを心から後悔する」とライターに言った。それからケルンでインゲボルクと再会した。ライターは小説を書いた。タイプライターを借りに行き、そこでベンノ・フォン・アルチンボルディと名乗った。
ずうっと読書をしていたわけでもなく途中で佐藤くんがやってきてテイクアウトポスターの相談をしたり、佐藤くんが小山さんに呼ばれて店に行くとまた読書を続けたり、休憩に来た小山さんからキンモクセイの香りの「ながら温アイマスク」というやつをもらったり、3時過ぎになにか温かい汁物をお腹に入れたくなってセブンに行ったりした。どういう選択肢があるだろうと思っていたらカップの豚汁があっておあつらえ向きにもほどがあった。豚汁とわかめおにぎりを買って戻ってお湯を注いで食べて、それからまた読書を続け、5時前に空が少し青みを帯びてきた。それからふと今日が給与計算の日で今日計算して給与明細をつくってみんなに共有しなければいけないことを思い出し、これはきっと、今日、帰って寝て起きたあととか、そういうタイミングでやろうとしてもやる気になかなかなれないはずだ、今やっちゃったほうが絶対楽だ、そう思ったので給与計算をおこない、朝6時、いいのだろうか、でも通知設定は各自の責任だ、そう考えて@channelで送信した。それでオールナイトの時間が終わって店に戻ると小山さんが帰るところで楽しかったそうで何よりだった。おやすみなさいと言った。お客さんたちはどうだっただろうか。楽しかったらうれしいのですが。

4月7日(日) 

リヴァプールは攻めあぐね続けた。80分過ぎにどうにかPKを勝ち取ってサラーが決めて追いついたがそこまでだった。その結果、アーセナル、リヴァプール、シティの順で1位、2位、3位となって勝ち点は71、71、70。3チームとも残り7試合。2時、『2666』を754ページから766ページまで。

4月8日(月) 

夜になって遊ちゃんが買い物に行くというので僕も一緒に行って鶏肉やチョコレート等を買い、夕飯はホワイトアスパラガスのリゾットと鶏肉キャベツ人参小松菜のオーブン焼き。ぼんやりとアーセナルとブライトンの試合を見ながら食べた。
寝る前は『2666』。ブービス夫人の再登場!
「ベンノ・フォン・アルチンボルディさん?」と彼女は尋ねた。
アルチンボルディは頷いた。何秒かのあいだ、男爵令嬢は何も言わず、彼の顔をしげしげと眺めた。
「わたし、疲れているの」と彼女は言った。「少し散歩するのはいかが? よろしければコーヒーでも」
「いいですね」とアルチンボルディは言った。
建物の薄暗い階段を下りながら、男爵令嬢は気軽な口調で、あなたが誰だか分かったわ、あなたもわたしが誰だか分かったでしょうね、と言った。
「すぐに分かりましたよ、お嬢さま」とアルチンボルディは言った。
「ずいぶん昔のことよね」とフォン・ツンペ男爵令嬢は言った。「わたしは変わったわ」 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.777
盛り上がるというか、700ページ前に読んだ人がまた出てきて、みたいな感じ、ぐっと来る〜!

4月9日(火) 

リゾットでオーブン焼きは鶏肉人参キャベツ。リゾットはチーズを多めに削った。サッカー見た。食べ終えると布団に入った。インゲボルクが体調不良。
夜になると彼女のうわごとがふたたび始まり、アルチンボルディのことが誰だか分からなくなった。夜明けに血を吐き、レントゲンを撮るために運び出されるとき、ひとりにしないで、こんな惨めな病院でわたしを死なせないで、と叫んだ。そんなことはさせないよ、とアルチンボルディは廊下で約束した。悶え苦しむインゲボルクは担架に乗せられて看護婦たちに運ばれていった。三日後、熱は下がり始めたが、インゲボルクの機嫌の変化のほうはもっと顕著だった。
彼女はアルチンボルディにほとんど話しかけなくなり、話すときは、外に連れ出してと要求するためだった。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.799
悲しい。仲良くしてほしい。

4月11日(木) 

『2666』、インゲボルクが死んで悲しい。名声と幸福について考える。マジで無関係そう。

4月12日(金) 

食べ終えるとイラレでいくつか作業。3時過ぎに布団。『2666』が終わりそうでテンションが落ちている。本を読むとは読むということであって読み終えることではないから。読み終えることは読むを剥奪することだから。

4月13日(土) 

布団。すると遊ちゃんが何を食べたのかと聞いたのでハンバーグとキムチとブロッコリーと椎茸だと答え、ブロッコリーと椎茸の炒め物がとてもおいしかったと言うと
「やっぱチンパンジーって胃腸が強いんだね」
と言った。
「なんの話?」
「野菜」
「チンパンジーはなんの関係があるの?」
「んー、わかんない」
と言いながらむにゃむにゃと眠りに戻っていった。もしそうだとしたらかなり衝撃的だが、実は僕はチンパンジーだと思われているのだろうか。
気を取り直して『2666』。あと少しで終わってしまう。

4月14日(日) 

布団、『2666』、1995年、ロッテ・ハース、サンタテレサの弁護士と電話、ドイツ語とスペイン語と英語の成り立たない会話、そして通訳の招聘。やってきたのは「まっすぐで明るい栗色の髪をした、ジーンズ姿の二十五歳くらいの若い女」。
その娘はイングリッドという名で、ロッテは息子がメキシコで刑務所に入れられていること、メキシコ人の女性弁護士と話す必要があるのだが、相手は英語とスペイン語しか解さないことを説明した。話し終えたあと、ロッテはもう一度何から何まで彼女に説明しなければならないのかと思ったが、イングリッドは頭の切れる女だったので、その必要はなかった。彼女は受話器を取ると、番号案内にかけてメキシコとの時差を調べた。その後、弁護士に電話をかけ、十五分ほどスペイン語で彼女と話したが、ときどき分からないところがあると英語に切り替え、会話中も手帳にメモを取り続けた。最後に彼女は「またお電話します」と言って、受話器を置いた。
ロッテは机に向かったままで、イングリッドが電話を終えたときには最悪の事態を覚悟していた。
「クラウスは、サンタテレサという、メキシコ北部にあるアメリカ合衆国との国境で捕まっています」と彼女は言った。「でも元気で怪我もないそうです」
ロッテが逮捕された理由を訊く前に、イングリッドは、紅茶かコーヒーでも飲みませんかと言った。ロッテは紅茶を淹れようとキッチンに立ちながら、イングリッドがメモを見直しているのをじっと眺めていた。
「複数の女性を殺した罪で捕まっています」紅茶を二口飲んでから、イングリッドは言った。
「クラウスはそんなことはしないわ」とロッテは言った。
イングリッドは頷き、弁護士のビクトリア・サントラヤは金が必要だと言っていると伝えた。 ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社)p.840
とても胸を打つ場面だった。第一部の別々の国に暮らす学者たちの言葉の交通とはまた違う、ぎこちなさをはらんだ多言語の行き来にもぐっと来るし、イングリッドの振る舞いのひとつひとつにもぐっと来る。通訳という存在は情報を捻じ曲げることもできる一方で、衝撃を最初に引き受ける役割を担うこともできるわけだ。このあとイングリッドとロッテとのあいだには友情のようなものが形成される。サントラヤとロッテとのあいだにも。そしてブービス夫人とロッテとのあいだにも。ずうっと感動がさざなみのようにやってくるのを感じながらページをめくっていった。
「覚えていないことがたくさんあるのよ」とロッテは言った。「いいことも、悪いことも、最悪のことも。でもいい人たちのことは絶対に忘れないわ。出版社の女性はとてもいい人だった」とロッテは言った。「たとえ自分の息子がメキシコの刑務所で腐っていてもね。いったい誰が息子の心配をしてくれるの? わたしが死んだら誰が思い出してくれるの?」とロッテは言った。「息子には子供がいない。友達もいない。何もないのよ」とロッテは言った。「あら、夜が明けてきたわ。紅茶かコーヒー、それかお水でも飲む?」
アルチンボルディは腰を下ろして足を伸ばした。関節がぽきぽきと音を立てた。
「あなたが全部やってくれる?」
「ビールがほしい」と彼は言った。
「ビールはないわ」とロッテは言った。「あなたが全部やってくれる?」 同前 p.853
読み終えた。くう〜〜〜〜!!!! いや〜、よかった。めちゃくちゃよかった。完璧。すごい。ボラーニョすごい。なんという小説だ。いや〜すごい。すごいなあ。
と思いながら寝た。
・・・
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