読書の日記(4/15-21)

2024.04.26
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抜粋

4月15日(月) 

布団に入って『生と死を分ける翻訳』。ポツダム宣言の話から始まって、政府はこれは慎重に扱わなきゃと思っていたが新聞各紙は「笑止」等、批判的に報じた。「国としての立場を示す必要に迫られた政府は、妥協策として、ポツダム宣言を拒絶することは避けるものの、重視はしないという旨の声明を読み上げることにした」。
鈴木首相は記者会見で、政府としてはこの宣言文書になんら重大な価値があるとは考えないと述べ、「ただ黙殺するのみ」と付け加えた。
「黙殺」は、英語に直訳すれば〈kill with silence(沈黙でもって殺す)〉となるが、鈴木貫太郎は後年、この語を「ノーコメント」の意味で使ったと語っている(英語の〈no comment〉に直接対応する日本語表現はない)。アメリカでは、この「黙殺」が〈ignore(無視する)〉や〈treat with silent contempt(無言の侮蔑をもってあしらう)〉と訳され、七月三十日付『ニューヨーク・タイムズ』紙の一面には、「日本、連合国の降伏勧告を公式に拒絶」との見出しが躍った。広島の運命はここに定まったのである。もちろん、歴史家が正しく指摘するように、原爆投下という悲劇は翻訳の問題だけで引き起こされたわけではないが、翻訳者の役割に関しては、職業の誕生と同じくらい古くから議論されてきた。常に議論の的になってきたのは、翻訳プロセスにおける翻訳者の主体性という問題である。 アンナ・アスラニアン『生と死を分ける翻訳 聖書から機械翻訳まで』(小川浩一訳、草思社)p.13
ときめく〜。ところでこのあと「私たちは多言語世界に住んでいるが」と続くのだが、単一言語世界としての地球という可能性もあったのだろうか、という考えがふとやってきて、それから、高度な文明を持つ他の星が描かれるとき、「その星の言語」みたいな感じで、星でひとつの言語が想定されているというか、星の中でも地域によって異なる言語が使われていることを描いた小説を僕はこれまで読んだことないかもしれない、と思った。そういう小説もきっとあるのだろうし、それはとても面白そう。

4月16日(火) 

歩いているとふいに頭にメロディが流れ、リフレインされ、言葉が置かれる。記憶の中で、ずっと二人は、生きていける、君の声が、今も胸に響くよ、それはふふふふふふふ影。懐かしく、そしていい曲だった。イヤホンをつけ、検索し、それを聴いた。My Little Lover、「Hello, Again 〜昔からある場所〜」。聴いたら泣きそうになっちゃった。1995年の曲のようでサンタテレサではまだまだ殺人事件が続いていた。

4月17日(水) 

初台。コーヒーを淹れると佐藤くんとミーチング。それから買い物に行って準備をすると開店で今日は一日シフト。いいペースでお客さんがあってしっかり働く。仕込みが絶え間なく発生し続け、驚いたことに、閉店までほぼ座らずに過ごすことになった。12時間近くほぼ立ってたのか、と思うと慄然とする。呆然としながらビールを飲み、帰る。

4月18日(木) 

話を追うのに難儀しながら、少し眠気を感じながら、バキバキに面白いと頭が興奮するのも感じながら、読んでいて、途中で「アウステルリッツ」という言葉も出てきたが、出てこなくても、その次の話では「土星の環」という言葉すら出てきたが、出てこなくても、これはあの魅力的なゼーバルトの手つきだと思う。予期せぬピボットが繰り返されていつの間にかボールがゴールへと運ばれていくようなそういう手つき。これはバスケで考えたがサッカーだと前にツイッターで見かけたレヴァークーゼンのパス回しみたいな手つき。ダイレクトでそこつなげるの!? そこにパスコースあったの!? どうやったらそれを見つけられるの!? という目の覚めるような驚き。
いやー、すごーい、と思いながら次のカール・シュヴァルツシルトのやつを読み、コーヒーを淹れてブラウニーも用意して読み、それから次の望月新一のやつ。

4月19日(金) 

水を飲むようになってからなのか、バイクを漕ぐようになってからなのか、人が変わったようになったというか、起きるときの辛さがだいぶ減ったというか、不思議とぱっちり起きられるようになっている。少なくとも今週は本当にそんな感じで、あれ、俺もう、起きちゃう感じ? という感じで起きていて今日もそうだった。バイクを漕ぐことに伴って酒量も減ったからかもしれない。バイクを漕ぐ時間を考えると飲むのは漕いでからとなるので自然とそうなるというか。

4月20日(土) 

終え、出、北銀座通りを駅まで歩いて帰りは電車、吉祥寺、明大前、遊ちゃんは今日はつつじヶ丘の鍼灸院に行くそうでそこで別れて僕は調布。家まで歩きながら少し疲れているのを感じた。帰るとぼけーっとしたあとに『生と死を分ける翻訳』を読みながら30分のバイク漕ぎで、重い負荷で漕ぎ始めたら、今日はやはり疲れているのか、このまま30分はもたなそうと思って少し負荷を下げ、それで30分漕いだ。汗だくになってシャワーを浴びてこれでもういつでも寝られる、みたい感じで今日はすっかりオフだ。と思いきや経理作業を今日済ませてしまおうとパソコンに向かって残りの作業をしていると遊ちゃんが帰ってきた。

4月21日(日) 

お昼はカブの葉が余っていたのでニンニクとかと甘く柔らかく炒め、それと納豆。バクバク食べる。コーヒーを淹れて5時半まで働くと出、暗くなってから家を出るのはあまり好きじゃない。
7時で山口くんと交代し、夜は前田さんと。ここまではいい感じの日だったが夜はすっかり暇で、夜は難しい。いろいろと詰まっている感じの仕込みを進めたり、夜のポスターが届いたので板のやすりがけを前田さんにお願いしてそれが済むと貼ってみたり。忙しなく動き続ける夜だった。
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