読書の日記(10/16-22)

2023.10.27
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抜粋

10月16日(月) 

駅前のタクシープールにはきっとこの選択をした人が何人もいて、だから調布まで行く人を募ったらすぐに手が挙がり、タクシー代もあれだし、みんなで相乗りしていきましょう、となるんじゃないかと思いながら駅を出、とりあえずその前にバスを見てみようと思う。こういうとき、バスは特別に走ったりしないか、という淡い期待から。ペデストリアンデッキを下りた先にあるバス停はひとけがなく、正確には犬を連れた人と犬がいて、それはバスとは関係がなかった。犬の横に立って調布行きのバスの時刻表を見ると22時台で終わっていて、まあそうかと思っているとパリッとしたスーツのおじさまが同じように時刻表を見ていたので、もしかして調布ですか、と聞くとそうだということで、よかったら相乗りしていきませんかと言うとそうしようとなって一緒に歩いた。

10月17日(火) 

店、引き継ぎ、ミーチング、バタバタしながら今日も店を開けてお客さんはちょこちょこ来てくれて今日は10月17日だから9周年の日だ。何度か9年前のこの日のことを思った。開店前に上がってコーヒーを飲んで過ごした屋上の空気、を思い出せるわけでもないが、でもどこかで覚えているような気はする。あのころも金木犀の香りがそこらじゅうにあったのだろうか。その日に来てくれた知人というのは意外な顔ぶれだったりした。覚えていることも忘れてしまったこともある。

10月18日(水) 

最近スマホで「ふづくえ」と打つと変換候補で「ぶんきつ」と出る。

10月19日(木) 

アストン・ヴィラとウルブスの試合を見ながらハンバーグとかで晩ご飯。胸に「アストロペイ」とあったのでアストンとアストロを掛けているのかと思ったがそのスポンサーがついているのはウルブスのほうだった。ジョン・マッギンはずんぐりしていてかわいくてかっこいい。そのマッギンとウルブスのドーソンという選手が小競り合いを続けていて、何かが起きるたびにスタジアム全体から低い唸り声が上がった。ウルブスのスタジアム。見ながら、そういえばサッカーのルールを僕はよくわかっていないというか、ルールブック上だと守備とかで相手を抑えるために手を使うことというのはどういうふうに制限されどの程度許容されているのだろう。大っぴらに手を使うのはキーパーだ、エミリアーノ・マルティネスの姿を見ていると、『黄色い家』が終わったら小林さんからもらったフアン・ホセ・サエールを読もうという気持ちがむくむくと湧いて、楽しみな予定ができたようだった。それにしても『黄色い家』はどんどんすごくてこんな展開になるとはまるで想像できていなかった。モンスターになっていく。

10月20日(金) 

ロビーに出るとしばらく話してそういう小集団がいくつもあった。『わたしたちの家』をユーロスペースで見たときは内沼さん夫妻と武田さんと鉢合わせてそのとき妊娠中だったカンナちゃんはそのまま帰り、残った4人はタラモアに行って飲んだ。そのときはまだカンナちゃんと遊ちゃんは親友ではなく、ふたりの蜜月が始まるのはもう少ししてからだった。
3人で話しているとエレベーターが来て、一緒にこのまま帰っていくつもりでいたら本間くんは突然「僕はトイレ行ってから帰ります」と爽やかに言った。エレベーターの中から、何列分かの人の向こうにこちらを見る本間くんの笑顔を見、扉が閉まり、僕たちは最後に手を振った。
パルコを出、外の広場的な階段に若者がたむろし、渋谷は歩きづらく、臭かった。

10月21日(土) 

夕飯が済んでいるので帰ってから寝るまではすぐで、でもフェイスマスクはまた借りて、暗いリビングで静かに仰向けに横たわった。気が済むと布団に入ると『黄色い家』を開くと物語が終わって「ほわ〜……」と思い、冒頭に戻り、導入の書き方というか花の過去の出来事の捉え方を見て、また、「ほわ〜……」と思うと閉じた。小説を読んだなあ、という心地。 一日中、頭のどこかに『すべての夜を思いだす』があった。

10月22日(日) 

このまま銭湯にも行くぞ、と思いながら電車に乗って『沖縄に六日間』を開いた。
もしかしたら道がすごく混んでいるかも、急な寄り道をせざるを得なくなるかも、思いもよらない何かによって焦る可能性があるかも、と子連れの旅行によくある万が一のなにかに備え、早めに自宅を出発したのだが、想定外に道が空いていたり、起こるかもしれなかった予定外のことが全く起きなかったりで、ずっと早く着いてしまった。 図Yカニナ『沖縄に六日間』p.4
いい書き出しだなあとうっとりして、これまでたまにインスタで触れてきたこの人の書く文章に僕は憧れている節がある。こんな文章を書けたらいいなと思う。羨ましいと思う。これはけっこう珍しい感覚。
ずっと早く着いた空港で時間を潰すところからもうずうっとおもしろい。飛行機に乗りこむと離陸前に眠りに落ち、起きると子どもたちはアニメを見、夫は本を読んでいた。
着陸までまだ一時間ちょっとあったので、夫に向かって本を開くジェスチャーをすると、一度うーんと首を傾げてから一冊の本を手渡してくれた。夫はいつも何冊も本を持って移動しているのでこういうときに助かる。何が出てくるかはわからない。渡された本は数ページずつ、違う著者によって書かれたものだった。飛ばし飛ばしめくっては目に留まった読みやすそうなところを読んだ。ジャクソン・ポロックの絵の具の飛び散らせは偶然のようでいて極めて身体的に意図されたものであること、それはカウボーイにとっての縄のようなものだというようなことが書かれていた。他の章では森で朽ちずに切り出され、加工された木材は生きているか死んでいるかということについて書かれていた。突然の運命によって読まなくても構わなかったものを読み、知る予定のなかったことを知り、ふむと思うと、私たちは那覇空港に着陸した。 同前 p.8
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