抜粋
5月8日(月)
ご飯を食べてまた布団に入った。コナンを少し読んだ。寝て起きたら15時だった。少しすると銭湯に行った。なんとなく浴場の様子が違うと脱衣所から感じていたが、入ったらその理由がわかって明かりがついていなかった。だから自然光の銭湯で、付け忘れなのか、明るい時間はわりとこうなのか、初めてのことだった。体を洗って湯船の縁に腰掛けていつもそうするようにしばらく下肢だけ温めながら無表情でつくねんと立ち尽くす山田太郎の様子を思い描いていると、光の様相が徐々に変わっていった。脱衣所の壁の上に大きな窓があることはこれまで認識していなかった。きっとこれまでは浴場内が明るかったから向こうはそんなに見えなかったのだろう。こちらの明度が小さい今、その大きな窓から入る暮れかけの陽光が際立って見え、それは脱衣所と浴場を隔てるくぐもったガラス窓を通り、洗い場の上の水色のタイル壁に流れ込んでそこでさーっと広がった。フェルメールの牛乳瓶の絵みたいな光がそこに現れて、あの絵にどんな光があったのかは思い出せないからいい加減なものだが、そういう印象の光が現れて、美しさに目を見張った。この時間は老人たちの時間なのか他にいるのは大半が老人で、彼らもあの光を見たか。
5月9日(火)
コンビニでビールを「1本だけ」と思って1本だけ買って飲みながら歩く、家と家のあいだ、空の低いところに熟れた柿みたいなぶよぶよの赤い月が出ていた。ただれてぼたぼた落ちそうだった。帰ると先日もらったビールの試供品のノンアルビールを冷蔵庫に入れ、シャワーを浴び、「超相対性理論」を聞きながらチャーハンをこしらえる。チャーハンを食べたくなったのは昨日のお好み焼き屋さんでチャーハンの写真が何度も目に入っていたし「チャーハンも食べようかな、いやさすがにお腹いっぱいだな」と何度も逡巡しているなかで刷り込まれたためのようだ。刻んだキャベツと人参をくったりと炒めて豚肉を入れて長ネギを入れて味を付けて皿に移してフライパンに油を引き直して熱して溶いた卵を入れて少し待ったらご飯を入れてほぐして炒めたやつを戻して醤油を焦がして塩で調味して完成して『Number』を読みながら食べる。「一流野球人の伝える力」という特集。ダルビッシュは本当にかっこいい。ノンアルビールを2本飲む。
5月10日(水)
店閉め、ビールを飲み、飯を食う時間はなかった、終電で帰った、帰りの電車は行きと同じく『インターネットは言葉をどう変えたか』でインターネットでの言葉の使われ方の本だが視野はずっと広くて1800年代とかに人が文章でどんなふうに略語を用いたり感情を強調したりしていたかに触れられていた。そういう例を見ていると、だから今の言葉の使われ方も、言うまでもないのだが時に忘れそうになることである気がするが、今の言葉の使われ方もごくごく限定された今のものでしかないわけだし、「最近の若者」というのは人類が生じてからずうっと繰り返される普遍的なものであることがよくよく感じられ、伸びやかな気持ちになる本だ。コンビニでスパゲティナポリタンの大盛りとビールを買って帰宅。
5月11日(木)
6時から夜番。ゆっくり働く。座っている。頭はめいっぱい回っている。すでに疲れている。店が終わると定食を食べて帰りの電車では『アナリシス・アイ サッカーの面白い戦術分析の方法、教えます』を読み始めた。サッカーの本を読んでみたいと言っていた僕に榮山さんが教えてくれた本で開いてみるとたしかにサッカーのことが書かれていた。
5月12日(金)
6時になって水澤さんがやってきてバトンタッチ。第一ラウンド終了と思って下北沢に移り鍼灸院に行って指圧。終えるとボーナストラックに移って仕事。がんばるがんばる。10時を過ぎると店に行きビールを飲みながら佐藤くんと長々しゃべる。楽しい。佐藤くん帰り、僕はキーマカレー。おいしい。サッカーの本を読みながら帰って先に夕飯を食べられてよかった。シャワーを浴びるとまた仕事を続けて2時過ぎ。こんな働き方続けられないぞ? と思う。でもこうやって働かないと成り立たないぞ? とも思う。難しい。
5月13日(土)
アストン・ヴィラにはブエンディーアという選手がいるようだ、あとはモレノという選手もいてブエンディーアといえば『百年の孤独』だしモレノといえば『モレノの発明』だしラテンアメリカ文学みたいなチームだなと思う。『モレノの発明』で合ってたっけ。
5月14日(日)
寂しい週末だったがそれでも店に立っているとそれだけで楽しいというのはどうしようもなくあって東京堂書店、八重洲ブックセンター、蔦屋書店、ブックファースト、くまざわ書店、本屋象の旅、今野書店、本屋Title、とかとか、この2日だけでもいろいろな書店のブックカバーを見かけてこの光景が僕は好きだ。それだけでストーリーがある感じ。ゴールデンウィークはさわや書店も見た。本は旅をする。