抜粋
4月10日(月)
本ももう終わるところで最後は「マネーワーク」というセクションで「それでは、言ってみよう」と著者は言う。恥ずかしいかもしれないし嘘っぽく聞こえるかもしれないが、口に出してみよう、繰り返し口に出してみよう、ということだから電車の中でゴトゴトとうるさいし口はマスクで隠れているからと思って僕は小さな声を出してみる、「お金があってもなくても、私は安心だ」。一度言い、もう一度言い、お金があってもなくても私は安心だ、だんだんそんな気持ちになっていく。せっかくだから他の乗客たちにもこの気持ちを味わってもらいたくなってくる、博愛の精神の持ち主だから。だから僕は「みなさん」と言う、「みなさん、ご唱和ください、お金があってもなくても、私は安心だ、さあ言ってみてください」。すると午後早い時間のまばらな車内の人たちは最初は怪訝な顔で僕を見つめている、あるいは目をそらす、僕がひとりひとりの顔を覗き込んで「さあ」と促すと、ゆっくりと、しかしまだ抵抗を感じながら、「お金があってもなくても私は安心だ」と言う。そうです、その調子です、と僕は言う。
4月11日(火)
「彼らがおまえをではないと」。この訳めちゃくちゃかっこいいな。ベルンハルトはいろいろな人が訳していて『推敲』が飯島雄太郎で『推敲』がバチバチに面白かったから『昏乱』が別の人で池田信雄で人が別で心配だったが強烈に面白く、『アムラス』は「行く」が飯島雄太郎でやっぱり激烈に面白く、しかし『樵る』はあまり楽しめなかった「アムラス」と同じ初見基だったので心配だったのだがご覧のとおりで面白い。誰も彼も見事に面白く訳すわけだ、と思って安心の3人組という感じになったし3人組は仲良しだったりもするのだろうか。でも3人だけでなく他の作品を見ていくと今井敦、西川賢一、岩下眞好といった名があってこんなにたくさんの人で手分けして訳される作家って珍しいような気がする。
4月12日(水)
帰り、一日何をしていたのかあまり覚えていない。布団に入ると遊ちゃんが眠れなくて困っているということだったので読み聞かせをしてあげることにして「棺のうしろを歩きながら、雑貨店主とホアナの不幸な連れ合いにはさまれて、教会から墓地までは確実に二キロメートルはあるが、そのあいだじゅう彼は肺病にでも罹っているかのように咳き込んでいたのだった」と音読したら最初から面白くて笑ってしまった。音読は続いた。何度も引き攣るように笑いながら読み進めて遊ちゃんも笑った。そのあともしばらくこの暗鬱な文章を音読し続けていたら遊ちゃんは見事に寝たからウケた。もうしばらく読んだら僕も眠くなったので寝た。
4月13日(木)
出、今週は肋間が痛くないなと下北沢駅のホームで考えていた、調布に戻ったときには少し痛みが出ていてウケた。反応すんな、と思う。銭湯に行ってゆっくり体をほぐして帰宅し、今日はスパゲティナポリタン。頭が朦朧としている。夜はどこまで仕事を進められたのだったか。なんだかやたら疲れている。
4月14日(金)
最初はうつ伏せで指圧で先生が「スポーツとかされてますか?」と聞いてきてしていないがどうしてそう聞くのかを聞くと筋肉の質がいいからということで先週に続いて筋肉を褒められた、俺は何かに担がれているのだろうか? という疑念が生じた。筋肉をおだてておくとあの人は有頂天になるよ、何一つ運動していないくせにね、という話が院の中で流通しているとか。でも今日は有頂天というよりも「え、俺の筋肉の質って、そんなにいいの……?」という有頂天よりも愚かな感じのする驚きを驚いていた。そのあと仰向けになってから「趣味はなんですか」という問いだったか、「趣味ってありますか」とかだったか、とにかく趣味を問う問いが発せられて少し考えて「ワールドカップ以降サッカーを見るのが好きですね」と答えてこれは新境地だった。
4月15日(土)
どうも今回の肋間神経痛以降という感覚があるのだが、肋間神経痛以降、無理ができなくなっちゃった感じがあって無理がきかなくなったというか、逼迫しているのならどんどんやればいいと思うのに、電池が切れるようになってしまった感じがある。たくさんのことが後回しになっていく。
4月16日(日)
11時になると取材の人たちがやってきて4人体制だった。今日は「めざましテレビ」の取材で初めてのテレビの取材だ、最初メールが来て企画書を見たときは「最新こだわり大型書店と個性派の個人書店、それぞれの魅力を、なにわ男子のメンバーが解き明かします」とあったのでフヅクエを書店と誤解しているのだろうと思ったまま返信しそびれていたのだが、またメールがあり、返事をしないとと思って電話を掛けて話したところ誤解はなくフヅクエのことをちゃんと理解してくださっている感じだった。カメラが入るのが営業時間外であれば、ということもOKで、テレビはどうだろうとずっと思っていたが、明るく外に開くということを考えたときに、この殻はここらへんで破ってみてもいいかもしれないと思ったので受けることにした。そのあとだったか、ツイッターを見ていたら夏葉社の方とか古書ビビビの方がテレビに出ているのを見、勇気をもらうというか背中を押してもらうというか、本や読書を外に開いていこうとする態度は健康的でいいはずだ、だからこの判断もありだ、と思った。