読書の日記(3/20-26)

2023.03.31
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『正反対な君と僕』、ベルンハルト、「行く」/『ラーメンカレー』、月日の2階、三省堂/準決勝、ChatGPT課金、『すべては1人から始まる』/決勝、ChatGPTのリライト、鍼灸院/ヴィレヴァン、『死都調布』、入れ墨だらけの銭湯/「生活とは誤ちです」、楽しいフヅクエ、NotionとLoop/渋谷のエクセルシオール、那須塩原、焼き肉/日本酒、『氷柱の声』、「それ以上は、いい」/ひつじ珈琲、那須ファームヴィレッジ、遊膳、グッドニュース/「ダーウィンが来た!」、6600万年前の翌日、シェラーにエーラー

抜粋

3月20日(月) 

途中から『ラーメンカレー』のおしまいを読んで昨日は残り数ページのところで終えて、なんとなくもったいなくてそのままにしていたのだった、だから終わりを読みながら移動して、思っていたよりも残りページ数は多く、だから電車から降りてもまだ読んでいてボーナストラックへの道を歩きながら読み、聞いたことがないBTSが頭の中で鳴り響いた。寂しい鳴り響き、寂しく愛おしい鳴り響きだった。終わり、本を閉じると暗くなったホテルの部屋で爆音で流された「レイニーブルー」が鳴り、それから、ジョナサンが結婚パーティーで歌った歌が鳴った。
イギリスの友人たちには日本語の歌詞はたぶんわからなかったけど、けり子と日本から来た友人たちには伝わった。窓目くんがギターを弾いて、伴奏とコーラスもしてくれた。男の子が女の子にキスをせがむ、ただほとんどそれだけの歌だけど、歌えば歌うほど、魔法みたいにその歌の歌詞が好きになった。いちばん好きなのは、歌詞の途中にある「生きているのが すばらしすぎる」というところだった。生きていると、そう思える瞬間が、ときどきだけど、たしかにある。結婚パーティーで、ジョナサンは窓目くんと声を張り上げて、キスして欲しい、キスして欲しい、と歌った。生きているのがすばらしすぎた。 滝口悠生『ラーメンカレー』(文藝春秋)p.183,184

3月21日(火) 

7時45分、壮麗な音楽が鳴って「アイーダ」だった、ワールドカップのときに3時だか4時だかに起きたときに使ったアラームだった。それでまた寝て次に穏当なアラームが鳴ったのが8時4分で試合開始が8時のはずだからいけない、早く、と思ってそういえばスマホで見られるのでは、と思ってAmazonのアプリを開くとプライムビデオはまた別のアプリらしくてそれをインストールしたら試合が見られてちょうど始まるところで間に合った、準決勝、日本対メキシコの試合で先発のマウンドに立ったのは佐々木朗希だった。しばらくそのまま横になって見ていてスポーツの試合をスマホで見るのは初めてのことで、「野球の試合を見られるなんてスマートフォンは便利だなあ」と感心した。

3月22日(水)

7時45分、壮麗な音楽が鳴って「アイーダ」だった、ワールドカップのときに3時だか4時だかに起きたときに使ったアラームだった。それでまた寝て次に穏当なアラームが鳴ったのが8時4分で試合開始が8時のはずだからいけない、早く、と思って今日はすぐに起き上がり部屋に行ってパソコンを開くと決勝戦前はセレモニーが長いのかまだ試合が始まらなそうで、ゆっくり歯を磨いたりコーヒーを淹れたりしてそれから決勝戦で日本対アメリカだ。

3月23日(木) 

ずっと気になっていた『死都調布』を買うことにした、これはかつて西野くんが福利厚生本で所望した本で、そのときは僕は調布に住んでいなかったから特に気にしていなかったけれど調布に住んで以来じわじわと気になっていた本だった。
なので死都に帰って電車では考え事系のタスクに費やし、銭湯に行き、風呂が気持ちいい。6時前の銭湯はのんびりしたもので、湯船に浸かっているときに視界に入っていたすべての人、それは3人だった、その人たち全員の背中に立派な紋々があってウケた。

3月24日(金) 

また4時に目が覚めてしまって汗だくだ。すごい発汗量。着替えて水を飲んでベッドに戻るとベルンハルトを開いてやはりエーラーがずっとしゃべっている。「生活とは誤ちです」とエーラーは言う。
どうにかこうにか生きていく基盤を得るために、その事実と早いこと折り合わなくてはいけません、とエーラーは言う。誤ちとはまさしく、唯一にして真の基盤です。もっともこうした基盤を後生大事にして生きていかないといけないわけではありません、そうしなくてもよいのです、とエーラーは言う、そうすることはできないでしょう。断固として「いいえ」と言わなければいけない場面でも、「はい」と繰り返すことしかできない、おわかりですか、とエーラーは言う、事実とはそういうものなのですから。 トーマス・ベルンハルト『アムラス』(初見基、飯島雄太郎訳、河出書房新社)p.173,174
おわかりですか、と言われ、僕は「まったくわからないよw」と思ったあと、でも本当にわからないだろうか、と思う。

3月25日(土) 

このやり取りが僕はなんだかものすごくよいというか、なんだか僕は、これがコミュニケーションだよな、みたいに思うそういうやり取りで、それ以上は、いい。一年前の3月11日に書いた日記を思い出し、だから遊ちゃんの涙と居酒屋での思考を思い出し、それから先月の盛岡の夜というか平興商店での時間を思い出し、それから同時に滝口悠生の『高架線』の新井田千一とタムラックスの公園での会話を思い出して、それらは僕にとっては人間と人間が言葉を用いてどうやって本当のところでコミュニケートするか、みたいな話らしかった。

3月26日(日) 

ポテトサラダをつくるのだけ手伝い、母はあっという間に夕飯を用意していった。豚の角煮、ナスとピーマンの炒めもの、ウドときゅうりの漬物、厚揚げを温めたやつ、大根と油揚げを煮たやつ。ナスとピーマンの炒めもの以外は昨日以前につくっていたものだそうで作り置きというのは偉大なものだ。お供えのご飯を受け取ると仏壇のある部屋に行ってろうそくに火をともして線香を立てる。明かりをつけていない暗い部屋で炎がろうそくから上がっているのを見たら中鵜が過ごした日々を思って部屋に戻るとテレビではニュースのあとに「ダーウィンが来た!」が始まった。
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