読書の日記(2/27-3/5)

2023.03.10
335.jpg
くらいあんとわーく、スパゲティナポリタン、『喫茶店のディスクール』/ロードマップのプレゼン、2月の売上、閉店ポルノ/タイトル決め会議、カレーのリニューアル、いちごシロップのブラッシュアップ/ベンチマークとしてのスタバ、とってもヤバいいちごミルク、白養なべ/華金のパニック労働、かつての夜のこと、コンビニのパスタ/『脱獄計画』、ちらし寿司、春の下北沢の夜の広場/『すべては1人から始まる』、ゼーバルト、スパゲティナポリタン

抜粋

2月27日(月) 

午前中のミーチングを終えると下北沢に向かって次の予定まで時間がなかったから箱そばというわけで、今日はこの動きだな、箱そばだな、と思うと昨夜から楽しみだった、少し久しぶりだった。

2月28日(火) 

潰れたら嫌だから行かなければ、と思わせてはいけない、支援みたいなものにさせてはいけない、どこまでも自身の欲望をベースにさせなければいけない、なぜなら支援というのは続かないから、楽しみじゃないと続かないから。だから店がするべきことはとにかく魅力を上げていくことだ、行きたいと欲望させる力を増大させ続けることだ、そう思っている一方、店はマジですぐ潰れるよ、終わってから「行ってみたかった」とかいう言葉はマジで聞きたくないよ、閉店ポルノの道具になんてなりたくないよ、というのは強くあって閉店ポルノの道具にならないためには続けるしかない。3時とかになった。

3月1日(水) 

昼から久木さん内沼さんと打ち合わせでタイトル決め会議で次の日記のタイトルが決まった。3が「読書の日記 本を出す 指を切る お葬式」で4が「読書の日記 InDesign 入籍 山口くん」だ。3ワード、何がよさそうかそれぞれ考えて集まって僕が持ってきたのは「本の発売 人の名 葬式」と「山口くん 入籍 メールマガジン」だったが「指を切る」は盲点だったしたしかに指を切っていろいろの影響を受けていた。「InDesign」もバカげていてとてもよかった。でも「メールマガジン」は使えるとしたら創刊が描かれるこの巻しかなさそうだ、InDesignは他の巻では使えないだろうか、そう思ってこの続きの日記を見てみてもちょっともうInDesignも平熱になっているからやっぱり熱狂していたのはたしかにこの時期だ、みたいなことを議論したりして愉快な時間だった。

3月2日(木) 

夕飯は遊ちゃんがいつだったかにお土産で買ってきてくれた白養なべというやつで養命酒の会社の商品だ。クコの実とかが入っている。キャベツと人参と大根と舞茸と豚肉で鍋にしてにんにくのすりおろしを加えた。たっぷり食ってすぐに眠くなったので寝たがさすがに食事から寝るまでの時間が短すぎる。カサレスを開くも、毎晩そうなっているのだが、2ページも進まずに寝ている。

3月3日(金) 

夜は忙しくなるといいなと思っていたらそこから閉店まではノンストップのフルスロットルで年に一度あるかないかという感覚のパニックに陥りながらひたすら働いて凄かった。席管理を油断していたので満席になって危うく予約の方を通せないことになりそうにもなったりしながらで、オーダーの提供もずいぶん時間が掛かってしまった、五徳の上には下げた定食のお盆とかがいくつも置かれてカオスがそこにあった。パニックの感覚はだけど新鮮で見つめる甲斐のあるもので、何に対してなのか、「なるほど」と思いながらパニクっていた。なんだかかつての金曜の夜みたいだなと思ってかつてというのは感染症の時代以前ということだ。かつては夜の8時くらいがピークのひとつとしてみなされていてその時間の前には「さあ来い」みたいな構えの感覚があった、だけど感染症の時代になって夜が消えた、それはずっと後遺して人の生活習慣のようなものが本当に変わってしまったのだなと思わなければ納得できないような変容だった。

3月4日(土) 

朝に読む『脱獄計画』はすこぶる面白く、ここしばらくは少し退屈というかうまくチューニングできないまま読んできた感じがあったのだが、それはただこちらのコンディションの問題だったのかもしれないと思った。それにしてもずっとそうだが異物としての言葉がそこらじゅうに撒き散らされている感じがあってゴワゴワとした手触りがすごい。「そこらをうろついているように見えたが、実際には身じろぎ一つしなかった」とはなんなのか、ただのデタラメなのか、とも思うけれど、そこらをうろついているように見えながら実際は身じろぎ一つされていない状態というのも確かにありそうで、言葉が世界の可能性みたいなものを拡げていく。それでまた寝る。

3月5日(日) 

初台は暇で忙しければもっといるつもりだったが6時で上がって本棚の『土星の環』を開いてみたら「一九九二年八月、シリウスの日々夏の盛りが終わりに近づこうというところ、私は大きな仕事をひとつやり終えた後に身内にひろがってくる空虚をなんとか逃れられはしまいかという思いから、イースト・アングリアのサフォーク州を徒歩でいく旅に出た」とあってイースト・サセックスではなくイーストのアングリアのサフォークだった。
・・・
残り約12,000字のフルバージョンはメールマガジンかnoteで読めます