読書の日記(2/20-26)

2023.03.03
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うどん、スパゲティ、『喫茶店のディスクール』/小刻み読書の復権、イイホシユミコ、『リクルートのすごい構“創”力』/銭湯、店が客の要望のもとに発展するための自由のこと、サバのパスタ/エグサマ、フィジビリ、プルースト/チャイといちごシロップの写真、原稿修正大会、『脱獄計画(仮)』/カサレス、人の名、ジエン社/スパゲティナポリタン、魯肉飯、麻婆豆腐/西荻の皮算用、一週間の売上、店が来てほしいと思うこと

抜粋

2月20日(月) 

布団に入る前、『喫茶店のディスクール』を開く。「皆自由、自由って言うけど、われわれの社会においての自由っていうのは、資本主義が民主的に発展するためのものでしかない」。
言い換えれば、喫茶店が客の要望のもとに発展するための自由のことで、決して店が存在するために客を犠牲にする自由なんて、カルヴァン派まで歴史をさかのぼって考えても論理的に存在できないはず。経済と民主主義にしっかり支えられて、夢まで与えられているのがわれわれだとするならば、喫茶店経営に自由を持ち込む前に、仕事のルール、要するに資本主義と民主主義のルールを厳守せざるを得ない。いまだわれわれはそういった意味で不自由なの。にもかかわらず自由という概念を、例えば珈琲屋の仕事のどこに見出すのかを見誤り、味もサービスも客の自由を縛ることで成り立たせている店もある。そういう連中って皆、聖書においては神様にめちゃくちゃにされてるんだけど、大丈夫かな? オオヤミノル『喫茶店のディスクール』(誠光社)p.14,15
そうだそうだと思ったり身につまされたりひたすら刺さる、ずっとまきびしを投げつけられているみたいだ。すこぶる楽しい時間。

2月21日(火) 

うんうんうなりながら考えに考えてメモを取って考えを整理して、ということをしていったらいくらかクリアになっていった感じもあるしわからないこともあって昨日大地に言われて読んでみようと思ってポチった『リクルートのすごい構“創”力』という本を開く、「アイデアを事業に仕上げる9メソッド」が副題だ。章のタイトルを拾っていくと「なぜ、あなたの会社の新規事業はうまくいかないのか」「「不」を発見し、事業性を見極める」「勝ち筋を見つける」「爆発的な拡大再生産」「新規事業を育てる企業風土」という感じでこの本と『喫茶店のディスクール』が一緒に置かれた机を見たら二重人格かと思った。

2月22日(水) 

リクルートの本を読みながら帰った。コンビニでスパゲティナポリタンを買い、家に着くと食う。眠く、ほどなくして布団に入っていつも食事から睡眠までの時間が短すぎて心配になる。でもこれは何がどういけないことなのかはよく知らない。プルーストを開くと今日もコタールがスベっている。

2月23日(木) 

終わりを迎えた瞬間はどこかほっとするような心地もあってロビーに下りるとカサレスの『脱獄計画』と上演台本を買って暗い道を歩いた、駒場東大前の駅前はちょっと不気味に感じるほどの静けさと薄暗さで、いま見ていた禍々しい何かと響き合って歩いていて怖さを感じるようだった。早く小説を読みたかった、読んだら戯曲を読むなり3月に公開されるという映像を見るなりしたい、巨大で強力なわからなさに触れて僕はけっこう嬉しくなっている感じがあった、同時に寂しかった、お腹も減った、駅舎は白く明るかった、気味が悪かった。駅のホームでさっそく小説を開くと日付があった。

2月24日(金) 

12時くらいになってからまた「超相対性理論」を聞きながらスパゲティナポリタンをつくりはじめて昨日食べてすごくおいしかったから今日も食べたかったらしかった。玉ねぎとピーマンとしめじとブロッコリーと菜の花とウインナー。たっぷり食べておいしい、酔ってきた、でも今日もうひとつ進めておくと明日が楽、と思ってもうひとがんばりして偉かった。布団でもカサレス。

2月25日(土) 

昨日くらいからNotionは「Notion AI」という機能がローンチされたとかで何かするたびにその機能がサジェストされる、きっと便利なんだろうし使っていきたい気持ちもあるが、文章を書くという自分の領分に余計なものがズカズカと入ってきたような感じもあるらしくてまだ忌避感が勝っている。

2月26日(日) 

今週の3店舗合計の売上は、これまで王者だった去年のゴールデンウィークの週の数字を10万以上更新してのぶっちぎりの1位となった。これは何に起因するのだろうと思う。SNSの投稿がんばっているとかそういうシンプルな理由だったら、とてもいいのだが、と思う。でもそれも絶対にゼロではないだろう、なんというか、ああ、この店は、人に来てもらいたいんだな、と思ってもらえるのは意外に大切である気がしている。遊ちゃんと先日話していたときにそういう話をしていて案外、店というのは、来てほしいとは思っていないように簡単に見えてしまうものだよね、ということを話した。そうで、特にかっこいい感じの店とか尖った感じの店とかは、もう見知った人たちだけ来てくれたらいい、仲間とその他、みたいな感じに外野は感じやすいように思う。来てほしい、来てほしいんだ、という思いというのは思っている以上にきちんと声を上げ続けなければ伝わらないものなのかもしれない。
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