読書の日記(2/13-19)

2023.02.24
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海鮮丼、浄土ヶ浜、私を腹痛にしないほうがいい/平興商店、吉浜食堂、蒸し牡蠣と東出昌大/ぴょんぴょん舎、岩手県立美術館、盛岡城跡公園/みとま、アンダーソン・パーク、川徳/波に千鳥、プルーストの速度、『ヒロインズ』/『それで君の声はどこにあるんだ?』、ファインド・ユア・ボイス、『収容所のプルースト』/センテンスの排除、猿田彦珈琲、融資却下/youra、宮古、「未来は俺等の手の中」/田中、佐藤、山口/BREWBOOKSでインタビュー、今野書店で『文學界』、くまざわ書店で『THE FORMAT』/カレーのリニューアル、おばあちゃんたち、treflod/さわや書店で『氷柱の声』、Aeron COFFEE&BEER STANDと根菜屋、ブライトンとフルアム/長い眠り、タイピング検定、プルースト

抜粋

2月13日(月) 

9時頃起きる。昨日の夜はすっかり酔っ払って風呂で夢を見ていたのでサウナは入らなかった、あまりにも賢明だ。夜はもうひとつドーミーインの名物だという夜鳴きそばというものを食べようとも思っていたのだけどお腹もいっぱいだし何より眠いしで食べなくてこれは賢明と言えるのかどうか。10時頃、『それで君の声はどこにあるんだ?』を読んでいるとすぐにコックリコックリとなって明かりを消して寝た。いつもは遊ちゃんが左で僕が右というのが寝るときの位置でこれは並んで歩くときもその並びだけどこの2日の布団は逆の位置で寝て左側がヘッドボードのライトが近かったからそうなった。遊ちゃんはあまり照度を必要としない人なので。

2月14日(火) 

午後、下北沢に移動。今日も移動中は原稿チェックで早く解放されたい。それでまた打ち合わせがあってあれこれ話したりいいことに気がついたりすると初台に移動。夜までエクセルシオールでひたすらお仕事でアンダーソン・パークを聞きながら働いた。アンダーソン・パークは盛岡の古着屋さんで掛かっていたやつで盛岡城跡公園を出るとまだ時間があってけっこう市街地をうろうろしていた。川徳という百貨店に入って東山堂という書店に入ったのはモバイルバッテリーを借りられるスポットだったからのようだが本も見た、がぜん『氷柱の声』を読みたくなっていたのでせっかくだしこの地で買おうと思って見たが見当たらなかったので諦めた、2階のカフェはケーキが1000円以上するところで遊ちゃんが高校一年生のときに金持ちの友だちに誘われて行って緊張した。

2月15日(水) 

自分の声を見つけなさい。ファインド・ユア・ボイス。借り物じゃない声、借り物じゃない言葉、借り物じゃない思考。元はなんでも借り物から始まるのかもしれない。真似ることは習得の一歩目だと思う。そこからそれをどれだけ自分の内側に染み込ませて、自分の体の中で変形させていくのか。どれだけ身体化していけるのか。そのためにどれだけ手と頭を動かせるか。

2月16日(木) 

いっしょうけんめい働いていると電話が鳴って政策金融公庫からだ、2日前くらいから着信があったのだが取り損ねていた。やっと取れた。借り入れの申込みの結果の連絡だろう、さて、いくらだ、と思う。申込みは2100万でしていて満額はまず難しいだろうと思っていたのだが、聞いたら融資が不可だった。ゼロか、と思う。このパターンはあまり覚悟していなかった。下北沢をつくったときに個人で借りていた融資があるので追加融資という格好になる、と言われていたのでそうすると500万とかっていうのもありえそうだなと思っていたが、融資自体ダメ、ということはあまり想像していなかった。これはどのくらいのピンチなんだろうなと思いながら話を聞き、現在は赤字の状態が続いている、ここまでの推移から近々に黒字転換する見込みを立てられない、ゆえにちょっと無理でした、ということでした。

2月17日(金) 

駅前まで出て富士そばで昼飯を食うと今野書店で『文學界』を買い、それから音羽館に寄ってチラシの補充をしてから店に向かう。住宅街をジグザグと歩いていくと見慣れた道に出て店に着くと敷野くんがいた。用事を済ませつつ店でなんとなく仕事をしているとお客さんがずいぶんコンスタントに来られてちょっと手伝ったりする。それで出て新宿経由で初台に行ってエクセルシオールで仕事。

2月18日(土) 

通してもらうとおばあちゃんは椅子に座ってマッサージを受けているところだった。僕たちも適当な椅子とかに座る、おばあちゃんはりんごや干し柿を勧めてきて僕たちはお腹はいっぱいだ、なんとなくこうやって突然なんの前触れもなくやってきた孫夫婦という存在をここにいるマッサージ師とヘルパーの人の視点で考えたときに不審な何かをせびりに来た悪い孫たちみたいに見えてもおかしくはなさそうだなと思いながら僕はいてストーブの上に先日の芥川賞発表のときの『文藝春秋』が置かれていたのが見えたので開くと井戸川射子のインタビューが見えた。高校の先生をしているとの由。

2月19日(日) 

布団に入ってプルースト。昨日のところからスキップしながら「ここまではまだ読んでいなかったかな」というところを探しながら、ここまではまだ読んでいなかっただろう、という雰囲気になったところを見つけて読んでいった。
それにまた、そして他人の死が自分にはなんだかひどく決定的で通俗的な事故のようなものに思われるというまさにその理由で、ヴェルデュラン氏は、自分自身の死を考えることさえいやな気がしていたのであり、すこしでもそれに関係しそうな内省はすべてさしひかえることにしているのであった。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈7 第4篇〉ソドムとゴモラ 2』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.82
いま引用を打ちながら、いやここは読んだな、というか引用した気がする、という気がしてくる。そして日記内で検索を掛けたら去年の8月に引用していた。手のほうが覚えているものなのかもしれない。
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