読書の日記(1/30-2/5)

2023.02.10
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OKR、書店の閉店、フィジビリティスタディ/銭湯の緒方貞子、読書の日記3原稿チェック開始、思い出ヘビーシック/爆弾低気圧、久木さんとの再会、『昏乱』の終わり/銭湯でたむろ、カリフラワーのスープ、日記チェック/睡眠中の発汗力、恵方巻き、カレーの試食/「結論だけで」、プログラミング言語と要約、ポテチと『体はゆく』/低調、夜番、ブライトンとボーンマス/金柑のあざと写真撮影、『都会と犬ども』、ベルンハルト三昧/

抜粋

1月30日(月) 

閉店すると真面目にエアコンのフィルター掃除をしてからご飯を食べて『Number』で福留孝介の記事を読む。それで帰ってOKR。フヅクエの目標について考えている。ビールを飲み飲み3時くらいまで働きOKR。

1月31日(火) 

帰り、白菜、塩もみ。それをするとゲラを出して『読書の日記3』の原稿チェックを始めた。5月10日からだ、トンプソンさんが辞めた、その最初の日から。武田百合子の『犬は星見た』を読んでいてまさにこの日に「あー楽しかったね」というずっと記憶に残っている話が引用されていてそのあと銭高老人の「しゃあ」という言葉も引かれていて大事な日だ。この頃は『GINZA』での書評連載があった。『読書の日記』の発売を控えていた。山口のYCAMに三宅唱のインスタレーションというか映画を見に行った。帰りの飛行機に乗り遅れて図らずも一泊した。翌日、仕込み中に指を切って怪我をした。それからしばらくのあいだフードなしの営業をした。『読書の日記』が発売になった。

2月1日(水) 

夕方になって久木さんと急遽で話して原稿チェックの方法についていくつか確認して、話しながら、昨日僕はこの原稿に下手に手を入れてはいけないなと感じていた、5年前の自分というのはもはや他人というか他人ではないけれど違う作者だ、最初から読点の打ち方に違和感があって詰まる、ちょっと打ち過ぎだと思う箇所がすぐに目について直したくもなったのだけどこれをそうやって直していったら台無しになるというか台無しになんてならないだろうけれどもったいないことではあると思って文体が少しずつ変わっていくそれも日記ならではの変化であり面白さなのだからそういう今だったらこういう書き方はしないし今だとちょっと気持ち悪いという箇所も積極的に残していったほうがいいと思った、過去の自分の手付きをきちんと尊重することが今回の肝なのかもしれないと思った、ということを話したりした。それから原稿をパッと適当なところを見たら鉛筆で「これ私です」みたいなことが書かれている箇所が目に入って久木さんが登場している場面があって2018年だ。懐かしいですねえ。そのあと再会したのは2020年の春でボーナストラックの広場でだ。オープン直前の晴れた印象の日、月日の前に5人くらいの人たちがいて研修というのか説明というのか、そういうのを受けていたそこに久木さんがいたし並木さんもいた。懐かしいですねえ。ずいぶん時間が経ってしまって今さら2018年ではあるのだけど、でもむしろこのタイムラグはいいもののように、読んでいると感じていて久木さんもそうで、かつてそうだった世界みたいなものと触れ合える感じがしてこれは何かとぐっとくるものだ。店はまだ初台だけで、一緒に働いているのはひきちゃんで、店を増やそうとも思っていない。だけど内沼さんの『これからの本屋読本』を読みながら書店のすぐ近くに出したらよかったかなとか考えていてこれが多分ボーナストラックでの出店につながっていく。秋くらいに店を増やしていきたい気がしているみたいなことを取材で話して、内沼さんからボーナストラックの話を聞いたのはたしか11月の終わりとかだと思う。それが2018年で2019年は準備を進めていって人員を一気に増やしたのも2店舗体制にするためだ、それで2020年になると感染症の世界が始まるわけだ。

2月2日(木) 

帰ってスープをつくりはじめる。今日の夕飯はカリフラワーとじゃがいものスープと菜の花の和え物と豚の生姜焼きであとキムチも添えていいご飯ができた。食べ終えて夜、今日も日記を読む。7月。『茄子の輝き』を読み直している。『読書の日記』の反響に感激している。

2月3日(金) 

今日は仕事を片付けることができた夜は自堕落読書タイムをやろうかという気持ちがあってポテチとうに味のひねり揚げみたいなやつを買ってきていた。なのでそれに向ける気分で一生懸命働き、12時くらいに切り上げるとビールを持ってきてポテチを開いて自堕落読書タイムを始めた。『体はゆく』を読んだ。体に先に動きを体験してもらうこと。ピアニストが指に誰かの運指をコピーしたグローブを嵌めてああこうやって動かすのかと学び、自分でも弾けるようになっていく。きっと水泳教室とかで先生が足を掴んでバタ足をさせるのとかもそういうことなのだろう。それがより精緻にできるようになっていくということで面白いなと思う。次の桑田真澄のやつもすごく面白かった。フォームの再現性とかの話。ロバストな再現性が桑田には備わっているとの由。
満足して布団に入ると今度は『それで君の声はどこにあるんだ?』を読み始めてわりとすぐにグースカピー。

2月4日(土) 

ともあれ閉店になったので片付けると大急ぎで定食をもりもり食べてかつては自転車にまたがると坂道を下ってほんの少し行くと家だった、今は右に折れて駅に入って電車に乗って帰り道も日記を読んで夏だ。グローブを買ったりキャッチボールをしたりしている。イトマイの物件が決まって施工業者を紹介したりスケルトンの物件を見に行って好き勝手なことを言ったりしている。読めば読むほど日記というのはいいものだなと思って書いていてよかったなという気持ちになっている。

2月5日(日) 

働く途中でB&Bに行って『消去』がないかを見た。なかったがベルンハルトの他の作品はたっぷりあってどうにもベルンハルトを読みたい気分が継続しているらしい。代々木上原に用事があった遊ちゃんが5時頃にやってきて僕も仕事を切り上げB&Bで合流。ベルンハルトのところを改めて検分してやっぱりほしくなって『私のもらった文学賞』と『アムラス』を買っていた。『樵る』を開いてもいないのに何をやっているんだという気もするけれど、最近は何か「まだ読まない本を買っておく」ということに慣れてきたのかもしれない。昔はできなかった。買ったら読む、いま読む本を買う、そういう感じだった。それにしてもベルンハルトにハマるというのはどういうものなんだろうか、延々と続く呪詛や悪罵を読むことは僕にとってどういう喜びなのか。少し心配になる感じもあるし、今はこれがバランスの取り方としてちょうどいいというのはあるのかもしれない。
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