抜粋
1月9日(月)
初台に着いたのは6時前で降りたら成人式関連の何かなんだろうという人たちがいてオペラシティで成人式の催しでもあるのだろうか、この人たちは17から20歳までの年月をマスクで過ごしたんだなあ、と思ったら涙がこみ上げてきた。すると小学生低学年くらいの男の子が駅の通路でドニ・ラヴァンみたいな調子で踊っている、喚くように踊っている、足を振り上げ手を振り上げ、てんでばらばらにダイナミックに踊っている。彼を追い抜いて改札を出て地上に上がるとツリーはもうないがオペラシティのイルミネーションがキラキラとしていてさっきの少年の踊りと相まってポンヌフ橋のようだった、花火が上がる、ドニ・ラヴァンが踊る、世界が爆発する。おめでとう20歳の人たち、という気持ち。
1月10日(火)
つつじヶ丘とかで乗ってきたランドセルのほうが大きい年頃の女の子ふたりが「付き合ってもいいかな」「上から目線」と話していた。「僕はね、上から目線って言葉が大嫌いなんですよ、会社員だったときに上司が」と阿久津は言った「お前はほんま上から目線やな〜と上司が言った。それを聞いて私は」と阿久津は言った「それならばあなたが望むのは」下から目線の言葉なのか、へりくだった姿勢で上司に対して「あなたのおっしゃるとおりですね、さすがは上司だ、という言葉を聞きたいのでしょうか」と阿久津は言った「あなたは部下をあなたに隷属させたいだけであって部下の意見なんて聞きたくもないということでしょうか」と阿久津は言った「と私は言ってやろうかとも思いましたよ、だけど、いいですか」彼はそんな真剣な意見を伝えるほどの情熱は言うまでもなく持ち合わせていなかったから「僕は何も言わずに」と阿久津は言った「そうですかねえとヘラヘラするばかりでした。上からとか下からとか僕自身はそんな退屈で怠惰な意識を持ちたくもないしそのような考えうる限り最も悲惨な欺瞞に満ちた、そして自分自身の思考の停止をわざわざご親切にも世界に向けて宣言して自分をくだらない惨めで悲しい物笑いの種にするような物言いをする感覚が到底理解できないわけだから、きっとそこには私なんかには想像もつかない大いなる意図があるのだと思うのです、だからこそ、いいですか、私はただ聞きたいのです」と阿久津は言った「あなたたちはいったいどういう了見で上から目線などという自分自身を愚か者の祭壇に祀り上げるような信じがたい愚にもつかない言葉をそのひどく貧しい口から発しているのでしょうか?」と阿久津はふたりの少女に言った。
1月11日(水)
閉めてご飯を食べながら『Number』で大谷翔平のインタビューを読んで「もし僕がGMやオーナーだったとしても、僕をトレードに出すタイミングとしては今年が一番見返りも大きいと判断したでしょうし。チームを長い目で見たときに今年、僕をトレードに出すという選択肢は大いにあったと思います」と話した、さらに「そもそもチームが自分を必要としていないとか、嫌いだとか、そういう次元の話ではありませんし」とも言った。もっと勝てるチームに行ったほうがいいという声もありましたが、とインタビュアーが言うと勝ち方というのもいろいろだ、ひたすらお金を使う球団もあれば育成していく球団もあるし一度解体するのだって手段だし勝てるチームのつくり方はいろいろある、どれが正解ではない、そう話した、「ただ」と彼は言った。
ただ、僕が行く可能性がある球団は狭まってきますよね。来年は30ミリオン(3000万ドル)……40億円というお金をもらいますけど、それだけのお金を一人の選手にかけられる球団は限られてくると思います。そうなると年俸が高い選手が行ける球団の幅はどうしても狭まってしまいますし、贅沢税も厭わないようなお金を使える球団に行かざるを得ない、ということは増えてくると思っています
『Number 1062号 オリックス日本一への軌跡。』(文藝春秋)p.44
自分の年俸額への言及といい行ける球団の選択肢のことといい、ここまでの踏み込み方の発言をする選手を初めて見た。踏み込みでもなんでもなくてただ事実を言っているだけなんだろうがこういう情報をそういうふうに扱える人はきっと多くない。本当に大谷のインタビューはいつだって面白い。
1月12日(木)
ボーナストラックを離れて新宿に行く、引き続き『ユリイカ』で三浦哲哉の文章もひたすら面白くて三宅唱の批評を読みたくなってしかたがない、「flowerwild」とか懐かしくてたまらない、カールスバーグの広告なんて珍しいなと思ったらカロリーメイトの広告だった、ロゴが近い。早足で歩いてテアトル新宿に着く。昨日買っていたチケットを発券して数分時間があったので公庫に追加提出する書類の用意をしていたらあと2分で本編開始ですという声がしたのでパソコンをしまって場内に入り、すると映画が始まり、ずうっと目を見張っている。すべての音を拾おうと耳が構えている。同じところで泣き崩れる。すべての役者が最高だ。よく生きよう、と思う。
1月13日(金)
鍋食う。データベースつくる。何を知りたかったのか、夜に『リーダーの仮面』を手に取ってペラペラ再読していた。リーダーをやれないままだなあと思う。布団に入るとベルンハルトを読んで気を落ち着ける。
1月14日(土)
国立新美術館に来たのはいつ以来だったかまったく思い出せそうにもないが見覚えがあるというよりは自分がそこにいた時間を思い出す感触というか自分の体がそこにあった印象がやってきて中に入ると静かで仄暗い場所だった。2階に上がって展示室に入る前にベンチに座って下を見下ろす時間を設けて『ケイコ 目を澄ませて』を見ていると映画というのは人をじっくり遠慮なく見つめていい時間であることを意識するわけだけどここでも似た感じがあって高低差が見返される恐れを薄めるようだった。氷山のポスターがあって入ると最初が近藤聡乃の展示ですごくバカみたいな感想だけど改めて「絵が上手だなあ!」と感じて特に街の風景の線にときめき続けた。コマ割りメモとネームと本番のやつが並んで制作過程が見えるやつがいくつかあって漫画をつくる頭の中はどうなっているんだろうか、頭はまず何を見るところから始まるのだろうか。目当ては近藤さんの展示だったわけだがその目当てが最初にあるというのはいいものなのかもしれなくてそのあともとても楽しむことができた、これがずっとあとだったら頭は常に次かな、まだかな、とか考えちゃいそうだが最初に済んでいるからあとはただ目の前だ。氷山のやつもじわーっと動く映像のやつも彫刻のやつも触っていい石のやつもぼんやりしたやつもカラフルなやつもすごく楽しくて人が制作を続けるという事態の美しさというか強さのようなものに勇気をもらい続けていた。結局90分掛けて見て疲れた。
1月15日(日)
バタンキューは失神だから途中で起きる。起きたら『リーダーの仮面』を最後まで読んでリーダーにならないとなあと思う。それからベルンハルトも読む。だからけっこう長々と起きていた。それで朝になったらまた起きて何を思ったのか『感動経験でお客様の心をギュッとつかむ! スターバックスの教え』という2021年の暮れに渋谷の丸善ジュンク堂でビジネス書を大量買いしたときに買った一冊を取って通勤の電車の中で読む。