抜粋
1月2日(月)
お昼ごはんのお雑煮を食べると車を借りて遊ちゃんとグッドニュースに向かった。ショーゾーじゃなくてグッドニュースに僕たちは行くのだね、と車中で話す。グッドニュースの外の席に座ってコーヒーを飲みながら仕事をする、それがしたかった、今日したいのは2023年の売上データを取っていくスプレッドシートの作成というか延長で、それからデータポータルでの表現もブラッシュアップしたかった。でもそういうこともしたいけれどもっと大きなことというか今年一年の目標とか去年一年の振り返りとかそういうこともしっかりやりたいのだがこういうことはきちんと時間を取らないと決してできないだろう。グッドニュースに着くと雪がちらついていた、寒かった、コーヒーを買って外に出てブランケットを借りて座ったが寒くて、耐えられないことはないけれどこの状況で仕事をするとかはきっとできないだろうと判断してたちまち店内に戻った、すると外の雪がぐっと強くなって降っているというより吹き下ろしているという感じだ、店内は暖かい、イイホシユミコのカップが飲みやすい、それでまずは2日分くらいの日記を書いた。
1月3日(火)
通路で突っ立って遊ちゃんは中井久夫を読み僕はベルンハルトを読んで実業家は仕事に邪魔が入らぬようハウエンシュタインの森の動物をすべて撃ち殺して「「いまでは窓を開けても」と実業家は言った「もう何も聞こえません。素晴らしい状況です」」。
実業家の部屋の中でかなり長い沈黙がつづいたあとで、父が、ぼくが廊下にいることを実業家に告げているのが聞こえた。ぼくが、実業家も知っているようにそこの鉱山大学で学んでいるレオーベンから週末家に戻ってきたので、連れてきた。そこの廊下にぼくがいる、と。しかし実業家はぼくに会いたがらなかった。「いやいや」と彼は言った「あなたの息子さんにお会いするつもりはありません。新しい人間と新しい顔は、私の計画のすべてを台無しにしてしまいます。分かっていただきたいのですが、何もかも破壊せずにいないんですよ、新しい顔は」。
トーマス・ベルンハルト『昏乱』(池田信雄訳、河出書房新社)p.61
新しい顔は何もかも破壊せずにいない。あんまり長いこと読み続けると飲み込まれてしまいそうだなあと思うし暗鬱さに疲れたりもする。大宮で席が空いたので座ってちょっとでも座れるとありがたいものだ、腰の痛みが年末から続いていてここ数日は特にピキピキしていた、肋間の神経は大晦日くらいに一度痛くなりそうな気配を見せたがそれ以上行くことはなかった、東京からの中央線も座れたし新宿からの京王線も座れたのであとは楽だった。
1月4日(水)
玄関でちらっと会っただけのツェーエトマイアーに対する悪口雑言が10ページくらい経っても終わらないので途中で閉じて寝たわけだがどうしたらこんなひどいこと言えんのというのが面白すぎてベッドに横たわりながら僕はあからさまにニマニマしていたし吹き出すをこらえながら読んでいた。面白すぎる。
1月5日(木)
加湿器が来たのは午後遅くになってからで受け取ると即開封即注水即加湿だ、強さは弱だ、リビングの加湿器を借りて部屋で使ったときに「しっかり」のモードで加湿をしていたら部屋の本がしなしなになって波打って、象印の加湿器の強の強さを知ったから、この部屋では弱だ、だから弱で加湿して部屋がゆっくりぬくもりにつつまれる。これで今年一年健康でいられる気がするし加湿が必要な季節が永遠に続いてほしい気すらする。まだ加湿器が自分にとってどういいのかも知らないのに、この部屋から出たくない、と思っている。
1月6日(金)
三鷹から荻窪、歩いてTitleに。先日樽本さんにインタビューをしてから本屋というものに興味が向かっているのか、辻山さんの本と読書特集の『BRUTUS』をまず見ていた、そのあと青い背が目に入ってきて何かを感じて見ると『樵る』という本でベルンハルトの後期の小説ということだった、去年の11月に出ていた、昨日「とうとう『消去』を読む日が近づいてきたかなあ」と思っていたのだが、まだまだ新しいのが出てくるものだ。まだまだ『昏乱』も終わらないんだけどな、と思いながらも手に取っている。そのあと『体はゆく』という本が目に入って伊藤亜紗のこれも新しいやつだった。帯に「あ、こういうことか」という言葉があったのが決め手だった気がする、「あ、こういうことか」という瞬間はいいよな、とたぶん姪っ子と遊びながら感じていたばかりだったから。それで『BRUTUS』はそういえば店にあった気がする、下北沢で見かけた気がする、と思ったのでやめてベルンハルトと伊藤亜紗と『本屋、はじめました』を持っている、読みたい本は無限に現れるなあと思う。
1月7日(土)
店に着くと今日はそこそこの日という感じでマキノさんと前田さんのタッグだった、マキノさんが帰っていって前田さんが8時まで。少ししたらお客さんがゼロになって、ゼロになっちゃった、と思う。ゼロのまま時間が過ぎて前田さんが帰って僕はひとりぼっちになる。9時を過ぎてからふたり来られたので救われた。少しは働けた。ふたりめの方は来られたときに「お」と思ってまじまじと見たらやはりそうでリュックが僕が使っているのと同じWEXLEYのやつでそれを確信できたのはバッグを開いたときに黄色の内側が見えたからだった。なのでお帰りのときに「リュック」と言って僕のを見せた。
閉店するとビールを飲んで定食をバクバク食べて今日もおいしくて特に菜の花の和え物がよかった。オリックス優勝特集の『Number』のダルビッシュのインタビュー記事を読んでダルビッシュは本当にかっこいい。電車に乗ると『ユリイカ』を開いてバチバチに面白いと思っていたのに平倉圭の途中でやめていたのだった。だからその続きを読んだらたちまちバチバチに面白い。
1月8日(日)
鍼灸院に電話をすると4時から行けるということなので素早く準備をして出、『ユリイカ』。長門洋平の次は細馬宏通で本当に面白いテキストが続きに続く。「松っちゃんのミットとケイコのグローブとが衝突する。リズミカルな音。それは松っちゃんの振動でケイコの振動だ」。
スウェイはミットを避けること、つまり、スウェイとは振動がないこと。振動の合間に、スウェイが入る。コンビネーションは、振動のあるなしを組み合わせること。スウェイしようとするケイコにミットが当たる音がする。やってくる振動は痛い。ミットに当て、ミットを避ける。振動を与え振動を避ける。振動があり、振動がない。あるあるある、あるあるある、あるあるあるない。次第に速くなる。カメラが寄る。間近に見るパンチはさらに速い。画面の中の移動距離が大きくなり、その速さは体感に近づく。間近に見るケイコの顔はすばらしい。あるあるある、あるあるある、あるあるあるない、口をとがらせ目を澄ませていたケイコの顔が、振動のあるなしとともに笑みへと変わり、ついには破顔する。その、岸井ゆきのの表情!
『ユリイカ 2022年12月号 特集=三宅唱』(青土社)p.127
読んでいるだけで涙がこみ上げてきてしばらくその泣きのモードが顔に張り付くようなそういうこみ上げ方をした。それがどういう感情なのかわからないが文章を読んでいたら「同じものを見ていたんだなあ」という気持ちになった。