抜粋
12月26日(月)
そろそろ切れそうという連絡があったのでチラシを一束つかんでくまざわ書店に行って渡し、文芸誌コーナーを見たら『ユリイカ』があったので買って電車に乗る。乗り換えの笹塚駅に凍てつく風が吹いていてこの季節が来たと思う。電車の到着が3分ほど遅れているということでこの3分は過酷だった。スキー場で一番寒いときより寒いみたいな体感の寒さで一度心頭を滅却して寒いとか考えないで立っているとしばらくは寒さが紛れたがそんなに長持ちするものでもない。肩の中に首を埋めるみたいな姿勢で電車の到来を待った。やっとやって来た混み合った電車に乗ると三宅唱特集の『ユリイカ』を開いて最初は蓮實重彦との対談だった。『密使と番人』の石橋静河について蓮實重彦が「とてもいい」と言うと三宅唱は「ええ、堂々としているんですよね。と言っても、不安がないから堂々としているということではなくて、それぞれ抱えている不安を、つい隠したくなるはずなのにぜんぜん隠さない、というのがいいなと思っています」と言っていていい言葉だった。
12月27日(火)
終えると出、銀座に向かう。電車では今日も『ユリイカ』で蓮實重彦対談が終わると岸井ゆきののインタビューで「一六ミリフィルムの回る、映画の作られる音を聴きながら映画づくりができることの喜びがあった」とある。そうかフィルムで撮るということはあの音が撮影現場に響き渡るということなのか、と思うとそれだけで感動するところがある。一方で恐怖もあった、「その一回きりのなかに、私も全てを込められるのか?」という恐怖。
でもその恐怖はトレーニングを重ねるなかで薄れていった。それに、たとえば照明の藤井(勇)さんや録音の川井(崇満)さんなど、何度もご一緒してきたスタッフの方も多かったんです。現場に入ったとき、空間の明かりの美しさを身をもって感じて、私はただここにいることができれば大丈夫なんだと思えました。口語としてのセリフのない場面で、カラカラカラ……というフィルムの回る音がずっと響いているその状況も、集中力を向上させることに非常に貢献してくれていると思いました。
『ユリイカ 2022年12月号 特集=三宅唱』(青土社)p.64
私はただここにいることができれば大丈夫なんだと思えました。インタビュー動画のときもそうだったけどケイコというか岸井ゆきのの言葉に触れると僕は涙腺が刺激されるようにプログラムされてしまったのか涙がこみ上げた。
12月28日(水)
今朝もにぎやかで楽しい。聞いている限り3人はどこかに出かけようとしているのだけどちびっこは着替えたくない、もうちょっと寝ようと言う、行かないのとママは聞く、行くけどちょっと寝ようとちびっこは誘う、しばらくの静寂、ああ、ちびっこが寝たのかな、僕ももうちょっと寝よう、と思っていると大きな声が聞こえて寝ても覚めてもだ。そのあと今日も僕の姿を見せる時間があって見世物っぽくもあり謁見っぽくもある。僕はまた「いらっしゃい」と言う。華南子ちゃんは寝室を離れながら「あちゅちゅくん見えた?」とちびっこに聞いていてレアキャラ扱いでやっぱり見世物だった。そのあとちびっこから「充電」という言葉が聞こえてきてそれは「何したいの?」みたいな問いに対してだっただろうか。「何したいの?」「充電」。僕があのくらいだったときは充電なんて言葉は知らなかったなあ、今の子どもたちはみんな知っているわけだ、というかスマホ関連用語はかなり早い段階で習得する単語になるのかもしれない。
12月29日(木)
なんとなく今日『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』を読み終えたい気がしている、数日前から年越しは『2666』をまた読みたいような気もしていたが今日は忘れていたので持って帰るのを忘れたからそれは叶わないし本気で考えていたわけでもないのだろう、でもいつか『2666』をまた読みたい。ではなんだろうかと思って吉田健一の『本当のような話』もいいかもしれない、ずっと楽しみに置いている本だ、そう思って手に取ったら折れ目がいくつもつけられていてすでに読んでいたらしい、まだ読んでいないと思っていたのウケる。でも吉田健一の小説はタイトルが簡潔なのでそういう勘違いも起こりやすい気もする。僕のせいではない。『本当のような話』は民子と中川とかの話だった。最高のやつだった。ではまだ読んでいない吉田健一の小説とはというところで『旅の時間』も手元にあったがなんとなく今ではない気がしてやめた、やはり、やはりというのも違うが、ベルンハルトだ、『昏乱』だ、これを2022年最後の本にしよう。
12月30日(金)
何時頃だったか風呂から上がると布団に入り、姪っ子が今日は遊ちゃんと隆おじちゃんと一緒に寝ると言うので同じ布団に入って3人で順繰りに絵本を読んで姪っ子がエスカレートしていく、僕もそれを助長するような読み方をしてしまって大笑い、そのときの僕はまるで気づいていなかったが遊ちゃんは呆れていた、なんせふすまを隔てて隣の部屋には眠りと覚醒のはざまにいる甥っ子がいたわけだ、その中でこの大声と大笑いだ、姉たちからしたらふざけるのも大概にしてくださいという話だ、遊ちゃんは音読の途中で眠りに落ちて突然過ぎてびっくりした、小声になって姪っ子とふたりで最後まで読んで今日読んだのはリトル・グレイラビットの『はじめてのパーティー』というやつだ、本を閉じたら姪っ子もたちまち寝た。僕はあと少しで終わるジェスミン・ウォードを読んで今日もやっぱり最後まではいかずに寝た。
12月31日(土)
ゆく年くる年も見たいと思ってテレビを分割画面にしてみる、すると片方の画面でジャニーズが歌って踊ってもう片方は寺とか神社とかだ、そう思っていたらファイターズガールが映って完成したっぽいエスコンフィールドの様子を伝える映像だった、そこできつねダンスが踊られてそれが不思議と隣のジャニーズの画面のリズムと同期する感じがあってウケた。それにしても年越しの5分後とかに他に誰もいないスタジアムでダンスを踊ることになるなんて、ファイターズガールたちもびっくりだろう。それで分割されたテレビではそのあとも何度も、どこかの祭りのビートと重なったり、太鼓を振り上げる動きが東京ドームの振り付けと似通ったり、何かとふたつの画面で響き合う瞬間があってお茶の間のみんなは大盛り上がりだった。そのあたりで姪っ子は眠りに落ち、藤井さんが抱えあげて寝室に持っていく、遊ちゃんも眠る、僕はビールをもう少し飲む、布団に入ると『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』を開いて読み終える。それで今度は『昏乱』を読み始める。
1月1日(日)
姉たちはキンプリの話をすると布団に行き、遊ちゃんも気づいたら布団だった、僕はビールを飲みながらツイッターを見ていたらきっと去年のベストみたいなツイートで何冊か本が並んでいる中に「この雰囲気は作品社っぽいな〜」と思う本があって画像を拡大していったら作品社どころかジョン・ウィリアムズで『アウグストゥス』というやつだった。これまでの作品の訳者あとがきの中でジョン・ウィリアムズが残した作品の紹介でそういう作品があることは知っていたけれど出ていたことはまるで知らなかった、いつの間に出ていたのか、去年の暮れとかなのかな、と思って調べたら大ショックで2020年に刊行されていた。マジでまったく知らなかったんですけど、と思う。