読書の日記(10/17-23)

2022.10.28
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秋冬メニューの写真撮影、『大事なことはピンタレストで学んだ』、あざと写真の完成/8周年の暇な日、『Number』、『海をあげる』/ひきちゃんと本間くん、フグレン、羽根木公園/売れ線の指圧、渋い指圧、『マネジメント』/『正反対な君と僕』の舞台、セブン豪遊、『水平線』ラストラン/おでん、レモンサワー、ボーナストラックの夜/ブックマーケット、中華料理屋、ヴィレヴァン/『辺境を歩いた人々』、店って平気でなくなるよ?、ラッタウット/

抜粋

10月17日(月) 

今日撮るのはチャイとマシュマロホットチョコレートとチーズケーキを収めた1枚と、グリューワイン1枚、ホットアップルサイダー1枚。そのためにスーパーに寄って安いワインと、あとりんごを買ってみた。ホットアップルサイダーは言ってみれば「茶色い液体」でしかないから、りんごとかを置いたほうがよさそうに思ってのことだった。ピンタレストで学んだ。「大事なことはピンタレストで学んだ」という本があってもよさそうだ。
一番簡単に行きそうなチャイとかの写真から始めることにして一番簡単に行きそうだと思ったのは今のポスターのコーヒーとホットレモネードとチーズケーキの写真と同じ構図でやればいい、過去の自分をコピーすればいい、と思っているからで実際そうやって、ポスターを見ながらカメラの位置やカップの位置を調整してできる限り完コピを目指した。貧しいやり方だなと思う。それで次にグリューワインで、ここでピンタレストが炸裂した。レモンスライスが浮いていたほうがいいのだが、レモンというのは重いため浮かばない。だからレモンタワーだ、レモンを積み上げて最後のやつが顔が出るという状態でレモンを水面に出させ、そこにシナモンスティックを添える。それを2杯つくってこれまでだったらここまでだろう。2杯つくって奥行きをつくるみたいなことだけでも進歩だったのに、今日はさらなる進化を遂げたわけだ。フレッシュなローズマリーと生姜、それから八角、シナモンスティック、クローブ、カルダモンというホールスパイス類、それを用意した。そしてカップの周囲にばらまき、配置を調整して、パシャリパシャリパシャリ。めちゃくちゃそれっぽい写真が撮れた。

10月18日(火) 

羽根木公園に言及されたものがあったか覚えていないが羽根木公園に行くと保坂和志を思い出すというか保坂さんがそこらを歩いているんじゃないかという気がする。コインランドリーの話とかで言及されていたかもしれない。欅の葉は最初のエリアは薄い明るい緑でそれは「あえかな緑」という印象でとてもきれいだった。ひきちゃんが銀杏の香りが少しすると言って、最初はわからなかったがだんだん香ってきた、そしてたしかに薄緑の葉に実がついていたり、地面に落ちていたりもした。あれ? 僕は、欅と銀杏といちょうの違いをわかっていないかもしれない。それはともかくほんの少し進んだところ、たぶんほんの少しだけ標高が高くなったところはけっこう黄色く色づいていて今年初めての紅葉の観測できれいだ。ベンチによじ登って何かの写真を撮っている人たちがいる。柔らかいボールでキャッチボールをする人たちもいる。球戯場の横を過ぎると野球のグラウンドがあって試合がおこなわれていた、赤いユニフォームがボールを投げ、バットを振り、センターへのフライだ、センターはボールを追い、捕り損ねてフェンスまで走り、つかみ、中継のために近づいているセカンドまで投げる。見ているだけで気持ちが開かれる、楽しい、ぱあっと楽しい心地になる。ゆっくり歩きながら試合の様子を見ていると次の打者はなかなか振らない人だ、最後は見逃し三振に倒れ、見逃し三振というところに逆に真剣味を感じる、そんな面白さがあったので笑った。本間くんもひきちゃんも笑った。それで公道を隔てて離れ小島みたいになっているところまで行き、そこはもう東松原だった、踵を返してまた大きな公園に戻ってゆっくり歩き、本間くんが
「阿久津さんは車を買いたいとかって思うことはないですか?」 と言ってきた。

10月19日(水) 

『水平線』を持ってくる。この一週間、小説が終わることから逃げるように手に取らない日々が続いていた、終わらせるのはきっと今日だ。テーブルで開いてスマホで重しにして手を空けて、文字を眺め始める。硫黄島に船がやってきた、内地からの荷物を届けにきた船が港にいる日々は島の人々にとって浮き立つような楽しい活気のある日々だ、そこから読み始めて少年が駆ける。そこから終わりまでに流れる時間というのか、これを時間と呼んでいいのか、時間としか言いようがないか、それは圧倒的で、だからやはり時間か、島に時間が返される、止まってしまった時間がいくつも折り重なりながら流される。アンゲロプロスの『ユリシーズの瞳』の大晦日の夜のシーンを思い出したのはさっきアンゲロプロスを思い出していたからだけどこれはもっと凄い。残りが少なくなってきてからはどんな終わりでもふさわしいと感じるような構えが僕の中にはできていたけれど、ここを読んでしまった今、これ以外の終わりはありえないというか、ありえなかったんだなあ、と思う。
俺の名前にルを付け加えたのは巫女さんのようなことをしていて早くに死んだ忍の母親だった。赤ん坊の頃に死にかけた俺は、巫女さんの忠告に従って重から重ルになった。ルをくっつけて死なずに生き延びた。そのルが、いまルだけになって生き延びて、ここにあった景色やここにいた誰かをあのイカの目玉から見続けていル。そうすれば思い出す景色もここにあル。思い出す誰かもここにいル。
うん、うん。 滝口悠生『水平線』(新潮社)p.500
息を詰めて、でも手と口は動かしながら、なんせ食事中なので、動かしながら読み進め、2缶目のビールを飲み終えて少しすると小説が終わった。息をふうっと吐くと張り詰めていたものが途切れて、それからしばらく顔を覆って泣きべそをかいていた。
この本を思うとき、これはもうなんというか『煙の樹』とかああいうのに比肩する世界文学なんじゃないかとか「凄い圧倒的な傑作」とかそういうことを思うし比肩とは何かと思う、これまでは比肩していないと感じていたのか、そういうこととも違う、だから単純にこの物語のスケール感とか厚さとかに引っ張られて『煙の樹』とか出しているだけかもしれないけれどもなんかとにかく「世界文学ですわ」みたいなそういうことが浮かぶけれどこの浮かんでいる言葉は誰のものなんだろう、誰に向けた言葉を用意しようとしているのだろう、読んでいるあいだに味わった時間をつまらない言葉に変換して痩せさせてなんのいいことがあるのか。
これまで連れて行かれたことのない場所まで連れて行かれた。これで十分だなと思う。

10月20日(木) 

調布に着くころにはもともとうっすらあった悄然とした気持ちが無視しがたい大きさに育っていた。何が原因なのかわからないけれどしょんぼりとしてしまって、どうしようと思う。昼飯をどうしようという迷いとも同期し、珈琲館に行ってサンドイッチというのが既定路線かと思っていたが、ちょっと地続き過ぎる、少しでいいので切断が必要だ、それでココイチじゃないほうのカレーチェーン、ココイチ同様Cがついている印象の、見事なものだ、まったく店名を認識しないまま食事をしてそして出たわけだ、そこに入ることにしてカレーというのはスパイシーなので気持ちがしゃっきりとかしないかなという期待だった。カツカレーの大盛りを注文して席に着くと1分もしないでカレーが出てきてすごい。

10月21日(金) 

調布に着くとコンビニでおにぎりとビールを買って帰る。まだ飲むの? と驚く。チューニングポールを駆使してせっせと体をほぐそうとするが、体がゴワゴワというかカチコチというか、疲労が全身を行き渡っている感じ。『海をあげる』を少し読んで寝。

10月22日(土) 

でもブックマーケット自体はおもしろく、いろんな人がタイトルのわからない本を買っていってくれた。そこで生じる迷いや出会いのひとつひとつがいいものに見えたし、フヅクエのことはずっと気にはなっていたけれど、みたいな人にフヅクエのことをちゃんと伝えたりする機会にもなり、よかった。缶ミラーはうれしいことに開店直後に7歳とかくらいの男の子がほしがって、お母さんはビールを飲みながら「自分のお小遣いで買いなさいよね」と言ったそばから財布からお金を出してちびっこに渡して優しい。それで売れて、そのあとは韓国語を話している二人組の女の子が買ってくれた。

10月23日(日) 

夜、『POPEYE』と『富士日記』と『観光』を持った方が来られてコーヒー牛乳を頼まれた。このときいたお客さん4人中3人がコーヒー牛乳を飲んだわけでコーヒー牛乳づいた夜だった。それで『観光』を見ると前に柿内さんが書いていたことに影響を受けているのかもしれないがその名をそらで言えるか実験みたいなものが自動的におこなわれて今日の僕の答えは「ラッタウット・サルーンチャップ」だ。見るからに足りない感じがする。「ラッタウット・ラープチャルーンサップ」が正解でした。『観光』は本当にいい本だった。アピチャッポン・ウィーラセタクン。正解できてびっくり。というのはきれいに変換できたから正解だと決めつけたわけだけど、調べたら最近は「アピチャートポン・ウィーラセータクン」と言うの? 一気に難易度が上がった感じがする。「あぴちゃっぽんうぃーらせたくん」は一息で行けるから行けたような気がするがあぴちゃーとぽんうぃーらせーたくんは息継ぎが必要で息を継いでいるあいだにわからなくなりそう。人の頭の中に人名というのはいくつくらい入っているものなんだろう。
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