抜粋
9月26日(月)
見送ると「ちょっといいかしら?」という感じだったし僕もどういう経緯で知って来てくれたのか聞きたかったし一緒に外に出ると家で本を読もうとするとどうしても他のことをしちゃってよくなかった、いつもくまざわ書店で本を買っている、それで買ったらこれを渡されて最初はなんでもないチラシだろうと思って捨てたんだけど、後でそういえばと思ってゴミ箱から取り出した、そんな店があるんだと思って嬉しくなって来た、そしてすこぶるいい時間を過ごせた、私は今とても嬉しい、と言ってくださって僕は両手を胸に当てて感激のポーズをしながらその人の銀色に塗られた爪を見ながら、「いやあマジそれ嬉しいですわ」とか言いながら、本当にうれしい心地になっていた。私は家はオペラシティ側で近くで、だけど初台にこんな店があるなんてまるで知らなかった。僕はだからそうですよね、地元の人にも知ってもらいたくて、8年とかになりますけど多分まだ全然知られていないから、と言うと8年という年月に驚いていて、知る前になくなっちゃわなくてよかった、と喜んでくれた。また来てくださいね〜言いながら見送り、本当にうれしい。今回の企画はこの人に知ってもらうために実施されたんじゃないかというような喜び。
9月27日(火)
セブンでビールとハンバーグと卯の花を買って帰る。卯の花は初めて見たので期待買い。新型コロナウイルス感染症の世界の訪れがもたらしたおそらく唯一のよかったことは夜にことごとく店がやっていなくてコンビニが頼みの綱になった時期にセブンの食べ物のおいしさを知れたことだった。あとは打ち合わせのデフォルトがZoomとかのリモートツールになったこともよかった。挙げていけばもっといろいろあるかもとも思ったがこれしか浮かばない。協力金もよかったんじゃないの? という考えもよぎるけれど、馬鹿言っちゃあいけないよ、この感染症がなかったらフヅクエは今ごろ5店舗にはなっていますよ、と言うことで応答に代えたい。
それで家の扉を開けると遊ちゃんの哄笑が聞こえてきた。大爆笑だ。荻上チキのラジオを聞いていたら面白かったらしい。僕はひとまず銭湯で考えた仕事に関することをきちっとやりきろうとパソコンの前に座り、ちゃっちゃか終わらせる。終わらせるとまた家を出てコンビニに行ってビールをふたつ買う。酒を飲めば疲れがごまかせるとでも思っているようだ。よほど疲れている。
9月28日(水)
5時になると初台に移動。これから夜番だから12時まで働くことは確定で、そう考えると「よく働くなあ」と思う。こんなの疲れて当然だよ。
それで6時でマキノさんと交代して店番。野球の様子を見ると札幌ドーム最後の試合の日ハムの4番は王柏融で打率は・033だ。そのあと見たら2打席目でヒットを打って・063になり、そして交代していた。日本での最後の試合として王柏融を送り出したような感じが見て取れて切ない気持ちになった。王柏融の移籍が決まったのが何年だったかは覚えていないけれど武田さんが腕をやって世田谷の病院に入院していたときだったことは覚えている。見舞いに行った病室で野球チームの人たちが来て僕が日ハムファンだというとワンボーロンが決まりましたねえ、と言われた、「王柏融」という字面は知っていたが読み方は知らなかったので、ああ、あれは「ワンボーロン」と読むのか、と思ったのを覚えている。
9月29日(金)
他にいるのは4人組の大学生っぽい人たちだけで狭くないが店は一人で切り盛りしているらしい。座ると大学生たちが全員分の飲み物とつまみをオーダーしたのでファーストオーダーのようだ。僕はビールを頼んで、少しすると大学生グループにひとりふたりと合流して結局6人とかの大きなグループになり、また別の人が一人でやってきて店から見たら9時半になってそれまで無人だった店が急に活気づいたという格好だ。本を開いて『水平線』、お久しぶり、元気だった? 再開すると再会したのは達身と重ルだ。疎開される家族を見送り自分たちは島に残された。きっと死ぬのだろう。その状況で発せられる「仕方あんめえ」というのはどういう心境なのだろうと思う。達身が海に浮かんでいる。崖の上には重ルがいてイクたちもいる。すると「イクが夏休みにうちに来てさ〜」と隣のテーブルから聞こえてびっくりする。僕は大学生たちに監視されているのだろうか。彼らの最初のオーダーをこなし終えたお店の人がお食事はどうしますかと聞いてきたのでまぐろのぶつ、白菜の浅漬け、里芋の唐揚げ、ぼんじりのねぎ塩炒めを頼んだ。大学生たちは元気だ、とても威勢よく礼儀正しく「ホッピーの中お願いしまーす!」と言う。「先輩を立てて飲ませる、それが後輩の仕事」という言葉が聞こえる。こういうつまらないことはどういうふうに植え付けられて内面化されていくものなのだろうか。次は合コン的な話になって「平沢大河」という言葉が聞こえる。耳が取られる。「平沢大河がえぐいツーベース、逆方向にすごいきれいなやつ打った話とか、俺はすごいと思うけどこんな話したってどうすんのっていう話じゃん。逃げていくチェンジアップをレフトに打つのは俺はすごいと思うけど」と話していてそれは俺はそういう話を聞きたいよ。
9月30日(金)
5時、明るさが失われ始めた広場で佐藤くんと話す。今のところ21人の方が応募してくれてそのうち14人が下北沢の応募だった。「週末2日みっちり」なんて応じてくれる人が果たしているのだろうかと思っていたのでこれは意外だった。応募は大阪や福岡からもあってなんというか、うれしいというか、すごいよなあ、光栄だよなあ、と思う。けっこうじっくり話し合って面接に進んでもらうメールを送る人を決めて散会。働く。途中で休憩に出てふらふら歩いているとサンカツさんのところのお母さんがいつもどおり店の前に立っていてあいさつをする。お兄さんまだ働くの? もう帰りなよ、と言われたのでお母さんももういいんじゃないですかと返したら私は9時までって決めてるからねということだった。僕は9時半でおしまいにして店に行きビールをもらう、榮山さんとぺちゃくちゃ話し、またビールをもらう、話し、帰る。駅を出るとコンビニでロング缶を買い、ちょっとどうなのかと思う。家に着くと遊ちゃんとまた出てコンビニに行き、ビールを買う。疲れすぎている。疲れを理由にしすぎている。
10月1日(土)
店に着くと満席の貼り紙がされていて6時に満席というのは珍しい感じがする。満席というのは3時とかに起こるものという印象なので。伝票を見るとずいぶん忙しそうでうれしい。マキノさんと野口さんと交代で大変だったんじゃないとマキノさんに聞くと「んー、だけど意外にそうでもなくて」みたいな答えでマキノさんが最強すぎて当てにならない。ともあれここからきっと一気に減るから洗い物がどばーっと発生するからけっこう大変なタイミングでの交代だなと思いながら代わり、そして実際予期していたとおりそこから一気にお客さんは帰っていかれた。すぐに入れ替わりでお客さんが来て、みたいなことはなく、大量の洗い物が済んだくらいのタイミングからぽつぽつ夜の時間の人たちがやってきて、今日もこの場所では本が読まれる。店にいれば毎回、何かしらひとつはあたたかい気持ちになる。たいていひとつじゃ済まない。今日も何度もあたたかい気持ちになった。
10月2日(日)
それで布団に入ると今晩は『海をあげる』を読み始めることにした。読み始めるとすぐに圧倒されて、本の評判は知っていたけれど、これは、とんでもない本かもしれないと思う。ちょっと一文一文すごい。「彼女は紅茶をいれるのがとてもうまい」という一文だけですごい。「泣いているひととは話ができないから、泣き止むのを黙って待つ」というのもすごい。「へぇ、と思い、また頭の芯が冴え冴えとする。包丁で刺されるくらいで許されることなのかな、これ?」、これは一文じゃないがなんでもすごい。
登場する人たちもみんなそれぞれすごくすごいのだが「シカゴで仕事をしている友だちの和美」が「韓国で仕事があったからついでに帰国した」と言って東京にやってきて「イギリスで習ったというイタリア料理」をつくったところで笑っちゃって、3行くらいのなかで世界地図行き来し過ぎで何度見てもなんか面白い。