読書の日記(8/1-7)

2022.08.12
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店舗マネージャーの定義/ドン・シーゲル『抜き射ち二挺拳銃』、デイヴィッド・ロウリー『セインツ -約束の果て-』、トニー・スコット『トップガン』、ロン・ハワード『アポロ13』、トニー・スコット『サブウェイ123 激突』/『象は鼻が長い』、うえすとハユルイかあぶデクッテアリマス/ムキになりつづけること、村田沙耶香『信仰』、原価厨/くまざわ書店、『群像』、三宅唱と蓮實重彦/仙川、湯けむりの里、いわしの店/この酔い、この疲れ、この眠気、この倦怠感/現代思想入門、ドラッカー、プルースト、ショットとは何か、現代思想入門/

抜粋

8月1日(月) 

お酒が残っている感じがしてビール3本でそうかと思う。もともと僕はお酒はとても弱くてすぐに頭が痛くなって気持ち悪くなっていたわけだけどそこに体は戻っていくのだろうか。
起きたら9時で慌てて出、通勤。『象は鼻が長い』を読みながら移動し、「自問の切り出しは自答の言い切りを求めてやまず、そのために「Xハ」は大きく文末に達します」とあってかっこいい。「ハ」が遠くに届くというイメージが僕をひたすらときめかせるようだ。
昨日は暇日曜日だったようで準備もそんなになく、ご飯をたっぷり食べて元気いっぱい。昨日で6連勤が終わって今日から4連勤で、4連勤なんてちょろいものだ。開け、ポツポツ働く。7月の数字のまとめをしていくと先月はひどい月だった、すべての店で目標値を大幅に下回って特に下北沢と西荻窪は目も当てられない。初台も6月はかろうじて目標を超えたが7月はさんざんで、特に休日の下がり幅が大きく、昨日もそうだったがガクッとダメな日がポコポコ出てきてそれでガクッとダメだった。ダメとか惜しいとか、結果を見て結果をただ復唱するみたいな感じでウケる。

8月2日(火) 

着いたのが12時40分ごろで、電車に乗っているときに今日も映画を見ようかなと考えていたのだけど、もうこんな時間かと思って諦めることにした。この時間に着くことはわかっていたのに着いてから判断が変わるこれはなんなのか。しかし家に着いたらまた判断が変わってやっぱり見ることにしたらしい、シャワーを浴びると部屋に入り、フリッツ・ラングかな、どうしようかな、と思ってから『ショットとは何か』を開いて蓮實重彦が褒めていた最近の映画を探したら「合衆国に二人のショットを撮れる新人監督が登場した」と言って紹介されていたデイヴィッド・ロウリーという人の『セインツ -約束の果て-』という映画を見ることに決めて上映時間も95分とちょうどよかった。そしてよかった。映画を見ているなあという気分。

8月3日(水) 

起きたら「みんな集合してます!」という通知が来ていて時間を見たら10時17分だった。今日は10時から月例会でまさかのお寝坊。「明日の月例会はこういうやり方に変えるよ!」と言った矢先のお寝坊。夜中まで映画見た挙げ句のお寝坊。
ウケながら起き、寝ぼけ眼で広場に入って大会議室に行くとつつがなく進行されていた。僕も途中からしゃべったりしたのだが頭がまったくしゃきっとせずたどたどしく話して山口くん爆笑。それで今日からの変化は「みんなが関係する話が済んだら一度店舗ごとに分かれて店舗ごとの話をする時間を設ける」というもので、いわば「聞く時間」から「話す時間」へのシフトだ、大会議室を離れてベンチや道端に3つのかたまりができ、そこでそういう時間になった。僕は巡回するような感じでうろうろした。最後にまた大会議室に集まるとどういう話がされたのかを共有してもらい、終わり。これはやはりなかなかいいような気がする。

8月4日(木) 

わたしは成功するか失敗するかです。失敗すれば、むろんそれきりです。成功すれば―だれも主語だの主述関係だの言わなくなり、言わないことがあたりまえ至極になって、そんなあたりまえ至極なことをムキになってのべ立てたかどでわたしは罰金を取られる、ということもないでしょうが、もはや用がなくなって忘れられてしまいます。そういう忘却の光栄を目ざして、わたしはなおムキになりつづけます。 三上章『象は鼻が長い』(くろしお出版)p.187,188
かっこいい。「わたしはなおムキになりつづけます」。これは身に覚えのある感覚だと思う。本を読む人たちを守ること、より確かに守れるように仕組みを整えていくこと、そこからの逸脱に対して愚直に向き合うこと、したくもない注意みたいなことをしながら秩序を守ること。フヅクエをつくりそしてつづける日々とはムキになりつづける日々だ。三上章がきっとそうであるのと同じように堂々と、胸を張ってムキになりつづけてここまで来た。

8月5日(金) 

ぼんやりとうどんを食べたりYouTubeで『駅馬車』を少し見たり。馬がマジで速い。6時前に家を出、くまざわ書店に。なんとなくうろうろして、文芸誌のところで先月号の『群像』を見かけ、蓮實重彦と三宅唱の対談があるというので買う。他にも何か小説を買いたい気がしてぶらついていたのだがわからず、今村夏子を読みたい気もしたし、はちゃめちゃに面白いらしい『同志少女よ、敵を撃て』を読んでみたい気もした、それから小説ではないが目に入った『戦争は女の顔をしていない』を読みたくもなった、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ、いつかそらで言える日が来るだろうか、でも買わない、『ジョン・フォード論』ももう出ていたが『ショットとは何か』が終わってからだろうと思ってそれもなしだ、だから『群像』だけにした。金曜夜のくまざわ書店はけっこう人がいて、何かしら本を所望する人たちが調布にもこれだけいるんだなと思うと希望のような感じがあった。珈琲館に行って閉店の10時まで仕事。

8月6日(土) 

水風呂で脚だけ冷やすと上がる。まだ5時を過ぎたところだった、けっこう早く上がることになった。なんとなくうっすらと頭が痛いような感じがやってきて体の疲れもまるで減らない。やはり大田原のそれと同じように岩泉の飲むヨーグルトがあったので買った、このあとお酒を飲むし僕はすっかりお酒が弱いので先に乳製品を摂って胃に膜でも、みたいなそういう意図もあったっぽい。座敷ではなく椅子とテーブルのところでそれを飲みながら『現代思想入門』を読んでいてデリダ。 デリダが終わると出、駅まで戻って駅前のベンチに腰掛けて遊ちゃんを待ちながら続きを読み、ドゥルーズとガタリのところまで。「むしろ重要なのは、そういう価値観の争いからデタッチ=遊離して、だけれども互いに対する気遣いを持ち、しかもその気遣いが他者の管理にならないようにする、というひじょうに難しい按配を維持できるかどうかです」、なんだかずっと感動しながら読んでいる。

8月7日(日) 

何度も起きながら眠り続ける。起きては『現代思想入門』を読み、すぐ寝、また起き、ポカリスエットを飲み、寝、フーコーのところを読み、また寝、パノプティコン、寝、古代人の自己への配慮、寝……
朝になって起きて体の調子を見ると背中の痛みは変わらないまでも熱っぽさとか頭痛とかはなくなっている感じだったが昨日の今日だし念のために休みにさせてもらおうと連絡し、マキノさんと山口くん、よろしく頼んだ、そしてまた寝る。
ベッドから出たのは2時とか3時で本当によく眠る。熱を計ると6度7分とかで微量の熱。Slackを見るとさっきのシフトの連絡のところに30くらいのコメントがついていて何事かと思って見るとマキノさんも体調を崩したらしく大規模な調整がおこなわれていた。結局何がどうなったのかわからなかったがなんとかはなったようで迷惑を掛けちゃったなと思うし調整サンキューだし頼もしくて嬉しい感じも。
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