読書の日記(7/11-17)

2022.07.21
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『失われた時を求めて』、私が受けた苦しみの独特さを、それを受けた状態のままで尊敬してゆく/往復書簡、誰かについて書くこと、怖さと祝福/顔を突き合わせる時間の必要性/生命保険の販売手数料/『初めて書籍を作った男』、ゆっくりいそげ、文庫本、娯楽としての読書の誕生/くまざわ書店、『ショットとは何か』/エッセイの執筆、Delarosa & Asora、ピーマンの和え物/手巻き寿司パーティー、寛容のパラドクス/心情の間歇、3連休、暇/マルホランド・ドライブ、キングス&クイーン、ションベン・ライダー/水風呂と山田太郎/

抜粋

7月11日(月) 

浮かんでいるのは今はなき祖母のしかめ面だった。よりにもよって。だけどそのままでいいと彼は思った。
言葉をかけたり祈をささげたりしながら、苦しみをもっとやわらげ、それを美化し、祖母が単に不在でしばらく姿を見せないだけであると想像する、そういうことにつとめようとは私はしなかった。けっしてやらなかった、なぜなら、単に苦しむことをねがっただけではなく、私が受けた苦しみの独特さオリジナリテイを、私がふいに、無意志で、それを受けた状態のままで、尊敬してゆこうとしたからだ マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈6 第4篇〉ソドムとゴモラ 1』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.272
私が受けた苦しみの独特さを、それを受けた状態のままで尊敬してゆく。素敵な言葉だ。サンキュー、マルセル。

7月12日(火) 

8時過ぎに起きて眠い。バスに乗って武蔵境経由で西荻窪に。やはり新宿まで出て中央線というのは面倒らしい。できるかぎり新宿駅は使いたくないようだ。だからバスだったのだが朝はそういうものだったか、乗客数がけっこう少なく、それも次第に減っていく、それに走っている道も寂しい静かなものになっていく、気になって地図を見たら思っていたルートをしっかり外れていてこのバスは武蔵境ではなく武蔵小金井に向かっているらしい。あらまあ、と思っていると駅に着く。広々とした静かでいい駅だった。乗った電車から見る景色もよりのどかな感じで開けていて気持ちがいい。武蔵境を過ぎると街っぽさが強まっていった。
それで店に行って鍵を開けて入る。電気の付け方がわからないから暗いまま奥の席に陣取り、マキノさんと振り返りミーティング。途中で敷野くんがやってきて鍵が開いていて泥棒かと思って驚いたとのことで、そりゃそうだよねと思う、失礼。それで振り返りはやはり重要だし今はまた過渡期で難しいなといろいろ思う。そしてまた、もっともっと直接話す時間をみんなと設けないとダメだなと思う。なんでも文字でコミュニケーションを取れると思ってはいけない。取れるは取れるけれど、速さは効率は下がっちゃうよなといろいろな局面で感じる。話さないと。
それは西荻窪チームも同様で今Notionでわーっとやっているけれど、文字だけじゃなくて顔を突き合わせる時間が必要だよねと敷野くんと話して短い時間でいいからコンスタントに話す時間を設けようとなった。それで今日は2時過ぎくらいまでああだこうだと話して話すことは本当にいっぱいある。雨は降ったりやんだりで、出るときはちょうどほぼ降っていなかったので傘をささずに帰った。じっとりと体にまとわりつくような蒸し暑さの日だった。ひどい眠気と疲れを感じた。

7月13日(水) 

7時過ぎに一度中断して遊ちゃんとスーパーに出かける。米俵を担いで帰ってくる。遊ちゃんは今日もカヒミ・カリィを歌っている。あと「I've Told Every Little Star」も歌っている。遊ちゃんにとっては好きなラジオかテレビのテーマ曲だったはずだけど僕は『マルホランド・ドライブ』の曲という曲で聞くたびにあの映画の感触を少しだけ思い出すしまた見たい。 終わらない終わらないと言いながら仕事を続け、どこかのタイミングで晩ごはんにする。今日もサラダうどん。炭水化物も肉も野菜も摂れて簡単ですっかり気に入ったらしい。うどんを茹でているあいだは「ゆる言語学ラジオ」を聞きながらプランクとストレッチ。日本語の時制は過去時制と非過去時制の2つしかないという話で面白い、じゃあ英語は、というところでタイマーが鳴ったのでまた明日。うどんは今日もおいしい。

7月14日(木) 

ローソンのハンバーグと3つか4つのおかずを盛って盛大に晩ごはん。お腹いっぱいはうれしい。寝るまではぷる〜すと。浜辺で目を閉じると「光が目の内壁にたまって、ばら色をたたえている。やがてまぶたはすっかりとざされ」、祖母の姿が映る。夢のような場面になって語り手は父に向かって祖母が生きていることを主張する。「これは生きている人の完全な姿です。死んだ人は生きていないと言い張るあなたのいとこをこさせたら! お祖母さまは亡くなってから一年以上にもなるけれど、やはりいつまでも生きていらっしゃるのです」と言う。
死んだ人は生きていないと言い張るいとこ! 父は息子をなだめる、「仕方がない、死んだ人は死んだ人だ」。しかし本当にそうなのか。誰かに思い出されているときその人は生きているのではないか。思い出されることのない存命の知人と何度も思い出される故人では故人のほうがずっと生きている感じがある。

7月15日(金) 

それでそのまま聞きながら往復書簡を開く。最後の回だ。滝口悠生は植本一子の展覧会を見に千葉市美術館に行く。「あの日」について書き、スリランカカレーを食べ、「なにより一時間も電車に乗って家から遠い街まで来たことが、思いのほか特別なことのように感じられていたようです。当たり前ですが、同じだけの時間をかけて電車に乗って移動しないことには自宅の方まで戻れないわけで」と思う。ある時間を掛けて移動したらその時間を掛けないと戻れないということは意外に「本当だなあ!」という発見で地球とタウ・セチでもそうだった。
小説の動源はなにかを思い出すことなのではないか、とこの往復書簡にも書いたと思います。小説を書くには小説を書くための言葉の使い方があって、それは過ぎ去ったなにかを思い出し、もう存在しないそのひとや場所や時間に形を与えることができるものだと思います。けれども小さな子どもと一緒にいると、それとは全然違う、言った先から忘れるような言葉ばかりを娘に繰り出し、そういう言葉ばかりを娘と交わす毎日を過ごしています。そんな状態は書き手として少し怖くもあります。でも、ふとひとりになった瞬間に思うことは、自分ばかりが思い出す主体でなく、やがて過ぎ去るこの時間や、消えてなくなった言葉のことを、いつかぼんやり思い出して、本当らしく形を与えるひとがいるかもしれない、ということです。それが自分なのか、娘なのか、あるいは妻なのか、それ以外の誰かなのか、わからないけれど、書いた言葉が偶然誰かに届くように、自分が思い出すことまでその誰かに預けてしまおう、そんな気持ちにもなります。それは娘がいるから思えるようになったことだと思います。思い出すことを諦めながら、誰かに思い出されているような。それが僕が育児をしている状態です。 植本一子、滝口悠生『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』p.154,155

7月16日(土) 

味噌汁を仕込み、それからカレーを進め、それで開けて暇。3連休初日、うしろ2日は雨じゃない予報という初日、それはまあ出足も鈍るかなあと思ったがそれにしても暇で、うーん、と思う。こつこつ働く。
6時に山口くんが来て屋上に上がり、ぼーっとする。たまに洗い物を手伝ったりしつつ、夜も変わらず暇なようだ、8時過ぎ出、西荻窪に向かう。富士そばでご飯を食べて店に行き、9時半ごろ店に入ると西荻も暇な日だったようだ、水澤さんの他には誰もいなくて7時から誰もいませんということだった。それであれやこれや話して11時過ぎに出たのだったか。雨が強く降っていた。

7月17日(日) 

で、僕は少しずつ水風呂に近づいている、心臓への負担の恐れは拭い難くあるがみなが口を揃えて言う「整う」というのがどういうものなのか体験したい感じが徐々に強まっている、先日はサウナから出ると水を足にぴっぴっとやったりしたのだが今日はそこから一歩進んでスネまで水風呂に浸けた。しばらくそうしたあとに足を外に出していると足がじわじわと熱を発散するようなそういう心地があって、ああこれが全身で起こるということなのか、それはなるほど、気持ちよさそうだと思う。次回は下半身を全部入れるようだろうか。こうやって徐々に水風呂に近づいていく。「徐々に」というのと「風呂」というのが掛け合わせられて思い出すのは『ドカベン』で幸子がどぼんとお風呂に入ると山田太郎は諌める、いきなりお湯に全部浸かるのは体によくないと言いながら湯船に突っ立って穏やかな顔をしている。下半身をしっかり温めてからお風呂に入る。プロ野球編の最初でバッティングセンターに行った山田がまず1ゲーム分バントしてボールに目を慣らすというのと何か似たエピソードで、どぼんと風呂に入った幸子は高校球児たちの泥だらけの体が入ったあとの風呂に入りながら「ばっちいけど青春の垢だもんね」みたいなことを言う。その様子を想像しているとなぜか幸子が葉っぱをくわえている絵が浮かんでいるのだがおかしなコラージュになっている。
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