読書の日記(6/27-7/3)

2022.07.08
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永遠の口唇期/PRタイムズ、メディアリスト/くまざわ書店、『一生使える 見やすい資料のデザイン入門』/指示される人の気持ち/店のマネジメント体制再考/プルーストと村上宗隆/プロスポーツの脱物語化、さん付けと敬意/キタデタコスナイト、ケサディージャ、『巣窟の祭典』/Tortilla、オードヴィ、アラビア語/初台下北沢西荻窪と行脚/記事公開、プレスリリース、取材、企画提案/連日サラダうどん/8年前、解体工事の記憶/『燃やされた現ナマ』がめちゃくちゃおもしろい/幡ヶ谷の物件の記憶/ストレッチしながら「ゆる言語学ラジオ」/今週もノンアル/

抜粋

6月27日(月) 

今週から来月いっぱい、出ずっぱりの日々が始まりそうで恐々としている。7月はシフトも多くなるしシフトがない日はどんどん西荻窪に行きたい、なかなかタフな日々になるだろうけどやらねばならないけどこの暑さだけでも怖いのにさらに怖い。
起きてぼやぼやしてからセブンまでアイスコーヒーを買いに行き、氷をザクザク噛みながら歩く。これがどういう気分転換なのかわからないが必要な感覚。なんでも依存しがちというか根が怠惰で自分に甘いというか惰性が趣味みたいなところの表れなんだろうか、煙草もそうだし飲酒もそうで、この10日くらい酒を飲んでいないけれど代わりに飲んでいるノンアル飲料の消費のスピードがすごい。毎日5缶くらい飲んでいる。矢継ぎ早に飲んでいてビールのときよりも激しい飲み方だ、ひっきりなしに口を塞いでいないと気が落ち着く場所がないみたいなそういうところだろうか。永遠に続く口唇期。

6月28日(火) 

4月からマキノさんと佐藤くんが社員ということになって、ふたりが店舗マネージャーということになって、ふたりで初台と下北沢を見る、ということになった。特別大きな問題や大きな齟齬が生まれていたわけではないけれど、ふたりといろいろ話しているうちにこの体制は間違いだったんじゃないかと思った、その考えをこの一週間くらいでまとめてそれで今日話したわけだが、つまり、ふたりでふたつの店をマネジメントするというのは、ふたりの目を、認識を、常にすり合わせ続ける、ほとんど一心同体くらいまですり合わせる作業を続けないと成り立たないことだった。よかったニュースも気になる出来事も全部、ふたりで認識を揃えて、必要とあらば注意喚起とかを発しながらやっていく。ふたりで2店舗というこのやり方は3人で相談してその総意で決めたものだけど、結果として、マネジメントの素人に対して難しいマネジメントをさせちゃった、というものになった感がある。それをマネジメントの素人の僕がぼんやり見る。これはなかなかダメだ。マネジメントというものが初めての人たちに対して、非常にぼんやりした形で「こういうことをしていってね」と伝えるだけで済ませて、この体制を初めるとすぐ、店のいろいろの改善業務をスピードを上げて回していく、みたいなことに注力してしまった。毎週のミーチングも改善業務の進捗を聞きながら、じゃあ次はこれをやっていこう、みたいなそういう前に前に進む話だった。だけど本当に持つべきだった場というのはこの一週間で何か問題を感じることは起きていないか、何か困難を抱えているものはないか、そういう相談みたいなことが率直にできる、ケアしあうようなそういう場だったのではないか。
ということでシンプルに行くことにして8月からそれぞれの担当店というか所属店というか、それを明確にしてやることにした、というのが今日の話だった。

6月29日(水) 

それで6時前で仕事を切り上げて遊ちゃんと合流。少し早く着いていた遊ちゃんはB&Bにいたようだ、久しぶりに入ったら本当によかった、本当にいい本屋さんだなあと思った、2020年の春の緊急事態宣言下の日々のあととかに久しぶりに入ったときと同じような感激する気持ちになぜかなった、それで石の本とどこかの紀行文を買った。それを見せてもらったのはキタデタコスで、今日はタコスを食べようナイトだった。外の席に座らせてもらって遊ちゃんは少し前にカンナちゃんと来たので2度めだった、ビールを頼んで2週間ぶりの飲酒だ。飲んだらどうなっちゃうかねえと言ったら爆発しちゃうかもねと言われたので爆発したら拾ってねとお願いした。拾い集めてね。やってきたハートランドはめちゃくちゃおいしかった。え、こんなにおいしかった? というようなおいしさでこれだけでも酒を普段飲まない価値はあるかもしれないと思う。それで赤キャベツとチーズのラペとワカモレとトルティージャのやつとフリーホレスのケサディージャを頼んでケサディージャというとフアン・パブロ・ビジャロボスの『巣窟の祭典』を思い出す感じがあって「巣窟の祭典」じゃない家族ものの話のほうでインフレとかで家がどんどん困窮していって具が貧相になっていく、あれがケサディージャだった気がする。

6月30日(木) 

今日は初台下北沢西荻窪と行脚する日だった。慎重に考慮した結果、各停に乗って座るほうを選んだ。それであのひとのフヅクエ時間とフヅクエ文庫の記事公開をするとプレスリリースの配信をした。店に着くとアイスコーヒーをこしらえ9時半からミーチング、今日はきっちり30分で終わりで10時から取材だったからだ、10時になると人の声が聞こえて僕はそれでGatherからは出た。取材を受け、そうしているうちにさっき画面越しに見ていたマキノさんがやってきた。取材はよくしゃべった。サバ缶とレモンをいただいた。

7月1日(金) 

今晩で読み終わっちゃうかなと思いながら寝るまでは現ナマのやつ。アジトに設置された盗聴器の音を聞く無線技師。「夜のさまざまな物音や街の死んだ音楽が混ざり合う。メレレスの声だろうか? 〈ナンバースリー〉の声なのか? それとも〈ナンバーツー〉か?」「誰の声だ?」
過去から聞こえてくる声だ、無線技師はそう考えた。おそらく地下に埋めこまれた配管を行き交う死者の声だろう。だからこそ、どこかのアパートに隠れて恐怖に震えているふたりの老婦人の会話を耳にすることもできるのだ。
「聖母マリア様、われら罪びとをお守りください」
この祈りの声はどこから聞こえてくるのか。ほかならぬ無線技師の記憶のなかから聞こえてくるのか。あるいは犯人の声かもしれないし、隣人の漏らした声かもしれない。 リカルド・ピグリア『燃やされた現ナマ』(大西亮訳、水声社)p.183
ずうっと面白い。まだまだ読んでいたい。終わらないうちに眠気が来てくれたのでそこで寝た。明日も読める、と思うとうれしかった。

7月2日(土) 

ほうきとちりとりを持ったおばちゃんが社会教育館の前を掃除していた。その横を通って入り口の前に着くと立て札があって期日前投票は7月3日からですという案内があった。「えーっ」という声が出てそれに気づいたおばちゃんが掃除の手を止めて顔を上げて明日からなんですと伝えてくれた、なんと言ったのか僕も何か応じ、おばちゃんはご苦労さまですと笑いながら言った。この徒労をおばちゃんと分かち合うことができてよかった。この徒労をさらに慰めるために青い鳥でカレーを食べていこうかという気にもなったがやめた。六号通り商店街を歩きながら、幡ヶ谷はいくつか物件を見たことが思い出された、昨日の解体の目撃から店の始まりのことが意識されているようだ、幡ヶ谷で見たのは3つだった。うっすらピンと来るものはあったけれどうっすらピンと来るというのはピンとは来ていないということだったのだろう、あれらの物件は今はどうなっているんだろうと思ってその3つを見て回った、やっぱり初台で、二名ビルでよかったなと思う。それにしてもフヅクエという場所が幡ヶ谷で開業されていた可能性は十分にあったんだよなあと思うと変な感じだった。そうなっていたらどうなっていたのだろうか。

7月3日(日) 

今日は豚キムチみたいなものをつくろうとしているようで豚肉とトマトと舞茸とキャベツと玉ねぎとキムチで卵だ。たぶんトマトの存在が卵を呼んだのだろう。トマト卵炒めはおいしいから。今日も「ゆる言語学ラジオ」を聞きながらプランクとストレッチをしたあと、そのままラジオを聞きながら炒めものをこしらえて「ゆる言語学ラジオ」は今日も面白かった、他動詞と言ったあとに本当は他動詞とは言いたくないんだよなとか人称代名詞とは言いたくないんだよなとか、そういうエクスキューズの掛け方というか正確性へのこだわりみたいなものが見える瞬間が特に面白い。日本語は何かと場所性が高いという話がよくて「ところ」とか「ほう」とか人称もそうで「お前」も「奥様」も「彼」も「あなた」もそうだ、「高橋」は実はすごい名字だ、炒めている音で聞き取れない話もあったのが惜しいがイヤホンをしながら料理をするのはあまりしたくないからそのまま聞いたり聞き逃したりしていた。それで豚キムチと昨日のツルムラサキのやつとゴーヤのやつで完成でたっぷり食べた。食後は眠くなったが明日のプレゼンみたいなものの資料作成をやらなければとなって一生懸命資料をつくっていった。3時近くまでやっていた。なんでこんなに間際にならないと動けないかなと思う。ジタバタしている。
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