抜粋
6月20日(月)
7時くらいまで働き、なんかちょっと小休止だな、と思っていたところで遊ちゃんが部屋に来たので買い物を兼ねた散歩に出て空は青とオレンジとピンクが混ざっている時間だった。明日は夏至だそうだ。あれこれしゃべりながらゆっくり歩いてコンビニに行ってお金の預け入れ、ついでにノンアルビールを買おうと思っていたが見当たらなかったので諦め、そのままスーパーに。今日はなぜか魚の煮付けをつくりたくなっていてカレイが半額で200円だった、大きいし安いし即決。遊ちゃんはホタテを買った。ノンアルのアサヒのやつとサントリーのやつとそれからノンアルレモンサワーがあったので買ってみた。遊ちゃんはいつもどおりの本搾りのグレープフルーツ。スーパーを出るとさっそくプシュッとしてレモンサワーを飲んだ。一口目に感じたのはノンアルのレモンサワーって甘みが一切ないレモンスカッシュと何が違うんだろうということだったが飲んでいるうちにレモンサワーを飲んでいる心地になっていったから何かが違うのだろう。結局おいしかった。日はすっかり暮れて一色になった。
6月21日(火)
満員電車はギスギスした感情に触れることもあってヘルシーとは言い難いが本を開けば「灯油に限らず、日用品の在庫管理的なことは、家事のなかでも結構重要な仕事だと思います」とあってもうこれだけで救われる。ちょうど昨日トイレットペーパーを買い足した。それをトイレ横の物入れみたいなところに放りこみながら、「在庫が開封されて棚に並べられたとき」をトイレットペーパー購入のキューとすると余裕を持って回せていいかもしれない、としみじみ考えていたところだった。この一週間くらいは家にいる時間が長いので自炊もそうだが家事にも目が行くようになってきたのかもしれない、それでも全然把握していないことはたくさんあって、知らないうちに遊ちゃんが補充してくれている、掃除してくれている、そういうものが膨大にあるんだよなと思う。
家事に限らず、毎日は少なからず似たことの繰り返しという側面もあって、そのなかでよくも悪くも凝り固まり、強ばっていく部分もある。思いがけない出来事に想像力が向かなくなるような。生活というのはそういうものでもあると思うけれど、思いがけない出来事こそが人生を、生活を繋いでいくのではないかとも思います。
なので一子さん、なんか困ったりしんどいときに、あそこに行けばいいのではないかと思った行き先がうちだったときは、夜でも大丈夫なので来てみてください。娘は寝ているかもしれないし、僕も妻もしっかり歓待する余裕があるかわからないけど、心細いひとがやって来たら迎えられる家でありたいと思っているし、そんな思いがけない出来事を迎え入れられる人生でありたいと、僕も、たぶん妻も、思っています。
植本一子、滝口悠生『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』p.114,115
朝から泣いちゃう。
6月22日(水)
シャルリュス氏に話しかけて大公に紹介してもらうことをお願いしようかと思ったが「私の気持のなかには、彼のごきげんをそこねるという心配(もっともすぎるほどの理由をもった心配)があった」とあって、なんというか、もうなんかすごくシンプルにただ面白い、ただ笑っちゃう面白さがあるなあと思う。どうしても古典の小説みたいなものって真面目な態度で臨んだほうがいいような感じを持ちがちだけどただただ滑稽で面白いんだよなと思う。そして面白さで顔をニヤつかせていると「ときとして、未来は、われわれの気がつかないあいだに、われわれのなかに住んでいて、うそをついていると思っている言葉が、近い将来の現実を素描していることがあるものだ」という金言めいた言葉にたちまち出会うから油断できないというかずっと面白い。
それにしても神回というかバチバチに面白いのが続く感じがあってそのあとはこうだ。
この作品のスケールでは、若いときにどんな事件の結果、ヴォーグーベール氏がソドムの世界でシャルリュス氏といわゆる「肝胆相照らす」間柄になっている社交界のかぎられた人間の一人(おそらくただ一人の人間)であるかを、ここに説明するゆとりはない。
同前 p.76
これ以上なくどでかいこの作品のスケールで、その説明のゆとり、ないんだ!?
6月23日(木)
特に行き先は定めずに歩いているうちに時間も早いしちょうどいい機会だし長ズボンを買いにパルコとかのほうに行こうということになった、僕の今履いている長ズボンはポケットが両方破れてしまって大変不便な思いをしていた。鍵とか落ちる。穴は次第に広がって今では拳くらいの大きさになっている。煙草の箱も落ちる。何かが落ちるそのたびに太ももの上をすーっと冷たいものが通っていくわけだ。それで「ユニクロでいいんじゃない?」という遊ちゃんのぞんざいな提案を受け、僕はなんでも一張羅だから、なんか一張羅はユニクロだといけないんじゃないかなという思いがあると言うも、ユナイテッドアローズもユニクロもそう変わらないよみたいなことを言ってきたので、そういうものか、と思ってユニクロに行った。それで今履いているやつと似た色の長ズボンを3つ試着し、しかしどうもしっくり来ない感じもある、遊ちゃんもそうらしい、どうしようねと諦めて出ようとしたら別のコーナーでまた同じ色合いの長ズボンがあって「アンクルパンツ」と書かれている。伯父さんの長ズボンということなのだろう、それを履いてみたらとてもしっくりきたので買うことにして、ふたつ買ったらどうかという提案を受けたのでそのとおりにした。これで二張羅生活の始まりということになった。
6月24日(金)
下北沢、着き、コーヒー、飲み、酒井さんと契約書のことで少し話す。終わるとフヅクエ文庫の写真を撮る。三脚を立てて、一生懸命撮る。なんとか撮れた感。それから溜まったお金の両替を経、朝ごはんだ。今日は家から納豆を持ってきて、コンビニではハムを買ってきた。ハムにはマヨネーズをつけて食べるんだ。おいらはこれが大好きなんだ。
写真のレタッチ、税理士さんの契約書確認、仕入先の書類書き、税務署に出す書類書き、打ち合わせの打診、ラジオ収録、メルマガ配信、Shopifyにフヅクエ文庫5冊の登録、Strapiでエッセイとフヅクエ文庫の記事作成、クラウドサインで契約書作成……
途中、ちょっと休憩、と思って立ち上がると獅子田さんの姿があった、ニヤニヤしながら近づきながら調子はどうか聞くと獅子田さんは
「早くアレ触りたくてたまらなくて……」
と照れたような苦しそうな顔をした。なんでも聞いてくださいね、と肩を叩くとその場を離れた。「おなじ職業から職業へはたがいに通じあうものだが、おなじ悪徳から悪徳へもまたしかりである」。
6月25日(土)
今日、このクソ暑い一日、「クソ暑い」と言うとブルーハーブの2000年のフジロックのステージを思い出す、ステージを思い出すといっても直接見ているわけではなくてワウワウ、ワウワウ、ワウ、ワウ、ワウ。だからこのクソ暑い一日はひとつの分水嶺というか今日俺はビールを飲もうとするか、瀬戸際というかあるとしたら今日という感じがあった。暑く、暇だったとはいえよく働いて、汗もかいて、というこの日の夜に飲みたくなるのかどうか、ひとつ興味のあるところだった。
しかしどうしたものかそうはならないようだ。今日も家まではノンアルレモンサワー、帰ったら龍馬、という口というか体になっているのを感じながらスーパーに行った、ハンバーグを取ってそれからお酒コーナーでノンアルの、と思ったらなんとノンアルレモンサワーが売り切れている! 今、これはけっこう危機の瞬間というか、せっかくのノンアルレモンサワー気分が折られた今、ああそうですか、そうしたら、と言いながらアルコール飲料に手を伸ばす絶好の機会が訪れている。しかしどうしたものか、そう躊躇することもなく、僕はアサヒのノンアルビールを取ってレジに向かったのだった。それで「やっぱりおいしくないなあ」と思いながら飲みながら、家まで歩いたのだった。不思議なものだ。別にいつ飲んでもいいと思っているのだけど、逆にいつ飲み始めたらいいのか頭も体もわからなくなっているような感じがある。
6月26日(日)
今バチバチに面白くて、本を閉じて駅の階段を上がりながら、今日は帰ってからもこのままプルーストを読み続けたいという気持ちが強くなればなるほど、同時に『燃やされた現ナマ』も読みたい、という気持ちが沸騰していくのを感じていた。これはプルーストによってもたらされている「読書は、面白い」というシンプルで強烈な喜びが飛び火してのもののようだ。それに、プルーストは読み続けたいけれど、プルーストを終えてからじゃないと他の本に行けないなんていうことになったらもう何ヶ月もプルーストしか読めなくなってしまうから、という現実的な理由もあった。どうしようかなと思いながらスーパーで豆苗とノンアルレモンサワーを買って帰った。
ご飯を炊いて、豆苗と豚肉の炒めもの。キャベツのクタクタ。白菜のクタクタ。ほうれん草の和え物。オイシックスの葉っぱをそろそろ食べちゃったほうがよさそうだったのでオイルとビネガーと塩と胡椒でサラダみたいなもの。葉っぱづくしという感じになった、バクバク食べた。それで食べ終えると『燃やされた現ナマ』を読み始めた。1965年のアルゼンチン、銀行強盗のお話。